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1-D100-01 マリヴェラ漁獲中

 この世界への記念すべき第一歩。


「うぁ!」


 俺は思いっきり空足を踏んで、情けない悲鳴を上げ落下した。

 そしてドボンと水音を立てた。

 口に流れ込んできた水が塩辛い。俺は海に落ちたのだ。


 ごぼっ。

 おちつけ。

 おちつけ。


 ここで溺れたらいきなりゲームオーバーだ。

 暴れたいのを我慢して、目を開け、海面目指して泳いだ。

 そしてやはり一糸(まと)わぬ自分の体は、若い女性のそれだった。

 周囲は明るくも無いが、暗くも無い。大きな波が頭上でうねり、砕けている。


 落ちる際、百メートル程離れた所に大きな船がいるのがチラリと見えた。

 頭上の海面にも、影が一つ、木の葉のように揺れている。十人は乗れそうな結構大きなボートだ。

 そのボートから、口にナイフをくわえた男が一人、海に飛び込んで来た。

 男は直ぐに俺を見つけ、じっと様子を窺っていたが、やがてボートに戻って行ってしまった。


 何なんだ? ……上司に泣き言を言っていやがる。

 彼の言葉が聞こえる。

 何?

 俺が目をギラギラと光らせて睨んでいたって?


 ……いや、睨んでないし。


 俺は呼吸の事を思い出した。全く苦しくないので忘れていた。

 海上の会話が聞こえるのも、五感全てが人間とは全く違う性能だからだ。

 なんせ、神族だし……さ。

 水の属性値18なら、溺れる事は100%無い。


 すげーよな。


 ホントに?


 夢じゃないのか?

 でも全身を包むこの水の感覚は余りにリアルだ。

 何がどうなっていて、何をどうすればいいんだ?


 GM(ゲームマスター)は? GMは何処だ? 


 しょうがない。とりあえずボートの連中に色々聞いてみるか。

 男が再び潜ってきた。

 俺は泣き顔の彼に向けて合図すると、浮上を開始した。

 

 荒れた海面から顔を半分だけ出すと、ボートの乗員が一斉にこちらを見た。

 彼らは一様に同じシャツと帽子を被っている。


 今は丁度明け方らしい。

 潮騒の中、ボートに当たる波の音がチャプチャプ響く。


 暫く、お互い見合って無言の時が過ぎた。

 青い士官の服を着たガタイのいい男が我に帰り、軍帽を脱いで大きな手をこちらに差し伸べてきた。


「これは、失礼。我々は、ワクワク王国海軍所属、スパロー号の者です。私は副長の暮井と申します」


 なるほど。

 ワクワク王国か。

 「アンガーワールド」のシナリオにも良く出てくる島国だ。

 となると、ここは「内海」の真ん中辺りか?


 俺は白天に消えかけている星星を見た。

 星の配置は、元の世界とは似ても似つかない。

 宇宙については、太陽系以外はそういう設定なのだ。


 俺は本当にこの世界にやって来てしまったのか。

 これじゃまるで転生モノの小説みたいじゃないか。


 暮井が手を差し伸べているままなのに気付いた。

 流石にこれ以上放って置いては失礼だ。

 泳ぎ寄せ、その大きくゴツゴツした手を握った。


「失礼ですが、お名前をお聞かせ願えますか?」


 暮井が四角い顔を精一杯丸くして聞いてきた。

 名前か……。

 この姿で中村賢とか言っても引かれるだけだよな。

 それに「知る」で見て「マリヴェラ」と出たんだから、この身体の名前は「マリヴェラ」なんだろう。


「マリヴェラ。マリヴェラと申します」


 微笑んでいる暮井の手を握ると、あっという間にボートに引き上げられ、即座に白いシーツが肩からかぶせられた。

 水属性値が高いせいか、濡れた体や長い黒髪はあっという間に水気が飛んで消えた。


 暮井に頭を下げた。


「有難うございます」


「お怪我などはありませんか?」


「大丈夫です」


 会話を交わしているうちに、水兵達が一斉にオールを使い始めた。


「あちらの……」


 暮井が大きなスクーナーを指差した。


「あの艦が我らがスパロー号です。まずはあちらに案内させていただきます」


 夏の朝日が、スパロー号を射し始めている。

 その舷縁には、こちらを注視している幾つもの人影が陽炎に揺らめいている。


 スパロー号は、三本マストのスクーナーだ。

 すべてのマストに縦帆を艤装している。この艤装は、向かい風に強く、小回りが利く。

 均整が取れていて美しい。

 手入れも行き届いているのも良く分かる。

 素晴らしい。


 完全に陸もの(ランドラバー)とはいえ、帆船ファンの俺としては口元が緩みそうになる。

 だがそれより大事なことを忘れてはいけない。

 暮井に幾つか聞いておきたい事がある。


「あの、暮井さん」


「なんでしょうか?」


「ここは何処ですか?」


「内海のワクワクとアグイラを結ぶ航路の中間点です」


「私がここに出現すると、分かっていたのですか?」


「ええ、我々がここを通りかかった時に、『転生の門』を発見しましたので」


「転生の門?」


「はい、別の世界の方々が、この世界に転生する時に通過する門といわれています」


「転生、ですか……」


 なんてこった。マジで転生モノかよ。


 暮井は困惑している俺を案じてか、できるだけ笑顔を作ろうと努力してくれている。


「スパロー号にも一人、乗組員ではないですが転生されてきた方が居られますので、お話を聞いてみたらよろしいかと」


 会話している内にスパロー号が目の前になった。

 結構うねりがあるので、波が舵板に打ちつけ、ドスンドスンと音を立てている。


「と言う事は、私は暮井さん達に救助されたと言うことになりますか」


 暮井が肩をすくめた。


「いえ、礼なら艦長のロジャースに仰っていただければ。さ、縄梯子が来ますよ。上れそうですか?」


 ボートは、スパロー号の舷側にフックを掛けて横付けした。

 上からバラバラっと縄梯子が降りてきた。


 溺れる事もない神族だから、救助はいらなかった。

 とはいえ、こんな海の真ん中では途方に暮れる所だったのも確かだ。


(なら、手ぶらじゃダメなんじゃねえのか?)


 どこからか伝法調の女の声が聞こえ、降り注ぐ波飛沫がきらりと光った気がした。

 次の瞬間、俺は右手でマグロの尻尾を持っていた。


 やったぜ!マグロゲットだ……ぜ……。


 いや、ゲットだぜ、じゃ無いだろ。


 俺、なんでマグロ捕まえてるんだ。

 普通、海に手を突っ込んだだけで獲れるもんじゃないだろ。

 あーあ。

 ボートの連中も上から見ている連中も、開いた口がふさがらないみたいだ。

 そもそも、さっきの手ぶら云々はどこから聞こえた?


 くっそ、訳わかんないな。

 頭上から声がした。


「副長ー。ボースンチェア、降ろしますか?」


 ボースンチェアとは、クレーンを使って上下できる、座面が布か板でできたブランコそっくりの乗降用の椅子だ。

 暮井がしばし考えている。


「あ、大丈夫です」


 もう成る様に成れ、だ。


 俺はマグロ片手に縄梯子を上り始めた。

 舷側を乗り越える前にマグロを甲板に放り投げた。

 マグロはビチビチと強烈な不満を訴える。


 甲板では、水兵達が何十人も待っていた。

 全員お出迎えって所か。

 ボートの連中と同じ様に、服装はきちんと統一されており、白いズボンに青と白のボーダーシャツ、帽子であった。


 見た限りでは全員人間である。

 獣人などの亜人は混じっていない。

 ただ、黒人はいるようだ。

 「アンガーワールド」の元ネタは北欧系の神話や伝説を中心に構成されていたので、これは珍しい。


 所で……こいつら皆、不安そうな顔をしている。

 何かあった時の為か、後ろ手に棒を持っている者もいる。

 さっきの泣き言を言っていた男もそうだが、何故そう俺を恐れる?

 片手でずり落ちそうなシーツを押さえながら、俺は甲板に降り立ち、にっこりと笑顔を作って「こんにちは」と挨拶した。


 ……。


 おい。

 だから。

 お前ら。

 後ずさりすんなって。

 特に。

 そこの男。

 今、小声で「怖っ」って言ったな?


 とてもヒトとは思えない得体の知れない裸同然の美少女が、マグロ片手に乗り込んできたとはいえ、お前ら男だろ。水兵じゃないのかよ。軍人だろ?


 全くもう。失礼な。


 ざっと見渡すと、「知る」の効果が発揮され、全員の名前が分かった。

 ボートの連中の名も、既に分かっている。

 海に潜ってきた勇ましいのかヘタレなのか分からない男は、マツムラという名だった。

 元々の世界設定のせいか、日本人っぽい名前の者が半数を占める。

 が、何故、漢字の名とカタカナの名の者がいるのかは、分からない。

 「知る」で得られる情報は、見たモノの名前、及び触ったモノの構造だ。レベルが上がると、情報が増える筈だ。


 物陰に、夏だと言うのに暑苦しい魔法使いのようなフードを被っている男がいるが、彼だけはレジストしたので名前も分からない。

 でも多分、あれはきっと、どう見ても魔法使いだ。


 人垣の中から、二十代半ばの男が進み出た。

 水兵と服が違う。

 士官の服のようだが、上着は着ていないので白いワイシャツ姿だ。

 背が高く少し痩せている。

 茶色い長髪を後ろで編んでいるが、これは昔の船乗りの髪型だ。

 マツムラや暮井は日本人に見えたが、この男は欧米風の顔立ちだ。

 彫りの深い意志の強そうな目と眉、唇からのぞく真っ白な歯。

 何処かの俳優かモデルと言っても通じるだろう。


「ようこそ、ワクワク王国海軍所属スパロー号へ。私は艦長を勤めさせていただいております、ロジャースと申します」


 芝居がかった大仰な挨拶だが、嫌味は無い。

 水兵の様な怯えも動揺も無く、深く落ち着いた声だ。


「お邪魔致します。マリヴェラと申します」


 俺もそれなりに丁寧に挨拶を返す。

 見た目なりの態度を取っておいて損はあるまい。


「そちらのマグロは?」


「……えーと、ご挨拶の印に、と思いまして」


 ロジャースが破顔した。


「これはこれは、ご丁寧に恐れ入ります」


 そして目配せをすると、固まっていた水兵のうち内二人が、「失礼します」と言ってマグロを抱えて甲板下へ下がって行った。


「マリヴェラさん……仔細は後にしましょう。まずは私のキャビンへお越しください」


 ロジャースがウインクした。


「貴女の美しい姿は、部下の目には少々毒の様です」


 そして俺の背中に手を添えると、キャビンまでエスコートしてくれた。


 俺はなんとも思わないけれど、女性からしたらどうなんだろう。

 嬉しいのかな? こういうの。


 さっき二人の水兵が、人垣の後ろの方で囁きあっていた。


「なあ、艦長があの女を狙いに行くか、賭けようぜ?」


「まあまあいい女だな。行くに決まってるじゃねえか。賭けにならねえよ」


 だそうだ。

 耳が良ければいいってモノではない。


 小さな階段を降り、艦尾の方へ進むとキャビンだった。

 キャビンと言うと、普通は小屋や客室などの意味だが、海洋冒険小説においては、以下の空間の事を指す。

 すなわち、キャビンとは、通常は艦尾に配置されている、船長ないし指揮官の居住区兼執務室兼食堂等々となる、その船におけるもっとも上等な場所だ。


「さて、と。どうぞ、そちらの椅子にお掛けください」


「どうも」


 中は意外と質素で、手の込んだ装飾の家具などはない。

 低めの天井には、幾つか明かりが灯っている。

 この明かりは魔法道具による物だ。

 この世界では生活の中にこういった魔法道具が普及している。


 元々、石油や鉱物資源の埋蔵量が貧弱で、それで魔法が発達した経緯があるという設定が存在する。

 既に「知る」で探索させてもらったのだが、この艦にエンジン等が無いのも、大砲が搭載されていないのも、その設定のせいだと思われる。


「申し訳ありません、何分、この艦は男所帯なもので、あなたに着ていただける服を探させている所です」


 ロジャースがそういうと、すっきりした身なりの初老の給仕が入ってきて、目の前の机に二人分のマグカップを置いて下がっていった。

 申し訳ないのはこっちの方だ。何かの任務か移動中であっただろうに。


 ロジャースはマグカップを手で示した。


「さあ。どうぞ。お口に合えばよいのですが」


 マグカップを手にとって口をつけた。


 ガツンと効くジンジャーの辛味と、僅かな甘み。

 隠し味のハーブを少々。

 いわゆるジンジャーエールのハードな奴だ。

 気付けにはもってこいだ。

 しかも冷えている。


「いかがですか?」


「おいしいです」


「それはよかった」


 蕩けそうな微笑でロジャースが言った。

 ああもう。

 チクショウ。

 モテるんだろうな、この野郎。


「ウチ独自のレシピなんですよね。また欲しくなったら給仕に言って下さい」

「はい」


 ちなみに彼が話しているのは完璧な日本語だ。

 この世界が本当に「アンガーワールド」の世界だとするなら、言語は基本的には日本語しかない。


「言語? ああ? めんどうくせえ。日本で作ったTRPGなんだから、日本語でいいだろ!」


 と、ゲームの作者が逆切れして、それがゲーム名の由来にも成ったと言う伝説がある。


 まあ、本当かどうかは分からないが、今の俺には有難い。

 チビチビと、ジンジャーエールを飲みながら部屋の中を見回していると、艦全体が揺れた。

 ロジャースがまるで帆の様子を見る様に、天井の一角を見つめた。


展帆(てんぱん)しましたね。これから私たちの本拠地であるワクワクまで戻りますが、数時間もすれば入港できる予定です。低気圧が接近しているので少し揺れますが、船酔いはしてませんか?」


 推察するに、ロジャースも俺がヒトでは無いととっくに分かっている筈なので、念の為か、軽いジョークだろう。


「もちろん、大丈夫です」


「……よろしい。では、そろそろ着る物の用意ができたようですので、ひとまずお着替えください。衛兵!」


 扉の外に立っていた衛兵が、僅かにドアを開けた。


「ロランに、お客様を第二客室へご案内させるように」


「アイアイ・サー」


「では、また後ほどお越しください。呼ばせますので」


「はい」


 少ししてドアが開くと、外に俺と同じくらいの背丈の少年が立っていた。

 彼はもじゃもじゃの赤毛に乗っていた帽子を取ると、気を付けをした。


「ロランと申します! お客様、こちらです。足元にお気をつけ下さい」


 そういうとロランは歩き出し、同じエリアにある階下へ続く階段を降り始めた。

 客室は狭い階段を下りてすぐだった。


 まあ、スクーナーとしては大きめだが、現代の客船等と比べてしまうと大して大きくないのだからこんなものだろう。

 このスパロー号は全長四十五メートルほど。

 参考までに、見学が出来る帆船では明治丸が六十九メートル弱、横浜の日本丸は九十七メートルだ。


 なお、スパロー号は木造船であり、明治丸や日本丸の船体は鉄製である。鉄製の方が大きな船を作れるのは言うまでも無い。


 元の世界の船、例えば十九世紀初め、ナポレオン戦争期の純帆船に比べると、大砲を積んでいない分居住スペースが取れているはずだ。


 ロランはドアを開け、内側の壁に手を伸ばす。

 すると、天井の明かりがついた。


「ここに明かりのスイッチがあります。消し忘れにご注意ください。お手洗いは艦尾の方、士官居住エリアの奥にありますのでそちらをお使いください」


「有難うございます。ロランさん」


 俺が礼を言うと、ロランが顔を赤くした。


「え、と、三十分後に艦長より朝食にご招待させていただきます。それまでごゆっくりどうぞ。ただ、お手洗い以外は行かないようにお願いします」


「軍艦ですからね。心得ております」


 俺が微笑むと、ロランもはにかんだ。


 かわいいね。

 服装は士官では無いし若すぎるので、士官候補生だろう。

 この世界における各国海軍の設定モデルは十八世紀後半から十九世紀初頭の欧州だから、間違いないと思う。


「では、私は外におりますので、何かあったらお声をかけて下さい」


 俺は頷いて客室に入り、ドアを閉めた。


2019/7/25 ルビ・段落など修正。

2019/7/26 ナンバリング追加。

2019/8/24 誤字訂正。他微修正。指摘ありがとうございます!

2019/9/18 微修正。

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