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 7 四月の風の中で

 帝国歴79年三月二十九日、洗濯建屋での最後の仕事を終えた。

 

「なんでよー、何処へ行くのよ。せっかくあたしの下っ端が出来たって言うのに、」


「ごめんなさい。私も心残りだけど、今日でお別れなんです、でも、お館には残るからいつでも会えます。元気でね。イネスねえさん。」


二人の少女が硬く抱き合って涙を流した。


・・・・・・・・・・


 太陽は白き道の半ばを通過し、天は夏に入るが地は春の盛りの春分、四月一日。


 白い椿亭の馬車寄せ(ポーチを一台の馬車が出発した。見送ったのはパイルー店長一人。みすぼらしくない程度の無紋の小さな屋根付き馬車(キャリッジには貴族学院の制服を着たルナが座っている。対面には馭者を背に黒いメイド服の小さな少女と緑の帽子を被った日に焼けた女が座っていた。


「あの・・」


「ルナです。」


「はいルナお嬢様。」


「なんでしょう、エンジェル支店長。」


「あの、私の事はマリーとお呼びください。」


「何故でしょう、部下でもない者を呼び捨てなどできません。」


「恐れ入ります。私は庶民でして姓を持ちません。ですからマリーとお呼びください。」


「あら、でもみんなエンジェルのマリーと言ってました。」


「いえ、私はグリーン商会の支店長で、決してエンジェル商会の者ではありません。」


「どういうこと?・・ヴィリーは分かる?」


「はい、ルナ様。エンジェルはマリー支店長の新しい二つ名だと思われます。」


「二つ名とは何ですか?」


「はい。庶民は同名の者を区別する為や特定の人物をさすために本名以外の名前を付けて呼び名とすることがあります。大抵は住んでいる場所や屋敷、身体的特徴などが使われます。」


「例えば?」


「そうですね。831のウヅキと言えばコック長の事です。白い椿亭のパイルーと言えば店長の事を差します。大抵はのの字を入れて二つの事を繋げますが、仲間内では片目の人は独眼竜と呼ばれる事が間々ありますし赤ひげ、とか青髭、と呼ばれる方もその道では有名な方を指し示し仲間内では誰の事かすぐ分かるのです。」


「わかったわ。口髭のおじ様というあれね。」


「はい。」


「とこれでエンジェルのマリーと言うのはどういう事かしら、古語で天使と言う意味だろうけど、マリー支店長は天使なのかしら?」


「はい。天使のように美しいと言ったような意味ではございません。」


「あら、ではどういう意味かしら。」


「はい、美味しいものにあり付くだけでなくその上に金貨まで手に入れる才能の持ち主と言う、やっかみ半分あやかり半分の二つ名と聞き及んでいます。」


「さっき、新しい二つ名と言ったと思うけど、という事は古いものもあるのかしら、」


「はい。」


「教えてもらっていいかしら、」


「私もすべてを知っている訳ではございませんが、 乙女のマリー、牛殺しのマリー、血飛沫のマリー、五番街のマリーなどは伺ったことがあります。」


「そして今はエンジェルのマリーなのね。」


「左様です。」


「う~ん、乙女のマリーって可憐な感じな少女だったから?」


「いえ。士官学校の時の必殺技の名が乙女の祈りというので付いた二つ名だそうです。因みにルイ騎士爵様もその技で仕留められたことがあるそうです。」


「ルイ騎士爵に勝つなんてそんなにお強いの!」


「はい。」


「牛殺しのと言うのは本当に殺したの?」


「それは闘牛士マリーの異名でまるで猛々し闘牛を華麗にあしらうような闘技を讃えられての事と、聞きおよんでいます。」


「剣の名手なのね。血飛沫のと言うのも技の名かしら、」


「はい。詳細は不明ですが、マリー様が一度だけその技を使った時、数十名の男たちが一瞬にして血を流したとクレマ様から伺いました。」


「一度だけとは正しく秘技ね。いつか見せてもらえるかしら。五番街のマリーと言うのは?」


「これも良く判らないのですが、マリー様が軍大に学ばれている時の二つ名で帝都の五番街の軍関係者の間に広まったそうです。一説によるとジョニーという者と死闘を演じたとか、いや禁断の大悲恋だとか真相は軍機あつかいという事だそうです。」


「う~ん、それはちょっと本人にも聞きづらいわね。」


「はい。多分この他にも沢山お持ちの様です。」


「何故かしら?」


「それはマリー様は皆様に好かれる体質なのではと思います。」


「体質の問題?なのね。だったら私にはどんな二つ名が付くのかしら、そうだ。ヴィリーは無いの?」


「私は特にございません。」


「でもお姉さまたちはメイドのヴィリーが、とよく仰っていたわ。」


「わたくしはメイドですので当然です。それは二つ名とは言えません。」


「う~んそうかー。ちょっと残念。ところでちょっと早く着き過ぎたのじゃないかしら。」


「いえ、ルナ様。今日は入学式がございます。各貴族家の馬車が多数参ります。混乱に巻き込まれる事なく学院に入られる事が肝要かと存じます。」


「ヴィリーが立てた予定ですか?」


「いえ、マリー様のご指示です。」


「流石、軍大出の馬車屋さんは緻密な計画ですね。」


「はい。五番街のマリーの二つ名は伊達ではありません。」


「そんな~ヴィリーまで!」真っ赤になったマリーが抗議の声を上げた。


・・・・・・・・・・・・・・・・


 【第十二貴族学院】の校名銘板が掲げられたアーチを潜り構内に入る。馬車道(アプローチ)の横の歩道を歩く生徒達がいた。


「歩いて、学院に来る人がいるのですか。」


「はい。ルナお嬢様。」


「ならば、帰りは私も歩いて帰ります。」


「それは、どうかご容赦を」と、マリーが答える。


「どうして?エンジェルのマリー」


「ひゃい・・もとい。はい、それは、馬車で通学するのが貴族の証明並びに矜持だからです。」


「そうですか、」


「というのは表向きの理由です。」


「    」


「実は警備上の、具体的には誘拐対策でございます。」


「成る程、・・到着してしまいました。それについてはいずれまた話を伺います。ヴィリー、では降ります。」


・・・・・・・


 初登校日の手続きを終えると、ルナはお付きの(メイド)ヴィリーと共に2年生の教室に案内された。ゆっくりと教室内を見わたすと既に2,3人の生徒がいる。


「窓際の席にします。」と呟くと窓際の生徒用机の一番後ろの席に座った。ヴィリーは最後列のルナの座った生徒席から離れて教室の壁際に隙間なく並べられたお付き用の席に着いた。


 窓の外の春風に揺れる木々の梢を見ながらルナは始業の時間を待っていた。


 新しい制服にぎこちなさを隠し切れない生徒達が後ろの席から埋めていく。前列に座った生徒のお付きのメイドやボーイもヴィリーの横の壁際席を埋めていく。如何にも慣れた感じの生徒数人が始業時間直前にドヤドヤと教室に入って来た。


「もう、道が混んで馬車が渋滞して遅くなったわ。」


「今日は入学式だからって、順番ってものがあるでしょ。」


「これだから田舎貴族は、」


「ちょっとあんたなんでここに座っているのよ。」


「ス・ス・・スイマセン、」


「三列目までは貴族席よ。徒歩組はその後でしょ。」


「ああ・・の、席が空いていなくて・・、」


「だったら立っていなさい。」


 そんな雑音にルナは意識を引き戻された。


「突然、侯爵家が再興されたって私達には関係ないのに、」


「そのせいで田舎者がこの教室にも増えるなんて、トバッチリってこの事ね。」


「いきなり30人よ。どこにそんなに貴族がいたのかしら、」


「でもね、」


「そうよね、」


「なんであなたの様な小作人がいるのよ。」


「・・・・」


「干し草の匂いも牛糞臭いのも嫌なのよ、」


「分かったらさっさと消えて、」


「・・・・・」


その時、始業の鐘がなり、教師が入って来た。


「おはよう、みんな席に着いてくれ。・・どうした、あー、セヨンだったかな、そこ・」


「すいません。席を換わります。」


そう言うとルナはスッと立ち上がりセヨンと呼ばれた女子生徒の横に歩み寄る。


「席を変わって頂いてよろしいかしら、」


「は、はい・・、」


「不躾だけど悪しからず。」


そう言うとルナはさっさと座ってしまった。


「・・みんな席に着いたかな。では、改めて私はこの2年生を担当するニール・ホーランだ。まずは出席を取ろう。名前を呼ばれたものは返事をして立つ事。みんなに顔を見せてくれ。男子から・・」


ルナは臨時の駐車場となっている校庭に並ぶ馬車を見ていた。


「・・・ピンニ。・・ルナ・リンポチエ・デ=ピンニ!」


「はい!」


「何を朝からぼーっとしている。」


「すいません。」


「大きなが声が出るなら初めから返事して欲しいのだが、」


「    」


「では次、」


教室中の視線を浴びしおらしく着席するルナをみて、隣りの少女は呟いた。


「一応、前地詞が付くのね、」と


・・・・・・・・・・・・・・・・・


 貴族学院の初日は入学式と明日からの諸説明で昼前には終わった。新入生の親たちが乗った豪華な馬車(キャリッジは既に帰ってしまっている。今は生徒の通学用の馬車が馬車道に溢れるように順番を待っていた。貴族学院の従僕が誘導して渋滞を捌いて行く。が、車寄せの(ポーチ)庇の下に入れるのは一台だけであるので乗り込むだけでも何某かの時間が掛かる。3年生は8人だけであり慣れた感じで馬車に乗り込み帰って行く。2年生の徒歩組はもう校門を出始めているが、ルナは2年生組の最後に並んでいた。ルナの前の2年生馬車組女子3人が何かおしゃべりをしていて、なかなか馬車に乗り込もうとしない。


「ねえ、ヴィリー。」


「はい。」


「ポーチを出て馬車道に止まっている私の馬車に乗り込んだらいけないかしら。」


「貴族の令嬢としては、些か問題があるかと、」


「貴族の令息なら?」


「やんちゃなオボッチャマなら在り得るかもしれません。」


「私がやったら?」


「じゃじゃ馬娘の評判が確実でしょう。」


「じゃじゃ馬のルナ・・って、ちょっとね。」


「はい。」


「もう少し、素敵な響きの二つ名がいいわ。」


「はい。」


「しかし、なぜあの人たちはさっさと帰らないのかしら?」


「   」


「まあいいわ。じゃじゃ馬で、ヴィリー行きましょう。」


ルナは馬車寄せ(ポーチ)の庇の下の順番を待つ列から外れるとみすぼらしくない程度の無紋の豪華な馬車(キャリッジに歩み寄り乗り込んでしまった。それを見たルナの後ろに並んでいた1年生男子の何人かが走り出した。馭者たちは互いに合図を送り、ルナの馬車に続いて順次鞭を入れていく。それを見た残りの1年生たちも自分の馬車に歩み寄り、あるいは駆け寄り馬車に乗り込んでいった。一旦動き始めた車列を無理やり押しとどめるような危険な事は従僕たちには出来ない。後にはポーチの庇の下に3台のキャリッジが残された。


「お迎えご苦労様。エンジェルのマリーさん。」


「恐れ入ります。」


「どうしたの?お顔が厳しい感じですよ。」


「         」


「ところで、明日もマリーさんが送り迎えをして頂けるのかしら?」


「はい。それにつきましては、明日からは馭者だけで十分だろうと思われますので、私はご一緒しない事になります。」


「そうですね。私もそう思います。それで相談ですけれど、明日からはこの豪華な2頭立て4輪箱型馬車(キャリッジ)でなく軽快なカブリオレか何ならバギーでもいいのですけど、」


「1頭立て2輪軽装馬車(バギー)は流石に貴族のご令嬢がお一人でお使いになるのは憚られます。まして、ヴィリーさんが馭者をするとしてもです。外聞というものがあります。」


「1頭立て2輪幌付馬車(カブリオレ)なら後ろに馭者がいるからそれでいいのでは?」


「ルナ様。暫くはこのキャリッジか2頭立て4輪箱型2人乗り短縮型馬車(クーペ)をお使い下さい。」


「どうして・・警護の関係かしら、」


「はい。それが1番の理由ですが、やはり貴族社会のしきたりに抗う事は大変な事ですので、出来ましたらしきたり通りにお過ごしください。」


「しきたりね~。それは何処にあるのかしら、」


「それについては貴族学院でおいおいと学ぶというのが建前です。」


「建前ね。建前があるという事は建後があるという事ですか?」


「はい。一般的には本音と言います。」


「本音と建前の関係はどういうものです?」


「本音は過去に立脚した今であり、建前は未来を見据えた今と言う関係です。」


「どちらも今を扱うが指向性が違うという事ですか、」


「はい。」


「では、12区貴族学院の本音、過去に基づいた今を教えて下さい。そして未来についても、」


「ルナ様、それは大変難しい問です。一軍人・・もとい単なる馬車屋の店員がお答えできる問題ではございません。」


「パイルー店長に聞けばいいかしら、」


「ルナ様。」


「なんでしょうか、ヴィリー・・」


「マリー支店長は軍大で学ばれた秀才とは言え、軍の立ち場つまり、今、目の前にある現実問題の解決については精通されておられます。また、パイルー店長は今を懸命に生き延びる庶民の成功例としての対処法は理解なさっていらっします。しかし、過去の様々な出来事が複雑に絡み育んだ今、現在の事と今よりもっと良い未来を目指すための多様な考えや行動を同時に語る事は今を懸命に生きる当事者であるお二方には難しゅうございます。」


「ではどうすればいいの?」


「それは、まさしくルナ様がご自分で見つけられるべき事だと存じます。」


「ヴィリー・・がそう言うなら、自分で答えを見つけたいと思います。」


「さあ、ルナ様。白い椿亭に到着しました。ルナ様には新しい現実が待っています。」


「パイルー店長が言っていたあれね。」


「はい。今日からはスカラリーメイドして解決すべき問題が待っています。」


・・・・・・・・・・・・・・

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