1-D100-52 坂上彩子監視中
坂上の本名は、坂上彩子。
天使の乙種で、五年前ほどにヴォルシヴォ公爵領に転生したのだそうだ。
何種類かに分かれる天使族の中では下級ではあったが、彼女の努力により公爵領においてはほぼ敵無しとなったらしい。
数日経つと、彼女はユキやクーコとはそこそこ打ち解けるようになった。
しかし俺に対しては変わらず敵意むき出しである。
海に落ちた剣を拾ってきてやっても、機嫌は戻らない。
みじん切りにしただけなのに。
心が狭いよな。
仕方ないので、冷めるまで放っておくことにした。
その反面、ロジャースは如才ない。
食事に招待した上で、歯の浮くような言葉を並べた。
これには坂上もまんざらではないようだ。
相変わらず感心する。
ロジャースのあれはそうそうできるモノじゃない。
聞いてるだけでも寒気がするほどだったのに。
目的地に着くまでには、彼女はミツチヒメと共にキャビンの常連と化したのであった。
その目的地パポエ島は、ポップ海に浮かぶ直径三十キロメートル程の島である。
かつての火山島が侵食されてできている。
従って平地は少ないが、周囲に散らばるサンゴ礁からなる島々から比べると、使える土地が多い。
人口もこの海域では多い方で、この島一つでパポエ王国が成り立っている。
このポップ海の島々は、いくつかの島毎に小さな国が乱立しており、いつも小さな諍いが絶えなかった。
海は概ね穏やかだが、風があまり安定しないそうで、それでガレーが発達したのだと言う。
そんな訳で、海賊は多かった。
全体が海賊業にかかわっているという国もあるらしい。
観光案内の本によると、ポップ海南部のサンゴ礁探訪と、もしかしたらいるかもしれない人魚の住処を探すツアーが人気なのだそうだ。
――――――――――――
スパロー号とミュリエル号がパポエに入港し、錨を下した。
港には、伯爵が派遣したペンティメンタルの軍艦が二隻舫っていた。
その一隻は艦隊の旗艦で、ディアナ号。もう一隻はマジシャン号だ。
艦隊の提督はアルヴァレスと言う名の准将だったが、ロジャース艦隊が入港手続きを済ませた頃に来艦してきた。
スパロー号が、ワクワク王国王族の旗だけではなく、女王コンスタンツァの旗を揚げていたからだ。
アルヴァレスは四十歳過ぎの、腹が出た禿おやじだった。
「あら、アルヴァレス提督、お久しぶりですわ」
キャビンに入って来たアルヴァレスに、別に再会を喜んでもいない空気を噴出させつつ坂上があいさつした。
「これは、佐藤殿に……おお、公爵閣下の天使殿か。相変わらずお美しいですな」
アルヴァレスも負けずにいかにも外交辞令といった口調で返した。
この二人、過去に何かあったのだろうか。
面白いから高みの見物だけれど。
「天使殿は王都に出向かれているのではなかったか?」
「まだお聞きにはなっていないのかしら? 王都の甲種は、ここにいる子が封印してしまったわ」
「ほう」
とアルヴァレスは目を見開いて俺と坂上を交互に見た。
「となると、王都は解放されたので?」
「そうよ。だから私もここにいるの。
そうそう、こちらの艦長さんは、
ワクワク王国のロジャース艦長。
それと、隣の女、甲種を封印した
生意気な女がマリヴェラさん」
……いやあ、生意気ときたもんだ。
ま、こういう扱いはどっかの誰かさんのせいで慣れちゃってるけどな。
それに、坂上の階級は何気に大佐相当なのだそうだ。
ロジャースよりもずっとエライのだ。
それぞれ椅子に座ると、アルヴァレスが訊いた。
「……で、皆さん何の御用でこちらへ?」
それはロジャースが答えた。
「実は、女王陛下直々のご命令により、北の海域で発生している海賊被害について調査をしに来たのです」
アルヴァレスが、ああ、と言い手をひらひらさせた。
「あれは、大したものではありません。
ポップ海の海賊が北に出張しているにすぎません。
これから隣のマジシャン号をその本拠地に
差し向けますので、直にこの件は終わりましょう」
「ですが提督、我々は『必ず現場を見てくるように』ときつく命令されております」
「命令、ですか。天使殿、それは確かに?」
「ええ、私はそれを監視する役目だと思っていただいていいわ」
「ふう、左様ですな……」
と、アルヴァレスは出された飲み物を一口飲んだ。
「ここから二百キロメートル程南東に向かうと、
テス王という王が治めるデリラ諸島という
場所があります。今回の海賊はここの出身
だという、その筋からの情報を得ました。
もしマジシャン号と行かれるのであれば、
秘書に詳しい情報を書かせて寄越しますが」
ロジャースが頭を下げた。
「よろしくお願いします」
アルヴァレスが坂上にぼやいた。
「なあ、天使殿、なぜ陛下はこんな小さな事件をお知り遊ばされたのであろうな?」
「さあ? あのお方は計り知れない所がありますからね」
程なく、秘書がまとめ上げた書類を俺達は手に入れ、その後すぐにマジシャン号が帆を上げた。
マジシャン号の艦長はレオーネと言う名だ。
出航前に顔を合わせたのだが、がっちりした体の男前だった。
スパロー号も展帆した。
この海域は風が弱い。
地形だけ見るなら島嶼部なので風は強そうだが、何故かそうなのだ。
普段矢の如く奔るスパロー号を見慣れているので、マジシャン号の後ろを、魔道装置をフル稼働させつつノロノロ進む姿はむしろ新鮮だった。
なお、ミュリエル号はパポエの港に置いてきた。
あの船は魔道装置を積んでいないからだった。
そして、万が一の為にミツチヒメを残したのだった。
「なんだ、オイ。わたくしは留守番か?」
と少々お怒りではあったが、未だ自信は回復していないせいか、しぶしぶ承知した。
――――――――――――
二日ほどの航程で、デリラ諸島へたどり着いた。
魔道装置が無ければもっと日数がかかったであろう。
魔道装置は使用者の精神力を消費する。
おかげでメイナードと彼の助手は毎日ヘロヘロであった。
「なあ風間、ここいらって本当に島が多いな」
「ええ。自分もこの海域は殆ど初めてですが、これだけ島が多いとたしかに海賊は多そうですな」
例によってマスト上からの眺めだ。
朝の風景を楽しんでいるのだ。
緯度は屋久島程度と同じで大して低くはないが、地球よりも温暖なので、全体的に浅い海域であるこのポップ海中央から南部にかけてはサンゴ礁が発達している。
海は青く、砂は白い。
少し大きな島は、海岸からすぐに密林が黒く広がっている。
珍しくクーコが登って来た。
「おやクーコ先生いかがなされましたか?」
今は朝食の時間で、彼女は坂上やユキらと共にキャビンに招待されていた筈であった。
クーコはため息をついた。
「……あの天使さん、一々マウンティングしてくるから苦手」
「ははあ。それで脱出してきたのね。分かるぅ」
「……ふうん、いい景色ね。本当に人魚がいそう」
「でも、人魚は食べつくされちゃったって話じゃない?」
「夢がないわね」
風間が声を上げた。
「あ!」
「どうした?」
「狼煙です。ほら、近くの島から、次々に他の島へ……」
見ると、確かにそうだ。
余り風がないので、その煙はまっすぐに上空に立ち上っていく。
あっという間に、視界に見える大き目の人が住んでいそうな島全てから狼煙が上がった。
風間が甲板に通知し、戦闘準備が始まった。
マジシャン号の艦上でも動きがあった。
ただ、狼煙の他には何も無かった。
スパロー号とマジシャン号は変わらずにノロノロと進む。
「いやあ、ガレーの群れがやってきたらどうしようかと思ったんだけどな」
俺は胸をなでおろした。
風間はまだあちこちの方角に望遠鏡を向け続けて警戒している。
「どうなんでしょうね。まだ警戒は必要ですけれど」
「所で、どこへ向かっているんだろうね?」
「それは自分も分かりません。ディレイラの爺さんに海図を見せてもらったらどうです?」
「そうするわ」
と甲板に降り、総員呼集のせいで不機嫌そうなディレイラを捕まえた。
彼は俺の姿を見ると軽く顔をしかめたが、これはいつもの事だ。
「何処へ向かっていると思います?」
「ふむ、恐らくアルサ島かその近辺の小島なんじゃがな」
「あの狼煙って何だと思います?」
「ああ、ここらは既に海賊の縄張りじゃからの。観光船などは絶対通らん。こちらが軍艦二隻なものだから様子見しているのじゃろうて」
なのだそうだ。
結局総員呼集は解かれ、警戒はしつつも艦は進んだ。
――――――――――――
夕方になり、オレンジ色に輝く海の光の中、先導するマジシャン号がある島の近くに錨を下した。
当然スパロー号も同様に錨を下す。
レオーネがボートでやって来た。
そしてロジャースと海図室で打ち合わせをした。
佐藤や坂上だけではなく、俺も同伴する。
この島の海図を広げ、レオーネは念を押すようにロジャースと俺に言う。
「あなた方は調査をしに来ただけですので、それ以上の手出しは控えていただきたい」
ロジャースもそこは心得ている。ここはレオーネ達の庭なのだ。
彼らの作戦はこうだ。
海賊の一味はこのアルサ島に住んでいる。
アルサ島はそこそこ大きく、直径十キロメートル程はあろう旧い火山島だ。
やはり内陸は密林に覆われ、遠目からは人が住んでいるとは思われない。
いわゆる海賊は、当たり前のように周辺の島々にもいるのだが、情報提供の件もあり、今回はここに狙いを絞ったのだ。
海賊本人たちは未だに北の海域に出張っていると思われるので、その根拠地に向かうのは少し妙な事ではある。
レオーネによると、手持ちのわずかな艦隊で広大な海域を哨戒するよりも、まずその根拠地を叩き潰して二度と北の海域に出張してこないようにする為の作戦なのだそうだ。
そして、普通なら明日の朝を待って作戦開始とする所を、今夜すぐにでも進軍することで、相手の油断を突くつもりなのだと。
まあ、通常の兵だけなら慣れない敵地への夜襲は難しいけれど、レオーネの配下には魔導師もいる。
ただ、俺は彼の説明がイマイチ腑に落ちない。ロジャースも同じく表情を曇らせていたが、何も言わなかった。
レオーネが帰って行った。
俺達はそのまま海図室に残った。
坂上が疑問を口にした。
「あいつ、何をするつもりなのかしら?」
彼女もレオーネの作戦に異議があるらしい。
「なんなら、私とマリヴェラさんとミツチヒメ様とで北の海域を捜索した方が早くない?」
と、ごもっともな事を言う。
佐藤が同意した。
「確かにそうです。少ないとはいえ、三隻の艦と皆さんが協力して哨戒すれば、いかに広いと言えども何とかなると思われます」
佐藤は坂上をちらりと見た。
「ただし、皆さんはペンティメンタルのお方ではありません。そこをご配慮いただけると有難いのです」
「メンツ? ウザったい代物よね」
その意見には、今回ばかりは同意だ。
気になる事を佐藤に訊いた。
「ねえ佐藤さん」
「はい」
「今回の作戦の詳細はご存知ですか?」
「いえ、ただ、立案は我ら海軍省でも現場からでもなく、主の周辺からだと聞いております」
そのことに、彼もあまりいい印象を持っていない模様だ。
海図室の窓の外に、黒い影となっているマジシャン号が見える。
既にボートを下す作業を進めている。
あれに乗るのは武装した海兵隊だ。
剣や弓の装備はもちろん、頭には何やらヘルメットのような見慣れないモノをかぶっている。
「ありゃ何です?」
佐藤が答えた。
「最新の装備ですね。あれをかぶると、夜の暗さでも昼間のように見える魔法道具と聞いています」
「へえ」
暗視ゴーグルか。それもすげえな。
海兵隊は上陸して海岸沿いに進軍していった。
それを見届けると、俺たちはキャビンにたむろった。
「ねえ、私たちはついていかないでいいのかしらね?」
坂上がそわそわしながら言った。
彼女はもしかしたら、この様な監視するだけの任務は不慣れなのかもしれない。
よく言えば「行動派」だ。
ロジャースがイエロの用意したジンジャーエールを受け取り、坂上と佐藤に手渡した。
「ええ、まあ、我々はこの周辺の地形も状況も何も情報を持っていませんしね。レオーネ艦長も一廉の艦長ですから大丈夫ですよ」
まあ、それはそうなんだけどね。
必殺技「うっざービーム」
2019/9/18 段落など修正。




