1-D100-45 マリヴェラ絶望中
どうやら俺は横になったままウトウトしていたらしい。
(おい、ユキの声がしたぞ)
オレサマの声で我に返った。
「……あ? そう?」
(戻ってきました。だそうだ。寝ている間、治療はオレサマがやっておいたよ)
「ん……。ご免。ありがとう」
(いいさ。ちょっと出番が少ないからさ……)
あら、拗ねてやんの。
「いやいや、先生のお陰で乗り切れたんじゃないですか。流石じゃないですか」
(え、そりゃまあなー)
とおだてておく。
追々、オレサマの存在についても考えなければな。
ただのチュートリアル? 俺の分身?
もちろん、俺は一体ナンなのかという問題もある。
身体が纏っていた光は消えていた。
今の俺は目の光を除いてはシャロンそのものだ。
裂けた服も修復してある。
立ち上がると、痛みもない。
「治療は終わっているのかな?」
(大体な)
だとしたら本当に大したものだ。あの状態からでもこんな短時間で治ってしまうとは。
外は雨が降ってきているのだろう。
室内にも冷たい湿気が流れ込んでいる。
俺は城内を金の雨で満たした。
大きな布をかぶされたグレンヴィルは、冷たくなって倒れたままで、人質たちは変わらずこの部屋に寝ていた。
ソウスケたちが運び込んでいるのか、随分大人数が城内の各部屋に寝かされている。
数人がその作業を続行中だ。光に気づき、しばし動きを止めている。
ソウスケがやって来た。
「マリヴェラ様!」
「やあ」
「あの、シャロン様は?」
「あと何時間かで全快だよ」
「良かった」
ソウスケは真っ二つになったシャロンを見ていない。
それは彼にとって幸いだった。
「マリヴェラ様が乗って来た船が見えて来たそうです」
「うん、こっちの状況が分かって戻って来たんでしょ」
「……どうやってですか?」
ソウスケは怪訝そうな顔をした。
そういえば、この世界では長距離通信なんて無いのであった。
「あー……。秘密。いずれにせよ、嵐は避けたいしね」
「はあ」
「取り合えず、現状は?」
「外で倒れていた者達は、ほぼ屋内に連れ込みました。彼ら、いつ頃目を覚ますのでしょうね?」
「それはちょっと、俺でもわからないな」
ソウスケは急に不安そうな顔をした。
「まさか、このままじゃ……」
うーん、まあ、いざとなったら「なおす」で何とかなると思うけど。
「ま、大丈夫でしょ」
「マリヴェラ様を信じます」
――――――――――――
外に出て岬の見晴らしのいい場所まで一人で歩いた。
ここには崩れかけた物見塔が有った。
グレンヴィル達も利用していたのだろう。人の通った跡がある。
ここなら、獲物や討伐艦隊の動向が手に取るように見える。
いい景色だ。
天気が良かったら、さらに良かったろう。
低気圧が接近しているので、水平線は黒い雲と靄に覆われて見えない。
うねりの頂点は白く砕け、四方八方に折り重なってゆく。
ミュリエル号は既に入り江の入り口にある小島の横を通過する所だった。
岬から入り江の錨地に歩いた。
錨を下したミュリエル号の上から、笑顔のユキがこちらに手を振った。
姿を変えていても、俺の事が分かるらしい。
俺は海岸から叫んだ。
「全部片付いたぜ!」
ユキの隣にモズレーが並んだ。いかにも忌々し気な顔をしている。
そういえば……。
眠らせた事を謝ったものか、しらばっくれるか。
しらばっくれよう。知らん振りしよう。
来る嵐に備え、水夫と航海士は船に残し、モズレーとユキらはボートで下船し、城に入った。
その頃には、洗脳されていた者の一部は目を覚まし始めていた。
彼らは一様に、暗い表情をしていた。
訊くと、洗脳中の記憶が無くなったわけではないらしい。
どんな事をされたのか、又はやらされたのかは分からないが、想像はつく。
それと折り合いをつけるのは大変だろう。
それでも、ミノタウロスにぶん投げられて死ぬよりはマシだ。
応接室で寛ぎながら、俺はユキらに対し、ここで何があったのか説明した。
モズレーは未だに、姿を変えた俺を気味悪いものを見るような目で見る。
ソウスケたちが、粗末ながら食事を運んできた。
「大したものはありませんが」
「いただきます。……ソウスケさん、その後状況はどうです?」
「……何人か、姿を消しました。いずれも近くの村に住んでいた者です」
「……家に帰ったのかな。だといいけど」
「ええ」
「今後どうするつもり? 海賊業続行ってわけでもないでしょ?」
「それはそうです。近所の者は帰らせます。
攫われてきた者も帰らせます。
無理やり海賊をさせられていた場合、
証明されれば、無事に故郷に帰れるはずです」
まあ、そうだろう。
元の世界で海賊が横行していた頃も、そういう制度があった。
先に触れた通り、海賊が奪うのは積み荷だけではないのだ。
「人質の皆さんも、帰っていただきます」
「そうだね。となると、これからの時期、北へ行くのは無理だから、とりあえずソレイェレか」
「はい。そこで相談なのですが……」
「人質は十数人。俺たちのあの船に乗せられるギリギリの人数だね」
モズレーがいやそうに首を振った。
「とんでもない。どうして私が……」
「人質を解放するってんだから、報奨金が出るんじゃない?
ここの航路を行き来する船の乗客なんだから、
裕福な人たちなんじゃないの?」
「……考えてみましょう」
余り金の事を言うのもなんだが、ごねられても面倒くさい。
残りの者はこのカーネッドに残るそうだ。
ギガントはともかく、オークなんて違法奴隷船に乗せられていた所を攫われてきたのだ。
行き場所なんてない。
差し当たって皆で漁村を営み、後々は交易港としての発展を目指すと言う。
ま、それもいいでしょ。
食事が終わり、食器は片づけられた。
そこで思案顔だった風間が口をはさんだ。
「隊長、失礼します。ソウスケ殿」
「はい」
「海賊の頭領がいなくなったとしても、注意はすべきだと思います」
「どういう事でしょうか?」
「本来ここを支配している国が、あなた方を討伐しに来る可能性があります」
ユウカが疑問を呈した。
「そんなこと、あるのでしょうか?」
風間が頷いた。
「あります。大規模な討伐隊が来ないと言う事は、
ここの国は他の国に何も情報を与えていない
のだと思われます。単独で掃討する実力は
ないものの、メンツは保ちたい」
「ありうるなー」
「そして、大きな戦力のなくなった
ソウスケ殿達相手なら、実力のない国でも
なんとかなります。もう海賊ではないと
言っても無駄です。首を取られて海賊の首
だと宣伝されるでしょう。ユキ様もユウカ様も
覚えておいてください。政治はメンツが重要です。
何より大事にする者は多いのです。
それを無視して物事を運べるほど、
甘い世の中ではありません」
真面目モードの風間は中々イカスよな。
その風間が意味ありげに俺に視線を送っている。
意味は分かっている。ならばどうするか、だ。
「そうなった場合、あのガレーで脱出するしかないだろうな。ファーネ大陸に行き場所はないか?」
それにはモズレーが首を振った。
「無いですな。海事ギルドの証書も、
船籍を証明する物もないでしょう?
それにあのガレーは……。そもそも、
あれは余り波の出ない東の海域で使われる物で、
どうやってここまで来られたのかさえ不思議なんですよ」
「じゃ、こうしよう。何かあった時には、
ありったけの食糧を積んで、西へ向かうんだ」
「西へ?」
ああ、とユキが何か思い当たったようだ。
「クロさん!」
……クロさんときたもんだ。沙織じゃあるまいし。
まあいい。
「ロンドリア大陸のイルトゥリル、知ってる?」
「ええ、もちろんです。一応私も元船乗りでしたので」
「おっけー。その南西千キロ程の所に、クローリスクインタルの残党がいる居留地があるんだ」
「クローリスクインタル? 聞いた事は有りますが」
「うん。西の大陸で戦争があってね。
負けて脱出した連中がそこにいる。
気のいい奴らさ。でも、食料は足りていないから……。
ソウスケさん。お金はあるの?」
「いえ……。海賊業と言っても、そんなに儲かるわけではないんです。基本的にあのガレーでは、小さい船しか襲えませんし」
「頭領が隠しているとかないの?」
ソウスケは首をひねった。
「確かに……金銭は頭領が一人で管理していました。どこかに隠しているかも知れませんが、私は存じません」
「まあ、兎に角覚えておいたらいいさ」
「はい」
と言う訳で、その場はお開きになった。
――――――――――――
シャロンの治療が終わった。
俺は彼女の身体から離れた。
離れる時に、細胞の一つ一つが分離していくような感覚がする。
それは性的な快感に近い。
実は、憑依している間も、その様な得も言われぬ感覚がずっとしている。ユキの時も同様だった。
これはどういう事だろう。
快感と言うのは人間にとって、進化の結果獲得したものだ。
初めから有るモノ、ただ有るモノではない。
神族とは、進化してきた生物なのだろうか。
ただ生物を模して存在するのだろうか。
それとも単なるこの世界の一つのありようなのだろうか。
ならば、憑依に快感を覚えるならば、それは何だ。
神族は進化にする存在であって、憑依が進化に必要だからだろうか。
そんな事を考えつつ、分離を終えたのだった。
無論、彼女の記憶は見なかった。見たくもなかった。
彼女はまだ子供だ。
生贄にされてどんな目にあったのか、知りたくもない。
そしてこの有様だ。
普通の生活に戻れるのだろうか?
シャロンをベッドに寝かせ、布団をかけた。
応接室に戻るとユキがいた。疲れているのか、ソファに座ったまま船をこいでいる。
俺は姿勢を下げて背後に忍び寄り、髪の毛を引っ張った。
つんつん。
「うぐっ」
と声にならない声を上げ、目を覚ましたユキがきょろきょろとあたりを見まわした。
そして俺を見つけると、遠慮なくぶっ叩いた。
「いたっ!」
「もう。で? マリさん? どうだったの?」
「……終わったよ。肉体の傷は少なくともね」
「そう……」
「その後の事は、俺には荷が重いな」
ユキが俺の頭をぐしゃっと掴んだ。
「でも、やれることはしたわ」
「そう思いたいね」
ひと段落着いたと思った。
だがまだ終わってなかったのだ。
――――――――――――
夜半になり、ユキが就寝し、代わりにクーコが起きた。
そこで、やる事もないので歌のレッスンを始めたのだ。
迷惑にならないように、結界で部屋を封印して、音が外に漏れないようにしての事だ。
クーコが腕を組んでしかめ面している。
「うーん、どうもリズム感がないわね。音程もいまいちだし。これで本当に聴力が良いのかしら?」
「すみません……」
「まるで私の歌じゃないみたい。不思議ね」
言われたい放題である。
「まあいいわ。音程練習に戻りましょう」
「はあい」
その時、何処かでゴトンと何かが動いた。
クーコにも感じられたらしい。ドアの方を振り向いた。
俺は結界を解いた。
「おい!待てっ!」
これは風間の声だ。
風間は寝室で寝ていたはず。
俺とクーコは寝室に急いだ。
寝室前の真っ暗な廊下に、風間とユキがいた。
「あっ、隊長!早く!」
「どうした!」
「ユキ様が斬られました!」
血まみれの片腕を抑えていたユキが叫んだ。
「私よりも、ユウカを!」
ユキとユウカが寝ていた寝室に入った。
明かりはついていないので、暗い。
ユウカがベッドに寝ている。
何か音がする。水音か?
だが彼の顔を見ようとして血の気が引いた。
コレ……頸動脈からの出血の音じゃねえのか……?
寝ていた所を、剣で斬りつけられたのだろうか。
ユウカの目が薄く開いて、俺の光る眼を見た気がした。
そしてその目は閉じられた。
クーコがベッドに近寄ろうとした。
「来るな!」
クーコがビクついて立ち止まった。
俺は光と化した。
この二十四時間で二度目の憑依であった……。
憑依が完了すると、クーコが「照明」の魔法を使った。
ユキは斬られた腕を風間に布で縛ってもらっていた。その顔は半泣きだ。
「マリさん、ユウカ、大丈夫よね?」
俺は血を存分に吸った布団を退けて起き上がった。
「うん。大丈夫さ。ユキさん、腕を見せて」
腕の治療を始めると、ユキは我慢しきれずに涙をこぼし始めた。
風間はその間に、物音を聞きつけて駆け付けた男たちと、犯人を追う為に姿を消した。
クーコは寝室の入り口を見張っている。
ユキが謝った。
「ごめんなさい」
「泣かなくていいよ。謝らなくてもいい」
と、今度は俺が彼女の頭を撫でた。
「誰がこんな?」
「……シャロンさん」
「彼女が? どうして?」
「分からない。でも、魔法の光が一瞬部屋を照らして、その時目を覚まして……。剣を振り下ろしてきたのは、確かにシャロンさんだったわ。その後、ユウカに……」
ユキが、今度はユウカである俺をぎゅっと抱きしめた。
仕方なくその背中をさすってやっていると、ソウスケが部屋の入り口から顔をのぞかせた。
「ソウスケさん」
「皆さん……。申し訳ございません。まさかシャロンがこのような……」
と、ソウスケは頭を下げた。
俺は項垂れた彼に声をかけた。
「いや、こっちは何とかなったさ。彼女は今どこに?」
「城の外に出たとの事ですが。まだ報告は有りません」
「探そう。悪い予感がする」
全員で外に出た。
雨は強く地面を叩いていた。
風も強い。
金の雨を最大限に広げた。
人の声がかすかに聞こえる。
「岬の方だ」
俺が先頭になって小走りに岬に急いだ。
すると、俺が昼間に景色を楽しんだ物見塔のそばに、白い寝間着を着たシャロンがいた。
小柄な剣を片手に、ずぶぬれになって。
笑った口が顔に張り付いている。
城の男が何人か、遠巻きにしているが、シャロンの向こう側は高い崖だ。
刺激すると飛び降りる可能性があるので、落ち着くように説得するだけだった。
俺は困惑した。
有無を言わさず眠らせるつもりで発した月属性の睡眠効果を、彼女がレジストしたからだ。
たかが……と言ってはナンだけど、たかが人間が抵抗できるものでは無い。
ならば何故?
俺は恐れずに足を踏み出した。
彼女が飛び降りても何とかできるし、斬りかかられても同じだ。もう逃げ道はない。
シャロンは崖から飛び降りなかった。
俺を待ち、俺がその両腕を掴むのを待った。
「俺だ。マリヴェラだ。なぜあんな事をした?」
剣がポロリと手から落ちた。
笑っていた顔が、怒りに変わった。
シャロンが風雨に負けぬ声で怒鳴った。
「なぜ? お前がワタシの大事なモノを奪ったからでしょう!」
俺は衝撃を受けた。
彼女は、洗脳の言霊の影響下になかったのだ。俺は彼女の記憶の一切をシャットダウンしていた。だから分からなかった。
どんな経緯であれ、どんな形であれ、迎えたどんな結末であれ、グレンヴィルは彼女にとって大事な存在となっていたのだ。
グレンヴィルがどう考えていたかはもうわからない。
「だから、ワタシはお前の大事なモノを奪おうとしたの。悪い?」
つい俺は両手の力を強めた。
「痛っ! 誰でも良かった! お前の仲間なら! その若い男が一番弱そうだったからな。ざま見ろ!」
背後からユキの声が聞こえた。
「マリさん! 落ち着いて!」
ハッとした。
不意にシャロンの体から力が抜けた。
あっ?
えっ?
俺、なんかやったか?
オレサマが言った。
(いや、何かやったのはこの子の方だな)
ぐったりとしたシャロンを地面に寝かせた。
その目から光が消えている。
心拍はある。
(『知る』でこの子の頭を見てみ?)
「大丈夫なの?」
(ああ。多分な)
頷いて手を「冥化」させ、彼女の頭にふれた。
ソウスケが心配そうに声をかけた。
「どうしましたか?」
俺は絶句した。
なんとか声を絞り出した。
「すまん……。『言霊』の『消す』で、全ての記憶を消しやがった……」
「え……」
記憶喪失とも違う。
すっかり消えている。
これでは、「なおす」でも戻せない。
「言霊」は、きっと今この岬で魂に刻まれたのだろう。
絶望に襲われ、俺の目から涙が流れた。
雨に濡れていないので、涙をごまかすことはできない。
「ごめんな……」
横たわり天を見続けるシャロンの顔は、何処か笑っているようにも見えた。
2019/9/18 段落など修正。




