6 生まれなかった命
前書き
今回の話はものすごく重いです。
転生してから8年目。
去年両親が激しい熱愛を交わし続けた結果、見事ママンが身ごもった。
最初はママンが食事のあと、吐き出すことがよくあった。
「母上、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫……ウッ、オエエッ」
「母上っ!」
悪阻だな。
ママンの悪阻がかなりひどかったもので、クリスがかなり心配していた。
もしかして、このままママンが死んでしまうんじゃないかと心配し、夜中に俺の部屋に来て、泣き出すことまであった。
俺もママンの悪阻のひどさに心配した。
だが同時に、俺は男としてパパンに笑いかけた。
「父上、やりましたね」
親指たてて、いい笑顔。
普段敬語を使わない俺も、この時ばかりはパパンを大尊敬だ。
ナイスシュート。
ママンの卵に、見事大命中だ。
「お前、本当に8歳児か……」
「失礼な、俺は間違いなく幼気な8歳の子供ですよ」
「……」
なんで悪阻を理解しているんだって目で、パパンが俺を見てくる。
しかたないだろ、俺は「見た目は子供、頭脳はおっさん」なんだから。
もっとも小柄なママンは、妊娠4か月くらいまでお腹が全く膨れなかったので、それまで本当に妊娠をしたのかと、俺もパパンも気が気でなかったが。
それから月日が経つにつれ、ママンのお腹は順調に膨らんでいった。
「念願の妹よ、生まれてこい。さす兄と言ってくれる、ママン似の可愛い妹よ!」
俺は神に……は祈りたくないので、ママンの方角に向かって毎日祈り続けた。
邪神大帝よ、出てくるな。貴様なんぞに祈らんぞ。
「母上、赤ちゃんはいつになったら生まれてくるのですか?」
「ウフフッ、もうすぐよ」
俺の祈りの傍では、クリスがママンのお腹をやさしくナデナデしていた。
なんと絵になる光景。
美人の”母娘”が、生まれてくる赤ちゃんを楽しみにしている光景に見える。
特に妊娠中の女性って、聖母みたいに美しいな。
だが妹(俺の中で確定)が生まれてくれば、クリスなど用済み。
これからは可愛い妹を、お兄ちゃんが大事に可愛がってあげまちゅよー。
その時まで、俺たち家族は新しく生まれてくる命を、楽しみにしていた。
しかし、妊娠から10か月どころか11か月が経過しても、ママンのお腹の中にいる子供は生まれてこなかった。
死産。
ママンのお腹の中の赤ちゃんは、生まれてくる前に、お腹の中で死んでいた。
赤ちゃんが死んでいると分かった後は、ただ悲惨という言葉しか出てこない。
死んだ赤ちゃんをお腹の中に留めたままでは、ママンの命にまで係わる事態となっていた。
医者がいない村だったが、回復魔法を使えるシスターの称号を持った婆さんが、産婆代わりになっていた。
本人曰く、赤ちゃんを何人も取り上げたことがあるそうで、妊娠に関してはかなり詳しかった。
その婆さんが、ママンの体の中に残ったままの死んだ子供を、無理やり降ろすための薬をママンに飲ませた。
「イヤよ、私の子はまだ生きている。だから、そんな薬は飲まない!」
自分の命がかかっていたが、それでもママンは泣き叫びながら、お腹の中にいる子供を降ろそうとはしなかった。
泣き叫ぶママンに、それをなだめるパパン。
家の中はとても子供がいられる状態になく、俺とクリスの2人は、しばらくの間、別の家で寝泊りすることになった。
「兄上、母上と赤ちゃんは大丈夫ですよね?」
「……」
状況を完全に理解できてないクリスは、ママンだけでなく、まだお腹の中の赤ちゃんも無事なのだと思っていた。
そんな弟に、俺は何も言えなかった。
両親は今どうしようもない絶望の中にある。
クリスは状況を正しく理解していないものの、それでも両親の様子を見て、ただ事でないことを肌で感じ取っている。
俺も、まさか念願の妹だと期待していた赤ん坊が、生まれることもできず、既に死んでいるとは、思いもしなかった。
この世は残酷だ。
子供を授かったのに、実はその子供が既に死んでいる。
そんな両親の姿に、不安を覚えているクリス。
俺も、何も言葉が出てこない。
俺の持つストレージの中には、こことは違う世界で手に入れた、エリクサーなんて代物もあった。
神の奇跡と呼ばれる薬であり、死の淵にある命すら、蘇らせることができる聖なる霊薬。
だが、既に死んだ命に対して、エリクサーは何の役にも立たない。
「ただのゴミだ」
俺は、あの邪神大帝のせいで今まで異世界転移を何度もさせられ、様々な世界で死ぬまで生き、死後は日本に強制的に戻されていた。
だけど、こんなのはあんまりだ。
赤ん坊が生まれることなく死んでいたなんて、あまりにもひどすぎる。
それを助ける手立てすらない。
血はつながっていないかもしれないが、それでも俺の妹か、弟になるはずだった子なのに……
後日、ママンのお腹から降ろされた赤ちゃんの葬儀が行われた。
その時に、取り出された赤ちゃんの姿から、妹だと分かった。
しかし、あまりにもひどい状態であったため、体は棺に納められ、子供であった俺もクリスも、直接妹の姿を見ることができなかった。
「願わくば、神の御許へと召されんことを」
葬儀の場で、シスターの婆さんがそんなことを言っていた。
だが、俺が知っている神のもとに、妹が行ってほしいとは思わない。
あんな奴の所に行くより、俺たち家族のもとに生まれて来てほしかった。
それからしばらく、ママンの状態は最悪だった。
虚ろな目をしていいた。
家族であるパパンや俺、クリスが話しかけても、全く反応することがなく、食べ物を一切口にしない。
瞬きすらなく、ただベッドの上で茫然としているだけで、何日もそんな姿でいた。
可愛かった顔は頬がこけ、体は病人のようにやせ衰えていった。
心の傷が、あまりに深すぎる。
しばらくは、本当に何もできない状態のママンだった。
ママンがそんな状態なので、家の中の空気も重くなり、家族の中で会話らしい会話すらできない日々が続いた。
パパンは常に難しい顔をして、一言も口を開くことがなかった。
家庭の重苦しさに、クリスはまるで怯えるように過ごしていた。
俺も、ママンのあんな姿に、泣きたくなった。
できることなら、これは夢であって、現実ではないと思いたかった。
寝て起きれば、これはただの夢で、元の日本に戻っている。
現に俺は、異世界で死ぬたびに、気が付けば日本に戻されていた。
この世界でも俺が死ねば、また日本へ戻されるのだろう。
でも、今この時に起きていることは、間違いなく現実だった。
ママンの状態はひどかったが、それでも時間がママンの心を少しだけましにした。
「クリス、いらっしゃい」
体調がやや良くなったママンは、ある日息子の名を呼んで、強く抱きしめ、涙を流していた。
少し、ママンの心がよくなった。
「でも、俺ってこの家の子供になりきれてないのかな?」
ママンに呼ばれたのは、実の息子であるクリスだけだった。
中身がおっさんとはいえ、どうもこの家の家族になり切れてないような気がして、俺は心が少しだけ痛んだ。
それが顔に出ていたらしい。
「外で訓練をするか」
俺の姿に気づいたパパンに呼ばれ、俺はその日、日が暮れるまで剣の訓練につきあわされた。
パパンなりの慰め方なんだろうけど、体を動かしておけばいいっていう、脳筋的思考だった。
それでも、ママンの心が徐々に回復していったことで、俺たち家族は再び前へ進み始めた。
妹のことは心から離れることはないが、それでも死んでしまった妹の分まで、俺たちは生きていきたい。