1-D100-62 マリヴェラセクハラ中
俺たちの調査隊が出発した。
陸路である。
馬も数頭連れている。
アーレンフォー平野の南西、つまりシルヴェリア山脈の麓をぐるっと回ってゆくと、目的地のスィベル川だ。
前日には、ライエたちの狩猟隊も出発している。
凡そ百人が随行しているそうだ。
彼らは陸路ではなく、乗って来た船の内、小さめのスループ三隻で河を遡っていった。
小さくとも、魔道装置搭載の優れた船だという。
俺とユキがいない間は、ユウカがイルトゥリルのトップである。
若干硬い表情をして見送りに来ていたのを励ましてやった。
「じゃあユウカ、予定では二週間程空けるから、しっかりしろよ」
「はい。でもマリさん、不安です」
「不安でもなんでも表に出さず、何でも無いような顔をしてなきゃダメじゃん」
「……難しいです」
「姫様もロジャースさんもいるんだしさ。なーに、秘書の裕子さんから渡される文書に、ただ判子押してればいい簡単な仕事だからさ。大丈夫大丈夫」
「そうよ、ユウカ。あなたなら大丈夫」
ユキもそうフォローして、俺達は別れたのだった。
道のりはそこそこ困難であった。
俺達は平野を突っ切る訳ではない。
しかし、平野の殆どが湿地なのだ。
更に、残雪の溶け残りのせいでぬかるみ、滑る。
その都度俺が「冥化」で何とか進めるようにする。
その繰り返しだ。
アーレンフォー川はゆったりと平野をいっぱいに使って蛇行して流れ、至る所に池や湖が連なっている。
多少標高の高い場所を歩いても、そこは針葉樹、稀に広葉樹も生える森林であるにもかかわらず、湿気が物凄い。
全工程を「整地」するわけにもいかず、足を取られることも多い。
あっという間に調査員の全身はドロドロになっていった。
時々一行は立ち止まって測量もする。
土木技師は道路敷設の為に地図に書き込みをしている。
俺はそれを眺めてお茶をすする。
いやね、水を入れるとお湯ができるっている便利な魔法瓶型魔法道具を入手してね。
こんな所でもお湯ができるってわけだ。
俺自身は火の魔法とか駄目だから、重宝している。
飲み水は水溜りの水を俺がきれいにするし、一行の泥まみれの服も、一日一回きれいさっぱり洗濯ができる。
だから荷物が少なくて済む。
それでも馬や荷物持ちは必要だった。
結局、パンドラボックスはもう使えないのだ。
オリジナルの身体を扉にしたパンドラボックスはグレイグーの封印で使ってしまい、開けるのさえ危険になったのは記した通り。
所がその後、指輪を扉にしたパンドラボックスを作成した所、そちらも直ぐに銀色の砂で一杯になってしまったのだ。
俺は仰天した。
理論上、二つは全く違う空間なはずなのに?
それに一体何を食って増殖してるんだ?
毛穴も無いのに鳥肌が止まらなかった。
オレサマも頭を抱えていた。
俺達だけではもう手に負えなくなっているのは明らかだった。
相談できるのはグリーンかカタリナ位だろうか?
何かと多忙であった為に、それもついつい先延ばしになってしまった。
夕方になり、小高い場所を見つけてテントを張った。
そこには古い焚火の跡があった。
猟師が残したのだろうか?
この平野も、全くの無人では無いのだ。
しかしここに至るまで、魔獣の影も足跡も何も見えない。
居てもシカやイノシシの類だけだ。
なお、テントの外での見張りも主に俺の役目だ。
一番偉いからって手を抜いてはいけない。
針葉樹林の隙間の設営地。
満天の星の元、俺は薄く広く金の光を降らせている。
この世界に来た当初と比べると、自分の力を自由に操れるようになったものだ。
毎日練習はしているのだが、既に直径三キロメートルまでにも膨らませることができる。
無理をすればそれ以上になる。
今は、この光る結界の中には大した動物もいない。
テントからユキが這い出してきて、隣に座った。
彼女も睡眠時間が少なくて済むので退屈なのだ。
本も持っては来ているが、数冊だけだ。まだ先は長い。
「寒いね」
「ああ、一応周囲を断熱してるんだけどね。こんだけ天気がいいと冷えるな」
「それに静か」
「イルも大概静かだけどな」
「そのうち賑やかになるよ」
「まあね」
調査中、ユキやルチアナが着ている服は調査隊と余り変わらない。
春とはいえ湿地帯は虫が多い。
肌を出さずに歩けるものでは無い。
もちろん調査隊とは全く同じではなく、ルチアナは自前の冒険者用の服を着ている。
ユキはそれを参考に今回用にあつらえたものだ。
可愛さ等は考慮になく、動きやすさ等、実用性を加味した服である。
なにせ、命がかかっているからだ。
俺?
普段着ですが何か?
ひらっひらのスカートにTシャツですよ?
代謝も何も無いから虫に刺されることも無いし、ある程度冥化しながら歩いているので裾が植物に引っかかるなんてことも無い。
ユキがそんな俺の恰好をジロジロ眺めた。
「ねえ、やっぱり着替えた方がいいんじゃないの?」
「えー?」
「すっごい目立つし。もし襲撃されたら的にならない?」
「ああ、そりゃ願ったりだろ」
ユキは更に何か言おうとしたが、口を閉じてプイと前を見た。
こんな場所でこんな格好をしていれば、もし襲撃された場合に格好の的にはなる。
しかしその方が被害が出なくていい。
「ユキも結構目立ってて可愛いけどね?」
ユキが暗闇の中でも分るほどに赤くなった。
彼女は殆ど初めて、自分の意志で尻尾を服の外に出しているのだ。
お願いされて服に穴をあけたのは、もちろん尻尾のプロである俺だ。
どのような心境の変化があったのだろう。
相変わらず彼女の尻尾は美しい。
艶のある黒く長い毛におおわれている尻尾が、正に別の生き物のように滑らかに左右に振られているのだ。
俺はそれを後ろから眺めて悦に入る。
ナンだか嬉しくなっちゃうんだよな。
やっぱ俺はオヤジである。
俺は素早く手を伸ばしてその尻尾を撫でた。
「ひゃうっ!」
ユキは声を上げて背筋をピンと伸ばし、ついで俺の背中をぶったたいた。
ルチアナが目を覚ましていて、テントの入り口からニヤニヤしながら様子を伺っている。
そんな平和な夜を過ごせたのは、その初日だけだった。
――――――――――――
話に聞いていた五十キロメートル圏のラインを超えると、鳥や動物の声が増えた。
それは真正の鳥や動物の声ではない。
誰かが真似をしているのだ。
忍者も使ったと言う通信信号の一種である。
それにはルチアナや、同行しているルンドと言う名のノームの男も直ぐに気づいた。
ルンドが近づいてきて跪いた。
「マリヴェラ様、既に相手の警戒区域に踏み込んでいます」
「うん。監視されているね。それにこっちの警戒区域にも直ぐに気づいたみたいだしね」
相手は複数のノームだ。
ドワーフやコボルドは居ない。
ノームは体が小さく、すばしこい。
土属性が高いので、いざとなったら地面の中に潜り込める特技がある。
斥候にはうってつけであった。
なお、ドワーフは岩の多い荒れ地や山地、コボルドは火山地帯に多く生息する。
だからここでの主役は主にノームとなる。
彼らは膨らませた薄い金の雨にも即座に気づき、監視網をその外になるように動き続けている。
ルンドが地面を指さした。
「先方は自分の存在にも気づいています。
ご覧ください。草が結んであります。
これは我々西の大陸のノーム族とは
やり方が違いますが、恐らく
『これより先に来るな』と言う意味です」
俺は頷いて片手を上げた。
「よし、ここで小休止しよう」
一行は平らな岩の上に地図を広げた。
土木技術者が指をさした。
「ここから更に進むと例の支流が本流に流れ込む合流点です。もし用水路を作るならば、支流の更に上流に堰を作り……」
と、彼は指をなだらかな山の中腹から俺達が元来た方へと動かした。
「こんな感じで水路を掘っていくのです」
全員がため息をついた。
この地点でこの監視ぶりだと、工事を始めても、今までと同じように妨害を受けるのは目に見えている。
俺はルンドに目を向けた。
「ルンド、彼らと意思疎通はできるか?」
ルンドは首を傾げた。
「さあ、やってみないと分かりませんが……」
「じゃあ、やってみようぜ」
俺はルンドのごつく短い腕をポンと叩いた。
ルンドは頷いた。
直ぐにその体がずぶりと地面に沈み始めた。
俺は内心感嘆した。
属性操作ってよりは、ノームの特殊能力だろう。
神化じゃないのに服も一緒に沈んでるもんな。
全身が地面に沈み、少し経った。
ルンドの顔と腕だけが現れた。
「申し訳ありません。あいつら、自分の呼びかけに応じません。聞こえている筈なんですが」
「んーじゃあしょうがないね。おっけーご苦労さん」
俺はルンドに手を伸ばし、引き揚げた。
そして全員に告げた。
「このまま引き続き進む。予定通り、支流と堰の設置地点の調査を優先する。一応敵地だと思って、トイレの時なんか油断しないように」
全員応えた。
わざと大きな声で言ったので、監視の連中にも聞こえたはずだ。
こちらの予定を教えてやれば、不慮の事態が起きにくくなると思ったからだ。
「じゃあ進もうか」
セクハラはいけません。
2019/9/18 段落など修正。




