こんな時こそ苺だわ
「え⁉ きゃあああ!?」
プリスカと侍女たちの悲鳴がこだまし、それと同時に四人が一斉に転んで地面に手をつく。
どうにか立とうともがいているが、ジャムがなかなか手や靴から離れないらしく、四人はもぞもぞと動くばかりだ。
足止めというアメリアの心に呼応したジャムは、どうやら粘度が高いらしい。
負のカリスマである黒い昆虫を捕らえるこういう物が、日本にあったような気がする。
いや、今はのんきにホイホイされているプリスカを見ている場合ではない。
アメリアはジャムを避けつつプリスカのそばに駆け寄った。
「プリスカ、さっきの言葉はどういう意味なの?」
「何なんですか、ベトベトします!」
プリスカと侍女達は苺ジャムに夢中でアメリアのことなど眼中にない。
とにかく気を引かなければと思ったアメリアは小ぶりの苺を出すと、プリスカの口に突っ込んだ。
「な、何を――」
「甘くて美味しいと思うわ。この苺に免じて、さっきの続きを!」
苺に心打たれたのかはわからないが、プリスカは慌てた様子で咀嚼している。
ごくんと飲み込んだかと思うと、金の髪を揺らしアメリアを睨みつけた。
「ふざけないでください! あなたなんて、最後にはリューク様に殺されるんです。みじめでお似合いですよ!」
どうにか苺ジャムから抜け出したプリスカはそう吐き捨てると、服をジャムで赤く染めた侍女達と共に勢いよく立ち去って行った。
「姫様、大丈夫ですか?」
「うん。叩かれていないし、ジャムもついていないわ」
地面に広がったジャムのほとんどは服に付けて持ち帰られたので、掃除の手間もかからないだろう。
「……ルートがどうとか言っていましたね。あれは、以前に姫様が言っていたことと同じ、ですか?」
ヘルトには転生のことも、ここが乙女ゲームの世界だろうということも既に話してある。
半信半疑どころかほぼ聞き流されてはいたが、プリスカの言葉の不穏さに、さすがに放置するわけにはいかなくなったのだろう。
「クライン公爵令息に殺される、というのは?」
ヘルトが引っかかった部分はもちろんそこだろう。
だが、アメリアはその前の呟きも聞き逃せなかった。
「リュークルートの悪役令嬢は溺愛の後に捨てられるって言っていたわ。やっぱり、ここは乙女ゲームかそれに類する世界なのよ」
恐らくそうだろうとは思っていたが、プリスカの言葉ではっきりした。
この世界には、ヒロインであるプリスカが選んだ相手によってルートと呼ばれる分岐がある。
そしてリュークルートである現在、ヒロインの恋敵……いや当て馬である悪役令嬢は、アメリアなのだ。
「……だから、リュークが関わってきたの?」
婚約してからの四年間に加え、プリスカが他の男性を攻略していたループ三回の間、リュークは何の反応もしなかった。
塩対応どころか超塩対応と言って差し支えない、無反応っぷりである。
それが今回だけ、リュークルートに入ったこのループだけ、彼はアメリアに接してきたのだ。
溺愛の後に捨てられるということは……リュークが優しいのも、いずれ結ばれるプリスカのための下準備なのかもしれない。
「じゃあ、今まで通り五宮に引きこもって関わらないようにすれば……」
そこまで考えて、先程のリュークの笑みが浮かぶ。
出会ってから四年とループの三年、合計七年ずっと想っていた相手。
優しい金の瞳と、アメリアを守ると言ってくれたあの声。
思い出すだけで幸せな気持ちになる。
あれを今更すべて失うなんて、とてもできない。
「……それに、私が動かなければリュークの意思を無視してプリスカにプロポーズすることになるわ」
アメリアに愛想が尽きて捨てるというのなら、寂しいけれど受け入れる。
だが、彼本来の意思を捻じ曲げるのは許せない。
そうだ、そもそもアメリアはリュークの意思を守るために戦うと決めたのではないか。
「――そうよ、こんな時こそ苺だわ! 苺があれば、何でもできるんだから!」
突然拳を掲げたアメリアに、ヘルトが残念なものを見る眼差しを注いでいる。
「……要はこのままではクライン公爵令息はプリスカ様に心変わりし、姫様は殺されるかもしれないのですよね? 一体、苺で何をどうするおつもりですか」
「リュークは苺が好きなのよ。苺で餌付けしてそこそこの好感度を稼ぎつつ、溺愛は阻止して、自然な距離を保ち、ループの分岐点である国王生誕の舞踏会までやり過ごせばいいんじゃないかしら!」
溺愛の後捨てられるというのなら溺愛されなければいいのであって、別に険悪になる必要はない。
清く正しい、それなりの距離の婚約者として過ごす。
実にわかりやすい話ではないか。
「……そういう問題ですかねえ」
「ここで私が上手く立ち回らなければリュークは強制的にプロポーズさせられるし、私は……殺されるのかもしれない」
最後の一言に、ヘルトの眉がぴくりと動く。
「私は姫様の護衛です。本当にクライン公爵令息があなたを害するというのならば――命を賭しても、お守りします」
いつになく真剣な表情で頭を下げられ、アメリアは慌てて手を振った。
「い、いいよ。相手は王女と公爵令息よ? ヘルトにまで危険が及んだらいけないわ」
「ですから、その危険から姫様をお守りするのが護衛です」
そうかもしれないが、ここまでずっと迷惑をかけてきたヘルトに更なる負担をかけたくはない。
「それじゃあ、いよいよ駄目な時には逃げるわ! 幸い苺という商品があるし、何とかなると思う。いざという時に備えて逃亡資金を稼ぐことにする」
リュークがプリスカに落ちれば、正面切って対抗するのは危険すぎる。
ヘルトの身の安全のためにも、その際には王宮を抜け出して平民としてどこかで暮らせばいいだろう。
「……もしもそうなった際には、私もお連れくださいね」
「もちろんよ。ヘルトを残したら、私を逃がしたと言って罰を受けるかもしれないもの」
うなずくアメリアを見て、ヘルトは微笑む。
それは悲しそうな、嬉しそうな、不思議な笑顔だった。
「姫様は、五妃様によく似ていますね」
「そう?」
十歳の時に死別しているので憶えていることはそれほど多くないが、それでも母と似ていると言われるのは何だか嬉しかった。
「はい。脈絡なく果物を出すところや、やたらと果物に対する信頼が篤いところ。それから、判断基準と損得勘定がおかしいところがそっくりですよ」
「……それ、褒めているの?」
「心から」
深く頭を下げられてしまえば、何だか怒る気にもなれない。
「まあ、何にしても溺愛されなければいいのよ。……というか、そもそも溺愛なんてされないんじゃない? うん、大丈夫、大丈夫!」
元気に拳を掲げるアメリアを見て、ヘルトが困ったように眉を下げる。
「……それから、見通しが甘いところもそっくりです」
ヘルトの呟きは、アメリアの掛け声にかき消され、その耳には届かなかった。
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