5.「従姉妹上はわたしをどう思っているだろうか」
「従姉妹上はわたしをどう思っているだろうか。さぞや情けない男だと思われていることだろう」
ゆううつな表情を浮かべても美貌が陰るどころか、あえかな色気を漂わせながら、ロベルト・スィセル・シュトレク、つまり現国王は言った。
冷静沈着で、なにごとにつけ、臨機応変に対応する、為政者の鏡ともいえるひとだ。
そう思っていた。いや、今でもそうだろう。
マレクはクレメント伯爵家の長男として生を受け、国王の嫡男と近しい年頃の貴族子息として早々に王宮に出入りするようになった。ゆくゆくは王太子の側近として教育を受けた。そのころから、ロベルトは王族の中の王族という態で、マレクは彼のためになにかをすることを、当然のこととして受け入れてきた。
しかし、これはなんだ。
女性ひとり失うのが怖くて取り乱しただけではなく、泣いてすがった?
いや、十七にして、しかも唐突に即位が決まり、その後、流行り病が猛威を振るう国を平定し、四年後の現在では新体制を推し進めようというのだから、傑物だ。そう、すばらしい国王であることには変わりはない。
なのに、アマーリエという女性に関してはことは一変する。
マレクはすべてを押し殺し、「公」である仮面をかぶり続けるロベルトの精神状態が張り詰めた糸のように思えた。それが唐突に切れやしないかとひやひやしていた。だから、必死になって王族を探した。もう残された時間は少ないのだという気がしてならなかった。
そして、見つけた。
だが、よもやこんな事態に陥るとは予想だにしていなかった。
ロベルトはなりふり構わず、取りに行った。万難を排するつもりでいるだろう。
驚きが去れば、マレクはやはりロベルトのために動くことにした。なぜなら、ロベルトがより完璧な王であるためには、アマーリエは必要なのだ。他の誰にもできないことを彼女は求められている。
「従姉妹上はどうしておられる」
ロベルトはここ最近、執務が終わった後にそう訊ねるようになっていた。
彼女の書や絵画を愛する心、うつくしい景色や自然を好む心情に、誠の王族であると確信する国王は次第に心惹かれていく。王族は文化を愛する性質を持っていた。
時間の調整がつけば、ロベルトが案内した。
「従姉妹上の着眼点は面白い」
ロベルトの話を興味深げに聞き、あれこれ質問しては、「あ、聞き倒してしまった」という顔をしてすっと澄ました表情を取り繕うのが面白い。
それでいて、あれこれと水を向けて見れば、実に多彩な意見が返って来る。それが楽しい。
芸術を愛するシュトレク一族の性質を強く持つ女性だ。久々にあれこれ話せてほっとした。従姉妹が現れてようやく、一族を渇望していたのだと知る。
傍にいてほしい。彼女の歓心を買いたい。なにがほしいだろうか。
いかんせん、ともに過ごした時間が短すぎる。彼女の好みと言えば、芸術を愛することくらいしか分からない。
そこで、本人に聞くことにした。
「なにかほしいものはございますか?」
「もう十分によくしていただいておりますわ」
遠慮されるのは予想の範疇である。否定されて引き下がっているようでは執政は担えない。
「わたしが強いて従姉妹上を宮殿に留め置いているのです。滞在中のご不便をかけないこととは別に、なにかお贈りしたいのです。したいことでも構いませんよ。なにかご希望はございませんか?」
アマーリエは困ったような戸惑ったような様子で考え込む。ロベルトは急かさずに待った。時機を捉えることも大切なことだ。
「では、陛下のお時間をくださいませ」
「わたしの時間を?」
「はい」
にっこり笑うアマーリエは、忙しい国王の時間をくれと重ねて言う。
彼女と過ごすことができるのなら、願ってもないことだが、それとも、別行動で自分になにかやってほしいことでもあるのだろうか。そうだとしても、彼女が望むのならなんら手間ではない。
快諾したロベルトは、時間調整をして数日後にアマーリエを迎えに行った。
どんなふうに過ごそうと言うのか、胸が高鳴る。そんなロベルトはアマーリエの言葉に呆気にとられる。
「では、どうぞ、こちらでお昼寝をしてくださいませ」
言って、アマーリエは優雅な手つきで長椅子を示してみせた。
「昼寝というには、まだ早い時間ですね」
返答に困って、ロベルトはそう言ってみた。昼寝というのは昼間にするものだ。午睡というには、まだ季節は進んでいない。
「そうですわね。ですが、陛下には休息が必要ですわ」
アマーリエは席を外そうとするので、あわてて寝物語をねだる。典雅な動作ではあるが、さっさと行ってしまいそうで、とっさに出たのが物語であった。練った提案ではないが、案外的を射ていた。アマーリエは指先をほほに当て、記憶をたどるふうを見せる。
「では、このお話はどうかしら。母から聞いたものですから、もしかして、陛下のお父上もご存じだったかもしれませんわ」
良い思い付きだと瞳を和ませるアマーリエに、せっかくその気になったのだから、とロベルトは使用人に椅子を長椅子の近くに移動するよう指示を出す。
やや躊躇しながらも、ロベルトが長椅子に寝転ぶと、上からアマーリエのやわらかな声が下りて来る。思いのほか、心地よかった。長椅子の受け止め具合も良い。うとうとしながら、物語を聞いていると、脳の奥がほのかに甘くしびれるような感を味わう。
ふたつ物語を聞いた後、茶を飲み、庭を散策し、昼食を共にした。
これほど心安らかでのんびり過ごすことは、即位後、なかったことだ。
「従姉妹上のお陰で気力が充実しました」
そう告げると、彼女は破願した。
「まあ、それはようございましたわ」
ただ、それはアマーリエのためにしたのではない。アマーリエがロベルトのためにしたことだ。
だから、しきりなおしのプランを考えた。
アマーリエは王宮へ来る際、馬車の窓から市街地で見た建物に興味を持っていた。
ロベルトはさっそく、執務の調整を取る。マレクをはじめとする側近たちは非常に協力的で、数日後にはお忍びの準備が整い、アマーリエとともに馬車に揺られた。
まずは出会った日に話題に出た大聖堂へ向かう。
大聖堂はふたつの高い尖塔を持ち、その間にバラ窓が挟まれている。華やかな印象に、ち密なレリーフが荘厳さを与えている。開口部には高い交差リブヴォールトの天井がある。
ゲルミニア様式が如実に表れた建物に、馬車から降りる前から、アマーリエの目は釘付けだ。
「馬車を降りたら、周囲をぐるりと一周しましょうか」
思いついて提案して見れば、ロベルトを振り向いて目を輝かせる。
「よろしいのですか?!」
ようやくこちらを向いてくれた、と思う間もなく、アマーリエの高揚がしぼむ。
「折角のお誘いですが、陛下のご安全が第一ですわ」
「大丈夫ですよ。シュトレクの近衛は精鋭ぞろいです」
奥ゆかしく遠慮するアマーリエにそんな風に言ってみるも、その実、今日いっしょに回らないと、きっと後日実行してしまうのではないかと思ったのだ。そのとき、きっと、自分はいっしょではない。だったら、強引に推し進めることにした。
馬車を降りる際、腕を差し伸べれば、おずおずと手を出して来る。その遠慮がちな様子が好ましくももどかしくも思われる。
「さあ、行きましょう」
言って、手を取ったまま、すばやくアマーリエの背に逆の手を回す。ふたりの身体の前に握った手がある状態で、軽く背中を押し、大聖堂の周囲を歩く。
「間近で見上げると迫力がありますね」
「本当に! 側面も背後もなんと精緻なレリーフですこと」
遠慮は興奮に取って代わられる。ゆっくり一周した後、内部を見物する。前もって出迎えは不要と通達しておいたため、大仰なことにはならずに済んだ。アマーリエはそういったことがあまり得意ではないらしいのだ。王族として遇される機会が少なかったことに、胸の痛みを覚える。
ロベルトの気持ちを他所に、アマーリエははしたなくならない程度に、頭上を見上げるのに必死だ。天井には見事な絵画や装飾がある。視線がずっと上向きのため、ロベルトは終始アマーリエを先導した。
列柱の台座の彫刻について語り合い、礼拝堂の奥のステンドグラスに感心する。
ほほを紅潮させたまま、馬車に戻り、次の目的地へ向かう。その間もあれこれと語り合う。
「ああ、あれが「覇道」の橋ですよ」
道が緩やかにカーブを描く先、大きな橋が見えてくる。
「あれが、歴代王の戴冠パレードを行う「覇道」の一端!」
市街地を流れる川にかかる眼前の橋は、歴代王の戴冠パレードが行われる「覇道」の一部分だ。橋脚の間を船がすべり行く。
橋を渡った後、劇場に着いた。
ドーム型の屋根を中心に、左右に角のとれた屋根が伸びる。その下の壁に並ぶ窓も上辺がアーチを成し、優美なたたずまいだ。
白地の壁は、窓や戸口といった開口部に黄金の縁取りがなされている。赤い屋根と相まって上品かつ華やかな印象だ。
「ベルリック様式ですわね!」
こちらもアマーリエが馬車から興味を惹かれた建物であり、外周をめぐった後、観劇する。内部を見るだけではなく、劇を観ることができるとあって、アマーリエは身を乗り出さんばかりだ。微笑ましく思っていると、その視線に気づいたのか、あわてて背筋を伸ばして居ずまいを正す。ロベルトは緩む唇を引き締めるのに苦労した。
演目は恋愛ものよりも、歴史をベースにした冒険譚を選んだ。
「衣装もそうですが、小物も細部にわたり史実をもとにしておりましたわね。とても勉強されていますわ」
アマーリエは内容も気に入ったようだが、やはり目の付けどころが違う。
「王都には図書館があり、門戸を開いています」
「まあ、すばらしいですわ。学ぼうと思えば、知識を得られるのですね」
心底感心するのに、自分の治世を認められたような気になる。
「昼食後に図書館にも寄って行きましょうか?」
「行きたいですわ!」
忙しくしていたせいで、市街地で食事をするのはロベルトも久しぶりだ。王宮とは違った味わいを堪能し、ふたりは図書館へ向かう。
ラクラ様式の建物は、円柱が林立する荘厳な威容を誇っている。
内部は天井にびっしりと絵画が描かれ、壁という壁に書架が配されている。革の装丁がうつくしい書がならぶ。居間の要素を含んだ王宮の図書室とはまた違った雰囲気がある。
書は高価なものであるため、持ち出しがないように厳重に気を配られている。
アマーリエは書架から書を選び出し、頁をめくってみて、かすかにため息をついた。
王宮へ戻る馬車の中で、アマーリエは今読んでいる本のことを楽し気に話した。午後のやわらかな陽射しを受ける従姉妹は誰よりもうつくしく思えた。