15 初稽古
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午後のメイド服。いつもの店長服でなく、パーラーメイドらしく肩のパフがたっぷりと膨らみ袖口の白いカフスとステンカラーの白さが際立つ。教える立場なのでエプロンやバブーシュカなどは付けていない。代わりにその額にはサードオキニスの髪紐冠トップが年長者の落ち着きと言った輝きを静に放っていた。パイルー・オーバル・フォン=ビュート女騎士爵が客卓の貴人席に着席した夫人に屈膝礼をし、美しい立ち姿勢に戻ると話し始めた。
「本日はウイステリア嬢、ルナ嬢の午後のお茶の稽古にご参加下さり誠にありがとうございます。稽古の様子を見ながらですが、どうぞ茶会もお楽しみください。初めに紅茶を淹れる手本をお見せしますので、その後、お二人には同じようにお茶を入れて頂きます。」
そう挨拶し、踵を返すと茶道具のある道具卓の前に立ち、一礼する。
卓上炉の釜から柄杓で紅茶用の茶壷にお湯を注ぐ、一息於いて茶壷のお湯を茶海に注ぐ、空になった茶壷に茶則で茶筒から茶葉を入れる。広口のポットに一定の高さから柄杓でお湯を注ぐ、数回その動作を繰り返し、蒸らしに入る。手早く茶海のお湯を四客の茶碗に分け入れカップを温める。やや早めの抽出時間だがポットを持ち上げわずかにその蓋を持ち開け香りを聞く。小さくうなずくとポットから茶海に注ぎ入れる。最後の一滴が落ち切るのを丁寧に待ち、ポットを置く。手元を手伝うセヨンが湯切りしてくれたカップに、ピッチャーから等分に注ぎ分けていく。ピッチャーには一杯分ほど残し、ウイステリアに頷く。ウイステリアはカップ&ソーサーを正客にお運びする。ルナが次客に紅茶を運ぶ、ディジーとピスタが三客、四客にと運ぶ。
「どうぞお召し上がりください。」とパイルーの言葉に客たちがカップを持ち上げ、香りを聞き、色を覗き、ゆっくりと口に含む。パイルーはピッチャーに残ったお茶を白磁の猪口に小分けして、ウイステリアとルナに渡す。二人は師傳が淹れたお茶を当たる。
「ルナ様きょうのお菓子などのご説明を皆様にお願いいたします。その間にウイステリア様、ご準備を」
ひと言指示が出されると手伝いの3人が新しい茶器の準備をする。ウイステリアは水差しから釜に水を足し、道具を拭き清め、並べ直し、手順を確認し、心を落ち着ける。「あの香りを先ずは目指そう」そう心に決め、一礼した。
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「ノダ侯爵夫人、ご令嬢のお茶を召しあがりながらご感想などお願いがいたします。」そう言うと一礼しパイルーは三歩下がった。
お茶会を託された伯爵夫人は動ずることなく「午後の紅茶」をリードして行く。堂に入った貴族の会話には、主にアラスター支店長が受け答えをして会話をつないでいく。お茶が7,8分飲まれたところでパイルー店長がルナに近寄り「ルナ様ご準備を」と告げる。ルナは釜の湯量を観る。炭斗から割り炭を幾つか取り合わせて足す。器を温める湯を汲み出したところで水差しから水を足し、湯が沸くのをゆっくりと待つ。飲み干されたカップや菓子皿がさげられ、新しい菓子が供される。そんな様子を見ていた・・、
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それは、昨日の事だった。ルナは6月最後の聖曜日の修業を終え、いつもの日課をこなす。昼食後、洗い場に降りようとした時、店長から呼び出された。
店の二階席は中食の客が去った後は閉鎖され、掃除と模様替えが行われていた。
「ルナ様、掃除が終わりましたら私の手伝いをお願いします。」と告げられた。
掃除を終えた先輩たちが次の仕事へと去って行き、ルナはひとり取り残される。
「ちょっとこれを持って下さい。」
と店長が隣の部屋から声を掛けてきた。ルナは直ぐ様、となり部屋に入ると卓上炉を待たされた。
「ルナ様も、いらしたそうですね。オルレア様が太皇太后様にお茶を差し上げた初めてのお茶会に」
「・・・ああ、はい。水屋にですけど、」
「そのお茶席の事を皇后様からお聞きして、特にこの立礼卓が気に入りました。ワゴンだと動く事もあるし、サイドテーブルでもいいのだけど、折角だから明日はこれでお稽古しましょう。卓上炉を右においてみてください。」
「はい。これでよろしいですか?」
「ちょっと待って、やっぱり敷板を使いましょう。」
「これですか?」
「そうです。そこですね、其処に置きましょう。卓上炉はお稽古ですので、ドーアン涼炉を使います。」
「はい。」
「では、灰を入れましょう。灰形を作りますのでよく見ていて下い。」
「あの紙を入れるんですか?」
「そうですよ。しっかりとした神事に使う厚手の紙を使います。もっとも、いつもは古紙で済ませているんですけど、明日は初稽古だからちゃんとしたのを使いましょう。」
「はい。」
「炉の底の形に合わせてせて折り敷ます。そして底瓦を置きます。」
「はい。」
「灰を入れる時は細心の注意を払って、決してぶつけたり、溢したりしないように、ちょっとでも灰が飛んだらこまめに拭き取りながら…半分くらいの処で五徳を入れましょう。」
「はい。」
「五徳の高さを決めます。灰匙の柄を矩にきっちり中央に置きます。」
「はい。」
「釜を掛けてみて、この羽落を目安に…こんな感じかしら、」
「はい・・」
「明日は夏至祭ですので特別に前瓦を二枚入れます。そうはいっても、灰形は基本のニモジで押し切りにします。灰匙は自分好みに壺首の角度を調整してあります。谷を綺麗に整えたら、灰匙の柄で中央に☵の印を描きます。いいですね。」
「はい。」
「では、ルナ様。☵の意味は何ですか。」
「はい。水の意味だと習いました。」
「呼び方は?」
「・・みず、です。」
「よろしいでしょう。しかし、太皇太后様はご自分でお茶をなさる時は☰を刻まれていたとの事です。」
「 」
「わたくしは、太皇太后様よりルナ様がご自分でお茶を点てられる時が来たら、☵の代わりにこの印を使うようにと仰せつかりました。」
と言うとメイド服の隠しから封書を取り出し、ルナに差し出した。ルナは両手で受け取り封を切り開け中の紙片を確認する。
「これは?」
「覚えたなら、紙は焼き捨てて下さい。それは、リンポチエ家の嗣子だけに許されたものです。」
「 」
「明日、もしも私が時間に間に合わない時は、ルナ様がその印を入れて炭をお入れください。」
「…はい。」
「香木などはヴィリーさんに聴いて下さい。ヴィリーさんにも伝えておきます。では、仕上げに藤灰を撒きましょう。夏至ですので本来は控えめですが、ウイステリア様をお迎えするのでこの辺りに少し多めに撒きましょうか、」
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「お湯がわきました。ルナ様どうぞ、」
そう声を掛けられ、我に返る。湯の沸き立つに水を差し、釜を鎮めてからルナは一礼して所作を始めた。・・・そう、もう少し店長の到着が遅ければ、あの印を入れてお茶を始めなければならなかった。茶会を執り行うとは、それが稽古であっても・・毎回、ヴィリーはあのような準備をしていたのだろうか。ましてや今日は貴人を迎えての茶会。いくら稽古であると言っても執行者の責任は重い。事前の準備がどれだけ大変かを実感させられた。店のクロークに用意された傘もその一つだろう。《周到な準備が勝利を招く》そんな言葉が頭を過った。
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滞りなく稽古会は終わったのだろう、パイルー店長が客卓の前に進み出て挨拶をしている。
「・・・まだ始めたばかりのお茶の稽古にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。今日は夏至祭です。この後は直会を模してお食事を用意いたしました。暫くお時間を頂きたいと思います。それまでは庭の散策など、ご自由にお過ごしください。」
客たちが礼を述べて階下に消えると店長が
「ウイステリア様。とてもよろしかったと思います。時間までどうかお母上に付き添って物語などして差し上げて下さい。ルナ様は少々緊張なさったのでしょうか・・それもいい経験です。この後はセルヴィーズ達を手伝ってあげて下さい。セヨン、半東役ご苦労様でした。ディジーとピスタもお運びをちゃんと務めていましたね。嬉しく思います。助かりました。出来れば三人にはこの後、マリー支店長とアラスター支店長のお相手をお願いします。その後、下で食事を楽しんで帰ってください。」
と、弟子達を労った。ウイステリアが、
「師傳、ありがとうございました。」
と代表で礼を述べ、階下へと降りていく。その後に続くルナの耳には、
「ヴィリーさん。私と一緒にシヴァン様のお相手をおねがいしたいの・・・」
と言う声が聞こえて来た。
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新人セルヴィーズの大部屋に四人が集まっている。
「明日午前はお店はお休みになってよかった。」とアンジェリカ。
「とはいっても、朝食当番やお掃除とかいつも通りだから、」とテテ。
「従者たちに出されたお料理もおいしかったけど、2階はどうだったの。」とユージーニア。
「お料理?それどころじゃなかったわ。」とルナ。
「どうして?何か問題でも?」
「大ありよ!」
「大有りって、何が?」
「だって、宴席に予定外の人が増えたのよ。コース料理は事前に決まっているのに、」
「あ~アレは、アクシデントだったわね。厨房は大変だったでしょ・・・」
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直会を模しての晩餐と言う事で、派手な花飾りや音楽は無かった。
主人席に店長と言うよりフォン=ビュート女騎士爵。いや親しみを込めてオーバル騎士爵と呼ぶべきか、が座る。主賓席側にノダ侯爵令夫人と左隣にウイステリア令嬢が座る。対面側の席にはフォン=ジェプセン元子爵、右隣りにルナ令嬢、その右隣りにマリー支店長、そしてアラスター支店長が座る。ノダ侯爵夫人が、
「サー=ビュート殿、不躾とは存じますが、私の侍女にも評判の料理を味わせたいのですが、いかがかしら。」
「もちろんです。よろしければ護衛の騎士の方ももどうですか。」
「それには及びません。」
「左様ですか。下にはお付きの方用にお食事を用意いたしました。賄い料理ですがよろしかったらそちらをどうぞ。」
「せっかくです。あなた達は下でお待ちなさい。」
と、侯爵夫人は許しを与えた。二名の騎士護衛と小間使いが1人の護衛を残して階段を下りていった。
「新たなる道を歩き始めた太陽神の恵みに感謝申し上げます。今日の良き日を寿ぎ、明日の幸せを願いながら命の糧をいただきましょう。」
と、騎士爵の唱導で晩餐が始まろうとしたその時、先触れよりも早く一人の女が階段を上がって来た。
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「私は皇后陛下の名代で参りました。中務省秘書室のグレース・ロンドとも申します。晩餐に間に合うように急ぎましたが、些かご迷惑をおかけしたみたいです。誠に申し訳ございません。」
と頭を下げた。それに対してパイルー店長は
「多少、晩餐には早い時間です。お気になさることは無いですよ。それよりもこちらにどうぞ。」
と自分の席を譲った。セルヴィーズ達は主人席の対面にすかさず椅子を用意し、一人分の席を作り始めた。
「いえ、私は単なる使いです。陛下からの神饌の下がりものとお后さまからの下さり物を持って参りした。」
「グレース様には王后陛下の名代として、陛下に変わって私共の直会にご臨席ください。お願い致します。」
「そう迄・・言われるなら・・謹んで参加させて頂きます。」
王后名代のロンドを主人席に座らせると、店長は新しく設けられた席に移り、
「では、改めて神の恵みに感謝して今日の糧を頂きましょう。」
と晩餐を始めた。
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「ああ!あの、ドタバタやって来た馬車の人達ね。」
「厨房も大変だったけど、下も大変だったのよ。お付きの人が増えて、もう宴会状態だったわ。」
「下の人達は宴会?そっれって楽しいそうね。」
「そうよ。最後は私たちも飲んで歌って騒いでいたわ。」
「厨房はてんてこ舞いだったけど、二階に御客が二人も増えちゃね。」
「予定が狂いっぱなしだわ。」
「独りぐらいなら、想定内の番狂わせだけど、二人だとね。どうしたのかしら?」
「分かんないけど、ウヅキコック長が怒鳴ってたわね。」
「何?」
「テヨプ!ここが腕の見せ所だからね!って」
「自分の腕の見せどころじゃないの?」
「責任転嫁かしら?」
「でも、厨房はみんな、応!って」
「気合い入れてたわね。」
「私たちは、宴会芸に見とれてたけど、」
「皆さん、仕事中だからお酒は控えていたけど楽しそうだった。」
「こんなうまいもの初めてだって、」
「それに、他家の同業さんと意気投合したりして、いろいろ悪口じゃない陰口じゃない、うわさ話に話を咲かせてたわね。」
「私たちもお付きのメイドさん達の愚痴をいろいろ聞かされたわ。」
「特に小間使いの子は涙流してたわね。年下の下っ端は何処も苦労が多いのよね、」
「って、あなたそんなに苦労している?」
「してるわよ。失礼ね。」
「小間使いの子泣いてたわね。」
「なに、泣いてんのユージーニア、」
「だって、」
「私まで泣けて来たじゃない・・・」
もらい泣きの夜話はまだまだ続いた。
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