1-D100-12 マリヴェラ上陸中
スパロー号は夜間も順調に風を捉え、東、南東、次いで南へと針路を変えていった。
日が昇る頃には、左舷遥かにアグイラ島の島影を望みつつ、今度はまた南東へと変針した。
アグイラはこの先、島の西岸にある。
少し前から、スパロー号の艦尾に、ワクワク王国海軍の旗と、使節であるという印の旗が翻っている。
本当は第二王子であるユウカや、王女であるユキが乗っているので別の旗がふさわしい。
だが持ち合わせていないのでやむを得なかった。
たまに、アグイラの海軍と思しき船が朝日を浴びつつ遊弋しているのを見かけるが、アクションを起こさないのは所属を確認しての事であろう。
すれ違う大小の船も、各々所属国の旗を翻している。
夜明けと共にアグイラ港から出発した船達だ。
スパロー号はより陸地に近づき、小さな港町が数キロ置きに見えるほどになった。
海岸辺りは岩場が多いが、崖地は少ない。
ただ、内陸には直ぐに、緑の覆うゴツゴツした山地が現われる。
アグイラはそんな海岸線の、少し奥まった開けた場所にあった。
アグイラが望む湾は、周りはやはり山地で囲まれていて絶好の風除けになっているものの、それでいてなだらかな丘が海岸に沿って続いている。
川が一本、湾に流れ込んでいて、少ない平地を提供していた。
近代的なコンクリート製の防波堤が港を守る。
港の入り口の高台には軍の施設もあるだろう。
高波にも敵の襲来にも備えがあるように見える。
港の近くに島があり、絶好の錨地となっているのだが、スパロー号はまずそこに碇を下ろした。
錨地の陸地側に、突堤と幾つかの建物があり、暮井がボートに乗ってそこへ向かった。
ディレイラによると、入港とそれに必要な検疫・積荷検査の申請をしに行ったのだそうだ。
そもそも、普通の交易船なら、ここや他にもある港周辺の錨地に停泊し、そこで小船を使って荷物の積み下ろしをするのだ。
防波堤の内側に入って停泊したり荷の積み下ろしをできるのは、特別な許可を受けた船や、大きなクレーンが必要な場合だったりする。
もちろん、クレーンの使用には料金が掛かる。
スパロー号は特殊な立場に居る為、恐らく防波堤の内側に入れるだろう、との事だ。
折角のお宝を積んでいる事だし、そう願いたい所である。
今後の活動費にもなるのだから、護らなくてはならない。
失敗すれば、ミツチヒメのお仕置きが待っている。
程なく暮井が港湾局のボートを連れて戻ってきた。
大きなハブ港なだけあって、業務はすばやく効率的に行われていると、ディレイラが言う。
港湾局の役人が数人、乗船してきた。
それを、ユキとユウカとロジャースが出迎えた。
主だった者も、じりじりと焼ける甲板に顔を出した。
役人の代表が、
「この度は大変な事になりましたな。心中お察しします」
と丁重に述べた。
所定の儀礼が事務的になされ、まず名簿と積荷表の確認から始められた。
確かに慣れたもので、たいした時間もかからずに進む。
問題は転生者や転移者、すなわち俺たちの「確認」だ。ここで、ロジャースが用意した書類が役に立つ。
「ワクワク国乙種登録の……ミツチヒメ様……? 失礼ながら、まさか、本当にミツチヒメ様でいらっしゃいますか?」
役人は目を丸くして、近くで腕組みしているじゃじゃ馬を見つめた。
「遺憾ながらそうだ」
「承りました」
吹き出る汗をハンカチで拭き吹き、少しふくよかな役人は名簿の次の名を呼ぶ。
「同じく、マリヴェラ殿」
「はい」
「クーコ殿」
「はい」
役人が一礼した。
「確認いたしました。それでは以上です。細かい部分はロジャース殿からご案内頂けるでしょう」
ん?
最後、えらい端折りかたしてないか?
俺は思わずミツチヒメと顔を見合わせた。
彼女もそう思ったらしい。
役人は、ロジャースに歩み寄ると、ハグをして背中をたたきあった。
なるほど。
ロジャースは此処出身だっけか。
顔見知りなんだろうな。
と言った按配で、アグイラへの入国手続きは滞りなく完了した。
尤も、後日もしポントスのワクワク支配権が確立し、各国が承認したとなると面倒だ。
ユキやロジャースは何処かに亡命するか、流浪するかとなる。
俺たちもどこかで登録をし直さなくてはいけない。
なお、検疫は役人が魔法だけで終わらせてしまった。
乗組員全員と、積荷、それと艦全体。
それもあっという間だ。
大昔の帆船時代の検疫は、一週間くらい、港外で「様子を見て何事も無いのを確認する」のが普通だったと聞く。
元の世界より、それも現代と比べても効率的だ。
科学と魔法、それぞれにいい所とそうでない所があるということだ。
感心している内に、役人が手早く書類を書き上げ、ロジャースに手渡すと、ボートに乗って陸へ戻っていた。
暮井が一声上げただけで、水兵たちは明るい顔で碇を上げて港内への移動を始めた。
普通の船なら、風が無かったりするとボートを下ろして「人力移動」させたり、この場合は港内移動用のタグボートを雇ったりしなければならない。
しかしスパロー号の魔道装置は、多少なら自力で風を起こせる。
とんでもない話ではある。
所定の位置に移動を終え、再び碇を下ろした。
実はさっきの錨地では、物売りや女達を乗せたボートが近寄ってきていたのだが、此処にはいない。
そういう決まりになっているのだろう。
ま、その方が安全で宜しい。
ボートの第一隊が既に漕ぎ出して桟橋に近づいていた。
第一隊に乗っているのはロジャースや会計係の志摩野だ。
会計係は、お金の出入りだけでなく、物の買い入れ、乗組員への支給に関する仕事も手がける。
この後、ユキがどう針路をとるかによって彼の仕事の内容は変わってこようが、少なくともこの港においては、彼は重要人物の一人となる。
甲板から、ユキが港の風景を眺めている。
長い髪が、湿気の強い風に逆らっている。
「ユキさん、此処へ来た事は?」
ユキが少し目を見開いて俺を見た。
「ええ、私が子供の頃、父と母と。もう余り覚えていないけど」
ああ、この話題も軽く地雷だったか。
「ロジャースさんが此処出身らしいですね。ちょっと怪しい所へ連れて行ってもらいましょうよ」
「えー?おじさんが喜ぶような所はいやですよ?」
「おや、私は確かにおじさんですけど、ロジャースさんもおじさんですか?」
「うーん。ちょっとそういう所、あるかなあ」
ロジャースが聞いていたら卒倒しそうな事を言う。
「彼は十分若いですって。ちょっとばかり人より経験豊かで落ち着いているだけですよ」
「経験って、女の人の?」
うおう。
切れ味あるな。
なんて答えりゃいいのだろう。
答えに詰まっていると、ユキがクスクスと笑った。
もう顔色も元に戻ったようだ。本当にとんでもない回復力だ。
俺たちが上陸する番となった。
漸く、縦揺れ横揺れの世界から解放される。
財宝の殆どはスパロー号に残すのだが、ボートには、手元に置いておきたい貴重品も載せられた。
俺のそばが一番安全だろう、という話だ。
貴重品には、大小の玉手箱も含まれている。
ユキが桟橋に降り立った。
異形とも言える巫女服姿なので、めちゃくちゃ目立っている。
横にユウカもいるのだが、今は彼も俺たちと同じ水兵服なので、護衛の一人にしか見えない。
ネルソンが指揮する水兵が、その前後を固めて行進しているので余計だ。
俺はのんびりその後を歩いているのだが、ここは本当に大きな港だ。
なんと、鉄骨作りのクレーンまである。
鉄骨なんてこの世界では物凄く高価なはずなのに。
船もひっきりなしに出入りしているが、ボートの上で水兵に聞いた所、これでも平時より少ないらしい。
ホーブロの状況が少しキナ臭い上に、ワクワク侵攻の影響も有るのだろう、とその水兵は言った。
俺たちは宿に向かっている。
港湾局に指定された宿だ。
国賓としての入国ならまた別なのだが、そうではない。
今回は乗組員全員がそこに泊まる。
古い石造りの建物の間を縫っていった所に、目指す宿があった。
その宿も、石造りの二階建てで、同じような建物が何棟か並んでいる。
中に入ると内装は木造であり、何処か温泉の旅館を思い起こさせる。
ロビーは広くはないが、魔法道具の明かりで照らされていい雰囲気だ。
旅館で働く女性陣は、皆和服を纏っているので、より日本的である。
部屋割りは……俺は何故かクーコと一緒になった。
ロジャースとミツチヒメが個室をあてがわれ、ユキとユウカが一緒に、八島は士官と同じ部屋になった。
ロジャースは、執務室でもあるその自室から、早速使者を何人も飛ばしている。
宿にもお願いして、何人かを雇うなどという事もしている。
さあ着いた、やれやれ……ひとっ風呂浴びるか、という訳にはいかないのである。
乗組員に、今日の予定が示された。
「夜19:00に、非直の者に対し、大広間で食事と今後の方針を伝える」
だそうだ。
俺たちはそれまでどうするかな、と考えていると、正装のロジャースが部屋にやってきて言った。
「マリさん、ちょっと付き合ってください」
「なんです?」
「この後、私がお世話になった方を訪ねるのですが、ご一緒に、と思いまして」
悪くない。
買い物するには時間がないし。
「二人ですか?」
「いけませんか?」
「いえ、別に」
まあ、この二人なら多少の危険は問題ないだろう。
――――――――――――
早速連れ立って街を行く。
すれ違う人が皆こちらを振り返る。
一人は正装した軍艦の艦長。
もう一人が水兵服の超絶美女。
俺が通行人でも、つい見ちゃうよな。
しかしロジャースは気にする風でもなく、すたすた歩いてゆく。
アグイラの街は、平地が少ない。
町全体が緩やかに丘へ向かって登ってゆく。
丘の上には、行政機関や有力者、富豪らの邸宅が並んでいる。
立派な城壁が、港と街を囲む。
丘を中心にした一つの城でもあるのだ。
ただ、人口が増えすぎて、今では城壁の外側にも住宅が並んでいるという。
丘の斜面の中ほどにある大きな鐘楼の横を通り過ぎると、高い石の壁や大きな石造りの家が増えてきた。
政府官庁のある丘の上へ向かう道から外れ、ロジャースが脇道に入ってゆく。
「この先に、エルフの王国フォールスのハローラ公爵、グリーン様のお屋敷があります」
粗い石畳を踏みしめ、前を向いたままロジャースが言った。
「ロジャースさん、こうしゃくの『こう』って、偉い方の『こう』ですか?」
「はい、そうです」
それはつまり、公爵。デュークともいう。
この世界の爵位の設定は、イギリスとほぼ同じだ。
その爵位制の中で公爵は一番上位の貴族である。
「此処の方ではないのですね」
「はい。客将としてアグイラ海軍の顧問をされておられる……私の育ての親です。孤児だった私は、グリーン様と奥様のカタリナ様にお世話になりました」
なんとまあ、そうくるか。
俺は内心驚いた。
ていうか、エルフって森と風の精霊がお友達だよな?
「あの、エルフと海軍が結びつかないのですが」
ロジャースがチラッと俺を見て笑った。
「はい、珍しいです。百年ほど前にここにいらっしゃったと聞きますが、相当の時間を海上で過ごされています」
「船の船長でですか?」
「はい。自称海エルフだとか。その様なエルフの種族も無いですし、あの方が特に水属性魔法を得意としている訳でもないのですが。ま、船が好きなんですよ」
そう言うロジャースの言葉の端々から、グリーンへの感情が感じられる。
「ああ、硬くならなくても大丈夫ですからね。あの方は、『閣下』と呼ばれるのも好きでは有りませんので。公式の場でなければ『グリーン様』でいいですよ」
ロジャースが歩く速度を落として俺の背中を軽く叩いた。
俺の緊張を見てだろう。
いやでもさ。
公爵サマってことは、フォールスでも上から何番目って身分じゃないのか?
しかもエルフだぜ?
『この世界のかつての支配者』
硬くなるなって方が無理だってば。
「はあ」
「まあ、大丈夫ですから」
と、ロジャースが笑った。
2019/7/31 ナンバリング追加。本文微修正。
2019/9/5 段落など修正。




