1-D100-37 マリヴェラ見合中
目的の部屋につくと、ルチアナはドアを開け、部屋の中の照明をつけた。
そして俺たちが部屋に入ると、ドアを閉め、傍に垂れていた紐を引いた。どこかで鐘の音が鳴った。
カタリナは部屋のソファに腰掛けると、
「どうぞ、お座りなさって」
と、向かいの席を手で指した。
「失礼します」
ドアがノックされ、ルチアナがドアを開けた。
別のメイドが、飲み物などが載ったワゴンを押してきたのだ。
ルチアナはワゴンを受け取り、手際よく飲み物を淹れ、俺とカタリナを隔てているローテーブルに並べた。
「どうぞお召し上がり下さい」
ルチアナはそう言うと一礼し、ワゴンをドア傍に押し、自分はその横に立った。
俺が帰るまで、そこに居るつもりだろう。
カタリナが飲み物に口をつけた。
紅茶だ。
なんだか懐かしい。
俺も口に含む。
こっちに来てからはコーヒーばかりだったので、紅茶は現世以来だ。
カタリナが「ふう」とため息を吐いた。
「あの子はね……」
と、ルチアナを見た。
「私たち二人の、友人の娘さんだったの」
「ルーシが……失礼しました。ルチアナさんがですか?」
ルチアナを見ると、背筋を伸ばしたまま、目を瞑って立っている。
だが、「マリヴェラアイ」でよく見てみると、薄目を開けているのがわかる。
カタリナが寂しそうに微笑んだ。
「その友人は亡くなってしまって、私たちが預かったのよ。ルチアナは、ただここに居るだけでは申し訳ないと、メイドの仕事を手伝ってくれているの。良い子でしょ」
「そうなんですか」
成る程。
そういう背景があったのか。
ただのメイドにしてはフリーダムな所があるとは思ってた。
「でも、年頃なのに中々貰い手がなくって……」
と、カタリナが眉をひそめた。
貰い手?
何だか雲行きが怪しくなってきたゾ。
「ウィルとお付き合いしていて、あのままお嫁に行ってくれたら、と思ったのだけど、別れてしまって。あれ以来、誰ともお付き合いしていないのよねえ。親代わりとしては心配なのよ」
こっそりルチアナを見ると、顔が真っ赤になっていた。
もう、つついたら弾けそうな程に。
「ねえ、マリヴェラさんは、前世は男の方だったそうね」
「はい。そうですが」
「よろしかったら、ルチアナとお付き合いしていただけないかしら?」
はぁ?
「え、その、えーと?」
ついどぎまぎした。
「そうねえ。まずはお互いをより知るために、まずお見合いなんてどうかしら」
何を言っているんだろう。このオバサン。
ルチアナはと言うと、直立不動が崩れて両手で顔を覆っている。
「あの、俺……私は今は女性ですし」
「あら、女性の方でも別に本人たち次第じゃない?
それに神族は自分の姿形を変えられるのよ?
もちろん慣れは要るけれど、
少なくとも自分の神性を意味する象徴と、
あなたの場合は前世の姿にも。
もっと慣れれば、他人の姿にも、別の生物の姿にもなれるわ」
「そ、そうなんですか? 象徴ってのは金の雨ですけど、前世やその他にもってのは初めて聞きました」
「神族自体、少ないですから、自身ができる事を知らない御方の方が多いかもしれないわね」
ホホ、とカタリナは笑った。
「まあ、お付き合い云々は冗談よ。安心して」
冗談かい。
相変わらずきつい御方だ。
変な汗が流れたわ。
ルチアナは直立不動に戻っているけど、真っ赤なまま膨れっ面している。
さて、とカタリナが立ち上がり、古い本が沢山並んでいる書棚に向かった。
その中の数冊を取り出して戻った。
「あなたは冥系統が優れているそうですけれど、どういう魔法を知りたいのかしら?」
「えーとですね。そもそもどんな魔法があるのか、イマイチ知らないんですよね」
「そうなの? あなた、聖者ではなくて?」
「聖者だなんだって言われますけど、知っている事でもただ知っているだけですし、そもそも知らない事の方が多いですから」
「分かったわ」
カタリナは一冊の本を開いた。
「冥属性の効果や冥系統の魔法は、
大きく分けて二つに分類されるわ。
死や地獄と、空間に関するものね。
属性の数値が低いと、後者はそもそも殆ど使えないの。
だから、自然と使い手は少なくなるわね」
彼女はぱらぱらとページをめくりながら微笑んだ。
「私、嬉しいの。ごく一部のエルフと神族を除いて、冥系統の殆どを自在に使える御方って、少ないのだもの」
「そうなんですか?」
「そうよ。エルフは基本的に風、水、聖の属性値が高くて、
得意な魔法も同じなの。冥もそこそこ得意だけれど、
私みたいに、冥属性が18超えているエルフは珍しいのよね」
あらあら。自分の属性値言っちゃったよ。
カタリナが俺の心配顔に気付いた。
「あら、やだ。でも大丈夫よ。戦闘となると、結局は引き出しの多さと経験ですものね」
引き出しと経験、かあ。カタリナさん、何歳なんだろうな。
一体どれ位の訓練と実践を積めば、そんな余裕が出てくるのやら。
訓練は大事だ。
アレハンドロのオッサンとやった程度の事ではなくて、もっと多く。もっと系統的に。
現実の兵士だって、訓練をしているからこそ、実際の戦闘で力を発揮できる。
もっとも、俺の場合特殊すぎて難しい。理想的な教官役が居ればな……。
「私は無理よ?」
と、カタリナが言ったので、ギクッとした。
「あの人の立場もあるものね」
おいおい、この人も心を読むのか?
「あら、あなたは顔に出やすいもの。そんなお顔しないでくださいね」
「すみません」
「でも、一つ位は教えてあげます。ルチアナとの約束もありますしね」
「あ、有難うございます!」
カタリナが、開いてある本のページをめくった。
止まったページには、何か立方体の透視図のような図が載っている。
「これね、『パンドラボックス』というの。ルチアナがあなたに見せた魔法ね」
「あ、そうです。便利そうだなあって」
「そうね。物を冥化して持ち歩くよりは良いかも知れないわ」
カタリナが前方に手を伸ばして、印を結んだ。
すると、その印を中心に、紫の光の線でできた立方体が浮かび上がった。
各平面には、呪文らしき記号がそれぞれ見える。
「これ、三次元魔法式の一番簡単なものなのよ」
「三次元……」
「難しそうな顔をしなくても良いのよ。
立方体の六方の面に書かれている術式を
間違えなければ良いだけよ。それに、
この魔法なら、一度使えば後は何か無い限り、
半永久的に効力が持続するから」
「へええ」
俺は目の前で光っている立方体に顔を近づけた。
「普通はね、何かいつも身に付けている物を『入り口』にするのだけれど。私はこれね」
と、魔法陣を消したカタリナは、左手を伸ばして俺に見せた。
その指には指輪が幾つか嵌められている。彼女はそのうちの一つを撫でた。
「結婚指輪よ。もう随分昔に貰ったものだから、
古びちゃって……。これが私のパンドラボックスの鍵ね。
注意点は、入れたのをすっかり忘れてしまうと、
その物はこの世のどこかになくなってしまうの。
生き物もダメね。レジストされてしまうし、
もし成功して押し込んでも、空気も何も無いから
死んでしまうわね。それと、量が多いのも問題ね。
交易に使えそうだけれど、例えば塩を十トン
入れたとして、目的地で取り出せるのは
五トンが良い所かしら。多分、記憶に関する
問題のせいだと思うのだけれど」
なるほどな。
記憶力が余程よくなくては、大事なモノや身近な物を入れておく以外の用途は無いって事だ。
交易に使おうにも、歩止まりが半分なんて、それじゃ商売にならないしね。
「もし、『鍵』を自分の体に設定するとどうです?」
「ええ……昔、一時期流行った事があったわ。
便利だけれど、怪我したりすると、
体が『鍵』で無くなってしまって、
その場に内容物が全部出現してしまうのよね。
だから、『パンドラボックス』と言われる様になったの。
面白いでしょ」
……なるほど。人に見られたくないブツなんかも出てきてしまうってのか。
「その『鍵』を他人が奪ったら?」
「盗まれた本人は迷惑でしょうけど、盗んだ人はまず取り出せないわね」
「術者本人が死んでしまった場合は?」
「その場合も、そこにお店を広げる事になるわねえ」
なるほどなるほど。
「細かくはこの本に載っているわ。差し上げますので、どうぞ」
「え、良いのですか?」
「これは写本なの。それに、さっきの戦闘のお詫びと言っても良いわね。他にも色々載っているから、参考にして頂戴ね」
「わ、有難うございます!」
手渡された本を抱えて、何度も頭を下げた。
「では、マリヴェラさん。今『設定』してみましょう。『鍵』はそのお体で良いのね? 確かにあなたなら、肉体は有って無いようなものですものね」
カタリナがニコリと笑った。
「上だけで良いので、お脱ぎなさって」
こともなげに言う。
え? え? 脱ぐ? 今ここで?
今の俺は、グリーンとの戦闘に備えて、動きやすい格好をしている。
ノースリーブのブラウスに、綿のパンツである。
躊躇していると、追撃が来た。
「ルチアナ、手伝って差し上げて」
あああ、内心ニヤニヤが止まらないルチアナが近寄ってきた。
そして俺の服を手際よく剥いてゆく。
と言っても、上半分だけなのだが。
何となく恥ずかしいので、腕で胸を隠してしまった。
「女同士、遠慮なさらずともいいのよ?」
「一応、女にカウントされているんですかね?」
「ホホ、私にはどちらでもいいのだけど。では始めましょう」
三次元の魔法陣なんて出来るのか?
「ヒール」なんかは、簡単な魔法陣を頭の中に描いて置くだけでよかったが、これはそうではない。
それでも、自分の体を中心に、さっきの立方体を想像するだけで、紫色の光が空中に線を描かれ、魔法陣が完成した。
俺の身体を、光る魔方陣が囲んでいる絵である。
「そうしたら、自分の体を三度叩いて」
俺はカタリナに言われるがまま、自分の胸を三回叩いた。
すると、魔法陣はすうっと小さくなり、体の中に消えた。
「終わったわ」
「もうですか? 簡単ですね」
「そんなこと無いわ。エルフの子供が魔法を学び始めて、五年はしないと成功しない程度には難しいのよ」
「そうなんですか」
あ、と。
ルチアナの視線に気が付いた。
慌てて服を着た。
「ルチアナ、これでいいのかしら?」
「はい。有難うございます」
俺も続いた。
「有難うございます!」
カタリナは優しく笑い、頷いた。
「では、また明日お会いしましょうね」
「はい。では失礼します!」
と、退出したのだった。
――――――――――――
さて、その翌日の夕食では、いつもの面子に加え、グリーンの部下らしき男が参加していた。
男は非常に若い。眼鏡をかけて痩せている。服装はグレーのスーツだ。
俺の隣の席に坐ったのだが、何処と無く、場違いな雰囲気であった。
食事の前に、グリーンが紹介した。
「皆さん、その者は、二年前にハローラに出現した丙種で、天文学者だ。名をイヌイという」
イヌイは笑顔も見せず、軽く頭を下げただけだった。
学者が居ると言うのは、少々意外だった。
例の委員会は、科学を目の敵にしているのではなかったのか。
ハローラ領が例外なのか、天文学が実学ではないからなのか。
丙種だから肉体は若いが、かなりな年齢でこちらに来たのではないか。スーツの趣味などはそんな感じだ。
「イヌイさん、ご出身はどちらですか?私、東京なんですけど」
イヌイの目に、少しだけ生気が灯った。
「おお、あなたも転生されて来たのですか? 僕は茨城です」
「こっちで天文学をなさっていると言う事は、元の本職も?」
「ええ。そうだったのですが……」
イヌイは堰を切ったように喋りだした。
内容は、戸惑いと嘆きであった。
現世での天文学とこちらでの天文学は、使う機材からして違う。
現世なら百年以上前に使っていたような望遠鏡で、言霊と魔法を使って観測するのだ。
そもそも、こちらには思念場などと言うふざけた物もある。
そして、ここで彼がする仕事は二つ。
暦の作成と、この星に接近する小惑星を観測する事だ。
「暦はなんとなく分かりますが、小惑星が脅威なんですか?」
「はい。少なくとも地球よりも。二百年前にも、
ロンドリア大陸に隕石が落下し、
国が幾つか滅んでいるそうです。
大体、本来地球に落下しない筈の小惑星を
引き寄せる大魔法なるものがあるそうですからな。
むちゃくちゃな世界ですよ」
「魔法……。メテオストライクかな。怖いなあ。で、見つけてどうなさるのです?」
「まあ、早く見つけられれば、住民を避難させたりできますな。シェルターを持っている国もあるそうですよ」
「へえ。所で、今現在危険な小惑星ってあるのですか?」
イヌイが腕を組んだ。
「見つかっている範囲では、直ぐに、という小惑星は有りません。見つかりさえすれば、軌道の計算でこの星に落下するおおよその時期は分かります」
成る程なあ。
グリーンが俺たちをこの席に座らせたと言う事は、引き合わせたかったのだろう。
とはいえ、直ぐに何かの意味を持つというわけでも無さそうだ。
後日、若干のお金を研究費として寄付する事にした。
運命は転がっていきます。良い方へも。悪い方へも。
だから、フォルトゥナの足元には大きな珠が有るのです。
2019/9/18 段落など修正。




