1-D100-61 ミツチヒメ逃走中
ロンドリア大陸に本格的な春がやって来た。
イルトゥリル周辺の植生は貧弱であるが、それでも色とりどりな花が咲いた。
政府庁舎でのいつもの会議。
本日の議題は「マリ候」でユキと話した内陸の調査だ。
将来的にアーレンフォー川の流域に居住区を伸ばさざるを得ない以上、川の全域を調査しておかなければいけない。
どういう危険があるのか?
そもそも居住可能なのか?
問題は、五十キロメートルも遡ると、例の「聖国」と呼ばれる宗教国家の縄張りに入ってしまうってことだ。
その地点よりもさらに上流で右岸から本流に流れ込む支流は、酸性の水ではない。
ここから水を取って用水路を作りたいのだが、試みは常に妨害されてしまう。
かれこれ数十年もイルトゥリルの懸案となっていた。
建設省の仕事を任せている田中と言う男は、ホーブロ政府に紹介されて雇ったのだが、中々有能であった。
なぜ彼ほどの人材がフリーだったのかは、どうも前の所属先で色々あった模様で、俺も余り深くは聞かなかった。
もちろん不正を働いたとはではなく、どうも仕事のやり方について元の雇い主ともめたらしい。
そんな事があったなんて全く感じない。
問題なく有能だ。
と言うより、俺は全体の絵図は書いたが、最終的には彼の計画通りに動いていたのであった。
その田中がしかめっ面をしている。
「強制収用できればいいんですけどね」
彼が広げた地図には、赤い線が書き込まれている。
宗教国家が設定していると思われる進入禁止ラインだ。
それを見ると、現在のロンドール侯爵領は沿岸地域の極わずかにしか支配権を確立していないと分かる。
田中がいら立ちを隠せないのもわかる。
その僅かな沿岸部でも、数百キロ以上南西に進んだ沿岸部にすら手が届いていない。
クローリスが躍起になって取り締まっているものの、現地での木材の盗伐が止まないのだ。
もちろん、その周辺に人は住んでいない。だから色々難しい。
まあ、それは後日片付けよう。
奥地の地理に詳しいイルトゥリルの住民が招かれていた。
狩りの為に何度か奥地に入り込んだことがあると言う、『スドー』と言う名のオヤジだ。
今も狩猟で飯を食っていると言う。
基本的に漁業で身を立てている者が多いイルトゥリルでは珍しいタイプだ。
彼は今回の調査隊には加わらない。
丁度奥地へのガイドの仕事の先約があるのだという。
ま、先約があるのなら仕方がない。
加わる加わらないと言えば、ルチアナだ。
調査隊を街で公募したら、速攻応募してきやがったのだ。
いや、有難くも「して下さった」のだ。
まあ確かに現役冒険者だしね。
風間は居ない。
あいつは今他の任務で海に出ている。
忘れてはならないのが、クローリスの配下にいるノームとコボルドだ。
この大陸の系統ではないそうだが、話し合いの役に立つかもしれないので特別にお願いして同行してもらう事となった。
だから俺とユキとルチアナ、ノームとコボルド、お雇いの地質学者、土木技術者、測量技師数名、護衛兼荷物持ちで調査隊は構成される。
調査の最優先は、やはり用水路を引けるかどうかだろう。
プランは昔からあるし、妨害さえなければ実現可能なのはわかっている。
知りたいのは妨害の理由と、解決策だ。
出来れば宗教国家の全容も知りたい。
もしもっと奥地に行けるのならば、流域の開発可能性まで調査したいのだが、出来ればラッキー程度だろう。
出発は数日後。
尤も、機材なんかは既に用意ができているので、やることも無い。
会議がお開きになり、ルチアナが近づいてきた。
「ちょっと、マリちゃん、いい?」
「何だい?」
ルチアナは俺の腕を取って部屋の隅に連れて行った。
「そういやルーシ、暇だからって男をとっかえひっかえするんじゃないよ?」
「はぁ? してないってば。誰? そんな事吹き込んだのは?」
「ソースは内緒。ここ狭いからさ。国民全員皆兄弟なんて事にならないようにしてよね」
「幾らあたしでもそんなに遊んでないってば……」
「ゴメンかなり滑ったな。それで本題は?」
「ううん、ちょっと悪い噂を聞いたのよね。あのスドーって人」
「悪い噂?」
ルチアナは警戒するように、会議室の出入り口を見た。
「毎年この季節になると、アーレンフォー川奥地への狩猟の為に、色んな人たちがやってくるっていう話は聞いてるわよね?」
「ああ、うん。貴族どものな。知ってる。ホーブロが赤字でもここを維持してきたのはそれもあるってな。ていうか、ついさっき入港した船団がそうだってよ」
「あ、そうなんだ。あのスドーって人、普段はそっちのガイドもしてるんだって」
「先約ってのはそれだよな」
「ええ。問題はここからで……。何を狩るか知ってる?」
「ん? 鹿とか熊じゃないの? 奥地には魔獣もいるってガイドブックに書いてあるぜ」
「でもそもそも宗教国家のテリトリーがあるっていうじゃない。その中にまるで軍隊の様な狩猟団が乗り込むのよ」
俺は思わずルチアナの顔を覗き込んだ。
「軍隊? それは初耳」
「聞く限りでは、去年も一回当たり百人以上で来ていたんだって」
百人かあ。
大名や徳川将軍家の鷹狩りは、それ以上の人員を動員してたっていうからなあ。
ま、鷹狩りは軍事演習なんかも兼ねてたんだけれど。
まあ不自然ではある。
鹿や熊ならホーブロも広いからそこそこ居るだろうに。
こんな辺鄙な所に来るまでもない。
「やっぱり魔獣なのかな?」
ルチアナが首を振った。
「誰もその魔獣を見た事が無いのよね。普通、人の心理としては、そういうレアな大物は見せびらかしたくなるでしょ?」
「まあそうね」
「でもイルトゥリルの誰も、彼らが何を狩ったのか
知らない、もしくは言おうとしないのよね。
毎回、大量の箱を持ち込んで獲物を詰め込んで
帰るというのに」
「……。分かった」
「ここ、ただの流刑地じゃなさそうね」
俺は腕を組んだ。
それはありうる。
何かあるんだ。
ペンティメンタルの時だって、コンスタンツァは俺を現場に放り込んだ。
今回だってそうなのかもしれない。
褒美と言う名の問題解決法。
ルチアナの腕をポンと叩いた。
「ありがとう。ほんとルーシがいてくれて助かるよ」
「えー? そうかなー。じゃご褒美にキスして。ディープなのがいいな」
「やだよバカ。調子に乗るなって」
「なによう。イケズねえ」
と、ルチアナは口をとんがらせたのであった。
――――――――――――
再び「居酒屋マリ侯」。
ここに来るのは常連だけではない。
一見さんもいる。
俺が自らここに店を開いているというのは、もうイルトゥリルの住人のほぼ全員が知っている。
開店して以来、住人の三分の一は顔を出してくれただろうか。
まあなんだ。
不定休だし、一番にぎわっている港近くからは遠いので、繁盛とまでは言えない。
第一、いつも怖い人や偉い人がいるのだからお酒の味もしないかもしれない。
なのに、今俺の目の前のカウンター席で日本酒を飲んでいる奇麗なおねえさんは、いかにも旨そうに飲んでいる。
多分二十代後半なんだろうけど、見た目はアテにならないかもしれない。
ていうか、多分人間ではない。
「知る」が効かないし、瞳孔の形が縦に裂けている。
所謂猫目だ。
膝まで伸びていそうな美しい黒髪は、首の後ろで縛っているだけだ。
薄紅色の小袖を纏っている。
現代風では無く、しかしミツチヒメよりは時代が下るであろう様式だ。
食べ物をお箸でつまみ、手酌でお猪口にお酒を注いでは、きゅーっとやっている。
その度にいかにも旨そうにするのだからちょっと嬉しくなる。
なお、本日のメニューは肉じゃがと鱒の塩焼き、貝類の味噌汁、ヒエの入ったご飯。
例によって地元でとれたのは鱒と貝類だけではある。
ジャガイモや小麦の栽培、家畜の飼育なんかが軌道に乗るのはまだ先の事だ。
頬がほんのり赤くなったおねえさんが話しかけて来た。
「女将よ、中々旨いのう」
「有難うございます」
「ここも、昨年とは様変わりしたではないか」
「ええ、色々有りましたし、色々しましたから」
「裏の山が無くなっているのは何ぞ?」
「石材とスペースが必要だったので削りました」
おねえさんが、すっと掃いたようなきれいな眉根を曇らせた。
「傲慢であろう。大地には敬意を払うべきじゃ」
「それはもう。でも、お陰で住む場所と良い港と
飲み水の確保ができました。まだ台状に残った
跡地も使う予定です。考え付いたのは私ですし、
実行したのも私。責任は全部私にあります」
「そうか……」
俺は話題を変えた。
「所でおねえさん、見ない顔ですけど、お名前は? 私、マリヴェラってんですけど」
「儂か? 皆はお夏と呼んでおる」
……儂? 随分古風な一人称だな。
「いいお名前ですね。お夏さんはどこから来なすったので?」
お夏が首を傾げた。
「……いや、ここの者じゃ」
「でも冬の間はいなかったし、そもそも住民登録はまだですよね?」
「よくわかるの」
「そりゃ、冬の間にここに戸籍のある全員顔合わせましたもん」
お夏は「ほう」とつぶやいて箸で鱒の塩焼きをつついた。
「聞くところによると、そなたがここの領主なのであろう? そのような事は配下に任せておけば良いではないか」
「もっと住民が増えたら無理でしょうけどね。
でも一応やれることはやっとこうかと。
もしかしてお夏さんは乙種ですよね?
ここで登録されてはどうですか?
どの道登録をしなきゃよそには行けませんよ」
「乙種? 儂はそう言う事には疎いのでな。しかし戸籍の話ならいらぬ」
「確かに戸籍みたいなもんですね。私やお夏さんの
ように人間でない場合には、代わりに登録ってのが
いるんですよ。もし登録していただけりゃ、
なんなら今日のお代、私がおごりますぜ」
「何じゃ、随分軽いのう」
「えっへっへ」
その時、ガラッと戸が開いた。
ミツチヒメだ。
「おお、マリヴェラ。腹減ったぞ」
そう言ってカウンター席に座った。
彼女は今日入港したという船団を監視していたのだ。
護衛兵や警察の手が足りない以上、ミツチヒメと言えどもぶらぶらさせるわけにはいかないのだ。
「姫様、お疲れ様です。どうでした?」
ミツチヒメはお夏の隣に座った。
「どうもこうも、まあ、屑っぷりは想像の範囲内だ。ただ、お主の目は意識しているらしいので、羽目を外し過ぎる事はないだろう」
「なるほどなるほど。さ、きゅっとやっておくんなさい」
「うむ。どの道、上陸申請はもう目を通しただろう? 名簿なんかは明日お主の下に届く。そうそう、あのアムニオンのドラ息子もいるぞ」
「もしかしてライエですか! マジすか!」
ライエはソレイェレでユキに手を出そうとして、俺が腕をぶった切ってやったやつだ。
俺がミツチヒメにお酌をし、カミラが器を運んだ。
「おおすまんな。ま、別に暴れるとか、お主に意趣返しをするような雰囲気ではなかったがな」
「それならいいんですけど」
ま、ただ狩猟して帰って行ってくれれば、それはここにお金を落としてくれるお客さんではある。
お猪口に口をつけてから、ミツチヒメはお皿の上に載っている料理を見て舌なめずりをした。
「今日も旨そうだな。ん?」
お夏とミツチヒメが見つめあった。
「珍しいな。お主、神族か?」
「そなた、どこぞで見た事が……」
「ん? そうか?」
「何百年前か、京に参った事が有ろう」
何百年て……おいおいずいぶん昔の話だな。
ミツチヒメが片眉を上げた。
「京なら四百年前に一度参っただけだ。しかしお主の顔は見覚えがない」
「さもあろう。儂もこのような成りでは無かったからのう。儂は稲荷の分け御霊の一つ。どうじゃ思い出したか?」
「おお、おお、稲荷大神殿か。どうしたこのような所で?」
「それはそなたも同じであろう。儂はこの妙な世界に飛ばされてもうずいぶん経つのだがな」
「なるほど、ああ、マリヴェラ。京都の稲荷大神殿だ。
分け御霊と言うが……つまり本体は元の世界のままなのだな。
しかしまあ本体とそう変わりはない」
「へええ、凄いお方なんですねえ」
お夏が首を振った。
「さほどでもない。この世界では特にな……」
「ま、わからんでもない」
と、二人はお互いに酌をしつつ、しばらく言葉を交わしていた。
「所でミツチヒメ殿」
「何だ?」
「今港に居る者どもは、ホーブロの貴族共か?」
「ん? そうだ。何でも、毎年奥地へ狩りに来るのだそうだな」
「左様か……今年も来たか。女将よ」
「どうしました?」
「奴らにそなたの領地で狩りをする許可を出したのか?」
「……? ええ、実はあの中の一人とは因縁が
あるんですけどね、それでも有無を言わさず
叩き出すほどの大義は無いですね。
許可申請も瑕疵はないそうです。それに、
多少なりともお金を落としてくれますからね。
ウチ、貧乏ですから」
「左様か。まあ、仕方がない」
とお夏が席を立つ。
「銭はここに置く」
「あ、はい」
「ミツチヒメ、また会おうぞ」
「おう。遊びに来い」
と、出て行った。
カウンターに置かれたお金を手提げ金庫に入れた。
「ねえ姫様、奇麗な人でしたね。ここに住んでくれればいいのに」
ミツチヒメは呆れた顔をした。
「お主は本当に好きモノだな。美人だったらわたくしというものが居るだろうが」
「えー、大人の女の魅力ってやつですよ」
「くッ……お主な……わたくしだってちょっと前まではそれで売ってたモノを……」
又も戸が開いた。今度は魔王だ。
「おう、ミツチヒメ。今のは稲荷神の分け御霊か?」
「ああ、お主わかったか。流石だのう。ずいぶん昔にこちらに来たらしいぞ?」
「ほう。初耳だ」
「恐らく、ここから出た事が無いのであろうな」
「さもあろう。……そういえば思い出した。おいマリ公、やつが支払った銭はどこだ?」
「え?」
俺は手提げ金庫を開けた。
カウンターから身を乗り出してそれを覗いたミツチヒメが笑った。
「おいおい。葉っぱじゃないか」
ホントだ。
葉っぱだ。
確かに金庫にはお金を入れたはずなのに。
葉っぱだ。
何だこれ!
「わっはっは!」
「あっはっは! 何だ、お主、言霊は使わなかったのか!」
「葉っぱ……」
……いや、普段は結構贋金への警戒はしてるんだけどさ。
あるんだよね。
たまに、金貨の金の比率が低いとかそういうの。
油断?
油断なのかなあ。
笑い終えた魔王が言った。
「稲荷の分け御霊には、たまに悪戯好きな者がいるからな」
悪戯魔神本家本元であるミツチヒメがうんうんと頷いた。
「分け御霊も、本体と完全に同じでは無い事があるからな」
「そうなんすか。神様豆知識っすね」
ミツチヒメが立ち上がった。
「まあそう腐るな。わたくしが追っかけて行って捕まえてくるぞ」
「お願いします」
ミツチヒメが出て行った。
所が中々帰ってこない。
客が何人か来たので、そちらの対応をしていたのだが、やっぱり帰ってこない。
一段落着いた所で、
「魔王様、姫様遅いですよね。見つからなくても戻ってくれば良かったのに」
「ああ? マリ公、貴様今頃何を言っている? 戻ってくるとでも思っていたのか?」
「え? もしかして……」
「食い逃げだ。馬鹿め。もう奇麗に平らげているではないか」
そう言って魔王は楊枝を咥えて立ち上がった。
「うむ、今日も中々であった。褒めて遣わす」
「有難うございます」
「つけておこう。後日支払うが、良いな?」
「え……は、はあ」
「うむ。ではさらば」
俺はその後姿を見送るほかなかった。
この後しばらく、毎日更新ではなくなるかもしれません。
一部終了までの手持ちは有るのですが、少し改変しようかと考えております。
同じく、全編にわたり、軽い修正を施す予定です。
宜しくお願いします。
2019/9/18 段落など修正。




