4.「アマーリエ・スカラ・シュトレクさまは本当に王族なのか?」
「アマーリエ・スカラ・シュトレクさまは本当に王族なのか?」
最近の社交界で持ち切りなのが、唐突に現れた王族の話題である。これが、微妙な年齢の独身女性だという。若き国王が王妃をもたず、それどころか婚約者さえいない状況であることもあいまって、さまざまな思惑が渦巻いた。
宮廷で力を得ようという臣下や、美貌の国王の寵愛を得たいという貴婦人、制定する政に悪影響がないかと懸念する側近など、さまざまであった。
「聞いたこともない」
長年社交界に留まる者たちにとっては、スカラ・シュトレクは確かに前国王の姉に下賜された名であるが、忘れ去られたものであり、亡霊に出会ったような心地になる。
「なんというか、その、王族らしからぬご容姿であられる」
アマーリエを目にした者は、輝かしい王族というイメージから大きく外れていることに、勝手な落胆を覚えた。
なんの変哲もない茶色の髪、つねに眉尻が下がった気弱気な顔立ちをしている。鮮烈に印象に残る国王とは血のつながりを感じられない。
「ですが、陛下のご寵愛ぶりは、」
しかし、目端が利くものは押さえるべき要点を知っていた。
「うまくやったものですなあ」
そして、下種な考え方をする者は身分の貴賤の違いなく、一定数いるものだ。
社交会では様々な情報が飛び交う。有益な経済活動の一端からはじまり、根も葉もない噂話まで、多様である。
リビェナ・ブルシーク侯爵令嬢はここ最近、社交界で持ちきりの話に、内心腸が煮えくり返っていた。
「お聞きになりまして? スカラ・シュトレクさまは陛下のご側近のマレク・クレメント伯爵がお連れあそばしたとか」
「ことごとく王族を失った陛下をお慰めするためだとか」
「ならば、陛下はクレメント伯爵を慮ってスカラ・シュトレクさまの滞在をお許しになっているだけではございませんの?」
リビェナと親交のある令嬢たちが口々に言う。リビェナが国王に懸想しているというのは周知の事実だ。だから、気を使ってのことだった。
「そうでなければ、あんな地味なお方が、」
「そうですわ。陛下にはブルシーク侯爵令嬢のようなおうつくしい方が相応しいです」
「その通りですわ。スカラ・シュトレクさまでは陛下のお隣には立てませんものね」
「まあ、みなさま、お口が過ぎましてよ」
リビェナは表面上はそう言っておいた。けれど、内心ではみなの言うとおりだと思っていた。アマーリエ・スカラ・シュトレクは容姿に優れていない。だからか、あまり人前には出ない。王族らしからぬ王族だ。しかし、国王は王族と認めているという。
「お父様に確かめてもらわなくては」
それでなくても、ロベルトは二十一歳という適齢期であり、容姿に優れ、賢王の名高く、天から二物も三物も与えられた者だ。シュトレク国内の貴族だけではなく、外国の貴婦人たちから秋波を送られていると聞く。
負けてはいられない。
貴婦人たちがこぞって望むシュトレク王妃という立場には、リビェナこそが相応しい。
「陛下に近づこうとする策略に違いありませんわ」
リビェナは急ぎ、アマーリエ・スカラ・シュトレクなる者について調べるよう、ブルシーク侯爵に願い出る必要を感じていた。
降ってわいたかのような王族が離宮に住まうことになった。周囲の反応は「陛下とは似ても似つかぬ地味な容姿」というものだった。
アマーリエは未だシュトレク国の王宮に滞在していた。
一泊した後はすぐに王宮を辞そうと思っていた。ところが、国王が引き留めた。
養父母の下へ帰ると言うと、泣いて嫌がって駄々をこねた。
初めは、言葉を尽くして、という態であったが、アマーリエがうんと言わないと知るや、泣き落としにかかってきたのだ。
一度泣き顔を見せた強みだろうか。
「従姉妹上、わたしを見捨てるのですか? 置いて行かないでください」
身もふたもない言葉は剥きだしであり、縋りつかんばかりの様態はなんの取り繕いもない。ただただ、心情そのままに、装うことなく晒して見せる。
うつくしい青と緑のふしぎな瞳が濡れるのを見ると、アマーリエは強く出ることができなかった。それを良いことに、ロベルトはしゃあしゃあと要求して来る。
「わたしは国王です。ここを離れることができません。ですから、ぜひとも従姉妹上がこちらに住んで下さい」
その通りだ。その通りだが、それは駄々というものではあるまいか。
結局、アマーリエが折れるほかなかった。
王宮とはあちこちに人がいるものだ。だというのに、ロベルトは人目をはばからず涙をこぼすのだ。ぎょっとする者たちを見るアマーリエの心情たるや。心労が祟りそうである。
ふだんの国王は品行方正で落ち着きがあるのだろう。様変わりした国王に、周囲の者たちは信じられないものを見る目つきである。国王の威厳もへったくれもない。
「で、では、もう少しだけ滞在させて頂きます」
これも王族としての務めなのだろうか、とアマーリエは今まで果たしてこなかった義務を課せられた気分になる。
我がままを言ったかと思えば、ロベルトはせっせとアマーリエのご機嫌を取ろうとする。
「従姉妹上、ぜひとも離宮の階上から裏庭を俯瞰しましょう。面白いですよ。それから、庭の迷路を踏破しましょうね。そうだ、ロングギャラリーや図書室もご案内します。どれもすばらしいですよ」
どれもそこには「ごいっしょに」がつく。
そして、案内する際のロベルトは饒舌で、彼の語る内容は興味深い。話は弾んだ。アマーリエとしても、百聞は一見に如かずで、実際に目にすることができて感性を刺激される。
芸術について語るロベルトの表情は活き活きとしている。その顔つきを見ていると、ああ、本当に孤独でいらしたのだなあとしみじみ思う。
国王という立場上、誰にも甘えられないでいた。王族がいればまた違ったのだろう。しかし、ことごとく失ったロベルトはようやく表れた王族に、一時はしゃいでいるのだろう。あるいは、即位からこちら、ずっと我慢していた分、甘えたいのだろう。
母から聞いていた「出来物の弟」の話が脳裏にあったこともある。だから、アマーリエもついつい、甘やかしてしまった。出会った日からそうなってしまった。
聡明なロベルトは次第に肝所を抑えるようになり、アマーリエは徐々にほだされていく。
そんなアマーリエの耳に、周囲の声が届く。その通りだと思う。なにも、年上で不美人な自分を選ばなくても、美女も美少女も引く手あまただろう。それこそ、四つ五つ離れた年若いご令嬢だろうと、国王には似合う。
国王のあまりのうつくしさと怜悧さに、アマーリエは自分とはかけ離れすぎていて横に並ぶのが嫌になる。なぜ、自分は母に似なかったのだろうか。父そっくりである。母に似ていたら、兄は自分を拒絶しなかっただろうか。
母は最初の婚約が相手の事故死によって立ち消え、その後は家格やら貴族間のパワーバランスやらで結婚が遅れてしまった。
でも、決して、夫となった伯爵とは心が通っていなかったわけではない。
地方領主であった夫とは恋愛をして結ばれた。先方が先妻を亡くした上、子持ちであったため、王族にふさわしくない相手だと周囲は物言いをつけた。
「今の今まで待たされたことと相殺してあげますわ。わたくし、あなたたちのわがままに感謝してもよろしくてよ。だって、あの方とお会いできるまで引き留めてくださっていたのですもの」
そう言って嫣然と笑ったというのだから、母はなかなかに強い女性だった。娘には常にやさしいひとだった。いろいろ教えてくれた。
教養もありうつくしくやさしい。
だからこそ、継母であっても、兄は母を慕った。実の娘に取られることを厭うほどに。
母が亡くなったとき、兄は大きな悲しみのあまり、アマーリエのせいだと言った。父の親類縁者は錯乱しているからだと言うも、あまりの拒絶ぶりに、引き離すしかなかった。それで、アマーリエは領主の館を出ることになったのだ。
誰かがロベルトの妻になり、王妃の座に就けば違ってくる。アマーリエはお役御免だ。王妃の方でも夫が婚前に親しく付き合っていた異性というのは嫌がるだろう。ましてや子ができれば。そこまでだ。
そのときになったら、アマーリエは? アマーリエの気持ちはどうなるのだ。
「そんなことをおっしゃらないでください」
辞去の挨拶をするアマーリエに、うつくしい国王はそう言って不思議な色合いの瞳からほろりと涙をこぼした。
ずるい。
年下の従兄弟の涙に弱いのだ。何でもしてやりたくなる。ずるい。
そんな風にしてずるずると王宮に滞在するようになったある日、ロベルトはあのふしぎな色合いの青と緑の色合いを暗く陰らせながら言った。
「誰かお慕いされている方がおられるのですか?」
おかしくなって笑いながら「はい」と答えたら、ぎゅっと眉根が寄る。そんな顔も格好良いなんて、美形ってすごい。明後日なことを考えていたから続く言葉を言う前にきつく抱きしめられた。
「申し訳ありません」
易々と頭を下げてはいけないはずのひとが謝罪する。
「それでも、あなたを離したくない」
わかっている。彼はどうしようもなく寂しいだけだ。
別段、アマーリエである必要はない。王族であればよかったのだろう。ぽっかりと空いた穴を埋めるためには、王族である必要はあった。だから、アマーリエは手にすることができたのだ。それでも、せっかくその資格があるのだったら、と思ってしまった。
ロベルトは為政者として優れていると聞く。それは養父母の下にいたころから伝え聞こえてきたことだ。国の隅々にまで王の威光は行き届いている。けれど、アマーリエがロベルトを好きになったのはそんなことが理由ではない。
たとえば、感情が安定していて穏やかでいろんなことに興味を持っていて知識が豊富なこと、そして、芸術を愛する気持ち、あとはやさしいところだ。
感情が安定しているなんて、出会ったはじめの日に大泣きしたのに矛盾している。だが、あれはアマーリエが泣かせたようなものだ。後から聞けば、前国王であるお父上との思い出深い場所で、お母上にも幼いころに同じように労われたことがあったのだそうだ。しまい込んでいた記憶を、アマーリエが刺激してしまっただけのことだ。
だから、好きなひとから「誰か好きなのか」と聞かれて、おかしくなった。
あの日、奥庭で泣きはらした目で、ちょっと照れくさそうにしながらも、どこからか漂ってきた花びらが髪についたのを取ってくれたとき、恋に落ちた。頭を胸に抱きかかえたときは母性に近いものしか持っていなかった。なのに、落ち着いたあと、花びらに気づき、アマーリエの頭に伸ばした腕、それによって近づいた胸の厚み、それらから発せられる熱とかすかな体臭を間近に感じた。なによりひとつも取り繕わない素の表情でもなお、いや、だからこそ、好ましいものに思えた。
アマーリエが異性に縁遠いことも手伝って、それほど接近されたのは初めてのことでもあった。
「あと一日、もう少し」
ロベルトの気持ちが移ろうその日まで、傍にいたい。