6.「わたくしが隣国の大使との茶会に?」
「わたくしが隣国の大使との茶会に?」
「そうなのです。先方からぜひにと乞われまして」
以前、馬車から見た市街地の建物をつぶさに見ることができてから数日経ってなお、興奮冷めやらないでいた。遠慮してみたものの、外周をひとめぐりさせてもらえたのも良かった。
しかし、楽しんでばかりはいられないようだ。
「ですが、わたくしに、王族としての外交を務められますかどうか」
身体があまり丈夫ではないから、今まで積極的に社交界に顔を出すことはなかった。王宮にいてもそれは変わらないままでいた。ロベルトがなにも言わないことを良いことに、開催される茶会や昼餐、夜会にも出席していない。最初は、唐突に現れた王族に興味津々に集まって来た招待状も、今や出すこと自体が義務のような雰囲気を帯びている。
「ご挨拶程度のものです。隣国の文化についてお話しされれば十分です」
「その程度でよろしければ」
そう言う他なかった。王族としての義務を果たしていないという自覚があったからだ。
「従姉妹上はトラースとカナレスについてどんなことをご存知でしょうか?」
トラースとカナレスはそれぞれ隣接し合い、シュトレクとも国境を接している。三国ともに大なり小なりなにごとかあるが、大過なく交流を持っている。
また、だからこそ、文化に大きな違いはない。
アマーリエはそう話して、さらに続ける。
「トラースは鐘塔のある大聖堂が有名ですわね」
「ええ。ゲルミニア様式からベルリック様式への過渡期のものですね」
「同じく、カナレスにも立派な鐘塔を持つ建物があるそうですが、こちらは王都ではなく、港町の市庁舎のものでしたかしら」
「それだけご存知なら十分です」
ここへきて、ロベルトから贈られたドレスが役に立つ。採寸までして急ぎ作らせたのだが、大使との茶会を予見していたかのようだ。社交界に顔を出さないでいるアマーリエは使わないのに勿体ないと思っていた。すぐに辞去するつもりでいたから、持ち込んだ衣装は少ない。それを逆手に取られてあれよあれよという間に、さまざまな風合い、色あいのドレスが作られた。袖を通されるのを待っている状態だ。
そして、ロベルトは両国の大使とは今のような建築物そのほか文化のことに触れれば良いと言う。
そうは言われても、やはりろくになにも答えられなければ、あなたたちの国には興味はありませんと主張しているようなものではないか。
アマーリエはいそぎ、トラースとカナレスのことを調べた。
茶会を催す貴賓室は黄味がかった白に随所に黄金の縁取りをされた部屋だ。椅子も壁紙と同色に華やかな色あいの花模様が刺繍されており、カーテンも同じ布地だ。それでいて、絨毯は緑を基調にした色味で、落ち着いた穏やかな心地にさせる空間だ。
アマーリエは事前に会場を確認していたので、おちついたクリームイエローのドレスを選んだ。随所に花の刺繍がしており、華やかだが幼い印象はない。
当日、ロベルトはアマーリエが間借りしている部屋にまで迎えにやって来た。ロベルト曰く、アマーリエの私室であるが、あくまでも居候であり、一時滞在だ。
「わざわざお越しにならなくともよろしかったのに」
「いいえ、来てみて良かったです。誰ぞ、」
前半をにこやかにアマーリエに言い、その後、使用人を呼ぶ。アマーリエから視線を外さず使用人にふたことみこと話す。使用人は足早に退室した。動きは機敏なのに優雅さが損なわれていないあたりが、行き届いている、とアマーリエは見るともなしに眺めていた。
「時間に余裕があります。少しお待ちください」
ロベルトにそう言われ、なんだろうと思いつつも、頷く。
「従姉妹上が茶会の部屋の調度品を替えるように言ってくださったおかげで、助かりました」
「いいえ、そんな、」
正確には、有能な配下の手配でトラースとカナレスの美術品が置かれる予定ではあった。しかし、アマーリエはロングギャラリーにある他のものに替えることを進言した。
ロベルトはこうやってアマーリエがすることを褒めてくれる。まるで、他の者に、アマーリエが滞在する利点を主張するかのようだ。
そうこうするうち、ロベルトに指示を受けた使用人が戻って来る。
「どうぞ、従姉妹上、こちらを身につけてください」
そう言って差し出した薄い箱をロベルトが開けてアマーリエの方に向ける。箱底にはベルベットが敷かれ、燦然ときらめくネックレスが鎮座している。
「本日の装いに合います。ぜひ、つけてください」
カナリヤの羽根のような鮮やかな黄色の大粒のダイヤモンドのネックレスである。
アマーリエはぐっと悲鳴を呑みこんだ。
義務だ。これを身に着けるのは王族の義務である。きっと、このくらいうつくしい宝石を身につけなければ、自分の地味さは帳消しにできないのだ。
そう考え、こんな高価なものは身につけられないという否定の言葉を押し込める。
使用人の手で、宝石がアマーリエの首元を飾るのを、ロベルトは莞爾と眺めている。
「ああ、やはり、従姉妹上の髪に映えますね」
「まさか、」
ドレスの色調に合わせただけだろうに、そんなことがあるはずはないと思うアマーリエは即座に否定する。
ロベルトはかすかに眉根を寄せるが、やはり身につけたくないと言われてはいけないとばかりに、「そろそろ行きましょうか」とアマーリエを促す。
茶会のために借り受けたものとばかり思っていたが、その後、カナリー・イエローのダイヤモンドのネックレスはアマーリエの私室に保管されることとなった。なお、アマーリエは私室に隣接する衣裳部屋、そこに収納されたドレスの影に金庫があることも知らない。知ったら即座に返そうとするだろうから、気づくまで黙っておこうというのが、ロベルトや使用人たちの考えだったからだ。
「おお、こちらの絵画は我が国の景勝地ではないですかな」
「そのとなりのものは我が国が描かれておりますな」
トラースとカナレスの大使はそれぞれ、まるく膨らみ、一方は枯れ木のような身体つきをしていた。髪の色合いは同じようなくすんだ金髪で、片方は短く切りそろえ、もう片方は長く伸ばしてうなじでひとつにまとめている。前者は好々爺という態で、後者は新進気鋭の若者だがやや神経質、という感を受ける。
トラースの大使はレクス・フライフ、カナレスの大使はフェリクス・セルベトと名乗った。
「そうです。我が従姉妹上がロングギャラリーで見つけられましてね。同じ画家が三国をめぐって描いたのです。せっかくですから、今日の茶会を彩るために飾りました」
トラース国は雪を冠した山脈を背景にしたぶどう畑を、カナレス国は長方形の塔を持つ立派な建物を中央に据えた賑やかな広場を、そして、シュトレク国はうっすらと紫の稜線を背にした麦畑だ。空の青と麦の黄色が鮮やかではっと目を引く。
茶を喫しながら、ひとりの画家が三国を回って描いた絵を鑑賞する。
「トラースのぶどうで造るワインは高品質のものが多いそうですね」
「さようにございます。うつくしい山にぶどう畑。我が郷里はこんなにうつくしいのですがねえ」
アマーリエが軽く触れてみると、レクスはかすかに顔をゆがめる。事前に得た情報のとおりであると見える。
「この絵画に描かれておりますとおり、我がカナレスでは交易が盛んでして」
フェリクスが胸を張る。
「カナレスの織物は見事なものですものね」
しかし、アマーリエが調べたところ、つい最近、カナレスに入港するはずの船が難破に遭った。船には穀類をはじめとする食料が積載されていた。農地が少ないカナレスにとっては頭の痛いことである。
茶会は和やかに会話が進み、気持ちがほぐれたのか、トラース大使レクスはこんなことを言った。
「ここだけの話にしていただきたいのですがね、我が国の第二王子が実は他国の姫君を見初められまして」
「それはめでたいことですな」
カナレス大使フェリクスが如才なく合の手を入れる。
「しかし、その他国というのが、温暖な国なのです。我が国の冬は少々寒かろうというのですよ」
言って、こんなにうつくしいのですけれどねえ、とふたたび繰り返して絵画を眺める。トラース国は夏はそこそこの日射時間があるが、冬は厳しい寒さが訪れる。
「あら、でしたら、カナレス国のタペストリーで室内を飾られてはいかがでしょう」
「ほう」
「良いですな。我が国の織物でならば、陰鬱な冬も明るくもなり、冷たい風を防ぎます」
アマーリエの発案に、トラースの大使レクスが考え込み、機を逃さじとばかりにカナレスの大使フェリクスが優位点を挙げる。
「我がシュトレクもトラースの第二王子殿下を援護射撃いたしましょう」
そう言って、ロベルトはカナレスに麦を送ることでトラースへの織物の代金に代えようと告げた。
カナレスの大使フェリクスは感謝のこもった視線をロベルトに送る。ロベルトもまた、カナレスの困窮を知っていたのだ。
「とおっしゃいますと?」
「カナレス国は農地が少ないですからね」
そう言うに留め置いたロベルトに、カナレスの大使フェリクスが意を決したように口を開く。
「シュトレク王陛下、お心遣い、痛み入ります。そして、トラース大使クライフ殿、我がカナレスのことでお耳汚しでございますが」
カナレスの大使フェリクスは自国の弱みをさらけ出す賭けに出た。船の難破で予定していた食料が入国しなくなったと話すことにしたのだ。
いかな友好国とはいえ、機会があれば優位に立とうとするものだ。しかし、この場合、先んじて、シュトレクがカナレスの援助に回ろうとした。それを踏みつけて主導権を握るには、三国の国力の違いはない。逆に、二国を相手取るには、荷が重い。そう瞬時に判断したトラースの大使レクスは好々爺の笑みで計算を覆い隠す。
「我がトラースも協力を惜しみません。我が領地ではこの絵画にあるぶどう畑のみならず、さまざまな穀類を育てています」
「ありがたい。カナレスの総力を挙げてうつくしいタペストリーをお贈りします」
「それはそれは。第二王子に大きな顔ができるというものです」
貴賓室は笑い声で包まれた。
「アマーリエ・スカラ・シュトレクさまはすばらしいご慧眼をお持ちだ」
「さよう。我がカナレスの国難をこの三架の絵画によって解決なさしめた」
茶会がそろそろ終わろうという時分、両国の大使はそれぞれが得るものを手にし、満足げに言う。
「さすがはシュトレクの王族ですな」
「芸術を愛するだけではなく、非常に聡明でいらっしゃる」
過分な言葉に、アマーリエはあいまいに笑うしかできない。ところが、ロベルトは平然と受け止める。
「そうでしょう。我が従姉妹上はすばらしい」
社交辞令を額面通りに受けるのは、本人が多才であるゆえか。言われ慣れていると、こんなものなのか、とアマーリエは内心で驚きを禁じ得ないでいた。