16 真夏の夜のマジック
直会の晩餐の用意が整うまで、ウイステリアは母親を店外のデッキに案内し、庭を眺めるように座った。ノダ伯爵夫人が自分の侍女に問う。
「プリシラ、先ほどサイドテーブルを拝見していましたね。あなたは新しい騎士爵をどう見ました?」
プリシラ・ケンプフェルトは長い睫毛を伏せ、暫し思案する。
「浅学のこの身をお許しください、伯爵夫人。」
「そう・・まあいいわ。それよりどうなの、」
「はい。帝国王室のお茶の奥深さを拝見させていただきました。」
「どういう事、」
「はい。お茶の味は奥様もお召し上がりの通り、稽古のお茶としては妥当な茶葉を使った癖のないものでした。取り合わせのケーキも流石に喫茶店と言うべき味でしたが、取り立てて手の込んだものでありませんでした。お茶会の稽古と言う建前上妥当であったと思います。」
「そうね。取り立てて珍しいものではなかったわ。それだけに、淹れる人によって茶の味の違う事を端的に感じる事が出来たと思うけど。」
「正しくその通りでございます。ご相伴させて頂き誠にありがとうございました。」
「それだけ、」
「いえ。・・・今時は紅茶を入れる際は薬缶で淹れるのが主流でございます。それが本日は湯釜を掛けられ古い作法でございました。王室の作法、王室流をお嬢様はお稽古、伝授されているのかと拝察いたしました。」
「王室流ですか。」
「はい。」
「リア、何か聞いていますか?」
「はい、お母様。・・私も湯釜でお茶を入れるのを始めてみましたので、ルナに・・ルナさんにその辺をお聞きしました。」
「それで、」
「白い椿亭でも普段は薬缶で紅茶を入れているそうです。しかし、お茶の古い形での・・なんでも茶の湯とか茶芸というのだそうですけどその基本のお点前からお稽古するのだという事です。」
「茶の湯?ですか、」
「はい。」
「プリシラは茶の湯なるものを存じているのですか?」
「恥ずかしながら初めて耳に致しました。」
「そうですか。それが王室流のお茶の作法なのでしょう。ウイステリア。」
「はい。」
「王室に繋がる良き機会です。心してお稽古しなさい。」
「はい。茶の稽古を許して下さり、ありがとうございます。」
・・・
マリー支店長とアラスター支店長の一行がテラスの方々を敬遠しながら庭を散策して行く。接待を仰せつかった貴族学院の3人はどうしていいか分からず、うつ向きながら後を付いて行く。
「これはどうしました。お元気が無いようですね。」と見かねたアラスター支店長が声を掛けた。
「「「・・・・・・・」」」
「半東役とっても立派にこなされていましたね、え~とお名前は?」
「セヨン、セヨン・シュタインと申します。」
「そうですか、セヨンさんはここの、白い椿亭の新しいセルヴィーズさんですか?」
「いえ、私はルナ様の貴族学院に通う学生です。」
「というと、ルナ様のご学友ですか、」
「「「ご学友!。私たちがご学友なんて!」」」
「違うのですか?」
「ルナ様もウイステリア様も貴族のお嬢様ですけど、私たちはこの春初めて帝都にやって来た田舎者です。とてもご学友と言える身分ではございません。」
「でも、貴族学院に通うならたとえ遠方の領地であっても、由緒ある貴族のご令嬢では無いのですか?」
「私は大侯爵様領地の西の海沿いにあるシュタイン村の小作人の娘です。」
「私は東の古い小王国、大侯爵様の新しい領地のコレサワ村の領民でディジーです。」
「私は古い小王国の山の中の村から来たピスタです。」
「ほうー、お三人とも村の娘さんですか?」
「「「はい。」」」
「その村娘が貴族学院に通っているのですか?確かに貴族学院の制服ですが。」
「大侯爵様が男の子も含め10人の領民の子供を貴族学園に入学させて下さったのです。」
「それは、初めて聞きました。すこし詳しくお話をお聞かせくださいな。」
・・・
「だから私達、たくさん勉強して士官学校と言う所に入らなければならないのです。」
「う~ん、それは大変ですね。士官学校はお勉強も出来ないといけないですけど、武術とかができて体が丈夫でないと入れないと聞きます。それは女の子には少し大変そうですね。」
「そうなんです。でも、ピスタとディジーは村でも評判の腕自慢で大丈夫そうなんですけど、私は武術とか全く分からなくて」
「セヨンさんでしたね。それはご心配でしょう。何か良い助言ができればいいのですが・・マリー支店長はお若くて優秀ですのでその辺は何かご存じないですか。」
「はっ⁉」
「エンジェル様は何かご存じですか?」
「じ、自分は・・もとい、私はその・・」とその時、マリーの従者の緑の帽子を被った男が
「マリー支店長は実は士官学校での元軍人さんなのです。」
「「「「え~!」」」」4人が叫び、ボーイが1人、目を見開き「ゲホゲホ」と息を詰まらせる。
「ブライス余計な事を、大丈夫ですか?ボーイさん。」と、マリーが声を掛ける。
ウンウンと首を振るボーイの背中を擦りながらアラスター支店長が、
「年若いお嬢さんが何故に新しい商会の支店長なのかとは思っていましたが、士官学校出身とは、」
「あ~、これに訳がありまして、いろいろ、いろいろとありますので、皆さんはこの事はどうか御内密にお願いします。」とマリー。
全員が頷くのを見て
「士官学校の試験はそれ程難しくはありません。きちんと準備をしてミスさえしなければ大丈夫です。」
「???」「そうなんですか」「そう言われても」「秀才にとってでは?」
「武術は出来た方が些か有利ですが、出来なくても体力があれば問題ありません。」
「体力って何ですか。」
「具体的には体操と持久力です。」
「それだけですか?」
「後は性格ですね。基準は分かりませんが普通の人間ならば大丈夫です。」
「「「そう言われても、」」」
「そうですよ。マリー支店長、どうです、これも何かの縁ちょっと手解きと言うか指導と言うか何かありませんか!」
「アラスター支店長にそう言われましても、自分はどうしていいか分からないのですが、」
「それはそうでしょうが、・・・ここで、今できる事と言えば・・そうです、腕自慢と言うお二人の実力を見て差し上げるのはどうでしょうか?」
「そうですね。今、この場で出来る事と言えばアラスター支店長のご提案の通りですが・・・ブライス、貴様が手合わせをしろ」
「イエス、マム」
「それは止めろ~」
・・・・・・・・・・・・・・
白い椿亭の一階はガランとしていた。伯爵夫人がお付きを引き連れ外のデッキフロアに出て行き、ご近所の二人も白い椿亭の庭を見に行こうと連れ立って外へ行ったからだ。そんな人気のない店の、いつもの席に白いブラシ髭の男が座っていた。
「今日はご臨席下さり誠にありがとうございます。」
とパイルー店長が声を掛ける。
「いや、誠に貴重な経験が出来ました。こちらこそ声をかけて頂き、礼を申し上げる。」
元子爵が返事をする。
「お礼だなんて、お礼を申し上げるのはこちらの方でございます。ルナお嬢様が貴族学院で肩身の狭い思いをなさらないで済みます。」
「自分のようなものがお役に立てるのならそれはそれで結構な事だが、」
「子爵様のような方が身近にいて下さるだけで、お嬢様も心強い事でございましょう。」
「自分はもう爵位を持たない身です。それより店長こそ騎士爵授与おめでとうございます。」
「これはありがとうございます。」
「帝王陛下の新しい騎士爵、それも女騎士爵とはお嬢様にとっても、帝王陛下の後ろ盾を得たも同じではないですか。」
「恐れ多い事を。私ごとき者が爵位を授与されたのは誠に持って不可思議な事です。陛下のお気持ちは察するのも恐れ多き事ですが、精いっぱい勤めさせて頂きたいと思います。しかし・・」
「しかしとは、どうされました。」
「私は川向こうの寒村の出身。王宮でメイドとして働いてきましたので多少は貴族様というものを見知ってはいますが、私自身はいったいどうしたらいいのか全く思いもよりません。」
「そうですか。・・そうですね。事前に何か王宮なり中務省なりからの助言のようなものは無かったのですか?」
「全く、突然の事で、陛下からの勅旨を受けて初めて知りました。」
「それは、お困りでしょう。騎士爵と言えばそう、どなたに烏帽子親になって頂いたのですか?」
「それが、恐れ多い事に皇太后様です。」
「それは・・まったく。パイルー店長への王室の信任の厚さの賜物ですね。」
「恐れ多い事です。ですので烏帽子親にいろいろご迷惑をかけるのも憚れるので困っております。」
「それは本当にお困りですね。・・・よろしければ、よろしければですが自分がご相談に乗りましょう。」
「ありがとうございます。本当に心強く思います。これで何とか責任が果たせそうです。」
「そんなに喜ばれるお顔を拝見すると、自分も微力ながら店長殿のお役に立てることをうれしく思います。」
「どうぞよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ。しかし、これからはパイルー店長とお呼びするわけには行けませんね。」
「そうなりますか。」
「パイルー・オーバル・フォン=ビュート騎士爵となられましたので、サー・オーバルですかね。ビュート女騎士爵では王宮内でならいざしらず、」
「そうですね。それにサーの呼称は軍の方に憚られます。オーバルでお願いします。」
「オーバル嬢とお呼びしますか、」
「令嬢扱いされるには些か年が行っております。」
「その美しさなら問題は無いと思いますが、多少軽々しさも感じますのでここはやはりオーバル殿で決まりですね。」
「何となく気恥ずかしいです。」
「しかし、この館の主なのですからこれ以外は思いつかないですね。」
「はあ~、しかし私は店長であって館の主はでありませんが、」
「そうですか。でも、オーナーと言う方の話は伺った事は無いのですが、」
「この館のオーナーはさる貴族の奥様でして、表には一切お出になりません。」
「そうですか、では実質的にはオーバル殿がオーナーと言う事ですか、」
「いいえ、私の直属の上司としてオーナー代理がいらっしゃいます。私はその方の命令に従う形でこの館を預かっております。」
「では、オーナー代理に了承を得る必要がありますか?」
「報告は致します。が、たぶん大丈夫でしょう。オーナー代理も忙しい方でこの館の、白い椿亭の立ち上げを監督なさった後はこちらから報告を上げているだけで滅多においでになりませんので、」
「そうですか、しかし一度ぐらいは直接お会いしてご挨拶を申し上げたいですね。」
「大尉の予定は知らされておりませんので、突然ふらっと立ち寄られる感じなので、それはなかなか難しでしょう。」
「大尉と呼ばれているとすると軍関係の方ですか?」
「はい。某大佐の副官だとかで、幾つもの案件をお抱えのようです。」
「ほう、それは優秀な方のようですね。すると、この館は軍の管理下にあるのですか?」
「いえ、軍とはそれなりに関係があるのですががあくまでも真のオーナーの支配下にあるとの事です。」
「ほほー、それは興味深い。私も軍の仕事に関わり過ぎて領地経営に些か支障をきたした経験があるので、興味はありますが深くは伺わない無い事に致しましょう。」
「ありがとうございます。そう言う訳で、私の仕事は白い椿亭の経営と何よりもルナ様のお世話でございます。」
「この館が軍事施設で無いとするならば、この館の中を拝見することも可能でしょうか?」
「もちろんです。寧ろご覧になって頂きたいほどの自慢の館です。」
「そう言う事なら、時間まで館の中の案内をお願いしても宜しいですかな。」
「はい、もちろん、よろこんで!」
早速、二人は立ち上がり館の奥へと歩き始めた。ヴィリーだけをお供に、
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晩餐会は恙無く終わり、館にいる者全員で王后名代の馬車を見送る。次に伯爵夫人と令嬢を乗せた馬車の一行を見送った。その後は「裏門からの方が早いから」とマリー支店長とアラスター支店長たちが正門とは反対方向に消えて行った。夏至の日が長いと言ってもう夜である。ましてや朔日である。館の者は既にそれぞれの仕事に戻ってしまっていたが、正門には白い髭とそれを見上げる白い頬だけが夏の夜の闇の中にあった。