(007) 『アイドルオタなりの魔法』
ユーオリアの言葉に望みを託し、黒狼は振り返る。が、アーネスは今もただ立ち尽くしていた。
「う…………んうう……ッ」
脱力したアーネスの体はピクピクと痙攣し、うなされているかのように呻く。
その閉じた瞼には、うっすらと光る雫が滲んでいた。
(俺と同じ夢を見てるんだろうか? もしかしたら、いつもこんな風に……悪夢を見て苦しんでたのかもな)
ドクン
ヨウジの胸の中に、疼くポイントがあった。。
そこは、彼が生きていくため一番大切と言い切れるほどのエネルギーを生成する器官。
(ずっとひとりぼっち……召喚モンスターくらいは話し相手になってくれていたんだろうか? 辛い日々でも、ひととき癒される趣味くらいはあるんだろうか? 笑うと、どんな顔をするんだろうか?)
ドクン
(アーネスを助けてやりたい気持ちが胸の中でどんどん大きくなってる。まるで、俺の中に特殊な気が実際に湧いているような。使い魔として備わっているチカラ? いや……これは元々、俺の中にあった気がする……)
ドクン
(そうだ……この熱さ、これは推しを推す時の活力と同じだ。推しの笑顔を俺が作ってるんだって……それくらいの気持ち!)
ドクン!
(いっちょ、やってやるか。俺は今から………………アーネス推しだ!!)
「ゥオオオ――――――――――――――――ンッ!!!」
天を突き上げるかのように仰け反り、黒狼が吠える。
その瞬間、彼の中で発生した爆発的な魔力が、同期するアーネスへ逆流する。
突然注ぎ込まれたエネルギーに、アーネスの体は電気ショックを受けたように弾けた。
「うああああぁぁあああッ!!」
アーネスの体のあちこちに金色の魔法陣が現れ、彼女は光で埋め尽くされていく。
魔法陣が増えるたび、悲痛な叫声が上がった。
まるで体を八つ裂きにされているかのようなその声に、ユーオリアはハッと我に返る。
「アーネスさん!? な、何が起こっているのですか?」
目映い光の繭となったアーネス。悲鳴も、もう聞こえない。
呆気にとられていたユーオリアだったが、黒狼がゆっくりと動き出したのを視界の端で捉え、ビクッと身構える。
「な、何を……やめっ!」
爪と爪の間にバチバチと火花が走り、自前の爪とは違う紫色の光の爪を3本構える。
それは、光の繭に向けられ……その構えのまま、黒狼は特殊な吠え方を始めた。
「やっと出会えた俺の姫! アーネス最高かわいいよ!! 人生懸けて笑顔にするぜ!!! 世界で一番輝いて!!!!」
魂の咆哮は、陽司にとってのスペル詠唱。それを完遂し、光の爪を振り下ろす。
「『魔装転凛』!!」
ガシャン!
盛大に氷が砕けるような音とともに繭が割れ、中から黒い光が撒き散らされる。
一体何が起こったのか。繭の中のアーネスがどんな状態で現れるのか。
戦闘の末、村から離れた森の中の少し開けた広場。
観客の関心が最高潮になるその瞬間、空気の読めない邪魔者が乱入して来た。
「お嬢様! 離れてくだされ!」
短剣を構えたガタイのイイ中年男がユーオリアの前に現れ、繭に向けて魔法を放つ。
輝く水流がドウドウと音を立て、アーネスと黒狼を水の牢獄に閉じ込めた。
「ウルクス! あなた……やっぱり来たのね。最悪のタイミングで……」
「どれだけ痕跡を残さぬよう抜け出しても、その魔力を嗅ぎつけ参上します。お嬢様を守るのが、旦那様から仰せつかった私の役目ですからな」
ユーオリアは『いつもながらウンザリ』と『今、大事な何かが起こる途中でしょうが!』が混ざった名状しがたい表情を見せていた。
「何度でも申し上げる。もう黒魔女に関わるのはおやめくだされ。どうせ、お父上がお認めになることはないのですから」
「聞きたくないですわ。わたくしに協力できないなら帰って!」
「天聖竜クラス……これほど高位の召喚霊を喚んでも負けたのでしょう? 旦那様に知られれば、今度こそ外出できなくなりましょう。さぁ、水牢が動きを封じている間に!」
もうひとりの父親とも言えるような、家族同然の口うるさいオジサン。
普段からわずらわしいと思っていたが、今日だけは邪魔しないで欲しかった。
ユーオリアは心底そう思った。
「あれ? 俺、ちんちくりんの体に戻って…………ん? 水の壁みたいなのに囲まれてる……」
ユーオリアが家の事情で説教されているその時、水牢の中では――
『木々の匂いが遮断され、水の匂いに包まれている』
寸詰まりフォームに戻ったヨウジは、そう感じていた。
「あ? えっ? アーネス……?」
そんな水の密室の中、ヨウジは、キラキラ光をまとったアーネスと対面する。
「う……ッ? アタシ……えっ?」
月見坂88が採用していたような学校制服をイメージしたタイプのステージ衣装。
黒を基調に紫と金で彩られたカラーリングは、明るくカラフルな色使いが多いアイドルイメージとしては正統派ではないかもしれないが、シックにまとまり可愛らしく仕上がっている。
増えたアイテムといえば、紫水晶をはめ込んだ短い杖。それは、さながらマイクのよう。
まさしく【アイドル】という装いに身を包んだアーネスが、そこにはいた。
「アーネス……なんだよな?」
あらためて確認した理由は、その衣装のせいだけではなかった。
美しく明るい色の長い髪。クルンと内巻きになったツーサイドアップのアクセント。
顔も体も大人の女性のものとなり、化粧もバッチリ。さっきまでのみすぼらしい小娘の姿とは別人のようだった。
「アタシ……大人になってる?」
元々、左目が右より暗い色であることを気にしていたアーネスだが、今、その左目は金色に輝いていた。
よく見ると、その黄玉の中にはキラキラと炎が灯っているように見え、それはまるで闇の中で一点、光の魔力が静かに燃えているような。
が……ひとまず細部のことはさておき。
おそらく18歳前後に成長したアーネスの容姿は、ヨウジを大いに動揺させていた。
「よぞ……ぎみ……」
二度と会えないはずの推しが、目の前にいる。
先ほど夢の中でも感じていたが、懲りずにそう思うほど、よく似ていた。
「尊!!」
「え? な、なんて?」
「あ、いや……な、なんでもない」
うっかり無意識に手を合わせ叫んでしまったヨウジ。
慌てて頭を振り、己の手のひら、ジッと肉球を見つめる。
(おいおい……これじゃ本当に、推しの面影を追って肩入れしたみたいじゃないか? いや、俺はルックスだけで林堂夜空を推してたわけじゃない。中身はまったく違う子なんだから……)
アイドルの本当の人格を知るわけでもないのだが……彼にとっては、それが真実。
(俺が変身させた……のか? アイドルオタなりの……俺の……魔法?)
誰に与えられたわけでもない、アーネスの魔力をベースに彼の中で生まれた魔法。
今まで『自分は何も生み出すことなんてできない』と思っていた甲良陽司の心に、えも言われぬ達成感があった。