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【リアル真実の愛/貴賤結婚】ゾフィー・ホテク(オーストリア大公フランツ・フェルディナントの妻)

この連載、またまたご無沙汰しておりました。


今、異世界恋愛ミステリ「公爵令嬢カタリナ」シリーズ新作の準備をしており、その流れで、19世紀後半のオーストリア=ハンガリー皇帝一族のグダグダを見直していたついでにまとめまとめなのです。


1.「オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者」の貴賤結婚


ゾフィー・ホテクと言って、ぱっとわかる方は結構な世界史マニアだと思います。

どういう人かと言うと、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者だったフランツ・フェルディナント大公の妻。

第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件(1914年)で夫とともに暗殺された女性です。

でも、ホテクって姓、そもそも耳慣れないですよね?

オーストリアの皇帝一族いうたら、エスターライヒとかロートリンゲンとかそんな感じの姓なんですが、そもそも言語違う感すごい。

これなんでかというと、ゾフィー・ホテクはオーストリア帝国の一部だったボヘミアの伯爵家出身。

貴族は貴族ですけれど、オーストリアの貴族とは違う立場だし、ハプスブルク傍系のテシェン公爵家で女官をしていた女性で、身分が違いすぎる、貴賤結婚や!ということで周囲は猛反対となったわけです。


なのですが、二人の意思は堅く、結局、色々制限をつけて結婚を承認されました。

後述しますが、この時、オーストリア皇室には男系男子で帝位を継承できそうな人がほんとにいなかったんですね。

もしほかにいたら、フランツが継承権返上&皇族外れるという選択もありえた可能性はそこそこ。

そうなっていれば、二人がサラエボ事件で暗殺されることもなく、第一次世界大戦が起きなかった世界線もギリギリありえたのかもとなると、なかなか感慨深いものがあります。


話を戻しまして、どういう制限をつけられたのかというと……


・ゾフィーを皇族として扱わない

 ゾフィーは、ホーエンベルク女公爵という謎の称号を与えられ、公式行事に出席する際は、夫とは並ばせてもらえず、皇族の末席でひっそり……

 劇場など公の場でも並んで座るのはNG。目立たないようにひっそりしとけと。


・ゾフィーの子は、帝位を継げない

 結局、2男1女に恵まれるのですが、帝位はフランツ・フェルディナントの弟の長男、カール1世にいきます。

 ちなみに、このカール1世が最後のオーストリア=ハンガリー皇帝ということになり、死後列福されているくらいめっちゃいい人だったようなのですが、それだけに激動の時代に対応しきれず、34歳の若さで配流先で病死。

 彼の奥さんのツィタ(パルマ公女)も、幼馴染であり義理の従兄であるカールとじんわり交際しつつ、ウィーンで舞踏会デビューしたら、即マドリード公から求婚の申し入れが入り、泡食ったカールが婚約を急いだとか色々と面白エピソードある人なんですが、また別の機会に。


ままま、この2点でなかなかエグいな……となりますが、結婚後の扱いもなかなかひどい感じで、


・結婚式には皇族誰も出席せず

 弟妹は皇帝に止められて誰も出ず。

 フランツ・フェルディナントの継母とかは出席してくれたそうです。

 ありがとう義理のママン…


・子が帝位を継がない以上、フランツ・フェルディナントは中継ぎ扱いとなり「皇太子」ではなく「皇位継承者」と呼ばれるようになる


・葬儀でも、夫の棺より45cm低い位置に棺が並べられた

 それでも、一応一緒に葬式はしたのか…(白目)


・お墓も、ハプスブルク=ロートリンゲン家のカプツィーナ納骨堂には入れてもらえないのがわかっていたので、あらかじめ用意していたアルトシュテッテン城(夫妻の居城)に埋葬


これだけアレな仕打ちを受けるのがわかっていて、結婚した2人なのですが、どういう経緯で結婚に至ったかと言いますと……


1889年

 フランツ・ヨーゼフ1世(※フランツ・フェルディナントの伯父)&エリザベートの唯一の男子ルドルフ皇太子(30歳・既婚・子供は女子のみ)がマリー・フォン・ヴェッツェラ(18歳)と心中?暗殺?諸説あるマイヤーリンク事件発生。


1894年

 フランツ・フェルディナント(31歳)、ゾフィー(26歳)がプラハで出会い、フォール・イン・ラヴ!

 手紙のやりとりをしたり、フランツ・フェルディナントがゾフィーのいるテシェン公爵家に顔だししたりと密かに交際。


 当時としては結構いい年になってからなんや……という感じです。

 フランツ・フェルディナントには縁談とか色々あったはずですが、なかなかぴったりする相手がいなくて見送ったりしてたんですかね??


1896年

 フランツ・フェルディナントの父、カール・ルートヴィヒが死去。

 皇帝の甥であるフランツ・フェルディナントが皇位継承者に認定される。

 皇位継承者にふさわしい適切な女性と結婚するべしとお相手選びが始まるも、フランツ・フェルディナントは逃げまくり(たぶん)


1898年

 ゾフィーに会いに、フランツ・フェルディナントがちょいちょいやってくるのを、てっきり自分の長女マリア・クリスティーナに求婚するつもりかな?と思ってたテシェン公妃イザベラが、フランツ・フェルディナントが忘れていった懐中時計を開けてみたらば、ソフィーの写真発見!

 当時、意中の女性の写真を懐中時計の中に貼るのが流行っていたそうなのです。

 イザベラはゾフィーを放逐、ついでにこのネタを大暴露して、大騒動に。


1900年

 なんとかかんとか結婚!


1901年

 第一子ゾフィー誕生、続いて、マクシミリアン、エルンスト、ほか一子(夭折)誕生


1913年

 夫妻でイギリス訪問


1914年

 夫妻でボスニアに軍事演習視察に赴いたところ、サラエボ事件勃発。

 皇族として行動するときは、↑のようにゾフィーが酷い扱いを受けてしまうのですが、軍人として行動する時は、普通に夫婦一緒に行動できたので、軍人としての公務をフランツ・フェルディナントは好んでいたとかそんな話もあったようです。

 というかボスニア、よく考えたらゾフィーにとっては地元なのですが、民族主義が色々大混乱中。

 暗殺の直前に爆弾テロ未遂とかくらったりしつつ、セルビア系のテロリスト・ガヴリロ・プリンツィプに射殺されてしまいました。

 テロ未遂、二人は無事だったのですが、巻き込まれて怪我をした人が出てしまい、車に乗って見舞いにいく途中、急な予定変更のせいもあってまごまごしているうちに、たまったまプリンツィプが行きあってしまい、大公夫妻やんけー!と射殺してしまったのです。

 この時、「思うてたより危ない感じやし、ゾフィーは安全なところにおった方がええんちゃう?」という話もあったのですが、ゾフィーは「殿下がいらっしゃるならうちも行きます」いうて一緒に行ってしまったんですよね。

 愛が彼女を殺してもうたのです。


 ふたりとも即死ではなかったのですが、病院に向かう途中で絶命。

 ゾフィーはこの時妊娠中でした。

 瀕死のフランツ・フェルディナントは、「ゾフィー、死んではいけない。子供たちのために生きなくては」とゾフィーに呼びかけていたと言われています。

 もし亡くなったら、父方からの援助は全然期待できないですしね……

 長女であるゾフィー・ホーエンベルクのWikipediaの項目には、5、6歳くらいかな?と思われるゾフィーとフランツ・フェルディナントの写真が掲載されており、ゾフィー・ホテクの項目には夫婦と子供3人が揃った写真が掲載されていますが、くっそかわいいんですよ。

 兄弟が、映画『ベニスに死す』のタジオみたいなセーラー服を着ていたりして、やべえ…マジかわゆい…となります。

 こんなかわいい子供らを残していくとか、フランツ・フェルディナントもゾフィーも、ほんま死にとうなかったじゃろなぁとしんみりです。

 ゾフィー(娘)の英語版項目には、フランツ・フェルディナントは、子どもたちには、人目につかないかたちで穏やかに暮らしていってほしいと願っていたともあります。


 ちなみに、子どもたちはどうなったかというと、まずチェコスロバキアのゾフィーの妹夫婦(ノスティッツ=リーネック伯爵)に引き取られ、姉夫婦が監督するということになりました。

 大伯父であるフランツ・ヨーゼフ1世が子どもたちと会ったのは一度きりだったそうですが、「第一世界大戦最初の戦災孤児」としてちゃっかり象徴化されたりしつつ、すくすくと成長。

 法学を修め博士号もとった長男・マクシミリアンがホーエンベルク公爵家を継承し、マクシミリアン、そして弟のエルンストも君主制支持者として活動しました。

 んが、ナチスドイツによるオーストリア併合に反対したことから2人は逮捕され、領地没収の上、ダッハウ強制収容所送りに。

 2人とも生還はしましたが、強制収容所での虐待により健康を害し、マクシミリアンは59歳、エルンストは49歳で亡くなっています。

 ゾフィーは義理の叔父つながりでチェコスロバキアの貴族と結婚し、1990年に89歳で亡くなりますが、第二次世界大戦後に財産没収の上チェコから放逐されてますし、前後して長男はソ連の捕虜収容所で死亡、次男は東部戦線で戦死と大変な人生を送っています。

 でも三男と長女は生き残って孫もたくさんでき、後半生はオーストリアで穏やかに暮らせていた模様。


 なろう異世界恋愛って多国間戦争とか、革命とかを取り上げる作品はあまりないですが(ていうか書くのが大変すぎるんで私も無理)、リアル皇族や貴族、ほんと大変な人生多すぎですね……


 で、この暗殺によって、フランツ・ヨーゼフ1世はセルビア王国に宣戦布告。

 あっちゅうまに同盟網に飛び火して、欧州列強すべてが参戦する地獄の戦いが始まってしまうのです。


2.なぜ皇位継承者の貴賤結婚が許されたのか


というわけで、障害を乗り越えてどうにか結婚したものの、暗殺されてしまったフランツ・フェルディナント&ゾフィーですが、上でちらっと書いたように、皇位継承者が貴賤結婚って本来NGというか、貴賤結婚するなら継承権放棄というのが本来はセットなんですよね。

以前取り上げた、「【クソ旦那から逃げ切るぞ!】ユリアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト(コンスタンチン・パヴロヴィチ大公妃)」の回でも、ユリアーネの元夫・コンスタンチン大公は、ポーランドの伯爵夫人と再婚するために皇位継承権を放棄しています。

19世紀前半のロシアの話ですが。


でも、フランツ・フェルディナントは皇位継承権を放棄しませんでした。

なんでしなかったかというと、19世紀なかばから絶対君主制支持vs.自由主義+民族主義で揉めに揉め、オーストリア皇室、結構ぐだぐだになっておったのです。


わかりやすいところで、マリー・アントワネットの母、マリア・テレジアあたりから行きますと……


1740-1780:マリア・テレジア/フランツ1世

1765-1790:ヨーゼフ2世(父フランツ1世に代ってマリア・テレジアと共同統治していたので、かぶってます)

※1789-1795:フランス革命

1790-1792:レオポルト2世(ヨーゼフ2世の弟)

1792-1835:フランツ2世(レオポルト2世の長男)

※1803-1815:ナポレオン戦争/1814-1815:ウィーン会議

1835-1848:フェルディナント1世(フランツ2世の長男)

※1848:3月革命に伴い退位。本来は弟のフランツ・カール大公が即位するはずだったが、もともと政治に関心がない&旧体制のしがらみがない者の方が良いと辞退。

1848-1916:フランツ・ヨーゼフ1世(フランツ・カールの長男)

※即位当時18歳。

1916-1918:カール1世(フランツ・ヨーゼフの甥の息子/フランツ・フェルディナントからは弟の息子)

※1914-1918:第一次世界大戦。オーストリア帝国崩壊。


このフランツ・ヨーゼフの跡取りどうすんのよ問題が大変なことになっていたのです。

フランツ・ヨーゼフの妻は有名な皇后エリザベート。

ミュージカル『エリザベート』のアレです。

映画『エリザベート1878』見に行きたいなと思ってたら、近場では速攻終わってて辛い……配信来るのかな……

ほかに映画だとヴィスコンティの『ルートヴィヒ』でもわりと出ていました。

当時、ヨーロッパ一と言われた超美人です。


フランツ・ヨーゼフはゴリゴリの王権神授説&絶対王政支持者。

その母で、フランツ・ヨーゼフの即位に大活躍したゾフィー大公妃もゴリゴリの保守派。


んが、母后がフランツ・ヨーゼフの妃として目をつけた、妹の娘ヘレーネ・イン・バイエルンと見合いをさせたら、おまけでくっついてきたヘレーネの妹・エリーザベトの方にフランツ・ヨーゼフがガチ一目惚れ!

なんやこれクソ妹展開かいって脊髄反射しそうになりますが、ヘレーネは別に花嫁候補の一人だっただけで、後で普通に結婚しております。

相手は貴族ではありましたが、王族を妻に迎えるにはちょっとなぁという家だったので、バイエルン王に難色示されたけれど、エリーザベトとフランツ・ヨーゼフ1世の取りなしで結婚したとかありますので、むしろ好きな人と結婚するのをエリーザベト達が助けた雰囲気ですね。


話を戻すと、フランツ・ヨーゼフ1世の電撃的一目惚れから始まった結婚ですが、価値観の食い違いが激しすぎるという大問題を抱えていました。


エリーザベトのお父さん、マクシミリアンは宮廷のしきたり大嫌いで、一家で田舎で暮らしたり、エリーザベトを連れて旅や狩りに出たりとか、結構変わった人。

そして自由主義者で、めっちゃ名家の当主なのに、君主制を否定していたそうです。


その影響を受けた子どもたちもフリーダムな人々。

長男のルートヴィヒは、家督相続権を放棄して女優と結婚。

家督を譲られた弟のカール・テオドールは眼科医で、爵位を継ぎつつ城の中で普通に開業し、白内障手術5000件以上手掛けるとかこっちもこっちで意味がわからない。


ウィーンの宮廷からすると、マクシミリアン達は超野蛮人。

エリーザベトからすると、ウィーンの宮廷は「監獄」(本人談)。


そんな感じでこれ絶対やばいやんて組み合わせなのですが、結婚は成立。

んが、嫁姑関係は速攻破綻しまして、ゾフィー大公妃はエリーザベトを中傷するビラを撒くとか、エリーザベトが宮殿から出たら暴徒に囲ませるとかすごい攻撃をかまします。

なろう異世界恋愛の悪役令嬢よりも、史実の姑怖いんですが、どういうこと……


エリーザベトは宮廷生活から引きこもり、大西洋のマデイラ諸島まで療養に行くとか、個人的に旅行に出かけるとかとにかくウィーンからバックレる人生へ。

フランツ・ヨーゼフ1世との夫婦仲自体は悪くなく、1男3女に恵まれはするのですが、長男のルドルフが先に書いたように心中?暗殺?で亡くなってしまいます。


ルドルフ、幼少期はゾフィー大公妃の指示でむち打ちや冷水シャワーなどのスパルタ教育を受けさせられ、見かねたエリーザベトが公式に親権を取り戻して、7歳以降は自由主義思想色が強い教育を受けさせました。

んが、父と祖母はごりっごりの保守派、自由主義派の母は旅に出まくりで宮廷にいないということで、父との関係はわりと破綻、母とはつながり弱すぎという辛い展開に。

ルドルフ自身は自由主義に傾倒するのですが、そのせいで政治的に孤立することにもなり、あげくのはての心中だか暗殺なので、もうこれは時代の矛盾から起きてしまった事件としか言いようがないのです。


そしてルドルフの子供は女の子が一人だけだったので、男系マスト、女帝NGのハプスブルク家は、フランツ・ヨーゼフの弟達の子供とかから、皇位継承者を決めなければならないという流れになるのですが……


フランツ・ヨーゼフのきょうだいは本人いれて4男1女。


・長男フランツ・ヨーゼフ


・次男のマクシミリアン

 メキシコ皇帝にと乞われて行ってみたら、反乱くらって1867年に処刑。

 子供なし。


・三男のカール・ルートヴィヒ(3男3女)

 フランツ・フェルディナントの父。1896年死亡。

 <カール・ルートヴィヒの息子達>

  長男:フランツ・フェルディナント

   ゾフィー・ホテクと貴賤結婚

  次男:オットー・フランツ

   女好きの超遊び人。ほぼまっぱでホテルのロビーを横切るとかスキャンダルを度々起こし、1900年頃に梅毒を患った上、1906年死亡。

   まあでもザクセン王女マリア・ヨーゼファと結婚し、カールとマクシミリアン・オイゲンの2男を授かってました。

  三男:フェルディナント・カール

   平民の娘と貴賤結婚し、帝位継承権放棄。ハプスブルク家から追放される


・四男のルートヴィヒ・ヴィクトル

 同性愛者。ゲイサウナ(当時もあったのか!とびっくりしました)に入り浸ったり、女装したりとスキャンダルの嵐で、ウィーンから追放するしかなく……

 縁談はことごとく破談となり、当然、子供もなし。


弟のうち、マクシミリアンは早々に亡くなり、ルートヴィヒ・ヴィクトルは当時の社会ではどう考えても無理。

三男のカール・ルートヴィヒか、その息子たち3人の誰かという話になるのですが、三人兄弟のうち、2人が貴賤結婚&王女と結婚した次男は誰がどう見てもクズとか、どういう罰ゲーム……


フランツ・ヨーゼフは、あくまでゾフィー・ホテクとの結婚を要求するフランツ・フェルディナントに、「帝位か、結婚かどっちか選べ」と突きつけるも、「帝位も結婚もや!」と返され、最終的に飲むしかなくなってしもうたのです。

フランツ・フェルディナントにNGを出すとしたら、次に近い男系男子というと、フランツ・ヨーゼフの祖父レオポルト2世の息子(フランツ・ヨーゼフから見て叔父)達の子孫(同・従兄弟とか従兄弟の子)になりますからね。

イギリスとかだったら、ルドルフの娘が皇太女でよかったのに…男系男子縛りきっついですわ。


って、ルドルフの娘、エリーザベト・マリーは1902年に17歳で貴賤結婚、3男1女に恵まれるも後に離婚。

第一次世界大戦中は看護婦として兵士の看護にあたり、社会民主党に入党&後にその指導者と再婚したりで「赤い皇女」と呼ばれたとか、なかなか激しい人だったようですが。

というか、貴賤結婚地味に多くないですか??


結局、1916年にフランツ・ヨーゼフは崩御。

オットー・フランツの長男、カールが29歳で即位するのですが、既に第一次世界大戦の敗色は濃く、1918年、敗戦とともに帝国瓦解となります。南無。



なにはともあれ、リアル貴賤結婚&リアル嫁姑、えぐいよね……回でした。


だらだら書いてたら7000字……

すみませんすみません><

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― 新着の感想 ―
[一言] 感想返しありがとうございます。 何だか売り込みみたいになってしまってすみません。いえ確信犯ですけど(爆)。 拙作を読みやすいと言っていただけて嬉しいです。 ジェーン・グレイは、メアリー・…
[一言] サラエボ事件で暗殺された奥方、身分違いの結婚だったんですね。 貴族社会のしがらみは本当に大変そうで、ご苦労がしのばれます。 >だらだら書いてたら7000字…… 私も某女王様エッセイではしょ…
[一言] 異世界恋愛をテーマにした小説を読んだり書いたりしていると、そんなんあり得んやろ!というツッコミが来ることもしばしば……涙 ですが、歴史を調べてみると、小説なんかより事実のほうがよっぽどツッコ…
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