6 采采芣苢
皚皚たる白椿館の雪の中庭を見下ろすヴィリーの後ろ姿に、ルナは静かに待つ。
「昨晩、太皇太后陛下が崩御されました。わたくしにはルナ様の御胸のご様子をお察しする事も憚られますが、一度この道に入られたからには、一年360日、一日たりとも修練を怠る事は出来ません。」
そう言うとヴィリーはルナに向き直り、
「本日は聖曜日、休日です。朝食の後はこの部屋でお一人の時間をお過ごしください。わたくしは所用がございますので明日の朝、またお会いしましょう。今日はこれで終わります。よく精進なさいました。」
ルナは深く屈膝礼を行うと階下へと降りて行った。
ヴィリーは庭越しの朝日に染まる林の更なる向こうに向かって跪礼を執ると、祈りを捧げた。
雪が垂り落ち、梢が跳ね上がる。
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帝都の春、三月の庭には雪はすでに無く、陽気が重なり大地は春めいていた。ルナは洗濯物を漂白するための芝地の掃き掃除を言い付けられていたが何時しか物思いに耽っていた。
「嬢ちゃん、心ここにあらずだな。どうした。」
「アッ、ジョセフさん。おはようございます。」
「ああ、おはよう。」
「すいません。つい、ぼんやりとしていました。」
「仕事は一所懸命にしろ、と言われてもな、そんな時もあるさ。」
「・・・」
「心配事でもあるのなら話を聞こうか?他人に話すと心が落ち着くという事もある。」
「ありがとうございます。」
「なに、これも芝生の為、庭師の仕事のひとつだ。」
「は・・い。」
「今は、芝の根に空気を入れ、新しい土も入れたところだ。新芽が元気に育つようにいろいろ世話をしている。そんな芝に掛かった土やゴミなんかを掃き掃除するのも重要な仕事だが、大切な仕事を言い付けられたお嬢ちゃんが上の空では私がやり直さなきゃいけなくなる。だから、ちゃんと仕事が出来るように気を配るのも上の者の務めだ。そう気にせんでもいい。」
「すいません。」
「うむ。で、どうした。」
「・・・あの、じつは・・曾、ひいおばあちゃんが先月亡くなりました、」
「ほう、」
「とても、私の事を可愛がってくれた、大好きなおばーちゃんなので・・でももうずいぶんお歳だったから何となく覚悟はしていたんですが・・実際、知らせを受けても・・なんだかよく分からなくて・・」
「それは、お悔やみを言わないとな。ひいおばあちゃんと言うからにはだいぶお歳だったのかな。」
「もうすぐ95歳だとお聞きしたことがあります。」
「それは長寿な、大往生だろう。嬢ちゃんみたいな可愛いひ孫もいて思い残すこともなかったのではないかな。」
「はい・・だけどもっとお話しだけでもして差し上げてたらと心残りがあります。」
「まあ、それは残った者の問題だな。本人がどう云う思いがあったか、思い残すことがあったのかな。」
「おばあ様は常々思い残すことは無いが、できればわたくしの花嫁姿、幸せな様子を見てみたかったと申されていました。」
「そうだな、こんなかわいい孫娘・・ひ孫娘か、がいたらそう思うのは当たり前だろうが、本人もその辺はそう気にしておらんじゃろ、80も過ぎれば世の理に逆らえぬことを受け入れておられ様。」
「はい。その辺は・・ただ、私に託されたことも御座いますので・・それにお答えできるかが気がかりです。」
「ほう、託されたとは・・差し支えなければ聞かせてもらえるかな。」
「はい。それは・・十全に生きよと、」
「十全に・・これはまた・・おばあ様は立派な方だったのだな。」
「はい。」
「じょうちゃんの持っている箒には柄が何本あるかな?」
「?・・箒の柄ですか?」
「そうだ。」
「一本だけです。」
「そういう事さ。」
「・・・・」
「それじゃ私は行くよ。先輩たちに叱られないようちゃんと箒を掛けて下さいよ。」
「あっ、はい。」
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見習いセルヴィーズの大部屋に四人が集まって、短いひと時に話の花をさかせてる。
「ねぇ、先週からユニハウスにずとっと泊っている人たちがいるわね。」とテテ。
「そうそう、帝丘の学院の方たちが10人程いらっしゃるわね。」とアンジェリカ。
「そう言えばあの二人も一緒よね。」とユージーニア。
「あの二人?」とルナ。
「そうね。去年私達がここに配属された頃、丁度足繁く通っていたお若い二人連れがあったのよ。」
「店長狙いでね。」
「でも、冬になったら見なくなったわね。」
「いろいろ噂が飛んだけど、真相は分からなかったみたい。」
「だって店長が何もおっしゃらないから、」
「そうなんだ。それでそのお若い紳士がユニハウス?にまた、いらしたの?」
「ルナは知らないだろうから教えるけど、ユニハウスはこの白い椿亭の屋敷の後ろ3分の1程を蚕棚に作り変えた宿泊施設なの、」
「そこは帝丘の学院生が安く泊まれるのよ。」
「食事付きでね。」
「私たちの賄いより質素な食事だけど、」
「そこに噂の紳士がお泊りという事は皆さん学院生なのかしら?」
「多分そうじゃない、」
「私達には関係ないけど、」
「そうなの、でもどうしてユニハウスっていうのかしら、椿ハウスなら分かるけど、」
「なんでもここのオーナー代理の知り合いだかお友達だかの帝丘の学院の偉い先生が学院生の為に買い取ったらしいの、」
「えっ、そうなの私が聞いたのはお城のメイドの語学の教師先生の上司が学院生の帝都の寮にしようとしたら、ここのオーナーの横やりが入って資金力があるオーナーに押し込められた形で後ろに追いやられたって、だからオーナー代理とは犬猿の仲だってうわさよ。」
「へぇ~そうなの、」
「ユージーニア、テテの話だから話半分の半分ぐらいで聞いておいた方がいいわよ。」
「あら、ギャルソンや先輩セルヴィーズやコック長がひそひそ話ししているのを聞いたんだから。」
「そんな盗み聞ぎみたいな話はやっぱり半分の半分でもどうだか、」
「そうね。ところでルナは何か知らない。ユニハウスの人達って毎日裏の馬車屋さんの方に行くでしょ。ランドリーの方で噂になっていない?」
「う~ん、特に噂と言うようなことは無いけど。そうね、毎日洗濯物を預かるみたいだけど、係りの人が何でこうも毎日、泥だらけだったり切り裂きや焦げ穴があるのかね。いったい何してるのかね。と、言っていたわ。」
「馬車の仕事に焦げあとが出来るようなことがあったっけ?」
「馬具の修理とか焼き印とか無いことは無いけどそんなにしょっちゅうと言うのもね。それに学院の学生さんて馬車屋になったりするのかな?」
「う~ん、分んない。大抵偉い学者さまになるのかと思っていたけど、」
「パイルー店長にちょっかい出したり泥だらけになったり学生さんっていろいろ忙しいのね。」
「ハハハハハ、とに角私達には関係無さそうね。明日も早いからこの辺でお休みなさい。」
「「「お休み」」」
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ランドリー建屋に通うようになってひと月半が過ぎた。ルナは朝の6時過ぎには白い椿亭を出て建屋に住み込みのランドリーメイドの手伝いをし、今日の仕事の準備をしながら自分達で用意した朝食を摂る。8時にはランドリー長の朝の訓示終わりと同時に仕事に追い回される。ルナは今日の通いの洗濯女の人数を確認し厨房から派遣されるキッチンメイドに賄い中食の人数を報告する。部門長に予定や用事を確認し、一連の朝の決まり仕事を終え、今日の言いつけられた仕事にとりかかろうとしたやさき、直属の上役に当たるランドリーメイド見習いのイネスが走り寄って来て囁いた。
「ルナあんた何やったのよ。店長がお呼びだってソーニャさんが、あんたの仕事をやらなきゃいけない私の身にもなってよね。」
「あの、今すぐでしょうか?」
「すぐヨ。店長の呼び出しよ、すぐに決まっているでしょ、走って行きなさい。被り物は取ってね。」
ルナはヘッドカチーフを取りながら走り始めた。
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三月十八日は第三聖曜日。
春分もまじかになり、卯の上刻の空はすでに薄暮である。ヴィリーに見てもらいながらルナは五業歩を稽古する。木歩、火歩、土歩、金歩、水歩と繰り返す。
「ルナ様。」とヴィリー。
「はい。」
「五業歩は取り敢えずは一人稽古が出来るようになられたと言えるでしょう。」
「はい。」
「暫くはこれを、身体的にも心情的にも合理的にも深く理解し体得してください。」
「はい。」
「15日は太皇太后様の葬送の儀に参加されてどのような感想を持たれましたか。」
「はい。大好きなおばあ様にきちんとお別れを告げる事が出来ました事は大変な僥倖でした。」
「それは何よりです。」
「あの、それで・・満月の下で行われた鎧蹴の試合は・・なんだったのでしょうか。」
「あれは、太皇太后様の贈り物です。」
「おばあ様の贈り物ですか。」
「そうです。ルナ様。」
「はい。」
「ルナ様の時代は魔術の時代であるという宣言でもあります。」
「はい。」
「何れそのことについてはご教授する事になります。ですが、今は元の本、基礎の基礎たる体づくりとその運用つまりは五業歩の習得に精進ください。」
「はい。」
「今日は聖曜日。ルナ様はこの部屋で一日お過ごしください。私は所用がありますので暫く留守に致します。」
「はい。」
「明日から暫くはひとりで修行と生業にお励み下さい。」
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聖曜日は早くお店が閉まるのでおしゃべりの時間が持てる。四人は大部屋に集まりいつものように姦しい。
「・・・ルナ、何だか眠そうね。」とアンジェリカ。
「お休みで遊び過ぎたんじゃい?」とテテ。
「何か飲み物でも持ってこようか?」とユージーリア。
「ありがとう。でも大丈夫。ちょっと今週はいろいろあって疲れたのかな?」
「ランドリーのお仕事大変なの?」
「大変と言えば大変だけど相変わらずよ。」
「そう、」
「洗濯と言っても生地や織や染や仕立て具合でやり方がいろいろあって、とても直ぐには覚えきれないわ。」
「それはセルヴィーズの仕事も同じよ。」
「そうよ。シルバー磨きやお掃除だけやっていればいいっていう訳じゃ無いものね。」
「この間、店長のお供でオーナーのお屋敷に行ったの、」
「えッ、あ~、土の曜日ね。何があったの?」
「まあ、オーナーのあばあ様のお葬式に参列しただけなのだけど。」
「なんかいじわるされた!」
「それは無いは、ただ、来月から私の本業が始まるのでそれについてのあれこれよ。」
「本業ってセルヴィーズに戻ってくるの?」
「違うわよ。」
「じゃ何?」
「お嬢様よ。このお屋敷から貴族学院に通うから、恥ずかしくないようにと。」
「あ~、ルナはお嬢様だったわね。すっかり忘れてた。」
「ありがと。嬉しいわ。私も忘れてたから、」
「それで、どうなるの?」
「うん。ランドリー長に従って残りの日々で見るべきものはすべて見て於きなさいって、」
「店長が?」
「そう。」
「それからは?」
「四月になれば貴族院に通ってお貴族様になれるように練習ですって、」
「お貴族様にはどうやってなるの?」
「16歳の新年のパーティで社交界にデビューするのが目標だって、」
「デビューって何するの?」
「それはね。ロクでもない貴族のボンボンとダンスをしなきゃいけないのよ。」
「素敵!」
「どうだか?」
「ルナはダンスは出来るの?」
「ぜんぜん。」
「どうするの?」
「店長は2年もあればどうにかなりますって、」
「猛特訓ね。」
「うへ。」
「キレイなドレスを着て踊るか~、王子様と。」
「王子なんてたいしたことないわよ。」
「あら、ルナは王子様に何か思う所があるの?」
「そういう訳じゃ無いけど、ドレスはそれはそれで素敵だろうけど、私は此処のセルヴィーズの制服もランドリーメイドのエプロンも好きなんだけど、」
「だけど、ルナの本業はお嬢様でしょ。」
「う~ん、仕方ないけどそうなのよね。」
「じゃぁー、頑張って本業に精を出すしかないでしょ。」
「分かってはいるけどね~」
「何か未練でもあるの、」
「大ありよ。」
「どうして?」
「まだ、自分に向いている仕事が何だか分からないし、本当にすべきことが何なのか分からにのに、社交界にデビューって、他にやるべきことがあるでしょ。」
「社交界にデビューって何のためにするの?」
「ユージーリア、いくら何でも。それはあれでしょ。」
「あれって?」
「それは結婚相手を見つけるためよ。」
「結婚って、そうよね。お貴族様は領地の事とかいろいろあってどこの家と姻戚関係になるかは大問題よね。ルナは・・、」
「某伯爵家の庶子です。訳アリなのでたぶん誰も踊ってくれないかな。」
「あ~、ルナは売れ残り決定なのね。」
「ユージーリア!!」
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