ギルバートの決意
感想や誤字報告、ありがとうございました。
殿下サイドの話です。
初めて私が彼女に会ったのは、十四歳の時だった。
その日、母である王妃の茶会には八名の令嬢が招待されていた。
バーミンガム侯爵令嬢エミリアは、招待されたその内の一人にすぎなかった。
絹のような銀髪に、菫のような淡い紫の瞳が綺麗な令嬢だった。
けれど、見た目だけなら他の令嬢も負けてはいなかった。
招待された全員が、私に気に入られようと必死に着飾っていたからだ。
そんな中、比較的落ち着いたドレスを着た彼女は、正直に言えば八人の中でかなり地味な印象だった。
それが私には少しだけ不思議だった。
名目は王妃主催の茶会だが、実際は私との見合いがメインだ。
各家もそれを知っていたからこそ、ここぞとばかりに令嬢を着飾らせていた。
だからこそ、やる気がない…と言っては失礼だが、他の令嬢よりも地味な装いが不思議で仕方なかった。
だが、私は直ぐに彼女の父が宰相を務めている事を思い出して納得した。
彼女は恐らくこの茶会の裏事情を知っているのだろう。
裏事情…というほど大層なものではないが、この見合いには、私とノッテンガー公爵令嬢アリシア嬢との出会いを演出するという名目があったのだ。
アリシア嬢以外の七名は、言うならばオマケのようなもの。何故なら、高位の令嬢の中からアリシア嬢を選んだ…、という建前が必要だったからだ。
そのせいなのか、エミリア嬢は私に群がってくることもなく、庭園の花々を眺めながら静かにお茶を楽しんでいた。
何故か私を囲む令嬢達を見ながら、微笑ましそうな顔をしていたのが酷く印象的だった。
「十三歳なのに、まるで孫を見る祖母のような顔だったわ……」
そう語った母に思わず同意した。
妙に老成した雰囲気の令嬢。
それが、私がエミリア嬢に感じた最初の印象だった。
結局、あの日倒れたアリシア嬢のお蔭で、その後の私の婚約者選びは難航した。
候補として頭一つ分抜けていたアリシア嬢。そんな彼女を除いた七名の令嬢は、誰を選んでも他の家が黙っていない程に家力が均衡していたのだ。
悩みに悩んだ王家は、暫く様子をみる事にした。
アリシア嬢の体調が良くなる可能性を考慮に入れたのだ。
だが、体調が戻ってもアリシア嬢が候補に返り咲く事はなかった。
それもこれも、彼女の破天荒な行動のせいだ。
倒れたあの日以降、最初は大人しくしていた彼女だったが、気が付けば幾つもの事業を立ち上げ、そして倒産させる事を繰り返していた。
王家がそれを把握した時には、公爵家がかなり傾いた後だったのだ。
「困ったわね…。こうなったらもう、貴方の好みで決めちゃってもいいわよ?」
誰を選んでも同じ。母はそう言って、令嬢達の近況プロフィールを私に渡してきた。
この時点で、見合いの日からおよそ二年。
早く決めなければ、候補の令嬢達が行き遅れになってしまうという事情もあったからだ。
「学院の成績だけで選ぶならロッテン侯爵令嬢ね。でも、社交に秀でているオルスト公爵令嬢も捨てがたいし、語学が堪能なエッセン辺境伯令嬢もお勧めよ」
母が言うように、候補に選ばれただけあって、全員がそれなりに優秀だった。
益々選びにくい。
「そう言えば彼女のプロフィールはありませんね?」
「彼女?」
「バーミンガム侯爵令嬢です」
「彼女は数合わせで来て貰っていたのよ。宰相は、娘を王家に嫁がせたくないみたいだから」
理由を聞けば、バーミンガム侯爵令嬢本人が望んでいないという話だった。
「なぜでしょうか?」
「王妃という重圧に耐えられそうにないから…と聞いてるわ」
「なるほど……」
「こちらとしては、その重圧を理解してくれているお嬢さんこそ理想なのだけれど…」
「そうですね」
王妃というのはただ着飾って王の隣で笑っていればいいだけの存在ではない。
国内の社交だけでなく、外国との交渉を含め、多岐に渡って王を支えていく立場にある。
けれど、年若い令嬢の中には、ただ贅沢が出来ると勘違いしている者も多い。
「彼女が気になる?」
「気にならないと言えば嘘になります。でも、望まない方を婚約者にしても、潰れてしまうだけでしょう」
王妃教育はかなり大変だ。
やる気がなければとても続かないだろう。
「難しいわね…」
「ええ…」
少し保留にしてくれるように頼んだが、その後も婚約者選びは遅々として進まなかった。
その後、六人の令嬢の人となりを観察したが、誰も彼も同じように見えて選ぶことが出来なかった。
そうして、決まらないまま過ぎていく日々。
しかし、私も十六だ。
腹を括って婚約者を選ばなくてはいけない時期に来ている。
気が重い…。
自分の将来の伴侶を選ぶのがここまで憂鬱だとは思わなかった。
そんな中、私に、いや国にとってのある転機が訪れた。
「ギルバート!喜べ、バーミンガムが塩の生成に成功したようだ!」
父である陛下に呼び出された執務室で、我が国において今後の貿易の要になる塩の生成に成功した事が報告された。
ノッテンガー公爵令嬢アリシア嬢が始めた塩事業。
諦めるには惜しい事業だったが、上手く行く見込みはほとんどなかった。
失敗しても仕方ない。むしろ成功すれば僥倖と思われていた。
ゆえに、バーミンガム侯爵は自身ではなく息子であるエリュシオンに全てを任せたと聞いている。
「父に塩事業を丸投げされたよ……」
そう愚痴っていたのは友人であり側近でもあるバーミンガム侯爵家嫡男のエリュシオンだ。
忙しい当主の代わり…と言えば聞こえはいいが、王家から出された無理難題を押し付けられた格好になっていて申し訳なかった。
お蔭で彼は現地へと泊まり込んでずっと塩の開発に勤しんでいた。
「でも、妹を始め、みなが本当に協力してくれて助かったよ……」
「エミリア嬢が?」
「何も出来ないと言いつつ、随分と現地の人間との緩衝材になってくれた。本当に助かった」
アリシア嬢に見捨てられた形となった現地の従業員は、貴族に対してかなり懐疑的になっていた。
エリュシオンやエミリア嬢が来た当初はかなり関係もギクシャクしていたらしい。
けれど、泊り込みで頑張る二人に、次第に現地の人間も協力的になったようだ。
「一人だったら心が折れてたかも……」
「そうか……」
「エミリアは本当に天使だよ」
その後、延々と塩事業とは名ばかりの妹自慢を聞かされた。
平民と一緒に食事をし、汗を厭わずに熱い作業も手伝っていたと聞いて少々意外だったが、それだけ兄であるエリュシオンを支えることに全力を尽くしていたのだろう。
支えてくれる家族がいる。
その事が非常に羨ましくなった。
おそらく、私がエミリア嬢を意識し始めたのはこの頃だろう。
侯爵家嫡男である兄を支える手腕。
実務をする兄の精神的な支えとなっていた彼女は、エリュシオンの自慢の妹だった。
傍に居て話を聞いてもらえるだけで、頭がすっきりするんだと彼は言っていた。
彼女に説明することで、状況を整理できる。しかも彼女のアドバイスはいつも的確で、行き詰っても一緒に悩んでくれる姿勢が心強いと饒舌に語っていた。
そんな話を聞きながら、私は彼が非常に羨ましかった。
彼と違って私にはその様に寄り添ってくれる存在はいない。
両親も側近も非常に良くしてくれているとは思う。
けれど、将来この国を背負うという重圧は誰にも肩代わりできるものではなく、迂闊に弱音を吐けないのが現実だった。
弱音や愚痴を聞いてくれる相手。
聞くだけでなく、一緒に寄り添って悩みを共有してくれる相手。
そんな存在を手にしているエリュシオンが羨ましくて仕方ない。
私にもそんな相手がいれば……
気付けばそう考えていた。
それからは、会うたびにエリュシオンに彼女のことを聞くようになっていた。
シスコンである彼は、いつも喜んで彼女の事を話してくれる。
「もしかして、うちのエミリアは候補に入ってますか?」
余りにも私が彼女のことを聞くので、とうとうエリュシオンから探りが入った。
けれど、私は慌てて首を振る。
「残念ながら彼女は候補に入っていない。……バーミンガム侯から彼女を嫁がせる気はないと聞いている」
「そうですか…。ちょっとだけ安心致しました」
「なぜだ?未来の王妃ともなれば、生家であるバーミンガムにとってもいいのではないのか?」
「エミリアに王妃が務まるとは思えないので……」
私の印象では非常に落ち着いたイメージの彼女だったが、どうやら家族の認識は違うらしい。
「年を誤魔化してるんじゃないかと思うほど落ち着いている妹ですが、少々面倒な一面もあります」
「面倒な一面?」
「ええ。平民との距離が異常に近いのです」
生まれも育ちも生粋の貴族であるはずのエミリア嬢。
けれど彼女は何故か平民に対する垣根が異様に低いのだという。
「確かアリシア嬢もそのような感じだな…」
「もしかして令嬢の中で流行ってるんでしょうか?」
「いや、そんな話は聞かないし、他の令嬢は平民に近付くことすらない」
男爵や子爵ならまだしも、彼女達二人の生家は高位の貴族。
なのに何故か、エミリア嬢もアリシア嬢も平民に対して非常にフレンドリーで身分差を余り気にしない。
「悪い事ではないと思います。実際に塩事業はエミリアのお陰で上手く行きましたし、選民意識が高いよりは断然良いとは思ってるんですが……」
王妃となるとまた話は別だとエリュシオンは言った。
やはり威厳というものは大切である。
「……正直に言えば、王妃になると僕や父が気軽に会いに行けなくなるのが嫌なだけですよ。エミリアも望んでいませんしね」
グダグダと尤もらしい言い訳を口にしていたが、要するに最後の理由が一番バーミンガム侯爵家的には重要なのだろう。
彼女ならば私を精一杯支えてくれそうだと思ったが、やはりダメだったようだ。
そうなると、残りの六人の中から婚約者を選ばなくてはいけない。
父である陛下からも、十七歳までに決めるように言われている。
私にはもう、余り残された時間は無かった。
「ギルバート、バーミンガムのパンはもう食べたかしら?」
「ええ、朝食で頂きました」
「凄いわよね~。無事に復活出来たようよ」
アリシア嬢が始めたふわふわパン事業。
引き継いだバーミンガムが尽力したお蔭で、ようやくまた食べられることになったようだ。
「本当にバーミンガム兄妹は凄いわね」
「エリュシオンは大した男だと思います」
「あら、彼だけじゃなく妹のエミリアちゃんも褒めてあげなきゃ」
殺菌方法を考えたのは彼女だと聞いている。
それを聞いた医療関係者が今では彼女に教えを請うているとも聞いていた。
酵母の開発はエリュシオンが主導で行ったらしいが、それでも殺菌方法が確立されなければアリシア嬢の二の舞になっただろう。
「エミリア嬢……、まだ婚約者は決まっていないそうよ」
それはそうだろう。
バーミンガム侯爵もエリュシオンも相手の選定にはかなり力を入れている。
生半可な相手では鼻にもかけて貰えないと専らの噂だ。
「……ねぇ、ギルバート。そろそろ覚悟を決めたら?」
「覚悟……ですか?」
「ええ。じゃなきゃ、他の男に攫われるわよ?」
思わず心臓が跳ねた。
恐らく、動揺は顔にも出ていたと思う。
「……もしかして、彼女の相手が見つかったのですか?」
「隣国から幾つか話が来ているらしいわ……」
あれだけの美貌と知性を持つ彼女なら、それも当然だろう。
だが、母が話題に出すくらいだ。相手は侯爵でも断るのが難しい相手なのかもしれない。
だが、そこまで考えて、不意に私を襲ったのは不快感だった。
彼女が他の男のものになる。
会えば、いつも柔らかい微笑みで話し掛けてくれる彼女が他の男と結婚する。
考えれば考えるだけ、ゾッとするほど自分の頭の中が煮えていくような錯覚に陥った。
「あらあら……」
そんな私を見て、母が楽しそうに笑う。
「やっと自覚が出来たのかしら……?」
「そうですね…」
他の男に渡したくないと思うほど、どうやら私は彼女が好きだったらしい。
自分でも驚くほど、すんなりとそれを認めることが出来た。
だが、それでもやはり彼女を婚約者にする事には躊躇いがある。
「彼女は嫌がるでしょうね……」
「では、諦める?」
諦める。
つまり、それは彼女が他の男のものになるのを黙って見ているという事だ。
それだけは絶対に嫌だった。
例え彼女に嫌われようとも、もう彼女以外の候補は考えられなくなっていた。
「……母上」
「なぁに?」
「彼女を……、バーミンガム侯爵令嬢エミリアを私の妻に望みます」
「分かったわ。全ては貴方の望みのままに……」
彼女の婚約が遅かったのは、王家の方で止めていた事を後で知った。
どうやら私の想いは周りにはバレバレだったようだ。
しかし、肝心のエミリアには全く通じていないのが悲しい。
『殿下、わたくしはいつでも殿下の為に身を引く所存ですので、気になる方がいらっしゃったら直ぐにお知らせ下さいませ』
『わたくしは平民だからとか貴族だからとか拘るつもりは全くございません。なので殿下が平民や下位の、そう例えば男爵令嬢と恋仲になられても心から応援いたしますわ』
こちらの気を全く知らないのだろう。
事ある毎に、他の令嬢を薦めてくる彼女に心がささくれだってくる。
何故、そんなにも男爵令嬢を気にするのか?
どうして平民の女性を見る度に、害意はないとアピールしてくるのか?
そこまで私との婚約は不本意だったのだろうか?
ついついそんな事を考えてしまう。
その上……
「サリオット男爵令嬢、もしかしたら彼女が殿下の運命のお相手かもしれません」
そんな事を言い出した時は眠れないほど落ち込んだものだが、彼女は直ぐにその言葉を撤回してくれた。
それほどまでにサリオット男爵令嬢は他の令嬢、いや平民に比べても非常識だったからだ。
「あれはない……」
そう呟いたきり、エミリアがサリオット男爵令嬢を薦めてくることは無かったのでホッとした。
むしろ、男爵令嬢が巻き起こす問題を一緒に処理してくれるようになり、エミリアと私の仲が深まったのは幸いだった。
けれど、エミリアはまだ私との婚約について思うところがあるのか、時々重いため息をついては何かを考えているようだった。
王妃教育もかなり大変だと聞いている。
申し訳ないという気持ちもあるが、それでもやはりもう彼女以外の妃は考えられない。
共に過ごす時間が長くなればなるほど、そう思うようになっていた。
「えっと、殿下。少々尋ねたいことが……」
ある日、そう切り出したのはエリュシオンだった。
「どうかしたのか?」
「妹がですね、最近なぜかやたら自分と殿下が婚約を破棄した場合どうなるのか?家にお咎めなどはあるのか?……などと聞いてくるのです」
「エミリアが?」
「はい。聞かれる度に、王家との婚約をこちらから破棄することは出来ないと伝えたのですが、何故かエミリアは卒業パーティーで殿下から破棄されるかもしれないと言うんです。………念のためにお聞きしますが、そんな予定が?」
「あるわけないだろ……」
何故わざわざ卒業パーティーという慶事の場でそんな事をしなければいけないのか?
婚約破棄をするなら、それ相応の書類や根回しが必要だ。
そもそも、私はエミリアと婚約破棄をする気など全くない。
今すぐにでも結婚したくて堪らないくらいだ。
「エミリアはまだ諦めてないという事かな……」
「申し訳ございません」
エミリアに嫌われているという事はないと思う。
けれどやはり彼女は王妃になりたくない気持ちが強いようだ。
しかし、だからと言って私が王太子である限り、それから逃れることは出来ない。
「最近はノッテンガー公爵もうるさいし、結婚は早めた方がいいだろうか…」
「公爵はまだ殿下とアリシア様の婚約を諦めていないのですか?」
「アリシア嬢が最近大人しいので期待しているんだろう。………もしかしたらそちらの家にも煩く言ってくるかもしれないが、無視してくれ」
そこでふと嫌な予感がした。
もしかしてエミリアはアリシア嬢と私の仲を疑っているのかもしれない。
「エミリアには私から婚約破棄は絶対にしないと言っておくよ」
「……宜しくお願い致します。エミリアは普段非常に大人しいのですが、時々思考が思わぬ方向に向いている時があるので、余計なことを考えていないか心配です」
そんなエリュシオンの予感はある意味当たっていた。
アリシア嬢との婚約の話を出したところ、驚きつつも冷静に受け止めている彼女がいた。
普通であれば、絶対に嫌だと拒否する場面であろうに、彼女は苦笑しながらも、慰謝料をくれるなら喜んで婚約破棄に応じると言った。
その時の私の気持ちを何と表現すればいいだろう。
まさか彼女からそんな返答が返ってくるとは思わなかった私は、一瞬だけ呆然とした。
そして次に襲ってきたのは、荒れ狂う身のうちを焦がすような嫉妬ではなく、純粋な怒りだった。
私の気持ちに全く気付かないエミリアに対する怒り。
そして、それでも彼女が欲しくて堪らない飢餓にも似た欲望。
そんな二つの想いが絶望と共に胸に交差する。
その後、私はどうやってその場を辞したのか余り覚えていない。
ただ、エミリアが憔悴した様子で帰ったと聞いたので、かなりまずい態度だったのは確かだ。
慌てて、手紙と花を送れば、直ぐにエミリアからも謝罪の手紙が送られてきた。
だがこの一件で、私の彼女に対する態度を改める事にした。
彼女を強引に婚約者にした負い目があったのだが、もう遠慮などしている場合ではないと気付いたのだ。
優しいだけの男を演じていても、彼女には全く響かない。
それを嫌というほど実感させられた。
だから私は、自分の欲望に忠実になろうと思う。
だから―――、覚悟しなよ、エミリア。
私は、絶対に君を逃がさない。
次は、アリシアサイドの話を書くと思います。




