14 夏至祭は四時から始まる
“手打ち式” そう、呼ばれている。
「今週は掃除ばかりよ」とアンジェリカ。
「もう、磨くところなんてないわ」とテテ。
「どんなお料理が出るのかしら」とユージーニア。
「よくわかんないけど、みんなごめんね。」とルナ。
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それは先週の聖曜日の昼に起きた。突然起きた。店は『聖曜日の白い椿亭中食』を楽しむ人々で満席であった。そんな午の正刻を過ぎた頃、帝丘から馬車がやって来て店前に乗り付け、中務省の役人が降り立ち、ズカズカという感じで店に入る。
「お客様。おあいにく様ですが、ただ今は満席・・・」
「パイルーなるものをこれへ、」
「あの、どのようなご用件でしょうか。」
「勅旨を与える。」
「「「はあ~???」」」
店の者もお客も全員が声の方を見た。パイルー店長が進み出てドアを背にする位置に立つと両膝を着く。
「デルミエス帝国王の名において、白い椿亭の店長パイルーに騎士爵を与え師傳に任ずる。心して受けよ。」
「謹んでお受けいたします。」
伝使が頭を垂れたままのパイルー店長の手を取り立たせると、
「おめでとうございます。パイルー・オーバル・フォン=ビュート騎士爵様。つきましては叙任式などについてお伝えしたいのですが、何処か静にお話しできるところはございませんか。」
「・・かし・・困りました。では、こちらへ。スオウ君、後はお願い。」
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副店長のスオウが椅子の上に立ち上がり、
「今日お越しの皆様。お聞きの通り晴天の霹靂が起きました。大変名誉な事、目出度い事です。そこで皆様にわれらが店長の騎士爵叙任を共に祝って頂きたいと存じます。振る舞い酒を共に頂きましょう。グラスをお受け取り下さい。お酒が苦手な方はそうですね。アイスクリンかなにか、お好きな甘味をお申し付け下さい。」
次々とシャンパンが開けられ、グラスが回されて行く。
「それでは皆様。パイルー店長おめでとうごさいます。そして、帝王陛下万歳。」
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「あの日からよね、俄然忙しくなったの、」
「7月1日の叙任式の後、午後のお茶会と直会を行うっていうじゃない、どういことよ。」
「まあ、事情が段々もれ聞こえて来て、理解は出来たけど、これってつまりは夫婦喧嘩の手打ち式よね。」
「大貴族様になると夫婦喧嘩も大ごとね。」
「それに振り回される下々の身にもなって欲しいわ。」
「愚痴はこれくらいにして、私たちの店長にとっては名誉なことだから、」
「名誉だけど厄介事よ、まったくもう!」
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❝手打ち式❞の概要が明らかになる。
7月1日の夏至祭の祭事の後、パイルー店長は叙任式を経て正式に「パイルー・オーバル・フォン=ビュート」騎士爵となり、帝王陛下の臣としての位階が与えられる。同時に師傳という職階が与えられ、帝王家の子弟の傅役に匹敵する者としての身分となる。庶民としては大出世である。これにより、伯爵家の令嬢に「教え」る事には何も支障は無くなる。陛下のお墨付きを得たのである。公・候・伯・子・男の爵位はデルミエス帝国においては帝国との関係において、その位階に応じた職責があり、職務遂行能力や義務の履行を求められる。具体的には領地の支配者として行政官の首長として、文字通り首を懸けた存在である。決して有閑層と言う意味だけではない。それとは些か趣を異にするのが騎士爵と言う爵位である。これは領主との個人的な関係において与えられる爵位で個人一代限りの身分である。準男爵はその功績などにより、公的な場において貴族と同じ扱いを受けるという栄誉ではあるが、あくまでも身分は庶民良民である。それに対して騎士爵は騎士爵を授けた者が連帯責任を負うという貴族身分である。人物本位の称号であり栄誉である。帝国建国以前は多くの騎士がいてその中の優れたものが大抵は文武両道を讃えられて領主から授爵されたが、帝国成立以降はあまり誕生していない。近年は昨年久々に帝王陛下に女騎士爵が誕生したが、今年も女騎士爵が誕生した事に関心を持つ者は稀であった。騎士爵はごく個人的な出来事であったからである。
さて、帝丘のオーバル城での一連の儀式、手続きを終えたならば、ノダ伯爵家令嬢ウイステリアとピンニ伯爵家令嬢ルナに午後のお茶会の手解きをするのが師傳としての初仕事になる。そこには貴族学院の学友が相伴する程度のはずであった。はずであったのである・・・、
「で、なんでいち貴族学院生のお茶のお稽古に伯爵令夫人の席を用意しなきゃいけないのよ、」とテテ。
「それはちゃんと説明があったでしょ。」とアンジェリカ。
「でもそれってあくまでも表向きの理由なんでしょ。」とユージーニア。
「そうよ。娘の初めてのお稽古の様子が見たくて押しかけてしまいました。親ばかでごめんなさい。っていう態のその実、私の後ろには大侯爵妃がいるのよという圧迫視察でしょ。」
「店長に対する嫌がらせかしら、」
「なんでも大侯爵さまが、何かの拍子に店長の肩を持つような事を仰ったら、その昔大侯爵さまと店長が何かあったんじゃないかって大侯爵妃さまが邪推して、それでいろいろあって間に王后様が入られて店長の身元保証人みたいな事になったって事よね。」
「それで、示威行動としてお茶会に出席されるのかしら。」
「それはしょうがないわね。親だし伯爵さまだし、無理が通れば道理が引っ込むのよ。」
「どうりでね。」
「・・・で、そうなると主客が1人だけ。それもノダ伯爵家側だけっていうのがね。」
「そうよ。パイルー店長のルナが見劣りする事になるわね。」
「ルナお嬢様でしょ。気を付けて、」
「は~い。以後、気を付けます。」
「それで、髭のおじ様なのね、」
「店長が拝み倒したって?」
「そう言う事になっているけど、どうも大侯爵様の裏指令らしいわ。」
「誰情報?」
「ウヅキコック長と副店達が話しているのをキッチンメイド達が小耳に挟んだらしくて、」
「シッ!そんなうわさ話をしたら、お姐さま達に大目玉を食らうわよ。」
「えへっ!なんとなくよ。風の噂ってやつよ。」
「髭のおじ様が子爵様だったなんて、何となく貴族様っぽいとは思っていたけど、」
「元子爵でしょ。若い現当主に子爵位を譲って自分は楽隠居暮らしね。」
「それもそんなお気軽なお話しじゃなさそうだから、あまり口にしない方がいいわ。」
「そうなの?。気を付ける。お貴族様の世界はいろいろ難しいわね、」
「そうよ。でも、店長には嬉しい事よね。次客としてルナ様側の親代わりとしてお迎えできるんだから。」
「でもなんでエンジェルのマリーが招待されているの?」
「髭のおじ様はお一人でいらっしゃるけど、向こうはお付きがぞろぞろだから、数で負けないようにかな?」
「お隣はこんな方です。だからどうぞご安心くださいっていうアピールよ。」
「そっか、でも、そしたらどうしてバルーム商会のアラスター支店長も呼ばれているの?」
「だってしょうが無いじゃない。髭のおじ様はあの通り無口よ。」
「確かに、」
「エンジェルのマリーはどうやっても田舎娘よ。」
「私たちの方がましだわ。」
「で、午後の紅茶よ。社交の場よ。貴族さまの女の戦場よ。」
「成る程。」
「なにが成る程なの?」
「社交の場たるお茶会は舌戦の場よ。」
「おしゃべりのこと?」
「そう。無口のおじ様はしょうがないわ。そして田舎娘では太刀打ちできない。」
「成る程。」
「そこで口八丁手八丁のアラスター支店長よ。」
「町内会の誼で御呼ばれしましったって態ね。」
「アッ、太鼓持ち。」
「バカ。お話しのお相手役よ。大商会の支店長ともなれば貴族の奥方ともそれなりにやり取りが出来るでしょう。」
「そうね。伯爵家の奥様の独壇場にする訳にはいかないもの。」
「そうよ。アラスター支店長には頑張って頂きましょ。」
「フレ〰、フレ~、アラスター!」
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夏至祭の祝日が瞬く間にやって来た。
その日パイルー店長は朝8時から始まる式典、叙任式に出席したあと、帝王后陛下の10時のお茶会に於いて今上陛下好みのお茶を披露する事になっている。王宮から白い椿亭に帰ってくるのは早くて13時、通常ならば14時だろうと店の者はその心づもりでいた。
「ねえ、もう14時30分よ、店長はまだなの?」とテテ。
「何か、事故でもあったのかしら」とユージーニア。
「滅多な事を言わないでよ。」とアンジェリカ。
「セヨン、ディジー、ピスタ、そしてウイステリア様。覚悟を決めましょう。」とルナ。
「今日の主役はウイステリア様とルナ様です。お二人の稽古風景を見学に来たいとの申し出に、それならばお客役をと、お願いした、までです。パイルー様はいわば脇役、まずは御客様をお出迎えして待合に入って頂きましょう。お嬢様方お稽古通りに、さあどうぞ。」とヴィリー。
午後のお茶会(の稽古)は白い椿亭の2階にて行われる事となり、待合は1階の店内をあてることになった。一番年若いグリーン商会のマリー支店長は、14時過ぎには待合入りをしていた。お供の緑帽子と鳶色帽子の二人は糊とアイロンの効いたシャツと夏上着のお仕着せであった。それはいい。しかし、問題は支店長のマリーだ。本人としては精一杯のお洒落をして来たのだろうが、野暮ったい田舎娘の域を抜けだせないドレスと前衛的な化粧だった。ウヅキコック長と顔見知りの副店長たちに別室に連れ込まれ、化粧は剥ぎ取られ、髪を当たられ、何とか目立たない野草のような姿に整えられたころに、バルーム商会支店長が従者を一人連れやって来た。
「これはアラスターさま、マリーさま、お忙しい中私共の為によく来ていただきました。」とルナが挨拶をして、こちらでお待ち下さいと席に案内する。きっかり14時30分に髭のおじ様がドアベルを鳴らす。
「ドロレス・シヴァン・フォン=ジェプセン様。本日は誠にありがとうございます。」と副店長のスオウが対応した。供は連れず、只、帯剣していた。
見計らったように、豪華な馬車が車寄せに止まる。ノダ伯爵夫人が降り立つ。ウイステリアが玄関前で「今日はわたくし共の為にご足労いただきありがとうございます。」と型どうりの挨拶をして、こちらへどうぞと待合に案内する。「リア、一人も供を連れずに出歩くものではありません」と小言を言うと多くの従者を引き連れて白い椿亭に入って行った。店内を一瞥して、フンといったように羽扇で顔を隠す。
「シヴァン子爵がお出でならば、正客は殿方のシヴァン殿にお願いしますわ」
と伯爵夫人。
「いえ、爵位は愚息に譲りました。今は無位無官の身なれば、伯爵令夫人にお願い致します。」
「しかし帯剣された殿方を差し置いてそれは些か不作法では、」
「いやいやこれはこれは伯爵夫人にはご機嫌麗しゅうお喜び申し上げます。」
「 」
「これは申し遅れました。バルーム商会12区支店を預かります。アラスターと申します。本日は町内会代表と言う事でお招きに預かりました。以後お見知りおきを」
「そう、で、何か?」
「はい。子爵様が帯剣なされているのは本日のお茶のお稽古の為でございます。帯剣した騎士などにお茶を出すときの作法について、自ら練習相手を務めたいとの親心でございます。つきましては、高貴なお方にお茶を差し上げる作法については高貴な方にお相手をして頂くのが何よりと思いますがいかがでしょう、」
「そうね。私も娘の様子を見たいという親心で今日は押し掛けたようなもの。そなたの言う事にもいち理あるとは思うわ。では、仕方がありませんわね。私が上座に座らせて頂くわ。それでよろしいかしら・・・そちらのお嬢さん?」
「は、はい。よろしいであります。」
「あら、肩に力が入り過ぎですよ。」
「伯爵夫人、このお嬢様はお隣のグリーン商会の支店長でマリー・エンジェルさんです。お隣なので何かありましたら、いち早く駆けつけて下さいます。今日は顔合わせと言う事でお茶会に招待されたとの事です。この店の者にも信頼厚い方なのでどうぞお心に御止め頂きたいと存じます。」
「随分お若い支店長さんですね。いろいろお有りなのでしょう。分かりました。」
と、招待客同士の探り合いが終わった所に二階より
「在釜です。」
との声が掛かる。いよいよである。
ノダ伯爵夫人は自分の侍女と護衛に娘のお付きの小間使いを連れて階段を上がる。次はドロレス・シヴァン・フォン=ジェプセン元子爵。年の功でアラスター支店長そしてマリー支店長が上がって行った。
待合ではお付きの者に、白湯が出され主人を待つ。そこでは静にお付きの者同士のやり取りが開始される。通常ならば別室で世間話に花を咲かせられるのだが、今日は吹き抜けの階上で主人たちがお茶会に出ているのだ。静に待つしかない。一番年若いアラスターの少年が息の詰まりそうな緊張感に音を上げそうになった時、階段を下りてきたスオウ副店長が、
「二階の扉が閉まりました。皆さん安心してご歓談ください。何かご希望があればお茶でもお酒でもお出ししましょう。お菓子は焼き菓子を用意いたしました。ご自由にお召し上がりください。上には音も匂いも届きませんのでご安心を、そこのボーイさんソーダ水とタルトをなどいかがですか。」
と声をかけ、自らお茶を入れ飲んで見せた。