どうも溺愛されているらしい
「おはよう、アメリア」
「お、おはよう、リューク」
五宮の門が開くと、そこには灰色の髪に金の瞳の美少年が使用人を従えて微笑んでいた。
朝だからおはようと挨拶するのは、わかる。
だが、それ以外がまったくさっぱり理解できない。
……こんな時には苺だ。
苺があれば何でもできるのだから、苺を出せば何とかなるはず。
アメリアは手のひらに小粒の苺をいくつか出すと、そのままリュークに差し出した。
「あげる。……それで、何かあったの?」
リュークは少しだけ驚いたようだが、すぐに苺を受け取ると、嬉しそうに口に放り込んだ。
「何って。婚約者に会いに来ただけだよ」
「そ、そう」
そう言われれば普通なのかもしれないが、何せ四年間超塩対応が基本だったので、どうも落ち着かない。
「本当はゆっくりと話したいけれど、俺も用があるから。とりあえず、ちょっと協力してほしいんだ」
「いいけど、何?」
うなずくや否や、リュークの後ろに控えていた女性二人がアメリアに近付く。
「失礼します」と言うが早いか、腕や背中に触れていく。
「な、何? 何?」
慌てるアメリアに一礼すると、あっという間に女性達は下がったが……結局何なのかわからない。
困ってリュークを見ると、侍従のハンスが持っていた紙袋をアメリアの手に乗せた。
「今日はこれで帰るけれど。できる限り会いに来るし、無理なら手紙を書くよ。……またね、アメリア」
そう言うなり、紙袋を持っていない手をすくい取り、そっと唇を落とす。
「ひゃああ!?」
人目がある中での突然のことに思わず悲鳴を上げると、何故かリュークは楽しそうに笑った。
そうして嵐のように過ぎ去ったリューク御一行を見送って邸に戻ったアメリアは、よろよろとソファーに腰かけると、そのままパタンと倒れた。
「何……何なの……? 朝から、何なの……?」
リュークが会いに来てくれたのは嬉しいが、それにしたってまさか昨日の今日で正面からやってくるとは思わない。
しかも、結構な人前で手にキスまでされるとは。
そこまで思い出すと、アメリアの頬は真っ赤に染まり、両手で押さえても冷めそうにもなかった。
前回はそれどころではなかったので頬を染めるだけで済んだが、今回は悲鳴まで上げてしまった。
これはヘルトとの練習がまったく活きていないではないか。
もっと練習した方がいいのかもしれない。
「……見事に、溺愛されていますねえ」
ヘルトは呆れた様子でそう言うと、テーブルに紙袋を置いた。
「駄目よ、溺愛は」
「では、面会をお断りしますか?」
ヘルトの提案に、アメリアは勢いよく体を起こした。
「そんなの、嫌!」
「ですが、クライン公爵令息に溺愛されると、姫様は殺されるかもしれないのですよね?」
「わかっているわよ。でも、無理よ。好きな人に大切にされたら、嬉しいもの。距離を取るとか、無理……」
昨夜の時点では問題ないと思っていたが、いざリュークを目の前にしたら長年蓄積された恋心が荒ぶるばかりで、とても距離を取ることなどできない。
「いっそ、もっと距離を詰めたいくらいよ!」
心のままに欲求を叫ぶと、ヘルトがため息をついた。
「殺されますよ」
その一言で撃沈したアメリアは、目についたテーブルの上の紙袋に手を伸ばす。
一体何だろうと思えば、中には大きなハムの塊が入っていた。
「……リュークの中で私は、何なの?」
最初はパンをくれたし、その後にはミートパイをくれたこともある。
そんなに食いしん坊だと思っているのだろうか。
美味しいものは好きだしありがたいが、一応は乙女なので何となく複雑だ。
「五宮に食事が届いていないということをご存知なのでしょう? 栄養補給なのでは?」
アメリアが苺を出せることと、畑を作っていることは知っているのだから、確かに差し入れするならば肉類の栄養価が高い。
「栄養まで考えてくれるリューク、優しい。ありがたい、尊い、好き」
そこまで言うと、アメリアはハムをぎゅっと抱きしめた。
「……でも、この溺愛自体がリュークルートによる補正の可能性があるのよね。本当のリュークの気持ちは、もしかしたら違うのかもしれないわ」
仮にリュークにそれを聞いても、ルートによる補正が効いているのならアメリアのことが好きだと言うのだろうから結局はよくわからない。
補正による溺愛だとしたら、今後関わらないわけにはいかないのだろう。
「溺愛の後に殺すというのなら、要は途中で邪魔になるはず。だったら、先手を打つのはどうかしら」
「先手、ですか?」
アメリアが抱きしめていたハムを取り上げたヘルトは、眉を顰めている。
「そう。他に好きな人ができたら私はすぐに引くって伝えておけば、殺すまではいかないと思うの」
「……それを、クライン公爵令息に言うのですか?」
うなずくアメリアを見るヘルトの表情は、どんどん曇っていく。
いい案だと思ったのに、何か問題があるのだろうか。
「その補正とやらがあるにしてもないにしても、今のクライン公爵令息は姫様に好意をお持ちです。それも、並々ならぬものだとお見受けします。……正直、その案は姫様にも危険が及びかねないと」
「危険も何も、殺されないように言うのよ」
今話をしたのに、聞いていなかったのだろうか。
すると、ヘルトはハムを握りしめたまま、深いため息をついた。
「……そういう、おかしな方向にまっすぐ突き進むところも、五妃様そっくりですよ」
「何それ、褒めているの?」
「心から」
どう見ても褒めているとは思えない気がするのだが、恭しく頭を下げられてしまえば非難しづらい。
「とにかく、次にリュークに会った時には、私は恋路の邪魔をしないってしっかりとアピールしないと」
「それで、だったら婚約解消しようとでも言われたらどうするのですか」
ぽつりと呟かれた言葉に、アメリアの動きが止まる。
もちろん、その可能性は大いにある。
何なら、そうして婚約解消した方がルートから外れるのでリュークの身を守ることになるのかもしれない。
「どうって、受け入れるわよ。だって、私はリュークの意思を守りたくて。そのために邪魔なら、婚約、なくなっても……」
段々と言葉が途切れがちになり、気が付けば視界がゆらゆらと揺れている。
いつの間にかせりあがってきた涙をこぼすまいと唇をかんで上を向いていると、ヘルトの深いため息が耳に届いた。
「泣くほど婚約解消が嫌で、クライン公爵令息がお好きなら、そんなことを言わなければよろしい」
「泣いて、いない」
「はいはい」
苦笑すると、ヘルトはハンカチを差し出してきた。
「泣いていないわよ。これは、心の汗なんだから」
「はいはい」
ぞんざいな返答に頬を膨らませながらも、ハンカチを受け取り、心の汗を拭う。
「まったく、手のかかる姫様ですね。私は独身なのに、娘を見ているようですよ」
いつの間にか用意されていたコップを受け取ると、水を一気に飲み干す。
のどが潤ったせいか、少し心が落ち着いた。
「ヘルト。私が失敗したらあなたも危険だわ。護衛の任を解けばここから離れられる。今なら間に合うわよ」
「……何を言うのかと思えば」
空になったコップを受け取ったヘルトは、盛大なため息の後に、アメリアの前にひざまずいた。
「私は五妃様より直々に、姫様をお守りするよう仰せつかっています。姫様が何と言おうと……たとえ市井で暮らすことになろうとも、おそばでお守りいたします」
「頑固ねえ」
呆れ半分、安心半分。
それはヘルトにもわかっているらしく、優しい笑みと共にハムとコップを持って立ち上がる。
「大体、苺馬鹿の姫様を放置するなど、心配で仕方がありません。クライン公爵令息には、責任を取って姫様を大切にしていただきませんと」
「苺馬鹿って何よ。苺は凄いのよ」
聞き捨てならない言葉に反論するが、ヘルトは笑いながら部屋を出て行く。
十歳の時に五妃が亡くなって以来、たった一人残ってくれた家族のような存在。
それを危険に晒したくはない。
「ヘルトのためにも、頑張らなくちゃ」
アメリアは手のひらに現れた苺を口に放り込むと、決意と共に苺色の瞳をきらめかせた。
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