1-D100-08 マリヴェラ試練中
その後、「ぐぐぐう」とユキのお腹から音がしたので、二人でキャビンに行くことにした。
スタビライズの魔法が切れないうちに何か食べさせたかったし、何よりユウカもロジャースもクーコもいる。
ドアを開け、ユキが立ち上がるのを助けた。
その時、艦が大きく揺れ、ユキは床に崩れそうになった。
がしっと、抱きかかえて支えてやった。
ユキは一瞬体を強張らせた。
「肩、どうぞ」
「すみません」
ふう、と息をつくともう逆らわず俺の肩に手を回した。
そしてキャビンに向かった。
キャビン前には、相変わらず衛兵が厳しく立っていた。
その彼が珍しく表情を崩した。
「! ……ユキ様!」
その声に、キャビンの中も気配が動いた。
ドアが開いた。開けたのはロジャースだ。
「ユキ様! マリさん! どうぞ、お入り下さい!」
中には、ユウカやクーコ、八島も居た。
ユウカも、救助の時に着ていた服ではなく、俺と同じ水兵服に着替えていた。
「姉上!」
「ユキ様!」
俺はユキを手近な椅子に座らせると、イエロにコーヒーを注文した。
クーコがしみじみ言った。
「良かった……」
お互いの無事を喜んだ後は、ワクワクの状況についての話になった。
ただし、三人も詳しい事はよくわかっていない。
「もしこの状況になったら、ミツチヒメの社を脱出して月影浦へ」という計画に従っただけだった。
ユウカについては、事前に危険を察知したユキが、口実を設けて急遽王都から呼び寄せたらしい。
親しい一族がいない中で、一番身近だったのが彼であったようだ。
「要するに、ポントスが私兵を率いて、若しくは南の帝国フォルカーサの手先として攻め込んできた、そうなんですよね?」
俺が水を向けると、皆頷いた。
「あれ? じゃ、ミツチヒメ様は? 守護神様じゃないのですか? その、脱出計画のトリガーになる状況って、なんです?」
そう聞いたが、誰も答えない。
八島が、ちらっと机の上にある物を見た。
机の上には、袱紗が広げられ、その上に石が置かれている。
その高級そうな袱紗には見覚えがある。
ヤイト浦で、ユウカが抱えていた包みから見えた袱紗だ。
うん、石だ。
どう見ても普通の石だ。
しかも漬物石に丁度よさそうだ。
ワクワク王家秘伝の漬物にでも使うのだろうか?
「なんですか? この漬物石は」
と、俺はつい口にした。
その場が凍った。
バシャ。
俺の背中に熱い液体がかけられた。
淹れ立てのコーヒーだ。
「あつっっっ!」
飛び上がる間もなかった。
ぱかんっ!
「へぶっ!」
俺は鉄製のマグカップで頭をしばかれていた。
あまりの音に、衛兵がドアを開けて、何事かと中を確認した程だった。
「ひ、姫様……」
「ち、このガキャ。何が漬物石か」
ミツチヒメだ。
十二・三歳位の少女の姿だ。
無い胸をそらしてふんぞり返っている。
顔つきは人形のように整っているが、何処となく冷たさを感じる気がする。
美しく長い黒髪を後ろで束ね、青い古風な小袖を、艶やかな細帯で結わえている。
すかさずロジャースも八島も跪いた。
「ご無事で何よりです」
ミツチヒメは、床で伸びている俺を足でつつきながら答えた。
相当不機嫌だ。
「何が無事なものか。長年貯めた力が失われてこのザマだ。ロジャース、状況は分かるか?」
「いえ、王都沖が封鎖されていると思われましたので、月影浦へ。それだけです」
「そうか。苦労をかける。わたくしのせいでな。ユキもユウカも、すまんな」
「その様なこと……」
俺がようやく半身を起こすと、ミツチヒメが目の前にしゃがんだ。
これだけ揺れているのに、バランスを一切崩さないのは流石である。
「のう、マリヴェラとやら。ここでわたくしは、漬物石の中からロジャースらの会話を聞いて居ったのだが、どうやらお主は転生したての聖者らしいの。わたくしの事も知っているようだしな?」
その迫力に、俺はガクガクと頷いた。
「しかも、ヤイト浦でもあのような働きが出来る。中々稀有な事よ」
「き、恐縮です」
ミツチヒメが大儀そうに頷いてから顔を近づけて来た。
俺の耳元に口を寄せる。
「しかし、最近わたくしが男にうつつをぬかしていた噂は、流石に聞いては居るまい?」
背筋が凍った。
地雷原だ。
ここは地雷原だ。
俺がキャビンの中を見回すと、皆目をそらした。
ロジャースなどは、「そうだ、姫様に夜食の用意を……」等と独り言を言って視界から消えた。
ありえねえ。
ささやきは続く。
ポンポンと肩を叩かれた。
「久しぶりに、数十年ぶりに男と付き合ってな。いーい男だった。身元も洗った。問題なかった筈だったのだ。それでも、だ。馴染んだ頃に寝首を掻かれた。昨日の事だ。分かるか?この気持ち」
ミツチヒメが人差し指で俺の顎をちょいちょいと突く。
紫色に光る瞳が、怪しく脈動しながら俺の目を覗く。
「避難計画の『その状況』とはな、わたくしが連絡も無しに朝になっても社に戻ってこない時の事だ。分かったか?」
あうあう。
やっぱりきっっっついよお。
助けてぇ。
そこにロジャースが、イエロを引き連れて飲み物と皿を持ってきた。
香ばしい匂いがただよう。
「姫様、何も有りませんが、ワインと乾パン、ジャガイモとタマネギの炒め物、月影浦で部下が釣った魚を焼いたものです」
「お、すまんな」
ミツチヒメは、俺からあっさり離れて卓に着いた。
ただ、表情は沈鬱だ。
ぼそっと呟いた。
「本当に、皆に迷惑を掛けてしまったな」
それにユウカが反応した。
「姫様が悪いのでは有りません。国防にも外交にも予算を回さなかった父上や大臣らが悪いのです!」
「ユウカ、やめなさい」
ユキがたしなめたが、止まらない。
「ポントスと、その背後に居るフォルカーサが始まりの諸島への侵攻を狙っているなんて、あいつらがヴェネロ諸島を侵略し終わる前からみんな分かっていたのに」
「ユウカ」
ユキがピシリと言うと、ユウカはようやく黙った。
それはつまり、ワクワクという国はミツチヒメにおんぶに抱っこだったと言う事だ。
その大黒柱が失われた瞬間、瓦解したのだ。
ポントスは、侵略時に支配階級を絶滅させるのだと、ロジャースは言った。
つまり、ユキやユウカの家族は今頃……。
「くっ!」
ユウカは顔を歪ませると、キャビンから出て行ってしまった。
クーコがユキに目配せすると、その後を追っていった。
ミツチヒメは食事をつつき始めたが、ため息混じりだ。
俺やユキも、椅子に座って改めてコーヒーをいただいた。
「マリヴェラ」
「はい? 何でしょう」
「その漬物石はな、わたくしの本体ともいえる、神体なのだ」
「ご神体ですか?」
「うむ。わたくしが殺されても、神体が無事ならば後日復活できる。そういうことにしてある」
「なるほど」
そういうことにしてある、ねえ。意味深だね。
ミツチヒメの目の光がわずかに輝きを増した。
「それを知るものは余り多くは無いがな。お主も口外したなら殺す」
うへ、物騒だなあ。
しかも初対面に秘密を明かすかね?
しかし俺は無難に頭を下げた。
「分かりました」
「そうそう、わたくしへの無礼、あの姉弟を助けた功により、許して使わす」
「有難うございます」
許すってアンタ。
じゃ、コーヒー掛けられたりぶったたかれた分はナンなんだったんですかね?
ついでですか?
お釣りですか?
それとも憂さ晴らしですか?
ユキも笑いをこらえている。
酷い話だ。
八島が話題を変えた。
「ロジャース艦長、この後はどうなさるのですか?」
ロジャースが頷いて、壁に貼ってある地図の前に立った。
地図は内海の北部を描いている。
北の端にファーネ大陸の南岸が見え、中央南寄りに、始まりの諸島が東西に伸びている。
その中の一つが、ワクワク王国のあるワクワク島だ。
ロジャースはワクワク島の北東を指差し、そこからつつっと東の方角を辿った。
「はい、ノープ岩礁の北を回って、ホーブロ~アグイラ航路に入り、北からアグイラに入ろうかと」
ロジャースの指が更に動き、ワクワク島の東にあるアグイラ島で止まった。
八島が頷いて賛成した。
「いいと思います。真東に向かうと少々危険ですよね」
「はい。向こうは本艦の存在を知っている訳ですから。下手すればアグイラ周辺をも封鎖しているかもしれませんが、その時には北へ向かいます」
ミツチヒメも同意して頷いた。
「妥当だな」
「姫様はどうなさるおつもりですか?」
「わたくしか?」
ミツチヒメが視線を落とした。
頬杖をつき、行儀悪く、箸で残ったタマネギをつつき始めた。
「わたくしは既に敗者だ。確かにワクワクは私が興した国ではあるが、な。だが、今後の方針を決める資格は、今のわたくしにはないな。それは、ユキとユウカが決めればいい」
「私が?」
ユキが戸惑っている。
ミツチヒメが最後のタマネギを片付けた。
手を合わせ、頭を下げた。
「ごちそうさま。……もちろん、状況を把握しなければならん。まずはアグイラに辿り着かんとな。そうだ、マリヴェラ。お主はどうする?」
「私ですか?」
「うむ。乙種登録もしては居るまい? 第一、お主に我々の逃避行に付き合う義理はないではないか」
それはそうだけど。
俺はユキと行く。
「このままいける所まで付き合いますよ」
「そうか、好きにするがいい。だが登録はどうするか。今のままではアグ
イラで……」
ミツチヒメが言いかけると、ロジャースが軽く手を上げた。
「あ、姫様、この様な時の為に、用意していた物があります。ちょっと失礼……」
そう言ってキャビンから出て行った。
ミツチヒメはその後ろ姿を見送ると俺に質問した。
「なあ、マリヴェラ」
「はい?」
「お主、あの男に惚れたか?」
折悪しくコーヒーを口に含んでいた八島が噴き出しそうになった。
ユキも思わず笑っている。
「いやっ……ミツチヒメ様、あのですね」
「ん、姫様と呼んでいいぞ?」
「はい……姫様? 私、前世は男ですから。つい先日まで、男子だったんですよ?」
「ああ……通りで」
ロジャースが紙束を抱えて戻ってきた。
「それは何だ?」
「転生者登録の申請用紙と、登録カードです」
「おい待て、ロジャース。それは内務省にしかない筈では……」
ロジャースがウインクで応えた。
「ですので、こういう事もあろうかと、というやつです」
「ははあ、やるなあ艦長」
八島も感心している。
「ではマリさん。記入をお願いします」
俺は手渡された申請用紙に書き込みをした。
名前と、種族、転生日と、場所?
「ああ、場所は緯度と経度で表す事になっています。航海日誌に書いてあるので、少々お待ち下さい……」
ミツチヒメが申請用紙を覗き込んだ。
「ほう、やはり神族か。分かっているからには、どの系統の神族かはどうだ? あの金色の雨はお主の化身であろう。全ての神族は、何か一つ、象徴となる別の姿をもつのだ」
「象徴……ですか。系統は、まあ、運命らしいです」
ミツチヒメが僅かに顔を曇らせた。
「それは……厄介だな。わたくしが言いたい事、分かるか?」
「禍いの神ではないですが、福の神でもない、と」
「そう。その通りだ。昔の知りあいに一柱いたから良く知っている。
物事の結果はお主の意志にかかわりなく過剰に実を結ぶ。
ただ言える事は、悪い結果を招いても、お主が嘆く事はない。
お主は居るだけでよいのだ。そういうものだ」
「はい」
流石に神様の大先輩は言う事が違う。
ユキもまじめな顔をして聞いている。
年齢とか聞いてみたいけど、やっぱ地雷なんだろうなあ。
今度ユキに根掘り葉掘り聞いてみようっと。
「マリさん、お待たせしました。まず北緯から……」
ロジャースが言う場所を書き留め、申請用紙は完成した。
登録カードはロジャースが書き、何処からか判子を出して押した。
「はい、完成です。このカードは持っていてください」
ミツチヒメがロジャースにまだ何か言いたそうな顔をしているが、この際目をつぶってもらおう。
「有難うございます」
カードを受け取りポケットに仕舞った。現状これが一つ目の所持品となる。
ロジャースは、俺が出現した場所を「北緯35度45分、東経6度10分」と言った。
さっきの地図で言うと、ワクワクとアグイラを結ぶ線の、ワクワク寄りだ。
これから向かうノープ岩礁は、そのずっと北にある。地図の上では、ぽつぽつと染みのような点があるだけだ。
ノープ岩礁?
まてよ、ノープ岩礁……。
「マリさん、どうしました?」
「ロジャースさん、ノープ岩礁って、サーペントが出没しませんでしたっけ?」
「良くご存知ですね」
サーペントとは、巨大な海蛇か細長い海龍ともいえる様な形をしたモンスターだ。
RPGなどでお馴染みである。
「あのサーペント、討伐しても、何故か何ヶ月かで復活してしまうのですよね。普段は姫様の神威で大人しいのですが……」
「おお、そういえばいたなあ。航路からは外れてはいるし、奴は岩礁から余り離れはしないのだが、風などで船がそこへ流れると襲うのだよな」
ミツチヒメが腕組みをした。
「大昔から何度も討伐されているが……くびきが外れると、少し厄介かも知れんな。しかし、それがどうした?」
「この世界では、沈没船から引き上げた物の分配に、取り決めはありますか?」
そこにいる全員の顔がぐるりと回り俺を見た。
「あります。あの岩礁辺りはワクワクの領土なので、
周辺で発見された沈没船の積荷は、ワクワクに納め、
相当額を発見者が受け取る事になっています。
もちろん、積荷の主がはっきりしていると、
発見者の受け取れる比率は変わりますがね。
加えて、積荷が行方不明になってから十年経つと、
その主は権利を失います」
ミツチヒメの顔が俺の顔に触れそうなほど近づいた。
ねえオバさん?
近い、近いってば。
「お主、何を知っている?」
いや、大した事は知っていない。
あるシナリオで、行方不明になった財宝輸送船が積んでいたある物を調達せよと言うクエストがあったのだ。
単なる調達クエのはずが、謎の集団から妨害を受けるなどして結局は仕事自体がキャンセルになってしまったのだった。
サーペント云々は、「後日耳にした噂」として語られただけであった。
曰く、輸送船はサーペントにやられてあの岩礁帯に眠っている、と。
「具体的な事を知っている訳じゃありませんよ。財宝船が沈んでいると思われる、程度の噂話です」
八島が椅子の背もたれに身を預けて天井を仰いだ。
「はあ、聖者恐るべしだなあ」
ミツチヒメがロジャースに目線を送った。
俺は咳払いをした。
「どの道、何ヶ月かでも船舶への脅威がなくなるのであれば、やっつけてもいいのではないですか?」
「たしかに、それは大事よね。うん」
そういうユキの目も輝き始めた。
もう船酔いの心配も要らないのかもしれない。
まあ、何か良い物が見つかればそれで良し。
無くても気晴らしにはなるかもしれない。
スパロー号は、少しだけ寄り道をする事になった。
お読みいただきありがとうございます。
小袖と言う伝統的な衣服は、現在の和服に至るまでに相当の進化を遂げています。
桃山期の小袖は現在とはかなり形態が違うのです。
ミツチヒメの小袖はその当時の物で、かなりゆったりとした形態です。
また、友禅出現後は正に芸術ともいえる小袖が出現し、資料を集め始めたら際限が無くなってしまうほどでした。
2019/09/03 段落など修正。