後編
結局、あれから二ヶ月経っても私と殿下の婚約破棄についての打診は何もなかった。つまり継続のままだ。
そして、アリシア様が手放したスプリング事業は、カーレル辺境伯が買い取ることになった。
カーレル領には鉄鉱石の取れる鉱山があり、製鉄業が非常に盛んだ。スプリング事業の内容を聞いた辺境伯が是非買い取りたいと申し出てくれたそうだ。
ようやくこれで一件落着かと思いきや、ここに来てアリシア様はまたも問題を起こした。
「まさか獣人の子どもを攫ってくるとは……」
「何故そんな事を?」
「彼女が言うには、強制労働させられていた獣人の子どもを保護しただけらしいんだ」
しかし真相は全く違ったらしい。
養い親である行商人夫婦の手伝いをしていた獣人の少年を、彼女が何も言わず連れ去ったようなのだ。
彼女いわく、体格のいい獣人の子どもを重労働に使うのは違法だというのだ。
だが、それは獣人の少年自らが違うと主張し、あまつさえ彼は自分から警邏隊に誘拐されたと保護を求めてきたらしい。
泣きながら必死で彼を探していた行商人の夫婦とは無事に出会え、事件は無事に解決。
………とは、当然いかない。
誘拐犯がいると案内されてきてみれば、それが公爵家だったのだ。その時の警邏隊の心痛はどれほどの物だろうか。
『だって、人間の夫婦に獣人の子どもなんておかしいわ!絶対に強制労働させるためよ!』
アリシア様はそう主張したが、真相はもちろん違う。
行商人の夫婦は、ある日隣国近くの森で、野獣に襲われている馬車を発見。残念ながら馬車に乗っていた人は全員が死亡していたのだが、たまたま森の奥に逃げ込んでいた獣人の少年一人だけが助かったらしい。
その後、その夫婦は自分達の息子としてその少年を育て、一緒に行商の旅に出ていたようだ。
保護された少年曰く、それはそれは大事に育てて貰っていたようだ。
そんな両親に恩返しがしたくて重い荷物を運ぶののどこが悪い!と泣きながら主張したらしく、警邏隊本部が涙に濡れたとか……。
「アルベルト殿下といい、どうもアリシア様は獣人の方がお好きのようですわね」
「そのようだ。だから、どうせならあちらの国で結婚相手を見つけてはどうかと思ってアルベルトに連絡をとってみたんだが、見事に断られてしまったよ……」
「まぁ……」
「彼女は確かに獣人好きなのだが、どうも自分達を見下しているような感情を感じるんだそうだ」
「……そう言えば、アリシア様はしきりに『差別は良くない』という意味の分からない主張をされてますわね」
「ああ。確かに就ける職業と就けない職業があるのは事実だが、身体的な特徴で仕事が変わるのは差別ではなく区別だ。単に体格差を含む能力値の問題なのだが、何故か彼女はそれを理解しようとしない。はっきり言えば、保護するべきだとする彼女の主張こそが、彼らを下に見た発言だと受け取られている」
彼女はやたらモフモフ好きだと言っているが、彼らは愛玩動物ではないのだ。
保護するという発言もそうだし、やたら獣人ばかり優遇するのもある意味逆差別にあたる。
獣人だからとか人族だからという括りを一番しているのは彼女だ。
「アルベルトからは、絶対に国から出すなと言われてしまったよ」
「そこまで…」
貴族が国を渡る時は必ず許可書が必要となる。前世でいうパスポートのようなものだ。
取り敢えず、当分彼女にはその許可が下りない事になっているらしい。
「国内ならまだしも、他国で問題を起こされると国際問題に発展するのでね」
「確かにそうですわね…」
しかしそれにしても、彼女は本当に一体何がしたいのか?
近頃の彼女は、ノッテンガー公爵から家の困窮を伝えられて、ようやく新規事業の立ち上げを断念したと聞いている。
単にネタがなくなったんじゃないかと思ってるのだが、まぁ、大人しくしてくれるなら万々歳だと思っていたが、そこに来て今回の騒動である。
だが、さすがに今回は王家からも結構なお叱りがあったらしく、暫くは唯一頑張っている服飾事業に注力するらしい。
「保護した子に泣かれたのが堪えたらしいから、当分は大人しくしていると思うよ」
「そうだといいですわね」
そんな話を殿下としてから三週間。
反省したというのは本当だったらしく、最近の彼女は貴族らしく夜会などに出ては社交を頑張っている。
しかし、やはり何かと言うと私や殿下をジッと見ているのだ。
こちらが目を合わせると慌てて目を逸らしたり、かと思えば薄っすらと微笑みを浮かべたりと、かなり意味深な態度を取ってくる。
そんな事が何度も続くとさすがに周りも気づき始め、最近ではあらぬ噂が出回っているらしい。
アリシア様が王太子殿下を狙ってるんじゃないかとかいうものだ。
そのお陰で、注進という名のおせっかいを言ってくる方々がいらっしゃるのだが、正直に言えば、狙ってるならどうぞ……と言いたいのが私の心情だった。
やはり私には王太子妃というのは荷が重い。王宮でこうしてお茶を飲んでいてさえ、未だに場違いな感じがして居たたまれないのだ。
だが、絶対にそんな事は口に出せない。
何故なら、この件に関して少しでも口に出せば、何故かギルバート殿下の機嫌が氷点下まで下降するからだ。
今後、婚約破棄を少しでも口に出そうものなら、このまま学院の卒業を待たずに籍をいれると断言されている。
どうやら、それほどまでにアリシア様が嫌いらしい。
だったら他の令嬢にすればいいのに…と思うが、それを口にしても機嫌が下降されるので、最近では口にしないように気をつけている。
それにしても分からないのはアリシア様だ。
最初は彼女が手放した事業のことで文句を言いたいのかと思っていた。
だが、暫く観察して思ったのだが、どうにも彼女はギルバート殿下を好いているらしいと思える行動を繰り返している。
周りの邪推でそう見えるだけかと思ったが、殿下を見つめるその瞳は恋する乙女のそれだった。
まぁ、殿下は非常に格好いいしね。
前世から数えても、トップと言える容姿をされているのは間違いない。
だが、彼女は自分から婚約者の座を辞退してきたくせに、今頃になって何なのか?
どうせなら私が婚約者になる前にアプローチして欲しかったと思えて仕方ない。
というか、モフモフはもういいのか?
「ところで彼女、やたら最近学院で会うんだけど、君の方はどうだい?」
「以前のようにチラチラとこちらを見られてきますが、特に何も…」
最近の彼女はいわゆる構ってチャンになりつつある。
当然係わりたくないのでスルーしているが、ちょっと鬱陶しい。
「殿下にお話があるのかもしれませんね」
「お話ね……」
「一度お時間を作って彼女と話してはいかがですか?意外とスッキリするかもしれませんわよ」
「ふ~ん、君は私と彼女が話をしても何とも思わないんだ?」
あっ、失敗した。
どうやらまた殿下の地雷を踏んだらしい。
にこやかだった殿下の表情が途端に冷たくなった。
綺麗なエメラルドグリーンの瞳が細められ、責めるように私を睨みつけてくる。
「エミー…」
「は、はい…」
「君が私との結婚に前向きでないのは知っているけれど、私にも我慢の限界というものがあるよ?」
「そ、そんなつもりは…」
どうやらこの婚約に乗り気でないのはバレていたらしい。
自分ではかなり気を使っていたはずなので驚いた。
「例えば君と私が婚約を白紙に戻した場合、どうなると思う?」
「それは……」
当然、アリシア様を含めた数多の令嬢が殿下の寵を競うようになるだろう。
ちょっとだけ見てみたい気がする。
「殿下の下へは私より素敵な令嬢との縁談が…」
ギルバート殿下にその気になって頂こうと、おすすめ美女の話をしてみたが、何故か益々殿下から発せられる冷気が濃くなっていく。
「エミー、それ本気で言ってるのか?」
「あの……」
「まぁ、確かに君の言う通り、掃いて捨てるほどの令嬢が私に群がってくるだろうね」
「そ、そうですね……」
「けどね、それだけじゃないよ。私に群がるということはね、君にも群がるという事だよ」
「まさか……」
この婚約が白紙になれば、どんなに私に非がなくても傷物令嬢になってしまう。
昔と違ってそれで嫁ぎ遅れになるほどの支障がでる事はないが、それでも敬遠する方は少なからずいるだろう。
「君のバーミンガム侯爵家はかなり裕福だ。最近始めた事業はどれも大当たりしている」
「ある意味、アリシア様のお陰ですわね」
「そして君は学院でも成績優秀で、容姿も申し分ない」
「私ほどであれば、他にも沢山いらっしゃいますわ…」
話をしながらも、殿下の纏う空気が更に重くなっていくのが分かった。
本当に殿下の地雷はどこに隠されているのか未だに分からない。
というか、何がそんなに気に入らないのか……
「私が君を手放したとすれば、どれだけの男が君に群がるんだろうね…」
「殿下の考え過ぎですわ……」
「あぁ………、私が一国の主となって重圧で苦しんでいる間、君は好いた男と楽しそうにしてるんだと思うと腸が煮えくり返りそうだ……」
「で、殿下……」
徐々に言葉が不穏なものになっていく。
普段の殿下からは想像出来ないほど、瞳が暗く濁って見えた。
唇は怖いくらいの笑みを浮かべているのに、瞳の奥で暗い炎がユラユラと不穏に揺れている。
「あの……」
怖くなって周りを見渡す。
そんな私の視線に気付いた侍女達と警護の騎士が小さく首を横に振ったのが見えた。
貴方の自業自得ですよ……
部屋の中に居た全員の心の声が聞こえた気がした。
「ギ、ギルバート殿下…」
「なに?」
「今日はもうそろそろお暇させて頂こうかと……」
「帰るってこと?」
「は、はい…」
これは早々にお兄様にご相談したい。
だが、そんな私の心情を無視するように殿下はゆっくりと口を開いた。
「アーノルド、今日からエミリアはここで暮らすから至急バーミンガム侯爵に連絡をつけてくれ」
「殿下?!」
「それからノッテ女官長は直ぐに彼女の部屋の準備を」
「殿下!お待ちください!」
私の叫びを無視し、殿下は次々に指示を出していく。
その指示に従い、次々と部屋を出て行く侍従や侍女。無駄に有能なので早い。
「殿下?!何をお考えですか?!」
「君のことしか考えてないよ」
「……殿下……」
「君が王太子妃なんてものを望んでいないことはずっと知っていたよ。だからこそ、私はこれでもずっと我慢をしていたんだ。望まない君を縛るのは良くないとね。………でも、ダメなんだよ。さっきも言ったけど、君が他の男に笑いかけるところを想像しただけで相手の男を殺したくなるんだ」
内定していたアリシア様が辞退したため、王太子の婚約者は中々決まらなかった。
抜きん出ていたノッテンガー公爵以外、みな似たり寄ったりレベルだったからだ。だからこそ、塩事業で当てた我がバーミンガム侯爵に決まったのかと思っていたが、まさか殿下の一存だとは思いもしなかった。
「ねぇ、エミリア……」
「はい……」
「私は君の将来の夫を殺したくないんだよ。分かってくれるかな?」
「え、ええ……」
「じゃあ、明日からも宜しくね。もう私は遠慮しない事にしたから」
こうして私はそのまま城住まいとなり、その後侯爵家へと帰ることを許して貰えなかった。
直ぐにでも結婚をという殿下を説得し、何とか学院を卒業出来ることになったのだが、最後の最後、卒業パーティーでまたもやアリシア様がやらかした。
「エミリア様!今まで貴方に色々なものを押し付けてごめんなさい!」
「アリシア様……」
「嫌がる貴方に王太子の婚約者という重圧を押し付けてしまって……」
申し訳なさそうに涙を流すアリシア様は本当に反省しているようだった。
だけどお願い、待って!
聞いてるから!
殿下も聞いてるから!
「私、あれからとても反省しましたの。だから、もし貴方さえ宜しければ今からでも交代を」
「えっ、本当に…」
思わず一瞬だけ喜んでしまったけれど、腰に回された殿下の腕に力が込もった事で我に返った。
「エミリア……?」
にっこりとした見惚れるような笑顔。
けれど、瞳が全く笑っていない。
綺麗なはずのエメラルドグリーンが濁っている。
「あの…、も、もちろん、私は殿下のお傍におりますわ…」
「そうだよね、良かった」
ふんわりと微笑む顔は天使のようなのに、何故かまともに顔を注視出来ないほどに怖い。
そしてそれは間近で殿下を見ていたアリシア様も一緒だった。
初めて見るブラック殿下に顔を青褪めさせている。
「アリシア嬢」
「は、はいっ!」
「妙な憶測で彼女と私の仲を否定するのは止めて貰おうか」
「申し訳ありません…ッ」
微かに震えながら詫びるアリシア様を一瞥し、殿下は私の腰を更に引き寄せる。
「この新しい門出の日に、みなに知らせたい事がある。私とエミリアの結婚の日取りが正式に決まった。忙しいとは思うが、良ければ参列してくれ」
殿下の声に、ワッとお祝いムードで会場が盛り上がる。
そんな中、私とアリシア様だけが、呆然とそれを聞いていた。
というか、結婚式の日取り……、聞いてない……
当事者なのに聞いてない……
「エミリア…、もうそろそろ諦めようか?」
にっこりと微笑んだ殿下にはもう逆らえないと悟った。
これだけ大々的に外堀を埋められては、もう私に逃げ道はないも同然だ。
たとえこれから何があっても殿下が婚約者を変更する事はないだろう。
これはもう、覚悟を決めた方がいい。
今日、それを嫌というほどに実感させられた。
それにしても、どうしてこんな事になったのだろうか。
いや、どうしたもこうしたもない。
全ては私に殿下を押し付けたアリシア様が元凶だ。
「…いつのまにヤンデレルートに入ってたんだろ……。やばい、これは関わっちゃダメなやつ…ッ」
「え?」
「な、なんでもないわ、エミリア様!……どうか殿下とお幸せに!」
「いや、ちょっと待って!今なんて?!」
不穏な言葉を残して慌てて会場を去っていくアリシア様。
ちょっと待ってアリシア!!
あんた今なんて言った!
ヤンデレ?!
ヤンデレって言ったの?!
これ、普通の乙女ゲームじゃなかったの?!
「さぁ、エミリア…。そろそろ私達も帰ろう」
「で、殿下…」
覚悟を決めた矢先に投下された爆弾に思わず声が震える。
ヤンデレというパワーワードに、ここで諦めてはいけないような気がしてきた。もうなりふり構っていられない心境だ。
「あの…、今日くらいは折角ですので家族と過ごしたいのですが…」
お兄様に相談したい。
そして出来ればそのまま隣国辺りまで逃がしてくれないだろうか。
「エミリア…」
「……何でしょう?」
「同じ城に住んでいるのに、私は結構我慢したと思うんだよね?」
「な、何をでしょう?」
嫌な予感がして、聞き返す言葉が微かに震える。
そんな私の耳元に唇を寄せ、殿下は低い声で呟いた。
「……あんまり我が侭を言われると初夜まで我慢出来なくなるかも…」
その言葉が意味することなど一つしかない。
私は慌てて、先ほどの言葉を訂正する。
「せ、折角だから今日は殿下と卒業のお祝いをしたいと…」
「そうか、それは嬉しいなエミー。二人でお祝いしようね」
ニッコリと微笑む美貌の王太子殿下。
私はもう、この方から逃げられない運命に陥っている。
アリシア~~~~~~~~~~!覚えてろよ!
需要があればその内に殿下やアリシアサイドのお話も書こうと思います。