ルナの夏休み2
大岩村林道に入ってからは荷馬車と同じ旅程で進んでいるが、グリーン商会の二頭立ての旅行用馬車はそれなりに脚が早い。時々馬車を林道脇に止めてはブライスとルナを馬車に残し、ヴィリー、マリー、カレブの三人がどこかに消える。時々マリーやカレブがウサギや山鳥などの獲物を持って帰って来た。そんな大岩村林道の四泊五日の旅も終わり、23日の夕方やっと大岩村の村役場に付いた。
「ルナ様、良くいらっしゃいました。」とクリスが迎え、
「クリス様、お世話になります。」とルナが答えた。
「ひと休みされたら明日からの事についてお話しします。今日の処はこの旅館にお泊り下さい。」
と村役場の隣の古い旅館にクリス自ら案内した。
・・・・
「ルナ様、お食事の時間です。」とヴィリーがドアをノックする。
ハッと飛び起き自分が何処にいるのかを思い出す。湯浴みをもらい、旅の中で出来なかった手洗い物などを片付けたらほっとして、転寝をしていたようだ。初めての長旅の疲れが出たのだろう。
「今行きます。」と返事をし、身なりを整え、町娘が着るようなドレスに身を包むと食堂へと降りて行った。
・・・
「それでは、マリー支店長は一週間程、調査をしてから帰られるという事ですね。」
「はい、クリス殿。ここへの道すがら林道の状態と周辺の様子は見てまいりましたが、もう少し集落の様子なども見てみたいと思います。その後はローズマリー軍曹の報告書と合わせて中間報告として本店の方に上げようと思います。」
「分かりました。グリーン商会のご協力には感謝いたします。後は、ルナ様の予定ですが、ルナ様は何かご要望はございますか。」
「・・あの、私の事はヴィリー師匠に任せてありますので・・・、」
「ヴィリー。ヴィリーはヴィリーで例年通り動く予定ですね。」
「はい姫様。ラフォスと共にギリギリまで山に入りたいと思います。」
「では、ルナ様の事は手紙で知ららせてきた通り、私の方でお世話申しあげるという事でいいのですね。」
「はい。姫様の薫陶をよろしくお願いいたします。」
「ヴィリーにそう言われても、私にはこれと言って他人に誇れるものが無いのですが、ではサング退役准尉殿のお力をお借りして、暫くご一緒に生活させて頂こうと思います。よろしいですねヴィリー。」
「はい。姫様、サング様、よろしくお願いいたします。」
とヴィリーは立ち上がり礼をした。
「では、ルナ様。明日から私の下で起居してもらいます。どうぞよろしく。」
「はい。こちらこそよろしくお願い致します。」
と、挨拶を済ませ、夕食会は解散となった。
・・・・
寅の正刻4時前には、昨夜ヴィリーが持ってきてくれた軍の作業服に似た服に着替えたルナが、古い練兵館に居た。
クリスが南面座すその、前の床には既に10人程が座っていた。クリスが無言で指し示すその先には、座布が置かれている。ルナは一礼し、無言でそこに座ると少し体を揺らし端座を決める。それを待っていたかのようにクリスが鈴を一つ鳴らし、鈴の余韻とともに全員が瞑想に入って行く。
一つ鈴がなり、聖音がゆっくりと三唱され、瞑想から戻る。クリスの声が練兵館に響く、
「10分後、呼吸法を行う。それまで各自で準備を」
何人かが席を立ち外へ出る。手水にでも向かったのだろうか。入り口の横の壁には柄杓とコップが食机の上に置かれ、横の水瓶から水が飲めるようになっていた。二人、一人と水を飲んでいる。ルナは自席に立ち上がり体を揺らし屈伸をして体を整えた。
クリスが鈴を短く二つならす。全員が端座するを待って鈴を一つ鳴らし長い余韻が消え入るのを待つ。静かに呼吸法の名前が発せられ、全員で呼吸法を行う。十種程、呼吸法を行うとクリスが、
「10分後、審・アーサナを行う。」と言明する。
ルナは水を一杯飲むと自席に戻りクリスの様子を窺う。クリスは変わらず端座していた。東の明り取りから差し込んだ篠の目の余光がクリスの髪に当たる。今ではマリーチブルーと言われるやや緑がかった青い髪を徐々に鮮やかにしていく。
予鈴が短く二つなる。全員が所定の位置に付く。長く一つ鈴が鳴ると、各自が審アーサナを実行して行った。気が付くとクリスがルナの目の前に立っていた。
「ルナよ。これを使いなさい。」
クリスが長い棒を手渡して来た。
「六尺棒です。ここに居る間はこれを探求します。」
「はい。」
と小さく一つ頷くとルナは両手で六尺棒を受け取った。それを合図の様に他の者も練兵館一杯に拡がり壁に立て掛けてあった六尺棒を取ると各自六尺棒を使った審アーサナを始めた。ルナは初めは戸惑ったが、ピスタが見せてくれた「棒の手」を思い出しながら棒を操る事にした。クリスはその様子を見届けると全体を観る為か、ルナの前から移動して行った。どれぐらいだろうか、ルナが六尺棒の操作に没頭していると、クリスの声が聞こえた。
「10分後、外で棒術の稽古をする。」
・・・・・
「それまで、これにて朝練を終わる。巳の正刻10時に朝食。それまで各自の役割を果たせ。」
「「「ありがとうございました。」」」
ルナはへたり込んでしまった。一時程の、野天での稽古についていけなかった。息が上がり掌が痛かった。その場に座り込んだルナの前に二人の人影が立った。
「クレマ上等兵、新人の面倒を見よ。」
「イエッサー」
何だろうかと顔を上げるとそこには見知った顔があった。
「クレマさん‥何でこんな所に?」
「上等兵訓練よ。それより一息ついたら着替えましょう。貴重な時間を無駄にできないわ。」
そう言うとルナの腕を取って立たせ、
「あなたの部屋は今日から私たちと一緒よ。荷物はヴィリーが運んでおいてくれたから、」
「師匠は・・ヴィリーはどこに?」
「ヴィリーは山に入ったわ。たぶんギリギリまで出てこないわね。」
「ギリギリとは?」
「う~ん早くて一月後かな、」
「・・・・」
「まっ、元気出して・・まずは洗濯物を出して頂だい、それから汗を拭いて着替えましょ。一人で出来る?」
・・・・・
大岩の西の端にある森に入る小径までの土地に、森や大岩と村の明地との境界を示すように30メート程、山査子の枝を曲げてつないだ生垣があった。その前に仮小屋が二棟あり、その一つにルナは連れていかれ、二人掛で着替えさせられると、今度は明地の向こうの旅館に連れて行かれた。
「洗濯に使える井戸がここにしかなくて、面倒だけどそういうものだと思ってしっかりとやって行きましょ。」
「・・・・」
「洗濯物は溜めると面倒だから出来る時にこまめにね。」
と、洗濯桶と洗濯板を渡され三人で洗濯を始めた。どうにか洗濯物干し場に今日の洗濯ものを干すとクレマはルナをその辺の石段に座らせ、
「先ずは紹介するわね。こちらは今は私の上官のローズマリー軍曹。ここに居る間は軍曹の直接の指示に従う事。帝国軍士官候補生のクレマ上等兵よ。よろしくね。」
「あの、クレマさんは兵隊さんになられたのですか?」
「そうよ、帝国軍経理学校に今年の4月に入ったんだけど、私は帝国学院学術課程卒業だから士官候補生扱いになるの、でもって、2年間の経理学校在学中に上等兵訓練と下士官訓練を終えなきゃいけなくて、大抵は何処かの連隊に配属されて訓練を受けるんだけど私はソシ大佐の大隊で実戦経験ありと言う事で何かと融通が利くリボン独立旅団に配属してもらって今はここで上等兵訓練中よ。」
「・・あの軍隊の事は分からないのですが、オルレア姉さまのご学友でしたわね。」
「そうよ、同窓生にして侍女をしてたわ。」
「それではオルレア姉さまも軍隊に?」
「オルレアは教会神司兼皇太子の婚約者のママよ。」
「そうですよね。帝都の教会においでですよね。」
「オルレアは帝都でなく大岩村の近くのお山で修行中よ。」
「この村の近くですか?」
「と言ってもここからは遠いわ。この大岩村は林道に沿って家々が点在するから、端から端までがやたらと距離があるのよね。まあ、帰りに連れて行ってあげるから期待してて、」
「オルレア姉さまに会えるのですか?」
「そうね。クリスの判断に依るけど、ここでの訓練でそれなりの成長が認められれば許しが出ると思うけど。」
「頑張ればお会いできるという事ですね。」
「そうよ。ローズマリー軍曹の地獄の訓練に耐えられればと言う事かしら、どうかしらローズマリー姐さん?」
「大尉殿、無茶ぶりは勘弁してください。」
「今は上等兵よ」
「そうでした。」
「それじゃ~そろそろ食堂に行きましょうか。ちゃんと食べないとやってけないからね。」
・・・・
食堂のテーブルには、揃いのお仕着せを来た五人の男女の少年と一組の軍人と男装のクリスと町娘姿のルナが座った。宿の女将を中心とした村の主婦たちが食事の用意をしてくれていた。
「それでは今日の命の糧を頂きましょう。」
とクリスの唱導で食事が始まった。少年たちは元気に平らげていく。軍人達も静に食を進める。一人ルナだけが遅れていた。
「ちゃんと食べなさい、昼からもたなくなるわよ。」とクレマが世話を焼いてくれたのでなんとか食事を終える事が出来た。みんなが食べ終わるのを待ってお茶になりクリスが話始める。
「・・・・それからロック城衛士隊の五人は昨日の続きを行う事。上等兵訓練隊はローズマリー軍曹の指示に従ってください。ルナ様はここの女将の指示に従って下さい。サング准尉殿はマリー支店長と私と執務室で会議と言う事になります。それでは解散。夕食の時にまた会いましょう。」
そう言ってクリスは立ち上がり部屋を出て行った。少年たちがそれに続いて出て行く。後には兵隊さんとルナが残った。ローズマリー軍曹が立ち上がり、
「11時から教練を行う第二戦闘服で集合の事、では解散。」
・・・・
クレマがルナの横に来て坐る。
「パイルー店長からスカラリーメイドの手伝いをしていると聞いてるけど、料理とか興味あるの?」
「わたくしですか?」
「他に誰がいるの?」
「そうですね。店長に言われて皿洗いをしてますが、ヴィリーやウヅキコック長の影響もあって美味しいものや料理には興味はあります。」
「そうね。それは良かった。いくら何でもルナちゃんに軍人の訓練をさせるわけにもいかないと思っていたんだけれど、ヴィリーがここの食堂で女将の手伝いをさせたいというのね。それもいいかと女将の了解は取ってあるわ。外で働いてる男衆の飯づくりの手伝いだと思うけどやってみる?嫌ならクリスに頼んで今からでも他の仕事を探してもらうけど、」
「いえ、師匠の意見に従います。それに私自身、料理をしてみたいと思っていました。」
「それじゃそう言う事で、女将には包丁も握ったこともないとは言ってあるけど、何か手伝はさせてもらえると思うわ。」
「ありがとうございます。」
「それじゃ、ここで休んでなさい。11時になったら女将から声がかかるから。それじゃ軍曹、そろそろ私達も行こうかしら、」
「イエス、マム」
「それはよしてよ。今は私がイエッサーと言う立場なんだから、」
「そうでした。今は上等兵殿でした。」
・・・・・
食堂にポツンと一人佇んでいると、
「あんたかい、ルナと言うお嬢様は、」
「・・はい、」
「ちょっと声が小さいよ。領主さま代理のクリス様が親戚のお嬢様を夏の間預かったので村の生活を見せてやってくれと頼まれたんで、しょうがなく面倒見るけど、包丁も握ったことが無いんだって‥どうしようかね。」
「…あの・・、」
「何だい、あたしゃ此処の旅館を預かっている身だ。一応、女将だけどみんなはおかみさんと呼んでいるよ。あんたもそれでいいから・・・そうだね、あんたルナって言ったね、何ができるんだい。」
「お皿洗いは得意です。掃除や洗濯も一応できます。」
「そうかい。お嬢様って聞いていたからね、そんなお姫さまみたいなドレスを着ているから、田舎暮らしに興味を持ったなんにもできない貴族様かと思ったよ。」
「一応お屋敷ではメイド見習いをしていました。まだ下働きでちゃんとした仕事は出来ないんですけど。」
「そうかい、ところで幾つだい。」
「歳ですか?」
「そうだ、他に何があるんだい。」
「14歳です。学校に通っています。2年生です。」
「高等小学校を出て学校に通わせてもらえるとは取り敢えず、お嬢様だね。それが何でメイド見習いなんかやっているんだい。」
「それが突然今年から・・・そう言う事になりまして・・・、」
「分かった。いろいろあんだろう・・つらい身の上に見かねたクリス様が夏休みの間だけでもお屋敷奉公から抜け出させてやろうッて云う事かね。詳しくは聞かないよ。ここではおてんば娘の躾を直してくれ、鍛え直してくれと、親戚から頼まれたクリス様があたしにあんたを押し付けたって事にしとくか。口やかまし女子衆に聞かれたらそう言う事にしとくんだよ。軍隊みたいな衛士組と寝起きさせて棒振りなんかもさせているしね。昼は厨房の仕事を仕込むか。あたしの仕込みは厳しいからね覚悟しときよ・・クリス様もなかなか考えたね。ああ、包丁が使えるようになれば少しは辛い下働きからは抜け出せるか。・・分かった、あたしが直接仕込んでやるよ。取り敢えず今はこの食堂の掃除と中食の準備だ。と言っても今日は聖曜日だ。男衆は仕事は休みだからって食堂も休むッてな訳にはいかいからね~。いつもみたいに殺気立ってやしないから、ゆっくりテーブルを拭いて食器の準備だよ。今日は聖曜日だからお茶の準備は要らないから夕食まではたっぷりと時間があるね。よし、テーブルの拭き方はわかるかい、やって見な・・・それだけできれば十分だ。それが終わったら厨房に来な、次の仕事を教えるから。」
いうだけ言うと女将は食堂から厨房に行ってしまった。ルナは早速、テーブル拭きを始めた。