1-D100-06 マリヴェラ救助中
スパロー号が船足を落としたので、甲板に出ることにした。
風雨は今がピークのと見える。
雨粒が甲板を叩き、濡れた帆が風に抗ってバンバンと音を立てている。
日が落ちつつある。
辺りが紫に包まれた。
そんな中、合羽を着たディレイラが船首付近で海面を見ている。
そして時折、そばで待機している水兵に指示を与えていた。
右手には黒々と陸地が横たわって延々と後方へ流れてゆく。
こんな陸地の近くだと暗礁が怖いが、きっとこの艦の連中にとってはこの一帯は庭みたいなものなのだろう。
徐々に帆が降ろされ、最後には殆ど帆一枚だけの航行になった。
戦闘時と違い、静かに水兵達が甲板にあふれ出てきた。
ボートの用意が始まった頃には、船の揺れも収まっていた。
目的地、月影浦に到着したのだ。
ぐるりと艦首をめぐらし、投錨した。
この入り江は、余り広くは無いが、風除けの丘もある。
砂浜には小さな漁師小屋が一軒あるが、人が住んでいる気配はない。
ロジャースが甲板に現れた。
一艘目、クロスビーが指揮するボートがまず降ろされ、水兵がオールを操り始めた。
ロジャースの横で、夜目の効く俺は手びさしで浜の様子を見た。
「……浜には誰も見えませんね」
「……そうですか」
「それでは、南へ?」
「はい、ではボートに乗りましょう」
一艘目の部隊が、浜のあちこちに散り、敵、若しくは救助対象が居ないかを確認した。
俺達もその頃にはボートに乗りこんでいた。
水兵は無言でオールをこぎ、浜にどし上げるや否や、すばやくボートから降りて押した。
二艘のボートを茂みに隠すと、ネルソンが点呼をした。
今回同行する水兵の中に、あのマツムラもいる。
ベルは痩せた凶悪顔、ササは何時もキョロキョロする草食動物。
ペドロは全身刺青入れているし、黒人のディクスはヒゲ面がどう見ても海賊だ。
コレが艦長・副長様のチョイスだというのだから面白い。
一隊は早速、ロジャースを先頭に行軍を始めた。
殿はネルソン。
彼は意外にも、艦の中では剣術の腕前が一番なのだそうだ。
「マリヴェラ殿は目が光るので、昼間でも目立ちます。夜はなおさらです。なるべく閉じておいて下さい」
と、本気なのか冗談なのか分からない注文をつけてきた。
一応本気ととって、俺はなるべく細目にして、うつむき加減で歩く。
降りしきる雨の中、一時間歩いて、二時間歩いた。
もう辺りは暗闇だ。
林の中をうねうねと続く小道を、一行は躓きながら進んだ。
小休止してロジャースがベルと相談を始めた。
ベルは何度か、ロジャースより先行して偵察をしていた。
「やはり、ここ数日、人の通った跡は有りませんぜ。もう直ぐヤイト浦です。あすこは何人か住んでるはずですが」
「先ずはそこに行ってみよう。しかし、山に向かう道に迷い込んだ可能性は?」
「どうですかね。よほどの事がなければ、山には入らないと思いますが」
「ふむ」
ひとまず、俺たちはそのヤイト浦に向かうことにした。
――――――――――――
そして木々の向こうに波立つ入り江が見えて来た時だった。
ロジャースが立ち止まって全員を止め、両手を耳に当てた。
俺も前に出て耳を澄ます。
雨とリズミカルな波の音の先に、微かに聞こえる。
犬の鳴き声だ。
更に金属の擦れる音と足音。
それはおそらく、多数の武装した兵士の発する音。
ロジャースが俺を見て、俺は頷いた。
一行は再び前進を始めた。
今居る場所は浦を囲む岬に連なる高台だ。
進むにつれ、ささやかな浜辺と小川、その近くにある数軒の小屋が見えてきた。
兵士の黒い影が、バラバラと反対側の浜から、その小屋の一つに向かっている。
暗い中、足元を取られながら、ロジャースが先頭になって高台を駆け足で下る。
バン、と爆発音がして、小屋の入り口が吹っ飛んだ。
一瞬、光が溢れ、少ししてから煙が小屋を覆う。
人影が三つ、小屋から飛び出した。
今度は音も無く、幾つもの閃光が破裂した。
「今のうちに!」
そう声がして、声の主は踏みとどまり、残る二つの人影は、俺達の方向へ走り出す。
一人は女性、一人は少年だ。
犬がその二人に追いすがろうとした。
「撃ち方! 用意!」
敵の隊長と思しき男の号令で、数人の弓手が砂浜に並び弓を番えた。
「てぇ!」
放たれた矢がわずかに光を発しながら飛び、逃げる二つの人影に命中した。
丁度、砂浜に降り立ったロジャースが、それを目にした。
「あ……」
そして剣を抜き、鞘を捨てて走りだした。
(おいおいやべえぞ!艦長殿、ありゃ死ぬ気だぞ!)
俺の髪が金色に光りだした。
(ここはオレサマに任せろ!)
オレサマは、ロジャースに次いで砂浜に降り立った。
そして走り出すのではなく、傍にあった木の幹を蹴って、その反動で矢のように飛んだ。
ロジャースの右手にある草むらから、怪物が飛び出して短刀を振るおうとしたが、オレサマが体当たりで受け止めた。
オレサマは上手く着地すると、にやりと笑った。光る髪が暗闇に映える。
ロジャースはそのまま、わき目も振らず駆けて行った。
「ラミアか!」
「知る」はレジストされたが、見た目で明らかだ。
怪物は、ラミアだった。
上半身が軍服を着た女性で、下半身が長大な蛇。
オレサマの強烈な体当たりにも、短刀は取り落としていない。
「何だ貴様は!」
激怒したラミアが動いた。シャッ! と毒を吹きかけ、同時に懐にもぐりこんで短刀の一撃を狙う。
オレサマは動じない。
毒はただレジストし、短刀は足で蹴り飛ばしたのだ。
そして狼狽する間も与えず、ラミアの顔を無造作に掴んだ。
「どうするね?」
オレサマから俺への問いだった。
(月属性で深い眠りを)
「了解」
微かに青白い光が周囲を舞い、ラミアはクタクタとその場に横たわった。
ロジャースは既に矢に射られた二人の元、つまり王女ユキの元へたどり着いて犬を追い払っていた。
その時、小屋の方で、「ぎゃ!」と悲鳴がして、誰かが倒れたようだ。
ようやく、一帯の雨が金色に輝き始めた。
敵兵士が狼狽し始めた。
矢を放っても、金色の雨の領域に到達すると、矢がどこかに消えてしまうのだ。
ロジャースはユキの介抱に夢中になっている。
その横で少年も雨と涙にぬれながら、「姉上!」と叫んでいる。
ユキの弟だろう。
顔立ちが端正で、気の強そうな眉毛などは良く似ている。
「知る」によると名はユウカと言う。
どうやら彼は無傷のようだ。
敵兵士は後退し始めた。
オレサマが再度聞いた。
「逃がすか?」
(ああ。もう退却するだろう)
皆殺しにしろ、と言えばオレサマはそうすると思う。
実は砲撃戦の時もできなくはなかった筈なのだ。
でもしない。これは俺自身の意志だ。
(今はユキさんの手当てを)
「分かった。おい、おおーい! 艦長殿!」
オレサマはロジャースに声をかけた。
だが彼は泣きそうな顔を見せるだけだ。
あれだけ砲撃された中でもビクともしなかった男が、こうなるとは。
「艦長! マリヴェラさん!」
ネルソン達が駆けつけた。
ベルが寝ているラミアに止めを刺そうとしているのを、オレサマは制止した。
「おうい、ベルさん、止めは無しでよろしくな」
「何故です?」
「いいからさ。今度なんか奢ってやっからさ。頼むよ」
ベルは不服そうだったが、
「分かりましたよ」
と収まった。
オレサマが屈んでユキの体に触った。
「……!」
眉をぴくつかせただけで、何も言わなかった。
それはそうだ。
犬に噛まれた腕はまだいい。
弟を庇ったせいか、巫女服を着ている身体の背中から足にかけて、何本もの矢が刺さっている。
おまけに矢は普通の矢ではなく、魔法道具として強化してあった。
そのうちの一本が、心臓に到達していた。
血の泡がユキの唇の端にあふれ出て、体中、痙攣が始まっている。
心臓が痛みに堪えかね、めちゃくちゃなリズムを刻んでいる。
まずい。
矢は全て「冥化」で取り除いたが、これでは「ヒール」も何も間に合わない。
オレサマがロジャースに言った。
「艦長殿。オレサマは今からこの娘さんに『つく』。『憑依』ってやつだ。何かあったら、艦長殿が責任を取ること。いいな?」
ロジャースは取り乱しつつ、かろうじて頷いた。
この分では、オレサマが何を言ったか、後に覚えているか微妙かもしれない。
「じゃあ、やるからな」
「オレサマ」は、横たわって居るユキの体に添い寝をするように寄り添い、そして抱きしめた。
「オレサマ」の体は、見る間にユキの体に溶けて見えなくなった。
――――――――――――
俺は目を開けた。
覗き込むロジャースと、ユウカの半泣きの顔が目に入った。
「うぐ」
俺は背中と胸の痛みに声を上げた。
口いっぱいに血の味が広がっている。
……成功、かな?
となれば、今、このユキの体は俺の体でもある。
神族は霊的な存在でもあるので、「憑依」等と言う芸当も可能だ。
「憑依」さえできれば、その寄り代はほぼ死ななくなる。
いや、出来るといっても、本物の神様なんかには訳も無いだろうが、俺の様なペーペーの神族ではおぼつかない筈だった。
成功したのは、オレサマと「言霊」「つく」のお陰だ。
加えて、ユキ自身の幸運もあるのかも知れない。
早速、噛み傷と矢傷は治療されつつある。
俺は上半身を起こした。
途端に血混じりの咳が出た。
ユウカが背中を支え、摩った。
「姉上、目が……」
光っているのだろう。
相変わらず、自分ではイマイチ実感が無い。
「ユキ様!」
小屋の方から声がした。
ズタズタの服だったものを纏った女性が、よろよろと歩いてきた。
猫の耳、縦に裂けた瞳孔、猫の尻尾。
人狼族の別種、人猫族だ。
歩いているのが不思議な位に、傷ついて血にまみれていた。
人猫族は人狼と同じく、通常武器は無効の筈だが、属性を付与した武器にはダメージを受ける。
矢も含め、恐らく敵はそういう武器を持っていたのだろう。
だが、人猫族は耐久力も回復力も、人間とは比にならないはずだ。
だからまだ生きている。
ディクスが持っていた背負い袋を開け、シーツをとりだし、彼女の肩にかけた。
「有難う。そこにいるのは艦長さんと……?」
まだ腰が抜けているロジャースの替わりに、ネルソンが答えた。
「どうも、暫くぶりです。クーコ殿」
「ネルソンさんね。私たち、助かったのかしら?」
「そのようです」
ネルソンが肩をすくめた。
「何があったのかは私にも分かりませんが」
まだ震えている声で、ユウカが言った。
「光る目のお方が、姉上に取り憑いたようです。姉上、何本も矢が刺さっていたのに……」
あの時ユウカは、ユキに致命的な矢が何本も刺さっていたのをどうにかしようとしていた。
だから、ユキである俺がぴんぴんしているのが信じられないのだろう。
ネルソンが紹介を始めた。
「ユウカ様。こちら、マリヴェラ殿。スパロー号の客人です。乙種です」
ユウカが頷いた。
「乙種……ですか。クーコと同じですね」
「はい。マリヴェラ殿、こちらはユウカ様。ワクワク王国の第二王子です。そのお体は、王女ユキ様のものです」
「ユウカさんとユキさんですね。マリヴェラと申します。ユキさんは現在『ヒール』と『言霊』で治療中ですので、ご安心を」
ようやく、ほっとした空気が流れた。
ロジャースも彼方から戻ってきたようだ。
バツが悪そうに頭を掻いた。
「マリさんには重ね重ね世話になります。では、ユウカ様、参りましょう」
「はい」
敵の追跡は無かったようだ。
その後、俺たちは無事にスパロー号に帰還し、帆を揚げた。
――――――――――――
スパロー号は帰還した俺たちを載せると、即刻抜錨し、夜の暗礁をするするとすり抜けて、ワクワク島の北西へ出た。
ロジャースは疲れすぎで一気に年をとったようになって、今はぐっすり寝ている。
従って、指揮を取っているのは暮井、当直仕官はクロスビーの筈だ。
当直についてここで説明する。
船員の当直は、四時間ごとに交代となる。
それを一日に二回で八時間労働だ。
例えば、午前直の者の担当は08:00から12:00と、20:00から24:00だ。
ただ、常にその時間で固定するとキツいので、ずらしたりもする。
もちろん、人手が要る時や戦闘時には、寝ていても全員起こされ参加する。
これが総員呼集だ。
昔は「左舷直」と「右舷直」の二交代制が殆どだったと言うが、少なくともこのスパロー号は三交代制だ。
帰還してから、俺は客室に一人で籠もった。
ユキの姿で帰ってきた俺に対して水兵共がどう対処したら良いか混乱していたからだ。
いきなり平伏されたりすると、俺も一々困る。
状況を説明しても中々難しかった。
いつも通り接してくれたのは、士官連中だけだったのだ。
兎に角何かと面倒くさかった。
さて、客室に籠った俺は、まず巫女服を全て脱いだ。
別に他意があっての事ではないし、下心が有ったのでもないし、ましてや邪心が有ったなんて事は断じてなかった。
鏡が無いので顔は見られないが、まあ兎に角、綺麗な体だ。
背丈は俺より、つまりマリヴェラよりも高い。
髪は黒く美しく、腰まで伸びている。
矢傷を探し、滑らかな肌を手で撫でた。
胸は俺よりもちょっとばかりいや結構貧げふんげふん。
背中に手を回す。
背中には、黒々とした体毛が、項から尻まで広がっていた。
形の良い尻には長い尻尾が生えている。
彼女はこれを外には出さず服の下に隠していたのだが、長くて美しい毛に覆われてフサフサだ。
そう。ユキは人間ではない。
父は当然ワクワク王国の国王だから、人間だ。
所が、母親が狐の神獣人という、獣人の上位種なのであった。
だから半神半人と言ってもよい。
何故そう分かるかと言うと、「憑依」してから気付いたのだが、「憑依」とは上位の存在がその人間の体を乗っ取ると言う意味でもある。
つまり、脳で記憶している事は、ある程度知れてしまうのだ。
俺の場合、「知る」の「言霊」があるから尚更だ。
しかし俺はなるべく「見ない」様にした。
あるシナリオでの事だ。
さる人間に「憑依」した精霊が、その人間の余りに強い存在力に毒されて、逆に「憑依」した精霊がその人間に取り込まれてしまったという話がある。
人格というのは、記憶の重積だ。
今ここでなんちゃって神族の俺がユキの記憶を面白半分に覗くと、下手すると俺が俺でなくなってしまうかも知れないのだ。
「言霊」の内容など、少しだけ見えてしまったものはしょうがない。
内緒にしておいた方が無難だが、もしバレても、命を助けたのだからこれ位は大目に見てもらう事にしよう。
犬に噛まれた跡はもちろん、あちこちにあった矢傷は消えていた。
背中の傷は体毛の下ではあったが、無いに越した事はない。
恐らく人間ではないからだろう。「ヒール」や「なおす」の効き方が半端ない。もう直ぐ完治してしまうと思われた。
ちなみに弟のユウカは普通の人間である。
つまり、腹違いの姉弟ということだ。
現場で血抜きと応急処置を済ませておいた服の修復も完了させた。もちろん、布が無いので完璧ではない。
さっきも触れたが、彼女は巫女服を着ている。
海神の社の奉仕者だからか、普通の巫女服とは違って、袴が浅葱色に染められている。
うーん。
結論。
綺麗な子だ。
小説で言えばヒロインクラスだ。
現世で出会ってたら惚れてたかもね。
と、服を着なおしたのだった。
さて、この体が生身である事も難しい。
腹も減るし生理現象もある。何とかせざるを得ない。
ていうか、しました。
御免なさい。
いや、謝る必要はないか?
オレサマがロジャースに対して「何かあったら責任を」と言ったのは、実はこのあたりだ。
クレームが付いたら、彼のせいにできるって言う算段だ。
まあ、色々、不可抗力だよね?
2019/7/27 ナンバリング追加。本文微修正。
2019/9/3 段落など修正。