(002)『黒魔女アーネス』
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「成功……したの? なんでこんな、ちっこいワンコ? 弱そう……うん」
「…………ん?」
少女の声が聞こえ、陽司は意識を取り戻す。
まぶたを開くと、目の前には壁一面に描かれた魔法陣があった。
どうやら自分がここから出てきたのだと、なんとなく認識する。
(何だ……急に、色んな臭いが強く感じられる。埃っぽい物置の中? 溜め込んだ洗濯物? 人間の生を感じる生活臭……なんとなく心地いい)
「ボーッとしてるんじゃないわよ。こっちを向きなさい!」
こましゃくれた言葉に振り向くと、黒い服・黒いとんがり帽子の少女。
薄汚れた身なり。伸ばしっぱなしのような腰までのバサバサ黒髪。
片目を包帯で覆い隠し、見えている方の目も、どことなく澱んでいるような。
現実世界なら、中学生くらい。若いのに、生きることに疲れたような顔に見えた。
(うわ……幼いけど、女だ。俺に関わってくるってことは、惚れられるのか? だとしたら絶対やべー女だし……イヤだなぁ)
世の男性の大半を敵に回しそうな思考だが、彼にとっては真剣に切実な悩みである。
「この黒魔女アーネスの転生召喚魔法により、アンタは甦ることができたの。感謝しなさい?」
(甦る……? ああ、死んで転生したことになってるってやつか)
「まだまだ罪を償い続けなければならない数多の亡者の中から、強い念を持つアンタを選んであげたのよ、うん」
妹よりさらに年下の少女のドヤ顔を、陽司は不思議と冷静に受け取る。
転生したてだからだろうか、まだ意識が完全ではない。
「俺、魔法陣に食われて……空間ごと削り取られたみたいに……」
「世界の摂理補完処理も難しい術法なんだから。一人分の情報が消えることで少し不安定になるけど、最後にアンタと関わった亡者を二人分として扱われるように偽装しておいたわ。これで冥界も問題なく成立してるはず、うん」
「…………ん?」
理屈を聞いてもサッパリであったし、なんとなく深く考えない方がいい気がしたので、陽司はサラリと聞き流す。
「フフフ……従順で最強なアタシの使い魔。こんなワンコな見た目でも、アタシをさらに最強にする能力が備わっているはずよ。さぁ、その力を見せなさい!」
「…………使い魔?」
そこで初めて、陽司は自分の体の状態を確認する。
黒い子犬のぬいぐるみのような、手足の短いちびっこ獣人。
額には金色の毛で丸印の柄、それを袈裟斬りにするような1本の傷。頭から背中にかけて同じく金色のたてがみ。
使い魔としての証か、魔法陣が描かれた錠前付きの首輪が装着されていた。
彼は、いわゆるモンスターとしてそこにいた。
「……どうでもいいな」
今の彼にとって、自分が人間でなくなることも問題ではなかった。
「なんだかピンと来てない感じね。まぁ、生前の世情とは認識も違うってことか。魔法の概念はわかるの?」
「魔法……本当にあるのか?」
「もちろん。森羅万象、自然の理霊を素材とし、人間の枠を超えた現象を起こす。特別な才能を持つ者のみが使う奇跡。それが『魔法』よ、うん」
アーネスは手のひらを見せ、特に詠唱の必要ない炎を一瞬立ちのぼらせる。
現実的でないはずの魔法を目の当たりにしても、陽司は『バラエティ番組で、芸人が罰ゲームでやるフラッシュコットンみたいだな』とかボーッと考えていた。
(異世界、魔法、マジであったんだ。とはいえ、アニメみたいに都合いい待遇とは限らないしなぁ)
「魔法は、大別して2種類に分けられるわ。光の白魔法と……闇の黒魔法」
アーネスの濁った瞳の奥には黒い炎が揺れているように見えた。
それはイメージ表現ではなく、彼女の潜在魔力が強すぎて、オーラのように漏れ出ているからだった。
「『白』は人々に敬われる。『黒』は畏怖される。まぁ、黒魔法でしかできないこともたくさんあって、表面上は黒魔法使いも敬われるんだけどね、うん」
御都合主義な民衆を鼻で笑う。まだ幼い年頃だというのに、彼女のひねくれ具合がよくわかる表情だった。
「でも、『黒魔女』だけは話が別。黒魔法の才がある『女』は忌み嫌われ、隅っこに追いやられ生きるのよ」
イヤな思い出を噛みつぶすような顔。アーネスの目に光るものが浮かぶ。
熱が入るその顔を、陽司だったものは虚無顔で見ている。
「そんな地獄のような日々も終わり。アタシはこの世界の人々の共通認識を壊し、黒魔女を差別していた人間こそが差別される世界に作り替えてやるの! ほら、わかったら早く……」
「うるっっっさぁ――――――――――――い!!!」
「ひいっ!?」
経験値ひとケタしか貰えなさそうなチビモンスターの一喝。
アーネスは雷でも落ちたかのように縮み上がる。
「亡者だって? 俺は……俺の現実世界にいた。まさか、世界を間違えて人違い召喚したんじゃないのか?」
「えっ? そ、そんなはずは! 禁忌の高位魔法とはいえ、アタシが召喚魔法で失敗なんて……」
(何なのコイツ? アタシの命令に逆らわない忠実な使い魔のはずなんだけど! やっぱり失敗なの? 下がるぅ!)
アーネスはビクビクと物陰に隠れながら、背毛を逆立てる小動物を窺う。
怒りに震える彼だったが、それはすぐ悲しみに変わり、ガックリと膝をついた。
「……どうでもいいか。俺はもう……推しを推せない。その事実は変わらない……」
そのまま灰になって崩れ落ちてしまいそうなほど落ち込む陽司に、アーネスはえも言われぬ罪悪感に襲われる。
その姿は、虐げられてきた自分の姿と重なり、貯水タンクが破裂したかのように涙があふれ出した。
「ご、ごめんなさいアタシ……人違いなんてするつもりは…………ひっぐ! うえぇ……ッ!」
「え? ちょっ……え?」
突然泣き出したアーネス。その子供らしい泣き顔を見て、陽司は動揺した。
その泣き顔が、推しである林堂夜空と重なったからだった。
アイドル達が感動で泣くシーン、(決して演技というわけではないが)どうしてもブス顔にならないよう無意識にセーブする向きがある。
が、林堂夜空は、そういう時でも幼子のようにクシャクシャ顔でしゃくり上げ、玉のような涙をポロポロ落とす子だった。
(似てる……デビュー直後の林堂夜空(13)が、ライブ中に転けて泣いてしまった時の顔。違う人間だとわかってるのに……心がキューッとなる)
動揺はしたが、陽司は基本、冷静だった。
転生による副作用なのか、それとも、生死に関わる転機に意識が変化したのか。




