ルナの夏休み1
アガパンサスの花が揺れている。
7月2日火の曜日。白い椿亭の門は閉じられたままで、門扉には「臨時休業」の札が掛けられていた。午前は本来は定休日であった昨日、木の曜日の替わりと言う意味合いでほとんどの者が休んでいたが、午後は白い椿亭の館の者たちだけでパイルー店長の騎士爵授爵の内々のお祝い会をしようと従業員たちがいろいろと動き出していた。メインは夕食会だが、午後のお茶の時間に合わせてお茶の点て出しがルナを中心に見習いセルヴィーズ達によって行われていた。ほとんどの者が立礼卓によるお茶の作法は初めてであったが、その物珍しさ以上に、パイルー店長のお茶に対する技量もちろん、今回の一連の問題に対する対応について、店長としての能力のすばらしさをその美貌も含めてお茶を頂きながら囁き合っていた。
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「ルナ様、遅くなってごめんなさい。」
と、セヨン、ディジー、ピスタの3人が、手伝いに駆け付けてくれた。白い椿亭のすべての従業員が二階席の立礼卓の湯釜からのお茶と厨房から届けられた揚げ菓子や焼き菓子をもらい、この騒動の発端となったルナ達の「お茶のお稽古」を見聞した。
「イネスねえさん、どうぞ。」
と、ルナが直接、お茶を手渡す。
「ホントにお嬢様だったんだんだね。」
「そいう事になっちゃいました。」
「今はお嬢様で忙しいんだ。」
「う~ん、お嬢様もいろいろ忙しいですけど、スカラリーメイドもやっているんですよ。この二人は仕事仲間のメリナとゾーイ。メリナ、ゾーイこちらはランドリーメイドのイネスさんよ。」
ちょうど近くにいたスカラリーメイドを紹介した。ちょこんとお辞儀をする様子を見て、ランドリーメイドの先輩は、
「あんたも偉くなったわね~。」
「そうでもないですよ。厨房ではこの3人で下っ端見習いをやっているんですよ。私はお嬢様だけどねえさんのお陰で、この二人の大変さは良く理解できるんで3人で励まし合ってやっています。」
「なんだか・・・その、私もお嬢様のお役に立てたってことだね。」
「はい感謝してます。どうぞゆっくりして行って下さい。」
と言って一礼するとルナは湯釜の方へと戻って行った。
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夜のパーティーの準備にと皆が階下に降りて行ったのを頃合いとみて、お茶席を片付けながらルナはセヨン達とおしゃべりをする。
「夕食、食べて行ってくれればいいのに」と、ルナ。
「門限があるから、これを片付けたら帰るわね」と、セヨン。
「ちょっと残念だけど、寮の方がちょっとごたごたしてて」と、ディジー。
「またの機会を楽しみにします。」とピスタ。
「ごたごたしてるって?」
「え~、夏休みの事でちょっと、」
「あ~、夏休みね。みんなは実家へ帰るの?」
「いいえ、全員実家に帰りません‥というより帰れません。」
「全員?どうして、」
「・・その~あの~、私たちは実家に帰る旅費が無いんです。」
「・・・・そう‥か・・、」
「それで、寮母さん達も夏休みを取るに取れなくなって・・」
「それはちょっと問題ね。」
「それで、どうしたものかとみんなで話し合いをしているんです。」
「なんとかなりそうなの?」
「昨日、アラスター支店長が相談に乗って下さり、お知恵をお借り出来そうなんですが、その話合いが今晩あって折角のお誘いなんですけど、残念です。」
「いい解決策があるといいわね。」
「ルナ様は夏休みはどうするんですか?」
「私は、パイルー師傳の命令で山の奥に行くことになりました。」
「山の奥で何するの?」
「え~と、その…お嬢様としては少し経験が足りないというか‥その、行儀見習いな事が必要と言う事で、親戚に預けられることになったの‥、」
「それは何だか大変そうですね。せっかく帝都にいるのだからもっと帝都風な素敵なお嬢様の練習をするばいいのに、」
「そうよ。せっかくだからお姫様の練習でも出来ないの?パイルー師傳はお城にいらしたんでしょ?」
「え~と、私はお城みたいな、人が多いとこは苦手で‥、」
「そうなの?そう言えば学院でも他の貴族令嬢とはあまりお話しにならないですね。」
「そっそうなの。どうも貴族は苦手で、」
「それで山の中でゆっくりとお嬢様の練習か、」
「ゆっくりとお嬢様らしくなって来るわ。」
「ここしばらくは慌ただしかったですものね。」
「でもルナ様、その前にもっと大変な事が・・・」
「?」
「期末試験ですよ、ルナ様。」
「アッ!」
「もしかして忘れてました?来週ですよ。」
「・・・・」
「ルナ様。とに斯く、がんばりましょ。」
「そうね。午後の諸芸の時間の試験が無いのは助かるわ。」
「座学の教科はそれなりに何とかなりそうですか?」
「一応、準備はして来たから、ノートを見直すだけだけど、」
「そうですね。イジワルナ問題が出ないことを祈ります。」
「とに角頑張りましょ!」
「「「はい!」」」
・・・・・・・・・・・・・・
森の中の野営地の焚火台の火の面倒を見ながらルナはこのひと月程をふり返っていた。
昨日15日の終了式を終えて、慌ただしくセヨン達と暫しの別れの挨拶を交わし、今朝、日の出前にグリーン商会の馬車に乗り込み今は一日目の野営の夜の見張り番を森の中でしている。綺麗な灰になるように小枝で火の回りの悪い枯れ枝をせせりながら、相い番のブライスと言う男に語り掛けた。
「・・・ブライスさんは・・マリー・エンジェルさんの部下?なのですか、」
「部下と言われますと・・グリーン商会の従業員ですので、マリー支店長の部下と言う事になりますかね。」
「そう、今回は私を大岩村に届けるのがお仕事かしら?」
「それもありますが、大岩村でマリー支店長の仕事をお手伝いするとも聞いております。」
「どんなお仕事なんですか?」
「それは支店長にお聞きください。」
「そうですね。ところで私のような小娘と夜番などはつまらないでしょう・・」
「いえ、これも仕事ですので、つまらないなどと言う事はありません。」
「正直な方ですね。」
「ありがとうございます。」
「あ~そうだ。セヨン達の事どうもありがとうございました。」
「はあ?」
「ブライスさんの後押しで三人が夏休みの間グリーン商会で住み込みで働けることになって、三人とも大喜びしていましたよ。」
「あれはバルーム商会の支店長がちゅうい・・マリー支店長に注進されたからです。」
「ちゅーしん、なんて、大げさですね。」
「失礼しました。」
「いえ、お陰で寮生の2年と1年全員がアラスター支店長やマリー支店長のお口添えで夏休みを安心して暮らせるようになったと、これもブライスさんがセヨン達三人をグリーン商会で雇えないかと、おしゃっていただいたお陰だと聞いております。」
「じぶんはただ・・ディジーさんのハクダやピスタさんの棒の手術に興味があっただけで、決して他意はありません。」
「フフフ、私みたいな小娘相手に随分畏まった物言いですね。まるで軍人さんみたいですよ。」
「自分は、いち馬車屋の従業員であって、決して軍人などではありません。」
「そうですね。そう言う事なら明日は私に馬車の事を教えて頂けないかしら?」
「それは・・自分の一存では何とも申し上げられません。明日、ちゅうい・・して支店長殿にお聞きください。」
「分かりました。ちゅーいしてマリーさんに聞いて見ます。」
そこへ
「お嬢さん、そろそろ私と交代の時間ですよ。」
と鳶色ベレー帽を被った男が声を掛けてきた。
「あら、もうそんな時間?では、カレブさん交代よろしくおねがいします。ブライスさんお休みなさい。」
そう言うと、ルナはテントの中に入って行った。中にはヴィリーが待っていた。
・・・・・
「ルナ様初めての見張り番はどうでしたか。」
「見張りといっても、焚火の面倒を見ているだけでした。」
「野営では焚火は大切です。野獣除けに程よい火影を作りこちらの存在を知らせるのが大切な役目です。」
「そうなんですか?てっきりお湯を切らさないためかと思っていました。」
「もちろんお湯は疲れた体を休めてくれますし、火種を絶やさずにいるのも大切な役目です。それに今は夏ですからそれ程でもないですが、冬の旅や砂漠の夜は暖を取るため大切な意味を持ちます。」
「獣は火を怖がるから火は大切ですね。」
「ルナ様。獣は火事のような大火は別にして、それほど火を怖がりません。」
「そうなんですか。」
「そうです。火の後ろにいる人が怖いのです。ですから火を焚いて人がいる事を知らせて、不用意に近づきすぎないようにと注意を与えているのです。それでも襲ってくるときは襲ってきますが。」
「分かりました。焚火番も大切な仕事だと心得ました。」
「では、お休みください。明日も七つ立ちです。」
「はい。おやすみなさい。」
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夏至を過ぎたばかりの十六夜だと言っても、七つ立ちの旅である。馬を人も疲れ切る前に休むことが肝心である。酉の初刻17時には馬車を止め野営の準備に入り馬の世話をし、酉の正刻には夕食を取り戌の正刻19時からは交代で休んでいる。ルナは初めの二時間を緑ベレー帽のブライスと共に見張りについた。そして二時間で鳶色ベレー帽のカレブと交代した。
「ブライス、お嬢様はどうだった。」
「火の番をしてもらったが、なかなか手慣れたものだったよ。」
「貴族の娘なのにか、」
「なんでも、伯爵家の娘になったのは今年からで、それも見たこともない父親が突然死んだせいで、突然白い椿亭にあずけられ、訳も分からないうちにパイルー店長の命令で釜炊きをやらされてたらしい。」
「厨房でか?」
「いや、椿館のランドリー建屋でだとさ、」
「ほう、するとうちの連中の洗濯物でも洗っていたか、」
「いや、ランドリーで使う大量のお湯を沸かせるようになったところで、貴族学院が始まってそれ以来お嬢さまのお稽古だという事だ。」
「しかし、うちの隊長じゃない支店長が、直々に護衛の指揮を執るとは、どこのお貴族様だ。」
「ピンニ伯爵家と言っていたが・・それよりも黄色い悪魔からの直接命令とかで隊長じゃない支店長の気合が入っている。」
「黄色い悪魔か、っていう事は大佐の所管か、」
「そうだ。この商会を立ち上げたのも大佐からの特殊任務の為だろ。カレブ、鳶色の方で何か聞いていないのか?」
「いや、俺もこう見えて鳶色じゃ新人みたいなもんだ。地方の城塞都市暮らしをしていたのなら帝都でも大丈夫だろうと回されて来たんだ。黄色い悪魔の噂はいろいろ聞かされたが・・これは深入りしない方がよさそうだな。」
「ああ、触らぬ神に祟りなしだ。」
「それを言うなら触らぬ悪魔だろう、」
「違いない、」
「ブライス、火の番をしていろ、ちょっと周辺を見て来る。」
「それじゃ頼む。気をぬくなよ。」
「寝るなよ。」
「心配するな、リボン砦に転籍する前は前線に居たんだ。野営には慣れてる。」
その声に手を上げてカレブは闇の中に溶けるように消えて行った。
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火の番をするカレブの前にグリーン商会の押し着せを着たマリーが緑ベレー帽を被り直しながら座った。
「特に異常は無かったわ。この森は平穏ね。」
「ええ、報告書に去年は盗賊モドキが出たとありましたが大丈夫そうですね隊長。」
「支店長と呼べと言ってるでしょ、」
「はぁ、ちょっと慣れないもので、」
「リボン砦はどうだった。」
「そうですね。第4中隊は新規採用の鳶色の教育訓練に明け暮れていたので、リボン砦はどうだったと聞かれても良く分かんないですね。」
「そうか。ならば・・第四中隊はどうだった?」
「リボン独立旅団第四大隊第四中隊と言っても第1小隊、第2小隊は流石ですが、第3、第4小隊はこれからといったところですね。」
「ま~ね、リボン独立旅団自体が建設中と言った感じだし、ましてや第四大隊は雑多な寄せ集めな感じでしょ。」
「そう言う印象は否めませんね。騎兵に弓兵に急襲部隊や猟犬部隊とかいろいろあり過ぎな気もしますが、ところで中尉は緑ベレーの生え抜きだとか、それがどうして馬車屋の支店長なんですか。」
「特務だからね。全ては言えないけど、今回は大岩村の調査が主な目的かな。」
「そう聞いていますが、」
「鳶色の能力を期待してるから頑張って下さいね。」
「イエス、マム」
「もうよしてよ。一応、民間業者なんだからそれらしくお願いします。」
「了解です。」
「それから、村に上がったらクレマ大尉がいるはずだから気を付けてね。イエス、マム。と呼ばれと怒り出すかも、」
「噂の黄色い悪魔ですか?」
「一応、人間なんだけど‥いい人よ。」
その時、テントの入り口が揺れたかと思うと、ルナお嬢様のお付きのメイドが出てきた。
「タイチョウでなく支店長。あんな子供に見張りをさせるんですか?大丈夫ですかね、」
「何言ってんの、・・・ヴィリーおはよう。」
「おはようございます。マリー様。カレブ様、交代いたします。」
「はい。メイドさんも見張りに立つとは思っていませんでした。」
「旅の空ですから、どうかお気になさらず。」
「そう言う事なら後は支店長と女同士仲良くやってください。」
そう言ってカレブは馬車の中に入って行った。それを見届けて、マリーがメイドに正対すると
「よろしくお願いします。」と敬礼した。
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