7 アーヴィン様はろくなことをしない (リーシャ視点)
「いいかいリーシャ、アーヴィン様は領主様の跡取り。やんごとないご身分であられるから、決して粗相を働いてはいけないよ」
私の名前はリーシャ。
貴族ではないので、姓はない。
この村、ノーウェン騎士爵領で、お父さんとお母さんと一緒に暮らしている。
この村には私以外の子供は、幼馴染のミリアちゃんがいるだけ。
領主様の息子である、アーヴィン様と弟のクリス様もいらっしゃるけれど、お二人は貴族であるから、私たちみたいな平民とは違う存在だ。
「貴族様の子供は、子供であっても、子供ではないのだよ」
そのことをお父さんとお母さんが、いつも私に言い聞かせてくる。
特にアーヴィン様に対しては、クリス様以上に気を付けなければならないと、耳が痛くなるほど、何度も何度も繰り返し言われてきた。
……なのだけど、アーヴィン様って昔からろくなことをしない。
まだ私たちが小さかった頃のことだ。
多分、4、5歳だったかな?
その時の私たちはまだ小さくて、平民と貴族様の違いを、まだ理解できてなかった。
だから、お母さんたちからは、
「アーヴィン様達とは、決して一緒に遊んではないらない」
と、口を酸っぱくして言われていた。
でも、この村にいる子供は私とミリアちゃんだけ。
だから、同じ子供のアーヴィン様とクリス様のことが気になっていた。
ある日私たちは、村にいたアーヴィン様とクリス様の姿をたまたま見かけて、離れた場所からこっそり眺めていた。
一緒に遊ぶのはダメでも、見ているだけならいいよね。
「おおっ、ここからだと村の景色が一望できていいぞ。俺たちの家まで見えるや」
「兄上、僕も木の上に登ってみたいです」
「ほら、手伝ってやるぞー」
アーヴィン様は村にあるすごく高い木の天辺に登っていて、木の下にいるクリス様が羨ましそうに見ていた。
昔から弟思いだったアーヴィン様は、クリス様のお願いを優しく聞いていた。
た、多分、アーヴィン様なりに弟のことを思っていたのだと思う……
アーヴィン様は木の天辺から、ジャンプして飛び降りた。
「キャッ、あの高さから落ちたら危ない」
どう見ても、飛び降りていい高さじゃなかった。
アーヴィン様はこの村の子供の中で一番背が高いけれど、それでもあんな高さから飛び降りたら大変なことになってしまう。
私もミリアちゃんも、怖くなって両手で目を覆ってしまった。
「ほら、そこの枝を掴んで登れよー」
「は、はい、兄上」
だけど、私とミリアちゃんが心配したようなことにはならなかった。
恐る恐る目を開ければ、アーヴィン様がクリス様の体を持ち上げて、木の上に登らせようとしている。
高い場所に、クリス様が少し怖がっているようだったけど、そんなクリス様に笑いかけながら、アーヴィン様はクリス様を、木の天辺にまで連れて行ってしまった。
よかった、怪我をしてないようだ。
「わー、凄い景色ですね」
「だろう」
そんな私たちの心配も知らず、2人のご兄弟は木の天辺から見える景色に感動していた。
ここまでなら、美談なんだけどね。
「おい、そこの2人」
「えっ、はっ、はいっ!」
「私たちですか!」
私たちは見つからないようにこっそり隠れていたのに、木の天辺にいるアーヴィン様に、突然指をさされてしまった。
隠れていたのがバレてしまった。
『アーヴィン様と遊んではいけない』
私もミリアちゃんも、いつもお母さんたちから言われていたので、見つかってしまって、思わず身を縮こまらせてしまった。
だけど、そんな私たちの戸惑いなんて、アーヴィン様は気付きもしない。
「お前らも木の上に登ってみたいだろ?」
「え、私たちはいいです」
「高いところは怖いし」
私もミリアちゃんも、男の子じゃないから、木に登りたいなんて思わない。
でもアーヴィン様は、
「なるほどなるほど、そんなに登りたいなら、俺がここまで連れてきてやろう」
「え、だからイヤ……キャンッ」
私もミリアちゃんも、木登りなんてしたくなかった。
あと、お父さんたちの言いつけを守って、アーヴィン様と遊ぶつもりもなかった。
なのだけど、アーヴィン様は身軽に木の天辺からジャンプして地面に着地。
そのまま信じられない速度で走ってくると、私たちの前にいた。
「えっ、ええっ!」
しかも肩をがっしりと掴まれ、逃げられないんだけど。
あまりの速さに、私とミリアちゃんは思わず硬直してしまう。
「ささっ、遠慮することはない。こっちにこい」
「イ、イヤー」
「キャー」
有無を言わさず、私たちは引きずられ、木の方へ連れていかれてしまう。
私たち2人は叫んだけれど、アーヴィン様はそんな私たちを無視。
無理やり木の天辺に連れていかれてしまった。
「た、高すぎる!」
「ウワーン、降ろしてー」
木の天辺で、私もミリアちゃんも木から落ちないように、必死に枝を掴んで動けない。
動けずに大声で泣き出してしまい、誰かに助けてほしかった。
だけど、そんな私たちの姿を、アーヴィン様は木の下からじっと見つめていた。
「白のパンツがふたつ。だが、あのシミはまさかのお漏らし跡なのか!」
木の天辺で泣いている私たちのスカートの中を、アーヴィン様は覗いていた。
……
酷過ぎる。
あの時、私たちは木から降ろしてほしくて、それどころじゃなかった。
けど、今にして思い返せば、あの頃からアーヴィン様はろくなことをしない人だった。
そしてこの騒動に、はまだの続きがある。
「兄上、2人が可哀そうだから降ろしてあげてください」
「そうだな。頑張ってクリスが2人を降ろしてやるんだぞ、俺、次はあっちで遊ぶから。じゃあな」
「えっ、兄上?」
木の天辺に女の子2人と、弟のクリス様。
3人を木の上に残したまま、アーヴィン様はスタスタと歩き出して、その場からいなくなってしまった。
でも、あの野郎……コホン、あの人。
あの時ニタニタした顔をしいていたのよ!
「ウッケッケッ、嫌がる女の子をいじめるのは楽しいなー。クリスではこうはいかないからなー」
泣いている私たちを見て、アーヴィン様はものすごく楽しそうにしていた。
最低だ。
しかもその後、私たちを放置して本当にどこかに行ってしまった。
私とミリアちゃん、そしてクリス様は、アーヴィン様がいなくなったことで、木の天辺に取り残されてしまった。
「えっ、どうやって降りよう……ヴッ、ヴヴヴッ」
「うわーん」
「うえーん」
取り残された私たち。
自力で木の上から降りられなくなって、3人そろって木の天辺で泣き続ける羽目になった。
あの後大人たちが気づいてくれなかったら、私たちはどうなっていたのだろう?
ちなみに、私たちのことを放置して、別の場所に遊びに行ってしまったアーヴィン様だけど、その日の夜領主のクルセルク様から、物凄く怒られて拳骨をされたらしい。
クリス様に教えてもらえたので、間違いない。
「でも兄上ってば、全然気にしている様子がなかったんだ。兄上が迷惑かけてごめんね」
後日、クリス様が私とミリアちゃんの所に、謝りに来てくれた。
「でも、悪いのはクリス様でなく、アーヴィン様だから」
「だよね、アーヴィン様ひどい」
クリス様が謝る必要はないの!
私もミリアちゃんも、2人してそう言った。
そんなアーヴィン様は、本当にろくなことをしない。
別の日に、私たちの前に突然現れたかと思うと、
「ほら、プレゼントだ」
そう言って、私たちの前に黒い塊が付いた棒を差し出してきた。
「ゲッ、これってまさか!」
「イヤーッ!」
黒いものは、村で飼っている馬の糞だった。
なんでこんなのが、プレゼントなのよ!
私もミリアちゃんも、またしても絶叫。
目の端から、涙がこぼれちゃった。
それと驚いた拍子に、私がちょっとだけチビッタことは内緒だ。
リアちゃんにだって、このことは絶対に言えない。
「ハアッ、ハア。あ、兄上、なんでそんなものを、プレゼントするんですか!」
そんなところに、クリス様もやってきた。
アーヴィン様を走って追い掛けてきたようで、クリス様は息を切らせていた。
「なんだ、クリスも欲しいのか。ほれっ」
「う、うわーっ!」
そんなクリス様に、アーヴィン様は馬の糞が付いた棒を放り投げた。
クリス様の顔に、黒いものが命中。
「うわーっ、クリスがクソ野郎になっちまった。エンガチョ」
自分でクリス様に向かって投げておいて、あの言い方はないでしょう。
あと、エンガチョって何?
「うわーん、兄上のバカー、バカバカー。ウワアアンッ」
馬の糞が顔についたクリス様は、その場に座り込んで、大泣きし始めてしまった。
「カッカッカッ。さらばだ、クソ野郎くん」
そんなクリス様を残して、アーヴィン様は現れた時と同じように、消えるようにいなくなってしまった。
突然現れたかと思うと、突然消えるようにいなくなる。
凄い足の速さだ。
ただ、あの時もアーヴィン様は物凄くいい笑顔をしていた。
いじめっ子の顔だ。
「ク、クリス様、泣かないで」
「か、顔を洗わないと」
「うわああーーん」
残されたクリス様をどうにかしようと、その後私とミリアちゃんは大変だった。
でも、一番大変だったのは、間違いなくクリス様だけど。
そんなアーヴィン様は、他にももっと、もっとやらかしている。
ある日、いつものように突然私とミリアちゃんの前に現れたかと思うと、毛虫が付いた棒を、私たち2人の前で振り回しだした。
気持ち悪い毛虫に気づいた私たちが、その場に座り込んで泣き出したら、それを見たアーヴィン様はケタケタ笑いだす始末。
私たちが嫌がっているのを見て、何が楽しくて、あの人は笑っているんだろう?
おまけに、その後やってきたクリス様が、
「兄上、ダメです、ダメですってば―」
って、アーヴィン様を止めに来たら、振っていた棒の毛虫が飛んで、クリス様の頭の上に落ちていた。
「う、うあああっ。毛虫怖いー!」
クリス様はその場に座り込んで、泣き出してしまった。
本当に、ろくなことをしないのがアーヴィン様だ。
そして一番可哀そうなのが、クリス様。
でもあの時、私は怖くてちょっとちびっちゃった。
なので2番目の被害者は、私だったけど。
「イヤー、ガキンチョどもをいじめるのって楽しいなー。大人になると、こんなことできないもんな。子供って最高ーっ」
そんな中、私たちを散々怖がらせておいて、アーヴィン様1人だけ、物凄く楽しそうにしていた。