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初めての夜を迎えました



 夜。寝間着を纏った私は一人、かつての両親の寝室、そこにある大きなベッドに座っていた。

 今日より、寝所の番としてメイド一人が同室することになった。今日の担当は、初日ということもあってメイド長のラナである。


 コンコン、と控え目なノックが響く。「どうぞ」と告げれば、ラナが寝所への入口を開く。そこに立っていたのは、今日から私の夫となったエリウスであった。


 昼間の威厳はどこに行ったのか。薄汚れていても決して揺らがなかった光は、今や消えそうなまでにか細い。おずおずと、牛にも負けないのろさで、エリウスは私が待つベッドへと向かってきた。


「やはり……しないとだめ、ですか?」

「夫婦の営みは重要ですので」

「しかし……私は……その……」


 私の傍、拳二、三個分ほど離れたところにエリウスは座った。わずかな灯りしかない暗い部屋の中でも、彼の頬が真っ赤に染まっていることがわかってしまう。どれだけこの男は初心なんだ。

 ふと、何かを決したようにエリウスが私を見る。


「はっ、話をしましょう!」


 途中で声が裏返っていたが、そこに触れてはいけないだろう。「話、とは?」と返せば、モゴモゴと言葉にならない声を出した後、少しずつ思惑を見せてくれた。


「本日よりマグノリア殿と婚姻関係を結び、フォーレイン家に入ること、そして私に課された務めを果たすことは重々承知の上です。ですが……私個人としては、やはり、出会ったばかりの女性と関係を深めることなく、営みをするのはもってのほかだと考えてしまうのです」

「話とは、営みに関する制約でしょうか?」

「いえ! 私はただ、夫婦になるからにはマグノリア殿のことをもっと知って、お互いに信頼関係を築いてからできればと……」


 エリウスはどうやら、平民のような結婚願望を持つ男であるようだ。それもそうか、と私はエリウスの噂話を思い出す。なんせ、婚約していた令嬢とは、令嬢が他の男に落ちるまでは仲睦まじい様子を見せていたというのだから。

 貴族の結婚は、一度か二度、顔を合わせて決まることが多い。今回の私とエリウスのように一度も対面したことなく決まる例はごく僅かであるが、結局のところお互いに親交を深める暇もなく夫婦になり、初夜を迎えるのがほとんどである。

 むしろ初夜の営みが夫婦の仲を深める第一歩、とまで言われているのだが、それを知らないのだろうか。


 身分を剥奪された大罪人に、貴族としての権威をかざしてしまえばそれで済む話であったが、それをして営みに及び腰になられてしまうのは少々面倒だった。


「いいでしょう。では、話をしましょうか」

 

 何について話しますか? と問えば、少しばかり思案した後、エリウスは「好きなものについて」と口にした。


「体を動かすのが好きです。小さい頃は外で走り回ったり、木の棒を振り回したりしていました」

「木の棒、ですか」

「『三人の賢人』はご存知ですか?」

「いいえ。物語でしょうか?」

「三人の、それぞれの得意分野を持つ人々が互いの力を合わせて困難に立ち向かう物語です。教師に勧められて読むうちにすっかり好きになってしまいました……主人公の一人、正義の騎士に私は憧れたのです」


 弱きを助け、悪を挫く。身分も富も、正義の騎士には関係ない。助けを求める声があれば迷わずに剣を振るい、手を差し伸べる。どこまでも高潔で、まっすぐな騎士。それに憧れ、「正義の騎士」となることを願ったという。


「これは正義の騎士が振るう正義の剣だ、などと言って、細い木の棒を振り回しておりました。勢い余って物にぶつけてしまって『剣』が折れてしまった時は思わず人目を憚らずに泣いてしまいました」

「可愛らしいところがあるのですね」

「今となってはいい思い出です……子供の遊びが、気がつけば本物の重たい剣を握る騎士にまで繋がったと考えると、感慨深いものです。マグノリア殿は、好きなものはございますか?」


 しばし考え込む。私に好きなものはあっただろうか。

 幼い頃から家のために、と働き続けて、気がつくとこんなに大きくなってしまっていた。思い返せば働いた記憶しか掘り起こせなかったけど……。


「クッキーが好きですわ……と言っても、王都でよく目にするような、甘くて形の整ったものではありませんが。言うなればフォーレイン・クッキーですわね。石臼で挽いた麦を使用するのでゴツゴツとした見た目になりがちですが、食べ応えがあって美味しいのです」


 それに、甘いものが食べたいと幼い頃の私が不満を爆発させてからというものの、頼れる「母」が試行錯誤を重ね、ついに甘味を感じられるものを作り上げてくれたのだ。

 本人がこの場にいるから気恥ずかしくて口には出せないが、私は彼女が作るクッキーが本当に大好きだった。


「本当に大好きなのですね」


 エリウスが微笑む。ランプの仄かな灯りでだいだい)がかった緑の瞳が、細くなる。

 打算も何もない、大人びた子供のような、穏やかな笑みだった。


「ええ。本当に……目の前に置かれれば全部平らげてしまうほど、大好きですわ」


 きっとこの人は、純粋で、どこまでも真っ直ぐで、誠実な心を持っているのだろう。

 その夜、私たちはしばし語り合った後、そのまま同じベッドで眠った。



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