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しかし、桔梗はまるで気にしていなかった。
「うん、やっぱり涼やかでこれからの季節にぴったりです。これにしましょう」
「えっ!?」
「すみません。これ、彼女に合わせていただけますか」
「かしこまりました」
桔梗は戸惑う睡蓮をスルーして、どんどん店側と話をつけていく。
計測を終え、困った顔をして試着室から出てきた睡蓮を見て、桔梗は小さく笑った。
「そんな顔しないでください。これは俺のわがままですから」
「でも……」
桔梗が購入しようとしているあの着物は、試着室で店員に値段を聞いたら、睡蓮の目が飛び出るほどに高価なものだった。睡蓮の持ち金ではとても手が届かないものだ。
「着飾った睡蓮さまを俺が見たいんです。これを着て、どこか出かけましょう。そうだ、花火大会とか。夏祭りもいいですね」
桔梗はどこか楽しそうな声音で言う。
「……睡蓮さま。それが俺のご褒美なんです。ダメですか?」
そう言われてしまっては、睡蓮はもうなにも言えない。
「では、こちらお仕立て致しますね」
「あぁ、あと帯もいくつかほしいんですが」
「かしこまりました」
店の人間に言われるまま、さらにいくつかの反物を合わせられた睡蓮。
すべてが終わった頃には、睡蓮はへとへとになっていた。
「仕立て上がるのが楽しみだな。できたらまたふたりで取りに来ましょう」
楽しげな桔梗をちらりと見て、睡蓮は小さく口を開いた。
「……あの」
「はい?」
「……あの、桔梗さんは何者なんですか?」
「何者って……なんですか、急に」
「……だって、こんな高級なお店……平然と入ってしまうし……しかも、ご贔屓さまみたいだし」
あんな高級な呉服屋は、花柳の人間ですらあまり出入りできない。それなのに。
じっと見つめると、桔梗は「あぁ」と納得したように呟いた。
「店主とちょっとした顔見知りなんですよ」
「店主さまと?」
それは、いったい。ますます気になってしまう。
と、そのとき。
「――あ、雨?」
困惑していると、ふたりの頬を冷たい雫が濡らした。桔梗が空を見上げる。
「雨ですね……」
ぽつぽつとしていた雨は次第に勢いを強め、ふたりを濡らす。勢いで出てきてしまったから、睡蓮も桔梗も、今は番傘を持っていない。
「とりあえず、どこかで雨宿りしましょうか」
言いながら、桔梗がこれ以上濡れないようにと睡蓮の頭に羽織を被せる。
「あ、私はじぶんの羽織りで……」
「いいから。それより早く行きましょう」
「あっ……」
睡蓮は桔梗に連れられるまま、すぐ近くにあった喫茶店の軒下に入る。
ティーカップの形をした看板には、異国の文字が書かれていた。
――なんて書いてあるんだろう……。
首を傾げて見上げていると、桔梗がそっと睡蓮の肩を抱いた。
「ほら、濡れる前に入って」
「あ、はい」




