1-D100-41 マリヴェラ相談中
「……と言う訳でだな。色々大変かも知れんので、辛抱してね」
ユキとクーコには、了解を求めた。
ただの航海になればいいな、なのだ。
どうせ運命が色んなアクシデントを引き寄せてくるだろう。
まだ二人は考えてもいないだろうが、次から次へと良い事悪い事が起きているのは、俺と言う存在のせいかもしれないのだ。
この航海に限ったことではない。
例えば誰かに「聖書のヨブ」の様な災難が降りかかったとしても、それはその人が悪い事を引き寄せたのではない。
だが俺の場合は引き寄せる。
いや、引き寄せるはずだ。
もしくは、何かが発生する場面へ俺は足を踏み入れるのだ。
ミツチヒメは気にするなと言った。
だがそれとこれとは別の話だ。
つまり、俺はこの一行と居て良いのだろうか?という事だ。
実際に運命が厄介ごとを引き寄せている確信はまだ無い。
しかし先行きは今日の空を覆う雲のように、灰色で、速い潮流のように流れていくように思えてならない。
そして昼飯時に早速厄介ごとが発生した。
この船、コックがいない。
海上自衛隊なら給養員、昔の帆船なら司厨長という。
八十人から乗り込むスパロー号にも、専任の司厨長が一人居て、助手まで居たのだ。
このミュリエル号も、三千キロメートル以上の無寄航航海をするのだから、当然乗り込んでいるはずだった。
所が水夫の一人が「自分が調理も出来る」等と言って給料の上乗せを要求したらしい。
モズレーはそれならと、司厨員は雇わず、若干の人件費を浮かせたのだ。
風間の危惧した通りであった。
しかしさ、テストぐらいしないのか?
モズレーは有能なのか?無能なのか?
発覚したのは、昼飯に生焼けの塩漬け肉や、味の薄いスープだか海水だかわからない汁が出てきたからだった。
船員の食材は船員の食卓に、俺たちの用意した分は俺たちに出されたのだが……。
まだ出港したてなのでパンやハムや野菜を食べられる俺たちはまだしも、船員たちの主菜は古い樽漬けの肉とかだったりしたのでたまらない。
初日から反乱が起きかねない雰囲気になってしまった。
だからって引き返して調理を出来る者を見つけて雇うなんて時間は、俺たちには無い。
ちなみにモズレーにもその気はさらさらない。
「なあ、ユキさんって料理できる?」
俺が訊くと、ユキは毛布の下に隠れてしまった。
そういえば先日も同じ質問したっけか。
「料理できるようには見えないもんな。……いってぇ! 叩くなよ……」
クーコは何も気にしないかのように本を読んでいる。
「クーコさんは……」
「できません」
だから何? とでも言いたそうだ。険もほろろである。
ユウカは問題外として、
「風間は?」
風間は首を振った。
「最低限はできますが、得意とは……」
風間、惜しいな。
で、俺だ。
一人暮らしが長かったからな。
それに小説の描写用に一通りの料理書は嗜んだ事が有る。
だから「知る」で脳内の色んなレシピを読めるのだ。
それに、今は「つくる」の「言霊」がある。
火は「つくる」では扱えないので、「言霊」が活躍できるのは下ごしらえだけかも知れないけれど。
「しょうがない。じゃぁ、俺に任せてもらおう」
クーコがふと本から顔を上げて呟いた。
「流石奥様」
「やめて」
――――――――――――
モズレーは俺の手助けの申し出に渋々同意した。
無料でやってやると言うと、何よりほっとした表情を見せた。
どうやら、お金を余分に支払う位だったら、古い塩漬けの肉を火を通さないまま食べる方がマシらしい。
そこで、俺は夕食の準備の為に船員用の食糧庫を点検したのだが、何れもいつ船に積み込んだのか分からない様なものばかりだった。
もしかしたら、フォールスレーでも、新鮮な食料は買わず、他の船が降ろした古くなった食糧を買い入れたのではないか、とも思う。
根拠は、調理の前に大きな樽から小さな樽に食材を移すのだが、とても臭うからだ。
幸い、俺たちのエージェントは食糧と一緒に香辛料なども積んでくれたのだ。
この船の悪評を知っていたのかもしれない。
と言う訳で、夕食だ。
今日の夕食は狭いキャビンに招待された。
招待と言っても、食事は俺が作った物を出したのだから何をかいわんやだけど。
モズレーはやはり俺たちの正体を知らないらしい。
エージェントは伝えていなかったのだ。
今になると賢明な判断だったと思う。
ただ、俺たちにそれを伝えていなかったのは残念だった。
さて、今の俺たちは、良家のお嬢様であるユキと、弟ユウカ、その他お付きの者三名である。
モズレーはそう認識しているはずだ。
そんなわけで、今、俺が給仕している。
モズレーは彼自身の食材を積み込んでいるので、一般乗組員よりはまともな食べ物になっている。
お酒も、取って置きなのか、まあまあのブランデーだ。
ユキにもお酒は出ている。これもエージェントの用意してくれたワインだ。
食事もそこそこに、会話が続いた。
会話と言っても、モズレーが一方的に話しているだけなのだが。
なんでも、目的があってお金を稼いでいるのだとか。
故郷はホーブロの東の方にある国で、家族もそこにいるらしい。
ユキはこういう場では聞き上手である。
もしかしたら、相手の心を読みながらの会話なのかもしれない。
相手が何を話したがって、何を聞かれたがっているかわかれば、どう会話を進めれば良いかがわかる。
きっと相手は満足するだろう。
不器用上等な俺には真似できない。
俺にできることと言えば、次から次へとモズレーのグラスにブランデーを注いで、さっさと彼が酔いつぶれるように仕向けることぐらいだった。
――――――――――――
夜になり、俺はコッソリと船内を探った。
他にもまだ何か問題があるなら、発覚は早いうちがいい。
その時に焦るよりも、うんざりしながら問題をどう解決するか悩む方がまだ建設的だからだ。
調査が終わり、客室でユキらとその件について話した。
「で、何があったと思う? 当ててみ?」
クーコが眉をひそめた。
「どうせ悪い事ばっかりなんでしょ?」
「ピンポン!」
ちなみに「ピンポン!」はクーコにしか通じない。
俺はもったいぶって大仰に頷いた。
「先ずな。薪や石炭の燃料が足りない」
「燃料?」
「うん。暖房に使える分はそもそも無いし」
ユキがため息をつく。
「うーん、有りそうな事ね」
「それだけじゃなくて、この船の目的地、あの懐かしのソレイェレにたどり着くまでの、調理に使う分量も足りないのよね」
皆がっくりした。
ケチるにもほどがある。
船員連中が口にする物で十分量と言えるのは、古い塩漬け肉と、ビタミンC補給用のジュースだけだった。
その古い塩漬け肉を焼かずに食えってコトだ。
俺たちはまだいいと思う。
生で食わなきゃならん塩漬け肉は、さほど古くないからな。
あとはジャガイモと玉ねぎがどこまで腐らずに済むか、だが。
船員用はそれすらもすでに萎び始めている代物だ。
「そこでだ。だれか、火系の魔法を使える人いない?」
人間コンロ募集だ。
そうすれば、燃料を節約できる。
俺は火の魔法ははっきり言って苦手だし。
メイナード師匠がここにいれば、それこそこき使うんだが。
ユウカが控えめに手を挙げた。
「私が志願します」
「エライ!」
と言う訳で、ユウカを調理助手に任命した。
ユキも一応使えなくはないらしいが、今回は予備役だ。
風間は甲板の監視に専念してほしいし、クーコは俺と同じく火系が苦手なんだそうだ。
煙草に火をつけるので精一杯らしい。
さて、問題はそれだけではなかった。
このミュリエル号、小説に使えそうな小ネタ満載だった。
「では次だ。聞いて驚くな。……肋材が腐っている」
これを聞いてがっくりしたのは風間だけだ。
他の三人はなんのこっちゃという顔をした。
「隊長……。それ、一か所ですか?」
「うん? もうちょっと多いかな」
「この海域、この季節でそれはきついですね……。でも隊長が直せますよね?」
「ああ、もちろん。……補修材があればな」
「あればって……無いのですか? え? 嘘でしょ? 冗談と言ってください!」
流石の風間も目を剥いた。
「海面を監視して流木を拾うしかないかなぁ。あっはっはぁ」
もう笑うしかない。
肋材というのは、人間でいえば肋骨のようなものだ。
船を点検するなら必ずチェックする場所である。
更に言語道断なのは、何かあった時の修理に使うパーツが殆どない事であった。
こんな酷い話、小説ですら読んだ事がない。
船底はバラスト、つまり船の安定を担う重しとしてブロイレッド産の鉱石が詰まっている。
その鉱石の下に隠れている肋材が壊れれば、修理もできない。
……いや、材料さえあれば俺ならできる。
どれも本来は防げる事ばかりなのだがねえ。
「ねえ風間君。それだけではないぞ」
「今度はなんですか隊長。そんな満面の笑みで」
「補修パーツを載せていないのは、そもそもそれを使って船を直す人がいないからなんだな」
「は……?」
クーコが首を振った。
「素晴らしいわね」
――――――――――――
その後、食事の用意は俺とユウカですることになった。
俺が下ごしらえと調理担当。
ユウカは魔法を使って火を保つ役だ。
この世界では燃料が貴重なので、その手の魔法が世間ではよく使われる。
例えば、空気は通すけれど、熱が空中に発散しないように保つ。そういう都合のいい魔法だ。
直接火を生じさせてフライパンや鍋を熱してもいいが、結構重労働なのでその方法は採らなかった。
これならユウカでも十分役に立つ。たまにユキが代わればOKだ。
何度か食事の準備をこなし、ようやく慣れてきたある日。
元々無口なユウカがその日は自分から話しかけてきた。
「マリさん」
「なんです? あ、そこの小瓶取ってください」
「はいどうぞ。……マリさんは前の世界でパートナーはいましたか?」
妙な質問に、思わずオーブンの前でしゃがんでいるユウカを見た。
「……パートナーって、つまり彼女の事? いや、こっちに来る直前はいなかったよ。もちろん、過去にはいたけど」
俺が童貞であるなどという、転生モノの小説によくあるような設定はない。
面白くない?
余計なお世話だ。
「……そうですか」
「それがどうしたの? 何か、恋の相談?」
「いえっ。そうでは無いです。ただ、どうなのかなあ、と。うわっ!」
その時、船が大きな波を切り裂き、谷間に落ちた。
傷んだ船体が大きな悲鳴を上げた。
揺れは大きく、しゃがんでいたユウカが体勢を崩し、微動だにしない俺の足元に抱きついた。
大きな波は幾度か続き、やがて落ち着いた。
「す、すみません!」
と、ユウカは赤くなってようやく離れた。
別に赤くなることもないのにな。
「パートナーがいればって、つまり彼女がいるとどんな感じだって事? あ、今度はジャガイモと肉を煮るから」
「ジャガイモですね。……まあ、そんな所です」
「別に焦んないでいいんじゃないの? それとも何? 知りたいのは女の子の抱き心地の方かい?」
俺は少し調子に乗ってユウカをからかい始めた。
案の定ユウカは更に赤くなった。
分かりやすくて面白い。
「知りたい? 知りたい? そりゃさ、もう、柔らかくってあったかくて……」
ユウカがちらっと笑顔を見せた。
そういえば、彼の笑顔は久しぶりかもしれない。
「……私の成人の儀は、この秋に執り行われる予定でした」
「ほう?」
「その儀式が終わると、その、夜の事も教わる事になっていて……」
ああそうか。そういえば王家の息子だったっけ。
ユウカは十八歳。
初めて会った時には「少年」という表現がぴったりだったが、当時よりは少し大人びて見えるようになったのかな。
ま、十八歳なら「ガキの癖に生意気だ」ってジャガイモぶつけてやるほどでもないか。
戦国武将の子息も、江戸時代の大名家も、確実に子孫を残すために若い時から教育を施されるのであった。
通常、その子息よりもある程度年上の女性がその任についたという。
もしその女性が子供を産んだ場合、その子供は嫡子ではなく庶子とされるのだ。
「なるほどね。まあでも、そういうのは腰を落ち着けてからでもいいでしょ。くれぐれも何処かの港で水兵共にくっついていっちゃダメだからね」
停泊した港で水兵共が行く場所と言ったら決まっている。
酒場か女の所だ。
ユウカが必死になって首を振った。
「そんなことをしたら姉上に殺されます」
「まあね。で、何? 意中のお相手は誰? クーコ先生?」
「いえっ! クーコは頼りになるお姉さんで……。誰かと言う訳ではないです」
良いね良いね。
そんな否定する表情がかわいいネ。
俺は喋りながらも手は動かしている。
ユウカはオーブンの火を見ながらつぶやくように続けた。
「……兄上は、十八歳でもう子供までいました。
それなのに……。人間、いつどうなるかわからないと
思い知りました。だから、したいと思うことは
我慢せずにしようと思うのです」
「ああ、そうか、そうだね。何かをしたいけどどうするか迷うとき、しないままでいると取り返しのつかない後悔をすることって多いもんな」
実際に目にしていないとはいえ、家族のほとんどが亡くなった可能性が高いのだ。
それはやはりユウカの心にも暗い影を落としている。
「うん、それって小説なんかでもよく取り上げられるテーマだしね」
「そうなんですか?」
「そうだよ。なんでもかんでもすれば良いって訳じゃないけどさ。そもそも俺の若いころには、その手の相談をできる大人は周りにいなかったなあ」
「ふうん」
「よし、出来た。非直の水夫共を呼ぶとしよう。おらー! 飯の時間だ!」
俺は鍋をドンガラ鳴らしたのであった。
著書は失念しましたが、実際に肋材の破損が原因で生じた遭難事件の簡単なレポートを読んだ事が有ります。乗り物は点検が重要です。
2019/9/18 段落など修正。




