15
約束の日が来た。
いつものように、桔梗には街へ出ると言って家を出た。
桔梗宛の手紙は、机の上に置いてきた。いずれ気付いてもらえるように。
いなくなる理由は書かず、これまでの感謝と、もうこの花柳家には帰らないことを書いた。龍桜院家との契約時にもらったお金を、給金として残して。
空に浮かぶ雲はずいぶん低く、近く感じた。
睡蓮は一歩一歩と歩を進め、薫との約束の場所、花柳の家よりもずっと上の山頂を目指す。
零水山の頂上付近は、見渡す限り銀杏の黄色で染まっている。
銀杏の葉の鮮やかな絨毯を進んでいくと、ほどなくして視界が開けた小高い丘に出た。
その場で眼下の宿場町をぼんやりと眺めていると、ふと風がざわっと強く吹き、睡蓮の長い髪を弄んで抜けていった。
その、刹那。
「待たせたな」
声がして、睡蓮は静かに振り向いた。
振り向いた先に立っていたのは、天女のように美しい容姿をした男。
睡蓮が契約を結んだ相手――白蓮路薫だった。
「どうした? 浮かない顔だな。死ぬのが恐ろしくなったか」
睡蓮の暗い顔を見て、薫はどこか楽しげに目を細めた。
「……そんなことは」
「なら、なんだ? 龍桜院と会えなくなるのが悲しいか?」
問われた睡蓮は、そうとも違う、と、困惑する。
そもそも睡蓮は、楪とは一度も顔を合わせたことがないのだから。
薫の言うとおり、楪とこの先二度と会うことは叶わないということはもちろん悲しい。だが、それよりも睡蓮の心に影を落としていたのは、桔梗の存在だった。
――私、いつの間にこんなに桔梗さんのことを……。
いけない、と睡蓮は目を閉じ、静かに深呼吸をした。
すべての感情を、心の奥深くにしまい込んでから、ゆっくりと目を開ける。
再び目を開けたとき、睡蓮の眼差しに迷いはなくなっていた。
「白蓮路さま。最後にひとついいですか」
「なんだ?」
「今まで、ありがとうございました」
「ん?」
これから殺そうとしている相手に突然礼を言われた薫は、怪訝な顔をして睡蓮を見た。
「本音を言うと私……楪さまと結婚してる間、本当はちょっと寂しかったんです。……でも、そんなときあなたがやってきて、私は楪さまを守るためにこの契約をしました。魂と引き換えでしたけど、私、白蓮路さまと話すの好きでした。私に楪さまを助けさせてくれて、ありがとうございました」
「…………」
「白蓮路さま、あとのことはお願いします」
白蓮路はじっと睡蓮を見つめ、口を開く。
「……わたしは」
しかし、続く言葉を発する前に、ふたりの周囲に一陣の風が吹き荒れた。
突然の突風に、睡蓮は思わず目を強く瞑る。




