前編
息抜きで軽く読める話を書いたつもりが思いのほか長くなったので三話に分けました。
暇つぶしにお読みください。
私の名前は、エミリア・バーミンガム。
結構上位の貴族に当たるバーミンガム侯爵家の長女だ。
いわゆる侯爵令嬢というものであり、幼少の頃から蝶よ花よと大切に育てられ、それと同時に厳しい令嬢教育も受けていた。
自分で言うのも何だが、私は結構な美人だと思う。
真っ直ぐに伸びた綺麗な銀髪に菫のような紫の瞳は、生前もっさりとした黒い癖毛にそばかすだらけの喪女だった私には眩しいくらいに輝かしい。
そう、今の言葉で分かったとは思うが、私には前世の記憶というものがある。
日本という、こことは明らかに文明の異なる場所で暮らしていた記憶だ。
けれど、だからと言ってどうという事はない。
生前の記憶はかなり朧気で、自分の名前さえ詳細に覚えていない程度だ。また、残念ながら普通の会社員として働いていた記憶しかないので、この異世界で役に立ちそうな知識は皆無である。
前世を思い出した直後は、『これが噂の異世界転生か?!私Tueeeeしちゃう?!』なんて思っていた時期もあった。
でも、所詮は凡人。出来ることは全くと言ってない。
転生物の小説はよく読んだが、みんなどうやってあんなに色々な事を知っているのか不思議で仕方ない。
カレーはレトルトのカレールーしか使ったことはないし、お酒だって缶ビールか缶酎ハイ。酒や塩の精製方法なんて知らん!
という訳で、前世の知識を全く活用することなくまったりと生きていた。
そんな私に転機が訪れたのは、十三歳になったばかりの頃だった。
王妃様主催の茶会と称されたその場には、高位の貴族令嬢が八名ほど呼ばれていた。
全員が公爵・侯爵・辺境伯のいずれかの名のある令嬢方だ。十三~十五歳の婚約者のいない令嬢ばかりを集められたこのお茶会の目的は明らかだった。
「息子のギルバートよ」
そう言って王妃様がご紹介して下さったのは、十四歳になられたばかりの麗しい王太子殿下。
王家特有の輝くような金髪に深緑を思わせるエメラルドグリーンの瞳が美しい将来有望な美青年だった。
はぁ~、さすがに王子様。格好いいわ~
聞けば、文武ともに非常に優秀だとか。体格は未だ成長過程の為小柄に見えるが、これからますます逞しくなっていく事だろう。
だが、『眼福だ、目の保養だ』とのんびりしていた私とは違い、他の御令嬢は目の色を変えて一斉に殿下へと群がった。
それはそうだろう。
どう見てもこのお茶会はお見合いを兼ねている。
故に、王太子妃なんて面倒で重責のある立場は遠慮したい私とは違い、この場にいる令嬢達はみんな王太子に気に入られようと必死だ。
「殿下、お初にお目にかかります」
「わたくし、エッセン辺境伯の……」
着飾った令嬢から次々と勢い良く挨拶が飛んでくる状況に、殿下の腰が引けている。
落ち着いていると言っても、殿下だってまだ十四歳。慣れない状況で戸惑うのも仕方ない。
いやぁ~、若いっていいね~
どちらも初々しくて微笑ましい。
なんて、すっかり近所のおばちゃんモードでそんな輪を見ていた私。
そんな中、私と同じように、殿下に群がらずに成り行きを見守っていた一人の令嬢がいた。
婚約者候補筆頭でもあるノッテンガー公爵令嬢のアリシア様だ。
だが、のんびりお茶を啜っていた私とは違い、彼女は驚きの表情で固まっている。
「アリシア様、どうかされましたか?」
美貌の王太子に見惚れているように見えなくもないが、やはり少しだけ様子がおかしい。
ぶっちゃけて言えば、瞬きを忘れるほどに目を見開いている顔が若干怖いのだ。
「アリシア様?」
「お、乙女ゲー……ッ」
もう一度声を掛けた瞬間、彼女はそんな事を呟いて目の前で勢い良く倒れた。
慌てて私が駆け寄ると同時に、傍に控えていた侍女や護衛が飛んでくる。
そして直ぐに彼女は客室へと運ばれたが、結局お茶会はそのまま中止になってしまった。
そんなお茶会から四年経ち、私は王宮にある中庭に面した一室で王太子殿下とお茶を飲んでいる。
「エミー、今日は王宮までわざわざ呼び出してすまないね」
「殿下のお呼びとあらば、いつでも喜んで登城いたしますわ」
「ありがとう…」
そう言って優雅な仕草でお茶を飲まれる殿下は、相も変わらす麗しい見た目をしている。
年を追うごとに子どもっぽさが抜けて精悍になり、十八歳になった現在、見惚れるほどに大人の色気が付いてきていた。
何度見ても眼福である。
「ところでお話とは?」
「……ノッテンガー公爵令嬢のことだ」
「あぁ……」
名前が出た瞬間、私達二人の間に重いため息が出た。
ノッテンガー公爵令嬢アリシア。
今、この国の貴族社会で噂になっている人物の一人で、四年前のお茶会で倒れた令嬢だ。
「それに、サリオット男爵令嬢の苦情も殺到している」
「まぁ……」
又しても二人で重いため息を吐いてうな垂れる。
上級侍女によって淹れられた美味しいお茶がなければ今すぐに帰りたい話題だ。
「サリオット嬢に関しては、既に男爵へと最後通牒が済んでいる。このまま改善が見られなければ学院は退学とし、今後王宮主催の公式行事への参加を一切不可とする旨を伝えた」
「男爵はなんと?」
「非常に憔悴した様子で謝罪を繰り返していた。彼もまさか娘がここまで非常識だとは思わなかったのだろう。男爵も散々注意をしているらしいが、『私はヒロインなのよ!』と喚くだけで聞く耳を持たないようだ」
『私はヒロインなのよ!』
その台詞を何回聞いただろう。
目の前の王太子殿下を始め、高位の貴族嫡男に片っ端から声を掛けて付きまとう彼女。
その度に私や他の令嬢が注意をしても、いつも返ってくるのは頭の痛い上記のような台詞だ。
更に…
『どうして貴方が悪役令嬢なの?!』
『貴方がちゃんと悪役令嬢をしないからこんな事になってるのよ!』
などと言っては、私やノッテンガー公爵令嬢アリシア様に絡んでくる。
その度に私やアリシア様は適当にあしらっているので大きな問題は起こっていないが、鬱陶しい事この上ない。
「ところでアリシア様の方もまた何かをやらかしたのですか?」
「ああ。隣国のアルベルト殿下に付きまとっていると報告があった」
「またですか……」
隣国のアルベルト殿下は現在わが国に留学中だ。
ギルバート殿下だけでなく、私も親しくさせて頂いている。
隣国は獣人が主体の歴史ある国で、アルベルト殿下は見目麗しい虎の獣人だ。非常に逞しい体格をしていらっしゃるが、見た目に反して性格は極めて温厚で優しい方である。
けれど、その温厚なアルベルト殿下が苦言を呈すほど、付き纏うアリシア様に困っているらしい。
『モフモフ最高です~。耳を触ってもいいですか?』
『是非、獣化した姿を撫でさせて下さい』
そう言って付き纏う彼女は、アルベルト殿下から痴女扱いされている。
だって考えて欲しい。
彼からすればいきなり見知らぬ女に体を撫で回したいと言われたのだ。
しかも『服を脱いで真っ裸な貴方を撫で回したい(獣化した姿を撫でさせて下さい)』と言われれば、誰だって気持ち悪いに決まっている。
「本当に困りましたわね……」
「一応私から注意したので今は様子見だね。悪いけど、君の方でもアルベルトが困っていないかそれとなく注視しておいてくれないか?」
「承知いたしましたわ」
「まぁ、彼女は当分忙しくなるだろうから、そこまで心配する事もないと思うけどね」
「………アリシア様はまた何か始められたのですか?」
「あぁ、今度は鍛冶工房を買い取ったらしいよ」
「鍛冶工房?」
「なんでも馬車のシートを乗り心地よくするための装置を作るとかなんとか…」
「なるほど……」
ようするにスプリングを開発しようとしているのだろう。
たしかにこの世界の馬車の乗り心地は悪い。特に前世の記憶があれば当然だと思う。
だから、私としてはちゃんとしたスプリングを開発してくれるなら万々歳だ。
しかし…
「……ノッテンガー公爵家は大分困窮しているらしい」
「あれだけ次々と事業を展開していればさすがに……」
先ほどまでの話から分かる通り、今貴族の話題を攫っている二人の令嬢は転生者だ。
しかも私と同じ時代の日本に生まれたようである。
『私はヒロインなのよ!』と言って学院で男漁りを続けるのがサリオット男爵令嬢ノエル様。
そして見合い会場でぶっ倒れたのがノッテンガー公爵令嬢アリシア様だ。
この二人の今までの言動を考察するに、どうやらここは乙女ゲームの世界らしい。
前世では一度も乙女ゲームなるものをした事がないので詳細が分からないが、どうやらサリオット男爵令嬢は主人公で、ノッテンガー公爵令嬢が悪役だったようだ。
だが、前世の記憶を取り戻したノッテンガー公爵令嬢が原作にはない動きをしているせいか、ノエル様曰く、さまざまな弊害が出ているという事だった。
その最たる例が、私とギルバート殿下の婚約だ。
『病弱な私にはとても王太子妃なんて務まりません!』
お茶会の翌日、目を覚ますと同時にそう言って候補から外れた彼女は、どこが病弱やねん?!っと思わず関西弁で突っ込みを入れたくなるくらい元気にしている。
『蒸留酒を造りましょう、お父様!』
『塩なら海から生成すればいいじゃない!』
『可愛い服を庶民に流行らせてみせるわ』
まぁ、転生者のテンプレと言われる事業を色々と展開している。
だがやはり、そんな物が上手くいくのは物語の中だけなのだ。
手作り体験くらいの知識しかない人間に上手く出来るならば、私だって苦労しない。
蒸留方法も塩の生成方法も最初は画期的なアイデアと持てはやされた。だが、簡単な仕組みは分かっていても専門家ではない彼女に詳細が分かる訳がない。
後はお任せとばかりに放置した結果、事業はあっという間に傾いた。
何度も言う。優秀な人間ばかりが周りにいるのは物語の中だけだ。
確かに優秀で研究熱心な人も多いだろうが、アイデアだけ出しては次々に他の事業を立ち上げていく彼女に付いていく人は誰もいなかったのだ。
結果、工場を作っては閉鎖していく事を繰り返し、徐々にノッテンガー公爵家は困窮していった。
「公爵曰く、今度こそは…と思ってしまうそうだ」
「気持ちは分かります。確かに彼女のアイデアは素晴らしいですわ」
「ただ、後が続かない…」
唯一上手く行っている服飾事業でギリギリの体裁を整えているのが現状だ。
そんな状況なので、ノッテンガー公爵に泣きつかれ、支援という形で我がバーミンガム侯爵でも幾つかの事業を買い取らせて貰った。
塩事業とふわふわパン事業だ。
この世界の人間は、海水のしょっぱさが塩分だとは知らなかったようなので、海水から塩を取り出すというアイデアは悪くない。
ただ、海水を煮詰めれば塩の結晶が出来ることくらい私だって知っている。けれど、私がそれをやらなかったのは、ただ単に出来上がった塩がマズイからだ。にがりの成分が残ったままなので、かなり苦い。
塩事業の話を聞いた当初、私は非常に感心した。彼女がにがりを取り除く方法を知っているのだと思ったからだ。
だが、どうやら彼女の知識も私と似たようなものだったらしい。塩が出来たのはいいが苦味が酷くてとても料理に使えるモノにならなかったと嘆いていたようだ。むしろにがりを知らなかった彼女の知識に驚いたくらいだ。
そんな半端な知識でなぜ工場まで建てた?
だが、建てたものは仕方ない。頑張ればその内日の目も見るだろう。
けれど、もうちょっと粘って試行錯誤を繰り返せば良かったのに、彼女はさっさと諦めて次の事業へと行ってしまったのだ。
おいおい……、と呆れたのは私だけではなかったはずだ。
だが、その頃には既に彼女の関心は他へと移っており、残ったのは塩事業のために建てられた沿岸工場と人員、そして莫大な借金だった。
と言っても、その借金で潰れるほどの公爵家ではない。
だが、塩事業は上手くいけば国家事業にもなる美味しい産業だ。そこで王家から事業を引き継がないかと打診があり、渋々我がバーミンガム侯爵家が買い取った。
ぶっちゃけて言うなら、最初は彼女同様上手く行かなかった。
だが、私や兄が足繁く通ったお陰で、気落ちしていた工場の従業員がかなり頑張ってくれたのだ。
結果、結晶が出来る直前でもう一度ろ過すればにがりが取り除けることが判明した。
工場にいる方々の努力の結果だ。私は何もしていない。転生者知識は本当に無駄だった。
そして、塩よりも大変だったのが、ふわふわパン工場だ。
この事業も、彼女が独自で開発したリンゴ酵母が成功し、見事に夢にまでみたふわふわのパンが完成した。
パン酵母の作り方なんて全く知らなかった私にすれば、『アリシアたんマジで天才!』と思ったほどに、久しぶりに食べる柔らかいパンは美味しかったのだ。
だが、それも二ヶ月もすれば暗礁に乗り上げた。
酵母に菌が繁殖したとかで、瞬く間に生産が中止に追い込まれたのだ。
『殺菌してなかったんかい!』と突っ込んだ私は悪くない。
工場を買い取ってから知ったが、彼女はビンなどの煮沸消毒すらしていなかったのだ。また、材料のリンゴを確保するのが大変だったらしく、彼女はこの事業も直ぐに手放した。
この時点で彼女が手放した事業は優に八つを超えており、ノッテンガー公爵は金策に追われるようになっていた。
そして、私は自分が柔らかいパンを食べたいという欲求から、この事業を買い取った。
殺菌すればいいんでしょ~♪という軽い気持ちだったのだが、やはりその後は大変だった。
煮沸やアルコールでの殺菌知識では役に立てた私であったが、材料のリンゴの確保では全くの役立たずだったからだ。
そしてそれを助けてくれたのが、次期侯爵である兄のエリュシオンだ。生のリンゴの確保が難しいと知り、乾燥したリンゴで生産出来ないかと実験を繰り返した。
結果、リンゴではなく干し葡萄での酵母作成に成功したのだ。
それからは柔らかいパンが安定して供給されるようになり、塩事業と共に王家からかなりのお褒めにあずかった。
その結果……
私はいつの間にか王太子の婚約者という地位に就いていたのである。
お陰で、自称ヒロインのノエル様には絡まれるわ、妃教育は厳しいわで非常に大変な毎日を送っている。
このまま行けば王族の仲間入り待ったなしという状況に戦々恐々だ。
まだ学院の卒業まで一年ほどあるので、是非ともギルバート殿下には流行の『婚約破棄』をやらかして欲しいと切望している。
けれど、そろそろ自称ヒロインのノエル様が消えつつある昨今、それは難しいかもしれない。
あと期待出来るのはアリシア様だけだが、そちらもこのままでは没落の一途を辿ることになりそうだ。
「ところで、君は最近ノッテンガー公爵令嬢と接触はあったかい?」
「アリシア様ですか?」
思い起こしてみたが、時々学院で見かけるくらいで特に接点はない。
ただ……
「見られているような気がします」
「見られている?」
「ええ。何というのでしょうか…、よく目が合うといいましょうか……」
ふと気付くと、チラチラとこちらを窺っているのだ。
彼女から買い取った事業で儲けているのが気に食わないのかもしれない。
それほど、彼女の視線は何か言いたげだった。
こちらから話し掛けるのを待っている素振りすらある。
「なるほど、どうやら私だけではなかったようだな…」
「…と言いますと?」
「私もジッと何かを訴え掛けるように見られているという事だ。もしかしたら君が何か聞いているかと思ったんだが…」
「残念ながらアリシア様とはほとんど話したことがなく、ご期待に添えず申し訳ありません」
「いや、君が悪い訳ではない。むしろ、今後も余り個人的には接触して欲しくはない。特に彼女と二人だけになるような事態は避けてくれ」
「承知致しました。善処いたしますわ」
「宜しく頼む。妙に嫌な予感がするんだ」
そう言った殿下の予感は、この三ヶ月後に的中する。
馬車のスプリング事業に失敗したノッテンガー公爵が王家へと泣きついたのだ。
この時点で彼女が失敗した事業は、既に十五を超えていた。