【リアル「君を愛することはない」】エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(プロイセン王フリードリヒ2世王妃)
この連載、だいぶご無沙汰しておりました。
この間、なんでだったっけ…ま、なんか確認しようとネットをさすらっているうちに、たまたまフリードリヒ2世の項目を読んだのです。
プロイセン王フリードリヒ2世(1712-1786)、18世紀に流行った「啓蒙君主」の代表格で、世界史では絶対名前が出てくる系の人なのですが、ええええ、こういう人だったの!?ってエピソードがいっぱい。
中でも、王妃であるエリーザベトとの関係が…「これって、最近なろう異世界恋愛で超流行ってる『君を愛することはない』パターンやんけ!!!」となったので、覚書代わりに緊急更新なのです。
フリードリヒ2世はフリードリヒ・ヴィルヘルム1世と、王妃ソフィー・ドロテアの第4子として誕生。
上に兄が2人いたのですが、1歳くらいで速攻夭折してしまったので、実質長男ということで育てられました。
ちゅうか、14人も子供がいて、うち4人が乳児のうちに亡くなるとか、やっぱり大変ですねこの時代…
で、父親のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世、ロココ時代の君主にありがちな愛人だのなんだのやらかさず、即位したときは赤字満載だった国政を合理化し、「兵隊王」とあだ名されたほど軍事力の増強に取り組んだ人で、プロイセンが大躍進していく基盤を作ったのですが、軍人気質で芸術が大嫌い。
特に跡取りであるフリードリヒ2世には、オペラや喜劇などくだらぬ愉しみには絶対近づかせないよう教育係に厳命するとかなかなか厳しい育て方をしました。
パッパは背が低く、小男だとからかわれがちなのがコンプレックスだったのか、ヨーロッパ各地から背が高い男性を無理くり集めた謎部隊を作るという意味わからんことをしているので、この人はこの人でえらいこじらせていたのかもですが。
んが、フリードリヒ2世は、母親に似て芸術家気質。
フルートを習い、なかなか上手だったようです。
で、パッパはフリードリヒ2世が芸術を愉しんでいることを知ると、怒り狂って杖でぶったり、食事を与えないとか蔵書を取り上げるとか、あかん感じの虐待が発生しておりました。
んで、フリードリヒ2世が18歳の時、パッパはイギリス王女(ジョージ2世の娘アミーリア)との縁談をまとめようとしたのですが、フリードリヒ2世はパッパの暴力に耐えかねて逃亡を計ります。
がががが…計画はバレていて、速攻捕まって幽閉くらった上に、逃亡に協力した親友のカッテ少尉は見せしめのためフリードリヒ2世の目の前で斬首刑。
首を刎ねた剣は現存しているそうです。
斬首刑になった経緯もなかなかエグくて、ちゃんと裁判をして、一審は無期懲役が出たんですが、パッパが控訴&判事を「この世からカッテが一人消えるか、司法が消えるか、どちらが良いか」と脅して死刑判決を出させたという…
いやはや、三権分立って大事ですね!!
カッテは、「私は殿下のために喜んで死にます」と死を受け入れたそうですが、わざわざフリードリヒ2世が幽閉されている塔の下にカッテを連れてきて、処刑するとかね……
そんなんフリードリヒ2世、失神してまうのもやむなしですわ。
カッテの遺書には「私は国王陛下をお怨み申し上げません。殿下は今までどおり父上と母上を敬い、一刻も早く和解なさいますように」と書かれていたそうですが、こんなんどうやって和解しろと!?
てところで、ハプスブルク家の皇帝カール6世(マリア・テレジアの父)が調停に乗り出し、どうにかこうにかフリードリヒ2世をなだめて、今後は従いますとパッパに手紙を出したので一応和解ということになりました。
ま、とりあえずイギリス王室との話は吹き飛んでしまったので(ちなみに婚約しかかったアミーリア王女は生涯独身でしたが、密かに平民との間に隠し子がいた説もある模様…)、1733年、カール6世の姪に当たるエリーザベト(17歳)が露骨すぎる政略結婚で嫁いでくることになります。
ま、政略結婚はこの時代、この立場じゃしゃーないとして、半端ない四面楚歌状態。
以下、主に英語版を見ると
・夫であるフリードリヒ2世
そもそもゲイではないかと推定されており(先のカッテが恋人だったという説もあるそうです)、かんなりな女性嫌い。
自分の姉妹以外の女性には、めちゃくちゃ冷たく、超塩対応だったそうです。
というわけで、結婚当初からがっつりと別居…
なんなら、異世界恋愛民が大好きな白い結婚だったのかも感もあります…
・姑であるソフィー・ドロテア
実家つながりでイギリス王室(ハノーヴァー朝)から嫁をもらいたかったのに、なんでハプスブルクから来たかな!?ということで塩対応。
小姑である王女たちも母親に追従…
というわけで、舅であるフリードリヒ・ヴィルヘルム1世だけが頼りなのですが、舅との関係が冷え冷えの夫から、自分の旅行許可とかお金とか、舅からむしって来いと強要されまくり。
夫が要求しても即却下されるんで嫁経由でってことなんでしょうが、そんなん度重なれば相当居心地悪いことになりげな予感しか。
エリーザベト、大変美しい女性で、信仰心が篤く善良な人柄だったそうですが、完全にアウェーな中でこれはしんどい…
まあそうは言うても離婚というわけにもいかないので、月日は流れ。
パッパが亡くなり、嫁いで7年後の1740年にフリードリヒ2世は即位。
エリーザベトは王妃となります。
んが、別居生活は相変わらず。
フリードリヒ2世はポツダムに建てたサン・スーシ(無憂宮)で主に暮らし、エリーザベトは首都ベルリンの宮殿にいるという状態が続きます。
宮廷の仕切りをまるっと丸投げされてしまったエリーザベトは、各国の王族や外交官との親善やら、コンサートの主催、神学サロンの運営などなどなどをしていくのですが、フリードリヒ2世は十分な予算も出さない上、重要な行事をバックレる&自分の仕切りでやる重要行事に彼女を招待しないなど王妃を軽視した振る舞いを続けました。
しかしエリザベートはプロイセンに養蚕を導入して成功させたり、自分の個人収入の半分以上を慈善活動に使ったり、フランス語の本を翻訳して出版したり、七年戦争でベルリンがやばくなったときは、自分の判断で宮廷を避難させたりと色々色々色々活躍しておった模様。
夫との関係がコレなんで、宮廷人から舐められたこともあったそうですが、国民には非常に人気があったそうです。
ほんと、なろう異世界恋愛によくいる、超有能ヒロインみたいですね……
で、七年戦争(プロイセン&イギリスvs.オーストリア&フランスで、プロイセン側勝利)が終わった1763年、エリーザベト48歳の時。
6年ぶりに会ったフリードリヒ2世は「マダムは恰幅がよくなりましたね」("Madame have become more stout")と言ったきり、そっぽを向いて自分の姉妹に話しかけたという鬼エピソードが炸裂…
いやまあ、エリーザベトの実家はハプスブルク家側だし、七年戦争はハプスブルクが継承戦争でプロイセンの領土になったシュレージエンを奪還しようとしたのが発端ではありますが、エリーザベト本人は戦争中もプロイセン王妃としてめっちゃ頑張ってたやないですか!?
それでこの言い草。
なんなんお前!?
手近にバールのようなものとかあったら、後頭部フルスイングまったなしですよ。
フリードリヒ2世も色々気の毒な人ではありますが、それにしてもさああああああ!!!
ま、そんなこんなでほぼ別居生活のまま1786年、エリーザベト71歳のときにフリードリヒ2世崩御。
53年におよぶ結婚生活で、これだけ酷い目に遭っていたのに、エリーザベトは大変嘆き悲しんだということです。
って、最後に会ったのは亡くなる半年前、死に目にもあわせてもらってないんですけどね…
子供は当然なかったので、後を継いだのはフリードリヒ2世の弟アウグスト・ウィルヘルムとエリーザベトの妹ルイーゼ・アマーリエの第一子、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世でした。
子供は到底望めないので、夫の弟、妻の妹で結婚して後継者を産んだということですね。
この甥はエリーザベトを大変尊敬しており、王太后として手厚く遇した上、折々助言も求め、エリーザベトは81歳で亡くなるまで一族の中心として活躍したそうです。
で、なんでエリーザベト、フリードリヒ2世を憎んだりしなかったんだろうと不思議なんですがががが……
甥への手紙?かなにかで、「フリードリヒ2世自身は真の友人であったけれど、彼には多くの偽物の友人がいた。偽物の友人たちが、彼に心と魂を捧げる人々から彼を引き離してしまった」とか書いていたようで、内外の勢力争いとかもあって、エリーザベトが塩対応くらわざるをえないところもあったんですかね。
そもそもの生い立ち、そして逃亡失敗とキッテの生斬首刑もエグすぎましたしね…
たいがい歪むやろこんなん…
で、エリーザベトは諸々わかっていたから、夫を許してたのか……な??
ま、ちょっとよくわからんですが。
それにしてもねー…フリードリヒ2世、もうちょいよう考えんさいやという気持ちでいっぱいです。
とりあえず、今回のまとめとしては
1)なろう異世界恋愛にありがちな、冷遇されても社交も内政も外交もやれる超有能ヒロイン、あんなんおらんじゃろ思うてたら、ほんまにいたわ…
2)リアル「君を愛することはない」、ハードすぎやろ…
ということで、また忘れた頃にお目にかかりましょう!
<おまけ>
甥のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世、実は一度離婚しています。
最初の妻は伯母と同名のエリーザベト・クリスティーネ(というかエリーザベトの父方の姪でもある)。
んが、エリーザベトの浮気発覚で離婚。
エリーザベトは93歳で亡くなるまでほぼ幽閉生活を送りました。
英語版確認したら、なかなかエグい経緯があったようなので、こちらもまたまとめるかもです。