1-D100-43 マリヴェラ交渉中
俺を乗せたガレーは、入り江の入り口にある小島の横を通過した。
そのかなり後ろを、ミュリエル号がついてきている。
入り江に入ると、途端に波風は弱くなった。
その入り江をまるで両腕で囲うように位置する岬の先端には、それぞれ古い軍事施設が存在する。
特に小高くなっている北側の岬には、ちょっとした古城がある。
カーネッドについて記した旅行案内にも、その城の事が載っていた。
その城は、昔ファーネ大陸の多くを支配していたエルフの一族によって築かれたのだという。
一つの伝説がある。
その城に住むエルフの貴族が、自身の一族と敵対している貴族の一族を招いた。
城主は常に謙虚を装い、自分の敵意を隠していたので、招かれた貴族の一族はこぞってカーネッドの城にやってきた。
城主はやってきた者達を大きな広間でもてなした。
豪華な食事に華美な酒。城主を疑う者はいなかった。
少し経ち、城主はこっそりその広間から抜け出した。
直後に広間は吹き飛んだ。
よく準備された魔法によるとも、魔法使いに探知されにくい火薬による爆破だったともいわれる。
敵対した一族は全滅し、城主は目的を果たしたという。
……ですって。コワイネ。
俺はガレーに乗ったままだ。
ミュリエル号も、入り江に到着した。
ただ、警戒は続けさせる。
海賊なんて、何をするか分かったものではないからだ。
このガレーの他にも船を持っているかもしれないしな。
入り江は大きい。
入り江の中にも小さな入り江がたくさんあり、今いるここからでも死角が多い。
一応目を凝らすが、人のいる気配はない。
所々、岩だらけの地面の隙間に、畑や朽ちた小屋がある程度だ。
錨地にたどり着き、錨が下ろされた。
ガレーの乗組員は、小さなボートで陸とを往復していた。
ギガントたち体の大きい乗組員は、ボートに二人しか乗れないので、往復回数が多くなる。
つまり、いったん全員下船してしまえば、再び乗船するのに時間がかかると言う事だ。
ガレーでミュリエル号を再度襲うにも、ミュリエル号には逃げる為の時間が与えられると言える。
いざと言う時には、俺を置いて帆を上げろと言ってある。
水面を歩いて陸に着くと、奥の方に廃墟が見えた。
主に石造りの粗末な家が並んでいたようだが、どれも屋根は落ち、敷地には草が生えていた。
ソウスケが待っていた。
シャロンの姿はない。
「酷くさびれてるね」
「ええ。我々がここに来た時にはもうこんな感じでした」
ソウスケが歩き出した。
俺はその後に続く。どうやら、あの古城に向かうようだ。
「ここ、海賊に襲われたんだって?」
「そうらしいです。住人は内陸に逃げてしまったらしいですね」
「海賊って、アンタ方の事じゃないのか?」
「いえ、我々がその海賊を追い払ったのです。あっちは百人以上いましたがね。ウチの頭領、強いですから。あのガレーはその時分捕ったんです」
ソウスケが振り返ってにやりと笑った。
「そのガレーで、時折、沖を航行する船に通行税を払わせる事もありますがね」
「なんだ。やっぱ海賊じゃないか……所で、どこへ向かっているの?」
「船から見えたと思います。入り江を囲む岬にある古城です。我らの本城です。今から頭領にお目通りしていただきます」
「食料を買えればそれでいいんだけどな」
「買った食料はどうあの船に持ち込みなさるのです? 沖まで運ぶサービスは高くつきますぜ?」
俺は肩をすくめた。
「俺が持っていくのさ。言ったでしょ。ヒトじゃないって。色々出来るんだよ」
「それは……凄いですね。ウチの頭領も大したものだけど、アナタ様も中々」
「ただね、食料を大量に生み出す魔法なんてないからさ」
「ははっ、そうですね。食料はここでも貴重ですので、頭領がその取引をするべきかお決めなさるのです」
「仕方がないね。しかし、本城とは、まるで一つの国のようだね」
「ええ、国です。頭領は結構大真面目にここを拠点に国を作ろうとしていなさってます」
なるほど。
確かにここは国家権力の手が及びにくい。
人口が少ないものの、細く長くやっていける可能性はある。
「さ、着きました」
ソウスケが立ち止まった。
背の低い灌木に囲まれて、城は崩れかけつつも黒々と聳えていた。
正面の門は錆びてもう開かないようだった。
俺たちは通用門をくぐった。
湿気の強い通路を通り、一つの部屋に通された。
応接室のようだ。一応の調度が揃い、部屋の手入れもされていた。
「では、ここでお待ちください」
ソウスケは立ち去ろうとしたが、何やら思いとどまり、俺に近づいて耳元でささやいた。
「あの、もし何か間違いがあった時には、シャロンだけはお助けください」
俺は眉をひそめた。
「……どういう?」
ソウスケは首を振って去ってしまった。
応接室のソファに身を沈めて考えた。
いやな予感がする。
ここでもまた胸糞悪い事が起こっているのかもしれない。
ミュリエル号は大丈夫だろうか。
今の風なら、ガレーが出てくる兆候が見えれば逃げられると思うのだが。
ここは、風間の目と勘に頼るほかない。
パタパタと足音が聞こえて、シャロンがやってきた。
「やあ、待たせたな!ついてこい!」
シャロンはそう言ってくるりと向きを変え、ずんずんと廊下を奥に歩いていく。
彼女は着替えていて、今は普通の女の子に見える。
粗末な敷物が続く廊下の先に、扉があった。大きな木製の扉で、殆どペンキが剥げている。
二人の男が立っている。
衛兵だろうか。
彼らはシャロンを認めると、無言でうなずいて扉を開けた。
相当重いらしく、二人の力でやっと開け閉めできるようだ。
「ご苦労」
シャロンは扉の向こうに飛び込むと、小走りに奥へと向かった。
そこは広い部屋であった。
明り取りの窓は少ししかない上、照明もつけていない。
夜目が効かなければ、部屋に何があるか分かったものではない。
シャロンは暗闇に消えた。
低く重い声がそちらから響いてきた。
「そなたが水神と名乗る者か?」
俺は歩み近寄った。
明り取りからの光が一筋の光線を紡ぎ、それを照らした。
壊れかけの玉座に座っているのは……ミノタウロス。
巨大な雄牛の頭が、筋骨隆々な人間の体の上についている。
一応服は着ているのだが、腕や太ももはそこからはみ出るほどに太い。
シャロンが、座っているミノタウロスの腕にぎゅっとしがみついて、こちらに笑みを投げかけている。
「そうだけど?」
ミノタウロスは肩を震わせた。
どうも笑っているらしい。
「なるほど、吾輩の姿を見て驚きもしないとは、確かに本物らしいな。アグイラで甲種を退けたという神族の名がマリヴェラと言うそうだが」
「ああ、知ってたの」
ミノタウロスが立ち上がった。
シャロンは離れ、玉座の横に立った。
「吾輩の名はグレンヴィル。カーネッド王国の国主である」
すかさずシャロンが叫んだ。
「頭が高い!」
グレンヴィルはちょっと困った空気を漂わせ、シャロンに言った。
「シャロン、いい子だから隣の部屋に行っていなさい」
「はーい」
シャロンは暗い部屋の隅にある小さな扉から姿を消した。
「さて、マリヴェラ殿。そなたは噂によると乙種だそうであるが、本当か?」
グレンヴィルは全く表情の読めない牛の顔で、大きな目をぎょろりとさせた。
だが見かけによらず、脳筋ではないらしい。
俺が乙種だと、どこで知ったのだろう。
沖の船を襲うときに情報を収集しているのか、それともソレイェレ辺りに人員を配置しているのか。
「そう、乙種さ。もしかして、アンタもだったり?」
グレンヴェルが頷いたので俺は驚いた。
「その通り。二年ほど前にこの近くに降り立った」
「へえ。もしかして東京出身?」
「いや、吾輩は合衆国のニューヨーク出身だ」
「アメリカかあ、珍しいんじゃない?」
「左様。どうも分かる限りでは吾輩だけのようなのだ」
「そりゃ寂しいねえ」
ふっふっふ、とグレンヴィルは笑った。
「初めはな。だが、今の吾輩には大勢の仲間と部下がいる。そなたもどうだ?」
「済まないけど、俺にも仲間がいるからね。やらなきゃいけない事がたくさんあるのさ」
「ならば、その仲間たちが吾輩に従うと同意したならばどうだ?」
「んだと?」
耳を疑った。
何言ってやがるんだこの野郎。
二人の間の闇に沈黙が漂った。
俺は自分の相変わらずの甘さに内心歯ぎしりした。
相手は結局海賊だ。
売買も交渉もクソもない。
内心叫んだ。
(ユキ、交渉決裂、逃げろ!)
……これで多分、彼女には伝わった。
結局しかと確認した訳ではないが、ユキはフォールス滞在前にもう一つの言霊を手に入れたらしい。
テレパシーではないが、何か似たような作用を持っている。
俺はグレンヴィルを睨んだ。
グレンヴィルが両腕を広げた。
「吾輩はこの強靭な体に生まれ変わった。
そこで理解したのは、人間の弱さ。
精神は肉体に容易に従ってしまうのだ。
元々吾輩は、その人の精神の弱さを研究してきた。
だが、この圧倒的な力、暴力の前では、
誰もが心の底からひれ伏し、全てを差し出す。
見せてやろう。シャロン!」
「はい!」
と奥の方の扉からシャロンが顔を出した。
「人質を全員連れてこい!」
「全員ですか?」
「全員だ!」
シャロンは扉を閉めた。
すぐに再び扉が開いて、何人もの男女が入ってきた。
十人以上いた。
年代はさまざまで、服装も様々だ。だが、その服はどれもこの地方の物ではないだろう。
シャロンが最後に入室し、扉を閉めた。
「……どういうつもりだ?」
グレンヴィルは後ろをちらりと見た。
「あやつらは、『全てを差し出した者』達だ」
「差し出した? 人質ってのは何だ?」
「だから、人質は人質だ。沖を航行する船を襲っては、
乗客と乗組員、積み荷を攫ってくる。
乗客は人質として身代金を要求する。
乗組員は吾輩が言い聞かせて配下にする」
元の世界でかつて存在した海賊も、似たような行為を働いたのであった。
余り一般に知られていないのは、配下を増やす方法だ。
襲った船から乗組員を奪って無理やり働かせるのである。
もちろん、拒否した者は、殺されることもあったのだ。
「最低だな。海賊その物じゃないか」
「クックック、それだけではない」
グレンヴィルは笑った。
「人質たちも、吾輩の配下となる。身代金が支払われて解放された後も、忠実に吾輩の為に働くのだ」
並んだ人質たちが頷いた。シャロンも満面の笑みだ。
むかついた。
クーコにゃ悪いが、あのトマック君がかわいらしく見える。
「そりゃ『隷属魔法』か? それとも『言霊』の『支配』か? それとも『洗脳』か?」
俺はカマをかけたが、グレンヴィルは首を振った。
「どうかな。そなたも味わってみればいい。素晴らしい世界、素晴らしい能力ではないか」
そして哄笑した。
笑い声がこだまする。
力に飲まれたか?
酔ってやがる。
俺つえぇぇぇ状態ってやつだ。
しかし、何か引っかかった。
グレンヴィル。
その名はどこかで聞いた事があったのだ。
自分の記憶に対して「知る」を使った。
すると思い出した。
「鋼のジャスティン? ……ジャスティス・グレンヴィル?」
俺のつぶやきに、グレンヴィルが反応した。
「そなた、その名をどこで聞いた?」
グレンヴィルは身をかがめ、全身に力を込めた。
帆船時代の海賊。
殆どの海賊は、今のイメージよりも小規模なグループでした。
そして、小さいが数の多い商船を襲っていたのです。
2019/9/18 段落など修正。




