EP1『君から見る世界』
この物語は時系列が破綻しています。そのため、物語をある程度理解するための情報をいくつか提示します。
◆あらすじ
悠木正義は、同じ高校の同じ部活に所属する橘畔という少女と、道端でばったりと遭遇する。橘畔は、自分の友人の家に遊びに行く途中だったようで、せっかくだからと、悠木を共に連れて行くのであった。
◆主要人物
○悠木正義
おそらく主人公。人の嘘と真を見抜く特殊能力を持ちながら、かなり地味な高校生活を送っている。
○橘畔
祭り用のお面を身につけた不思議な少女。お面のレパートリーはいくつかあり、一説によると、お面の種類は、その時の彼女の精神状態を表しているらしい。
「このアパートか?」
ひょんなことから、僕とたっちーこと橘畔は、そのたっちーの友人である1人の女の子の、自宅へ辿り着いたのだった。
「そうです。悠木先輩は会ったことありませんよね。私が案内します」
たっちーは律儀にそういうと、アパートの二階へと上がって行った。僕はその後ろをとぼとぼ付いて行くのだった。
なんというか、味のあるアパートである。しかし自分に正直に言うとすれば、ボロである。僕は早くも、たっちーの友人という存在に、不安を覚えていた。
インターフォンを鳴らすと、すぐさま友人は顔を出した。たっちーよりも小柄な女の子だった。髪型はショートボブに近く、くりくりとした猫目をしていた。しかし僕は、彼女の目つきを見ると、変に心がざわつくのだった。
「いらっしゃい畔ちゃん!......その人が?」
友人は、明らかに僕のことを敵対視していると思われた。たっちーに男の友人がいるなんて、考えられないのだろう。
「そう、悠木正義さん。私の先輩。たまたま出会したから、一緒に着いてきてもらったの」
「......どうぞ」
友人は、明らかに僕のことを敵対視していると思われた。が、僕のことを何とか招き入れてくれた。
「ストップ!!!」
僕が家に上がろうとしたところ、いきなりその友人は、両手のひらを突き出して、まるでなんちゃら波で僕のことを葬るかと思えた。
「これどうぞ」
「え?あ、ありがとう」
渡されたのはお湯に濡らしたタオルだった。おしぼりにしては大きい。
「それで足拭いてください」
「は?」
「足拭いてください。腰掛けていただいて構わないので」
「はあ。たっちー?どういうこと?」
たっちーは既に、手慣れた様子で自らの足を拭いているのだった。そういう決まりがあるのだろう。僕はなんとなく嫌な気分になったが、仕方なくそうすることにした。
「拭き終わったらそこのスリッパ履いてください」
「え?スリッパ履くなら拭かなくても......」
「そしたらスリッパが汚れるじゃないですか......!」
「ど、どういう状態なんだそれは!」
「ああっ!!!ちょっと!!!」
僕がツッコむと彼女はまたも声を荒らげた。
「あまりサ行と濁音を多用しないでください。唾が跳ねるんで!!!」
なんということか。彼女はとてつもない潔癖症であった。
「はっ!まさかたっちーのそのお面って?」
「え?違いますけど」
「......だよな」
友人は僕らが使ったタオルをトング越しに掴むと、ビニール袋へそれを入れた。
「そのタオルどうするの?」
「廃棄します」
えぇ......とは言わなかったものの、そんな表情にはなっていただろう。ともかく、そうして僕らは、なんとかリビングへと案内してもらえた。部屋はアパートの外装とは程遠く、とても清潔に保たれていた。そして、驚くほど生活感の薄い、質素なものだった。
「改めて紹介するね。この人は悠木正義さん。私の先輩で、同じ部活に所属してるの」
「よろしくね」
友人は相変わらず僕のことを親の仇のように睨みつけている。
「悠木先輩、この子は有働麗華ちゃん。私の唯一の友人なの」
唯一の、という発言は心外だったが、自分はきっと親友というカテゴリーに含まれているのだろう。......と思い込むことによってことなきを得た。
「有働......?」
有働、という苗字には聞き覚えがあった。たしか僕の通っていた中学校の、一年上の......
「有働って、まさかあの有働総司の有働か?」
「兄貴のこと知ってるんですか?」
たまげた。有働は、僕の通っていた中学校の中でも、特に有名な問題児であった。暴走番長というあだ名が、その数多の行いを物語っている。
(だから玄関で見た際の、あの目つきに、僕は危機感を覚えたのか)
「ああ、僕の一個上の先輩だったからね。というか、あの有働にこんな妹がいたとは......!たしかに言われれば、どことなく面影があるような......」
「あんなクソ兄貴と一緒にしないでください。一刻も早く死んでほしいと思ってますから」
「く、クソ兄貴......」
間違いなく僕が言っていれば殺されていただろう。しかし彼女の言いたいことも、わからない訳ではなかった。
「お兄さん、随分やんちゃだったらしいからね......ははは......」
「小学生いじめてお小遣い奪い取るような中学生、やんちゃって言葉じゃ片付きませんよ」
僕はオブラートを何枚にも重ねたつもりだったが、彼女はどストレートだった。有働総二被害者の会の片割れである僕にとって、非常に説得力のある言葉だ。さすがは有働の妹。
「そういえば、お兄さんって今何してるんだ?ここらじゃ有働伝説って有名だったからさ」
有働伝説は定期的に更新されてたのだが、ここ最近、そういう情報は全く途絶えてしまっていたのだ。
「兄貴なら今少年院入ってますよ」
「あー......ははは......」
そうして僕は有働については今後触れないことにしておこうと決心したのだった。
「ところで、今日はどうしたの畔ちゃん?なんか用があるって言ってたけど」
「それについてはごめんなさい。別に用がある訳ではないの。ただ近くを通ったから会いたいなと思ったんだけど、用もなしに来るのは悪い気がして」
「ほんとに畔ちゃんったら可愛いんだから......別に用が無くたっていつでも来ていいよ!」
麗華ちゃんはたっちーを自分の胸元へ抱き寄せた。
「なんか、たっちーにこんな仲の良さそうな友人がいたとは知らなかったよ」
「そうですか。私も畔ちゃんにあなたみたいな知り合いがいるとは知りませんでした」
(何なんだこのテンションの落差は......!)
「悠木先輩、麗華ちゃんは人見知りだからこんな感じだけど、本当はとてもいい子なの」
「ああ、たっちーが心を許せる存在なんだから、きっとそうだと思ってるよ」
麗華ちゃんは番犬のごとく僕のことを威嚇してきた。僕は一刻も早くこの場から離れなければと感じた。
「あのさ?何でたっちーは僕をここに連れてきたんだい?何か意味があるのかい?」
「いや、特に何もないです。いてもいなくても麗華ちゃんのところには来る予定だったんで」
麗華ちゃんは口をへの字、というよりM字(変な意味ではなく)にして僕のことを睨みつけてくる。何か不満げな様子だった。
「な、なんだい麗華ちゃん?」
「気安く麗華ちゃんとか呼ばないでもらっていいですか?それよりも......何ですか?その、呼び方......」
「え?呼び方って?」
「呼び方ですよ......!畔ちゃんの!!!」
麗華ちゃんはいよいよ唸り声を上げ始めた。
「たっちー......のこと?これは僕が付けたあだ名だけど......」
「何なんですかその絶望的にセンスの無いあだ名......!そんなあだ名を私の大事な畔ちゃんに付けないでくださいよ!!!」
「はあぁぁぁッ!?絶望的にセンスが無いだと!?いいじゃないか!たっちー!可愛いだろう!!!」
「めちゃくちゃダサいです!ブサイクです!そんなあだ名付けられるなら死んだ方がいいです!!!」
「そこまで言うことないだろう!!!あだ名くらいで生きる力を失うなよ!!!」
すると、間に挟まれ右往左往していたたっちーが、ぼそっと呟いた。
「......変かな?たっちー。私は気に入ってるんだけど。たっちーって......」
しーーーん......と刹那的な静寂が流れた。
「めちゃくちゃいいあだ名ですねたっちー!!!悠木さん才能あるんじゃないですか!?マジですごいです!!!」
「あー!!!お前手のひら返しやがって!絶望的にセンスがないって言ったよなぁ!?」
「言ってませんけど!?捏造するのやめてもらっていいですか迷惑なんで!!!あと大声出すのやめてください唾が飛ぶんで!!!」
「......ふふっ」
僕と麗華ちゃんの視線は、小刻みに肩を震わすたっちーの方に向いた。たっちーは小さく笑っていた。といっても、顔は見えないのだけれど、でもたっちーは笑っていた。
「悠木先輩と麗華ちゃんが仲良くなれたみたいで安心しました」
「べ、別に私は仲良くなったつもりなんてないけど......」
「僕も全く同感だ。......でも」
「畔ちゃんが笑ってくれるなら問題なし!」
「おい!それは僕が言おうと思ってたセリフだぞ!」
「うるさいです話しかけないでください」
「ちくしょう......」
それからいくらか時が流れた。たっちーと麗華ちゃんはすっかりくつろぎモードに入ったらしく、二人で楽しげに何かの雑誌を眺めていた。そして僕は完全に除け者にされていた。
もう帰りたい。でも、こうして楽しそうな二人の姿を見ているだけでも、何だか心が安らぐようで、僕はその空間に引き込まれていた。
かといって、特に何もすることはなく退屈な訳で、僕は暇つぶしに、殺風景な部屋の様子を、ぐるりと見回してみた。するとそんな殺風景な部屋の一面に、目を惹くものを見つけた。どうやら有働とのツーショット写真らしい。写真はフォトフレームに入れられ、棚の上にぽつりと飾ってあった。
(クソ兄貴とは言っていたけど、心の底では大事に考えているのかもな)
そういえば、有働が少年院にいて、この家には麗華ちゃん以外に人は住んでいるのだろうか。というのも、例えば両親が住んでいるような痕跡がどこにも見当たらない。
アパートの見た目からして、経済的にも苦労しているようだし。
(ちゃんと生活できているのだろうか)
僕はひとり、そんなことに思い耽っていた。
「悠木先輩?」
ふと気づけば、たっちーはすでに立ちあがり、帰りの支度を済ませ、僕を待っているようだった。
「ああ、悪い悪い。そろそろ行こうか」
「本当なら私が畔ちゃんについて行きたいんだけどね。このボディガード頼りなさそうだし......」
「僕は別にたっちーに雇われている訳じゃないぞ」
「何言ってるんですか。もう外は暗いですし、何があっても死守してください」
「死守って......僕の命はどうなるんだ」
「ちゃんと自宅まで送ってあげてくださいね。くれぐれも畔ちゃんに変なことしないように。何かあった時には悠木さんに、死にたくなるようなあだ名付けるんで」
「わ、わかった」
麗華ちゃんはぐちぐち言いながらも、僕らを玄関まで見送りにきた。手にはトングとビニール袋が握られている。
「もしかしてこのスリッパって......」
「廃棄します」
「やっぱりね......」
(ひょっとして経済的に大変なのはこのせいなのでは......)
口には出さなかった。アパートを出ると、すっかり日は沈んでいた。
「これは確かに、送っていかねばならないな」
「悠木先輩は大丈夫なんですか?こんな遅くまで」
「僕なら問題ないよ!ボディガードとしてたっちーに雇われることにしよう」
「見返りを求めてるのなら期待するだけ無駄ですよ」
「ま、これは単なるボランティアさ......」
僕は若干悲しくなったが、そう言って自分を戒めた。見返りを求めない施しこそが、極めて本物の愛なのだと。
「しかし麗華ちゃんの方も、なかなかクセの強い子だね。僕としてはたっちーも、かなりクセの強い子なんだけどさ」
デフォルトでお面をつけているような人間が、変わり者でない訳がない。
「麗華ちゃんは、基本的に人に対しての警戒心が強いんです。特に自分より年上の人には。でも、根はとても優しくて、思いやりもある子なんです」
相変わらずたっちーの表情はお面に隠れていて見えないのだけれど、その話し方には、穏やかな温もりが溢れていた。
「昔いじめっ子達に、溝渠のどぶの中に突き落とされたことがあるんですけど、そこへ真っ先に飛び込んで、私を担ぎ上げてくれたのが麗華ちゃんなんです」
「へえ、あの終末レベルの潔癖症が......」
「自分のためにここまでしてくれる人がいるなんて信じられなくて、初めは何か企みがあるのかと考えてたんですけど、段々とそうじゃないことがわかって、初めて、この世界には良い人間もいるんだなって思えたんです。だから、麗華ちゃんは私の唯一の友達」
(これは勝てないな)
たしかに僕は、たっちーの友人となるには、越えるべきところを越えてないのだろう。ハードルが高すぎる。
おそらく人間は、他の人間と関係し合うことでしか、世界を見渡すことができないのだろう。"人は鏡"という言葉があるが、鏡が写すのは何も自分自身だけとは限らない。その後ろに広がる空の色や川の流れすらも、写してしまうのだ。
僕はたっちーにとって、そんな鏡となれるだろうか。そして、果たして僕は、たっちーからどんな世界を目にするのだろうか。
街灯の灯りだけを拠り所としながら、2人は夜道を辿るのだった。