(008) 『とびきりアイドル! ちょっぴり魔王?』
「魔力も回復してる……っていうか、容量が何倍にもなってるんじゃない? アタシ、今なら……うん!」
アーネスはニヤリ魔王面で微笑み、黒の書を空中で開く。そして、パープルクリスタルロッドで魔法陣を空中に描いた。
魔法陣が輝き、黒と緑が混じり合う風の魔力球が一瞬で発現。
暴れる小さな竜巻のようなその固まりにアーネスが手をかざすと、エネルギーが瞬く間に圧縮され、ブン回しすぎて危険なゾーンに入ったエンジン並みの高周波音となる。
「ムフフ……それっ!」
アーネスが天を指さすと、極細レーザービームのような風魔法が空を撃った。
その瞬間、周囲の気流が混乱するように暴れ回り、旋風の刃が発生する。
「きゃああああッ!?」
ユーオリアのドレスは旋風に切り裂かれ、あちこちの部位から肌色が顔を覗かせた。
露出多めの服を好んではいるが、さすがに露出し過ぎの状態となり、顔を真っ赤にしてへたり込む。
「お嬢様!? おのれ黒魔女……!」
アーネスの射撃によって、空を埋め尽くす暗雲にポッカリ穴が開き、陽射しが漏れる。
その陽光に、ユーオリアはますます体を縮こめた。
「くッ……私の水牢など解くまでもないと、あざ笑っているのか?」
「ウルクス! いいから何か羽織るものを貸してちょうだい!」
水牢の中、流れる水の壁で外の様子はハッキリとは見えないが、思った通りの成果。アーネスは満足げに微笑んだ。
「ムフフ……これだけのチカラがあれば、世界を裏返せる! 黒魔女を差別したヤツら……全員、覚悟しなさい? 今度はアンタ達の番……」
「やめ――――――――――――――い!!」
「ひいッ!? ごめんなさい!!」
ヨウジの一喝に、アーネスは反射的に謝ってしまう。
それはまるで、長い間忘れていた、親に怒られた時の感覚に近い気分だった。
(何なの? アタシの使い魔のはずなのに、ヨウジの言葉を聞くと従っちゃう。これじゃ、上下関係があべこべじゃないのーっ!)
「ハァ……色々言いたいことはあるけど、さすがに根が深い問題か」
(やっぱり、この子はよぞぎみじゃない。でも……俺がこの子に召喚されたのは、何か運命的なものがあるのかもな)
「アーネス、君は俺をこの世界に喚び出し、生きる希望である推しと引き離した。その責任をとってもらう」
「責任とる……って? 何させる気!?」
「君には…………俺が推せる【国民的アイドル】になってもらう!」
パープルのペンライト……ではなく、魔力で灯した光の爪をビシと突きつけられ、アーネスは目をパチクリさせる。
「アイドル……さっき言ってたやつね。歌ったり踊ったりしろって? なんでアタシがそんなことしなきゃならないのよ」
「そうか……あらためて、『アイドル』という概念がない世界なんだな。やっぱりこんな世界、一度ひっくり返した方が……いや、いかんいかん」
アイドルのこととなると簡単に魔王側思考へ行きそうなヨウジにもかなり問題あるが、今のところ、魔王爆誕を阻止できる最有力候補は、この男らしい。
「この世界のエンタメ事情がどの程度かわからないが、ただ娯楽として歌い踊るだけじゃない。その人物像に目が離せなくなるような……自然と人を引きつける特別な魅力を振りまく唯一の存在になることなんだ」
「それは……宗教?」
「うーん……似たところもあるけど、違うな。ただ品行方正な聖人が求められるわけじゃない。時には心を救ってくれる女神であり、時には俺達と同じようにお菓子を食べるクラスメイトであり……ん?」
熱弁しながら、自分達がいる部屋内の水位が上がりだしたことにヨウジは気付いた。
「水牢の内部を満たす? ウルクスあなた、アーネスさんを溺れさせるつもりですか!?」
「私の水牢は、内部の者を溺れさせることはありません。が、しばしあの水に浸かっていれば……」
水の箱は、アーネス達の足が浸かっているであろう底側から、まるでイカの墨が水中で広がるかのように黒く染まりだす。
それはみるみる水牢全体に広がり、ユーオリア達の目の前に真っ黒な箱が出来上がった。
「黒魔女の魔力をすべて吸い出し無力化する。そのまま眠らせ、封印状態にしてしまえば……この世界にとって最善です」
「なッ……おやめなさい! あなたひとりの判断で、そんな勝手は許されませんわ!」
「黒魔女に関わる者に災いあり……私ひとりの犠牲で世界が救えるのなら合理的というもの」
「ッ……このおバカッ!!」
パン!
手袋越しの少しくぐもった平手打ちの音が響く。
「仮に災いが真実だったとして……犠牲はアーネスさん、狼さんを含めて最低3名ですわよ! 自分だけが尊い犠牲のつもりで……真に他人のことを考えているわけではない自己満足になっていませんか!?」
「うッ……いや、私はお嬢様の付き人として…………むぅッ!?」
動揺したウルクスが手を緩めたわけではなかったが、黒い箱は膨張を始める。
「くッ……まだ潜在魔力があるのか!? 一体どこまで……」
「――で、ライブの開催自体が危ぶまれたんだけど、メンバーがスタッフに直談判して……」
水面にプカプカと浮かびながら、ヨウジはアイドル論を語り続けていた。
「ちょ、ちょっと! もういいわよ! 今、そんなのんびり語ってる場合なの?」
『こんな水牢、簡単に打ち破れる』と思っていながらも、ヨウジがいると自由に行動できないアーネス。
理不尽だが、とにかく話を合わせるしかないと唇を噛む。
「じゃ、俺が推せる国民的アイドルになる……ってことでいいかな?」
「……わかったってば! もう! って言っても、アタシ歌も踊りもできないし、アンタの思い通りにならなくても知らないわよ?」
「ふむ……」
ヨウジは、自分の中に使える魔法の理がいくつもあることを感じていた。が、使い方がわからない。
「俺自身も魔法使えるっぽいんだよな。頭に思い浮かべた音楽を鳴らす魔法ってある?」
「ハァ? アンタ……魔法を何だと思ってるの?」
「自然のエネルギーみたいなものを借りて、こっちが組んだプログラム次第で色々できるって感じだよな。一応、社畜SEやってたし、入力方法さえわかれば……」
ヨウジは試しに自分の手を見つめ、念を込めてみる。
アーネスが出したミニ竜巻のようなものが現れ、聞きようによってはエレキギターのような高い音がキュインと鳴る。
「独自の魔法を編み出す……なんて、そんな高等技術をサラッと始めないで欲しいんだけど。ま、そこはさすがアタシの使い魔よね。アタシと同期したことで基本術理は備わってるようだし、うん」
アーネスは観念したように溜息をつき、空中に浮かせた黒い本を目の前に掲げる。
「まずは媒体を決めること。たとえば、アタシは『書物』が特に適合する媒体」
ヨウジはアーネスの黒本をあらためて見つめる。よく見ると、その一部には小さな錠前がかかっており、開かないページがあるらしいことがわかる。
「この黒の魔本は……アタシにとって特別なものだったりする。そういう執着なんかも効果に関わってくるの」
「ふむ……媒体か」
「それさえ決まれば、起こしたい現象をイメージして、どれだけの理霊元素をどういう形で組むか術式を決定。自分が発現しやすい言葉に乗せて魔力を注ぎ込む……ま、そんな簡単にいかないだろうけど、うん」
「とはいえ、今この場に特別なアイテムなんて……」
いよいよアーネスの胸元にまで水位が上がってきていたが、ワンコはぼんやりプカプカと水面にたゆたっている。
たまらずアーネスが口を開こうとした時、ヨウジが呟いた。
「よし、俺の媒体は……『人間』にする」
「ハァ!?」
「俺はアイドルオタク。一番思い入れられる何かといえば……やっぱり『アイドル』だ。起こしたい現象にも直結してるし、我ながら名案だな」
「媒体は道具であって、常識的には……ちょ、聞いてる?」
ワンコは立ち泳ぎ状態で、短い両手をアーネスに向け瞼を閉じる。
すると、掌の先にそれぞれ黒と金の小さな結晶、魔力の固まりが生まれた。
そのふたつは小刻みに震動し始め、やがてぶつかり合い、キンキンと高い音が鳴り響く。
「なっ……ヨウジの魔力が膨れあがってる!?」
光をまとったワンコの体が空中に浮き上がり、足下の水面には幾重もの波紋が刻まれる。
ふたつの結晶は衝突するたびに大きくなっていたが、突然双方ともに砕け、無数のカケラが飛び散った。
そのカケラ達はアーネスに降りかかり、まるで天使の輪のように頭上で魔法陣を描き出した。
「アーネスまだまだ成長途中! 初ライブ俺がサポートするぞ!! 今から君がやるべきは!!! とにかく心の笑顔の努力!!!!」
ヨウジの詠唱を合図に魔法陣から光線が放たれ、アーネスの全身を優しく包む。
その光は輝きを増し、周囲の黒い水を一瞬で金色に塗り替えた。
「えっ? 水牢が……きゃっ!!」
「ぐああッ!!」
金色の水牢が弾け、術者であるウルクスが吹っ飛んだ。
水しぶきは紙吹雪のようにキラキラと舞い、上昇気流とともに空へ。
先ほど穴が開いた程度だった暗雲が完全に晴れ、青空が広がる。
ユーオリアは布きれを抱きしめながら、金色の水蒸気スモークと光の洪水の中、細めた目で彼女を見ていた。
「とびきりアイドル! ちょっぴり魔王? 災いよりもハッピー届ける! 『あーにゃん』こと、黒魔女アーネスです!」
照れ笑いのようなあざとい表情、光の中から現れたアーネスはクルクルと指ジェスチャーを交え、自己紹介キャッチフレーズを披露。
その顔に迷いの色は見えない。
金の水牢が形を変え、組み上がった舞台。
そこに立つアーネスは、プロのアイドルの顔になっていた。