やり直し令嬢は何もしない
わたくしはいわゆるやり直し令嬢でございます。前世、と言うより前回と言った方がよろしいでしょうか、わたくしは18歳で暗殺されて儚くなりました。皇太子殿下の婚約者であるわたくしを護るはずの王家の影によって。きっと国王陛下直々のご命令だったのでしょう。
古くから王家に忠誠を捧げている名家とはいえ、伯爵家の長女に過ぎないわたくしが並居る高位令嬢を押しのけて婚約者に選ばれたのはほんの偶然でございました。わたくしが8歳の時、殿下の婚約者選びのお茶会が王宮で開かれた時でございました。緊張のあまり気分が悪くなったわたくしはこっそりベランダに出て庭園を見下ろしました。すると、薔薇の茂みの中にメイド姿の女が入って行くのが見え、その右手にはキラリと光る刃物が握られていたのです。わたくしはそっと中に戻り、会場の護衛に見た事を告げました。てんやわんやの末暗殺者は捕らえられ、殿下が令嬢達を庭園に案内される時を狙っていたと白状したそうです。わたくしは殿下の暗殺を未然に防いだ功績を認められて婚約者に選ばれました。殿下は優しくて賢い素晴らしい方でした。厳しい王妃教育も他の令嬢達から向けられる嫉妬や嫌がらせもこの方と共に歩む未来があったから乗り越えられたのでございます。
しかしその全てが3歳年下の妹が15歳の成人を迎えた日に崩れてしまいました。妹は5歳の時に聖女に認定されまして、治癒魔法を使うことが出来ました。まあ、この国では聖女はさほど珍しくなく、治癒魔法と申しましても痛みを和らげたり心を落ち着かせたりする程度のものでございます。ところが成人を迎えた妹は殿下の番と認定されてしまったのでございます。番と申しますのは唯一無二の異性の相手でございますが、実際に番う前であればそれほど心理的な強制力はございません。恋愛結婚が普通の平民の方々の間では2割ほどの夫婦が番だそうですが、政略結婚の貴族の間ではほとんど聞いたことがございません。しかし問題は、聖女が王族と番うとその聖力が高まり、パーフェクトヒールなどと言った大技が可能になるのでございます。近頃少しお痩せになって顔色の悪い国王陛下は皇太子殿下に私との婚約を解消するようプレッシャーをかけました。皇太子殿下は廃嫡の危機も顧みずこれに抵抗して下さいました。妹も私の婚約者を横取りする気は無いと申しました。しかしそんなある日私は影の者に3階のバルコニーから突き落とされてしまったのでございます。
ふと目が覚めると自分の部屋のベッドに寝ておりました。侍女が入って来て、今日は王宮のお茶会の日ですよと告げました。ああ、わたくしはやり直しができるのだわ。わたくしは侍女に頭痛がひどいのでお茶会は欠席したいとお母様に申し上げて、と頼みました。殿下との日々が思い起こされます。美味しいお菓子を食べながら語り合った幼い日々。剣の鍛錬をされている凛々しいお姿。デビュタントの日のファーストダンス。もうわたくしには手の届かない幸せなのですね。
国王陛下は最愛の息子を失われてお悲しみでした。でも王弟殿下も第2王子殿下も優秀な方々ですからきっと大丈夫ですわ。わたくしが18歳になって婿を迎えた日、陛下は重い病に倒れられ半月後に亡くなられました。心底ほっと致しました。もし妹が殿下と番っていたならばきっと命を削って陛下の病を治療していたでしょう。パーフェクトヒールなどという技は代償無しには行えません。幼馴染みの婚約者に続き番を失った殿下が正気でいられたとも思えません。
わたくしは幸せな結婚生活を送り、二男二女に恵まれましたが50も半ば過ぎた頃、お腹に腫瘍ができました。殿下と陛下を見殺しにした罰かもしれませんね。でも妹とその娘がわたくしを看病してくれて、治癒することはできなくともその聖力で痛みを和らげ、話し相手になってくれます。そう、妹は旦那様の秘書と結婚して女の子を授かっていました。やはり聖女でわたくしの自慢の姪ですわ。わたくしは安らかに逝けそうです。ありがとう、愛する王子様。貴方が死んで下さったおかげでわたくしも妹も幸せな人生を過ごす事ができました。