外伝 八島七海6(完)
とらを連れてアグイラ脱出を決意、出航した八島。
またも不運が襲い掛かります。
嵐がやってきたのです。
事前に嵐の到来を予期した船長は、なるべく低気圧の北を抜けるように針路を変え、危険を冒してまでも速度を上げていたのですが、間に合いませんでした。
予想よりも北へと針路を変えた嵐に、ソレイェレの南方で捉えられてしまったのです。
スループのマストと同じ位の高さを持つ波が、次々に押し寄せてきました。
当然風も強く、船位を保つために開いていた嵐の時の為の帆も、やがて破れて張り替える始末です。
八島も甲板で命綱を身体に括りながら、奮闘している乗組員を見守りました。
手すりから手を離せば、命綱をも引きちぎられて飛ばされそうな風雨の中、彼には今ここで何もできることは無いのです。
とはいえ、キャビンで船酔いに身を伏せているだけなど、絶対に許容できる事では無いのです。
とらも一緒です。
彼女は「水操作」の能力を持っています。
八島に真水を与えたりできたのはこの能力のお陰なのですが、嵐と言う巨大なエネルギーの前には、大きな波からしぶく小さな水玉みたいなものです。
八島には、
「スパロー号ならこんなに苦労はしないんだろうな」
と考える余裕がありましたが、トラは違いました。
深刻そうな表情で言いました。
着ているあの小袖はすっかり雨に濡れてしまっていて、「水操作」で乾かす事すら忘れています。
「私、降ります。きっとこの嵐も私のせいです」
八島はきっぱり言いました。
「違う」
「あなたが不幸になるのをもうこれ以上みていられません」
「駄目だ。君が居なくなる事こそ、最大の不幸なんだ!」
しかしその時何か破裂したような音がして、船が大きく揺れました。
誰かが叫びました。
「マストが折れた!」
船は一気にバランスを崩し、横腹に波を受け始めてしまいました。
船長が八島に告げた。
「すまんが、荷は捨てさせてもらうぞ!」
八島は観念しました。
そうでもしなければ、この船は直ぐにでも転覆してしまう。
魔法道具の一部など、そこそこ重い物も載せているのです。
荷崩れでもしたら、それだけでおしまいなのです。
好意で船を出してくれた人達の命を左右する権利は、自分にはありません。
絶対に。
八島が船長に頷いたその時、乗組員の一人が叫びました。
「船だ! 船が来たぞ!」
その船は、大波で凸凹の水平線から姿を現したと思いきや、まるで嵐など無いかのように一直線にやって来ました。
「信じられん……」
船長が思わず呟きました。
八島はそうでもありません。
魔道装置などを積んだ一流の軍艦なら、これ位はあり得ると知っていました。
しかし、その船の全容を目にした時には、彼でさえ
「信じられない」
と呟かざるをえませんでした。
その艦影に見覚えがあったのです。
艤装、船体の流線形。全てが懐かしい……。
「スパロー号?!」
それはまさしく、かつてのワクワク王国海軍所属、そして今はロンドール侯爵領海軍所属であるはずのスパロー号でありました。
かつて八島がこの世界に来た時に救助してくれた艦。
その後、マリヴェラに引き合わせてくれた艦。
今この瞬間、彼は初めてスパロー号から降りてアグイラに残った事を後悔しました。
スパロー号は、八島たちの船から数十メートル離れた所に停船しました。
誰かが舷側から飛び降り、海面の上に立ちました。
白いワンピースを着た色白の女です。
トントンと、海面を小走りにやって来ます。
「あれがマリヴェラさん?」
とらが訊きました。
「いや、全然違う……」
ですが、その女は八島たちの船に登ってくると、にっこり笑ったのです。
「いよう! 八島さんじゃないの! お久しぶり!」
八島は唖然としました。
「マリさん……?」
八島の記憶の中に居る、金のメッシュ入りの髪を持ち、瞳を光らせながらたまに皮肉そうな笑みを浮かべる、あの姿ではありません。
神族特有の近寄りがたい雰囲気は無く、どちらかと言うとその辺に居るような普通の美人です。
「いやあ、八島さんの手紙、受け取ったんだけれどね。
返事出してもどうせ届かないだろうし、俺もこっちに用事あったしでさ。
で、何でまたこんな所で難破しかかってるんだい?」
八島はつい笑ってしまいました。
いつのまにか、この船の周りの波と風は穏やかになっています。
とは言え、どの乗組員もこの成り行きから目を離せませんでした。
「あ、マリさん。こちらがとら。僕のパートナー」
とらが頭を下げました。
「とらです」
「あ、どうもどうも。初めまして。マリヴェラちゃんです」
「それで、マリさん」
「ナンだい?」
「手紙に書いてあった件なんですけど」
「あ、イルトゥリル行きなら問題無く大歓迎だし、もう一つの件ならば……」
マリヴェラがニヤリと笑いました。
(全く姿は変わっているのに、笑い方は変わってないなあ)
と、八島は思いました。
「あんなことを思いつくなんて、八島さんもアホだよねえ。
俺だって結果がどうなるかなんてわかんないよ?
でも俺がどう答えるかなんてわかってるんじゃない?
やればいいじゃん。ってか、やるんでしょ?
手紙に書いたのだって、ただ俺にもう一押ししてもらいたかっただけなんでしょ?」
その言葉に、八島は頷きました。
友人の答えは、予想通りでした。
後ろを振り返り、とらの手を取りました。
「おとらさん」
急な展開に、とらは戸惑っています。
「はい??」
「僕と結婚してください」
「へええ??」
成り行きを見守っていた乗組員らが、
「おほおっ!」
「うおお!」
等と奇声を発しました。
誰もが、まだ嵐の只中であり、転覆寸前だったのを忘れて居ます。
「でも、私は貧乏神。あなたを不幸にするだけです」
「とらさん、掛け算って知っていますか?」
「え?」
「九九はどうです?」
「あ、それなら……」
「掛け算では、マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるんです」
「はあ」
「今、僕の魂に『言霊』『貧乏』が刻まれました」
「ほええ?!」
「だから、僕はもうあなたと離れて生きることができません」
その後、八島らは無事イルトゥリルへ到着しました。
そこからの話はまたの機会となります。
以上、本編のちょい役・水兵ジョーンズ君失恋の物語でした( ;∀;)
とらさんが裸じゃ無いのは、ほんの少し「世界線が違う」と言う事で……。
それではしばし、お休みをいただきます。
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