(006) 『人類は、おしまいです!』
グォォォゥゥゥ……グワァン……
「……何の音だ?」
空の彼方から響くような不吉な不協和音。
陽司はベッドから起き上がり、家の外に出てみた。
夢の中。陽司は、元の人間の姿だった。
が、その風景は現代日本ではなく、変わらず、自然に囲まれた村の中。
グォォォゥゥゥ……グワァン……
周りの家からも、不安そうに人々が出てきて夜空を見上げる。
どこか遠くで巨大な木管楽器が鳴っているような、山奥に住む怪物の鳴き声のような、重く湿った音。
その音が鳴り止んだ時、空一面に巨大な人影が浮かび上がった。
「人よ……聴いていますか? 私は魔女王アーネス。あなた達が……終焉の魔女と呼ぶ者」
夜空に立体映像として映し出されたアーネスの姿。
先程まで見ていた幼さはなく、美しい顔立ちの大人の女性。
「あれ…………よぞぎみ……?」
ただ美しいだけではなかった。熱烈なファンであるはずの陽司がそう発してしまうほど、林堂夜空によく似ていた。
本来なら、一瞬でも見間違えたことを全力で後悔するだろうが、彼はただぼんやりとその姿を見上げていた。
「終焉の魔女が生まれ変わり転生していた……。あなた達が恐れるのも無理はないでしょう。こうなることは……決まっていたのです」
(終焉の魔女……? よくわからないが……これは未来が見えているのか?)
「あなた達は黒魔女を追いつめた。その結果、黒魔法は世界を黒く染める力となりました。人類すべての……底知れぬ負の感情あってこそです」
尊大な態度でもなく、穏やかに冷たく語りかける、物静かなタイプの魔王。
その静かさは逆に闇深く、不気味さを強調する。
「人類を滅ぼす……などと言うつもりはありません。ただ、この世界を黒く塗りつぶすだけ。すべての人が闇の部分を解放するようになるだけ。でも、大丈夫でしょう? あなた達は、闇など持たない綺麗な綺麗な存在なのでしょうから」
両手を広げ、むしろ慈愛に満ちた女神のような微笑みを浮かべる。
「黒に染まらない誰か……そう、勇者が……私を殺しに来るのを楽しみに待っています。勇者が『助けたい』と思える市民でいられるよう、せいぜい日々を生きてくださいね」
「ん…………あ?」
突然、正気を取り戻した黒狼の目の前に、へたり込んでガクガクと震えるユーオリアがいる。
少なくとも10分くらい夢見ていた感覚だったが、数秒しか経っていなかった。
(アレは……これから先、起こる未来? アーネスが見せたのか? 何のために? アレを目指して協力しろってこと? いや、だとしても、このタイミングじゃなくね?)
後ろを振り向き、アーネスを見る。と……いまだ意識がないまま、ぼんやりと立ち尽くしていた。
「グゥルルル……」
グルグルと思考がこんがらかり、黒狼は眉根を寄せ、低く唸った。
「わ、わかりました! わたくしがアーネスさんを狙う理由を話しますわ! わたくしが持つ情報を……!」
「ん? ああ……じゃ、聞こうか」
ヨウジに脅す意思などなかったが、ユーオリアが意を決した表情でそう言うので、とりあえず聞くことにする。
「我がファイネル家が独自に研究している……大魔法『ドーラワーグの瞳』というものがあります。これは未来を予見し、災害などを防ぐための研究なのですが……」
(予知か……すごいな。まぁ、現代でも地震やらを察知するための研究は同じか)
「わたくしはその研究に興味があり、5年ほど前から、こっそり研究室に入り、古文書の解読や術式の考察をしておりました」
「5年前……って、君は何歳なんだ? 若く見えるけど……」
「今17ですから、12歳の頃ですわ。わたくし、お父様から才能を受け継ぐ天才魔法使いですので!」
さっきまでビビり散らかしていたくせに、ドヤ顔で豊かな胸を張る。
見た通りではあるが、ユーオリアは自己顕示欲の強い系女子だった。
「10歳の頃、学園内での統一筆記試験で満点をとったことを始め、わたくし一番じゃないと気が済みませんの。先日も先生方に……」
「わかった、それはまた今度聞くから。で、5年前に?」
「そ、そうでした。大魔法『ドーラワーグの瞳』は、とても難しいもので、今現在も完成してはいないのですが……当時のわたくしは、ひとつ試したい術式がありました。それは、未来の情報を映像として出力するのではなく、脳に直接送り込む方式です」
(ヘッドマウントディスプレイで映像を見るような……と思いたいところだけど、SF世界の電脳化みたいな所まで行ってる感じか。さすが魔法……)
「その術式を実行し、わたくしはその日、ひとつの未来を見ることに成功しました。まぁ……その後、意識を失い三日三晩昏睡状態、お父様に大目玉をいただき、研究室には出入り禁止になったのですが」
「ええ……やっぱ危険なんじゃん」
(この世界でも、行きすぎたアイディアだったってことだよな。実際この子、型破りなヤバい魔法使いってことだ)
「わたくしが見た未来の情報……それは、大規模な黒魔女狩り。それによって……アーネスさんは命を落としてしまう。正確な時期は判りませんが……そこで見たわたくしは大人の姿でしたので、おそらく残り時間はあまりないはずです」
その時に見た光景を思い出し、ユーオリアの表情が曇る。
ヨウジはその顔にウソはないと感じたが、そもそも予知の魔法が正しく機能したのか疑問もあった。
「黒魔女狩り……ね。今もすでに、黒魔女は迫害されてるんだろ?」
「はい。現状もよくはないですが、ある事実が判明し、人々は黒魔女を……いえ、アーネスさんを殺さなければならない、と思い込んでしまうのです」
(ある事実……さっき夢で見た『終焉の魔女の生まれ変わり』ってやつか? やっぱり違和感あるな。俺の見たアーネスは、殺されるどころか順調に成長し、立派な魔王に……。どっちの未来も可能性のひとつ、ってことか?)
「予知の映像は、わたくししか見ていません。それを今日まで、誰にも話さずに生きてきました。もちろん、アーネスさん本人にも知られてはいけない。今日こそは連れ帰るはずでしたのに……」
恨めしそうな目で黒狼を見上げる。
ヨウジにとっては『そんなこと言われても』なのだが、彼女は彼女でひとり背負い込んで努力してきた末の感情があった。
「わたくしの目的は……予知が現実にならないよう、アーネスさんを保護し、『黒魔女は危険な存在ではない』という研究結果を公表すること。このことを打ち明けるのは……本当に、あなたが初めてです」
そう言うと彼女は、今出せる限りの虚勢を搾り出し、黒狼の目をキッと睨みつけた。
「聞いたからには……わたくしに協力……してくださいますわよね?」
(この子は……どうやら本気でアーネスの身を案じてるらしいな。正義感? 博愛精神? どうして、そこまで?)
「君がアーネスを死なせないように尽力するのは……なぜ? 黒魔女なんていない方がいいと、みんな思っているんだろ?」
「……伝わる情報を漠然と信じる方々は確かにいます。アーネスさんはすべての人がそんなものだと思っているでしょうし、実際そう思って当然の仕打ちを受けてきたでしょう」
ユーオリアは一度唇を噛み、視線を落とす。
が、すぐさま憂いを振り払うように精悍な顔を上げた。
「当たり前のことを言いますが……アーネスさんは同じ人間。不幸を呼ぶとは思いませんし、すべての人がそう思うべきではないのです。こんな馬鹿げた憎み合いを続けて、アーネスさんを死なせることになったら……人類は、おしまいです!」
「ッ……あ、ああ、その通り……だと思うよ」
(あれ……なんか胸がギュッと締め付けられるような……泣けてしまうような。この名言……これをアーネス自身に聞かせたら、もう闇堕ちは阻止できるんじゃ?)
ユーオリアのアツい心意気に、ヨウジの胸の中で『人類、捨てたものじゃないかも』と小さな灯が点った。