外伝 八島七海4
とらのお陰で命からがらアグイラに帰還した八島。
事件の後処理や再起の為に忙しい毎日であったのだが……。
八島は直ちに一人でアグイラに帰還しました。
とらとは後日再会を約束したのです。
ボートに仕込んでおいた金貨のお陰で、帰還はスムーズでした。
彼は海洋ギルドに行き、当時の様子や位置、相手の船の特徴など細かに報告し、また聴取もされました。
もちろんギルドでも調査はしますし、アグイラの行政府でも同じです。
今やフォルカーサ帝国の傘下に有ると言えども、海の治安の悪化は、アグイラの命運を左右するのですから。
ギルドや政府は、この件についても裏で色々な仕事をしています。
例えば、
「船員がもし海賊行為を強要された際に免罪できるように、各国政府および海洋ギルドへの周知」
「身代金を要求された時の対応法」
「海賊討伐部隊の編制・出動」
等です。
今回についていえば、海賊は帝国の船である可能性があり、アグイラ政府も海洋ギルドも対応に苦慮する可能性がありました。
そして、保険料を受け取る申請も終わらせた八島に残された一番大きな仕事。
それは、乗組員の家族への報告とサポートです。
基本的に、身一つで戻って来た八島を責める者はアグイラには居ません。
アグイラは船の国。
難破や海賊被害はいつもの事なのですから。
むしろ、ボート一つで流されて生還した運の強さを褒められるほどです。
しかし、残される乗組員の家族にとってはそれらはどうでもいい事でした。
「きっと生還できる」
と八島は言い励まし続けるしかありません。
自らの「言霊」「喋る」を駆使しながら、内心それを「卑怯」だと分かっていながら。
数日の後処理を終え、八島は再始動しました。
ただでさえ資産が減ったのです。
やり直さないといけません。
毎日、忙しい日々が戻ってきました。
帝国への航路は、今の所まだ海賊被害の報告は殆ど上がってきません。
しかし、戻って来るはずの船が音信不通になるケースは確実に増えつつありました。
ただ、その程度の話で交易を止めるような商人は殆どいません。
八島はそんな彼らの商船のスペースを借り上げて荷物を載せたり、船長の裁量で売買する荷の元手を提供したりする毎日です。
自分を助けてくれたとらの事は、常に心の何処かで思い続けていました。
あのはかなそうな表情、別れた時の寂しそうな表情を、彼は何とかしてあげたいと思っているのです。
ある日手紙が来ました。
粗末な紙で、差出人は無く、ただ宛先のみ記されています。
郊外の海岸で、遊んでいた子供が受け取ったらしいのです。
「満月の夜、アグイラから少し離れた砂浜で」
待ちに待った満月の夜、星空すら覆い隠す月明かりの下、八島は一つの包みを持ち、カンテラ型の魔法道具で足元を照らしながら歩きました。
すると、波打ち際に……居ました。
とらです。
彼女は砂浜に点在する岩に座って月を眺めていました。
「おおい!」
八島は走りました。
「おとらさん! ずっと待っていたんですよ!」
息を切らせて八島は言います。
とらはほんの少し、笑みを含めて答えました。
「来て……しまいました」
二人は口づけを交わしました。
「僕の家に来てくれるかい?」
「でも……」
とらの眉間に苦悩が浮かびます。
「いいから、来てほしいんだ」
八島は持ってきた風呂敷包みを開けました。
中に入っていたのは、青に染め上げた一枚の小袖。
とらのように、派手さはありませんが、とても綺麗なものでした。
とらは頷きました。
「はい」
――――
普段八島は、アグイラの城壁の外に建てた倉庫兼住居に住んでいました。
その敷地内に急遽作らせておいた小屋に、とらを住まわせたのです。
そっと、人に知られないように。
とらの存在は、なるべく人には知られたくないのです。
何故なら、とらは自分からはそうと言いませんでしたが、八島は彼女の事を乙者であり、かつ神族とみていたからです。
少なくとも、会話している限りは、八島が知っている江戸時代の事をポツポツ話すのです。
神族だと考える根拠ははっきりしていないのですが、雰囲気が八島の元主であるミツチヒメや同郷の転生者マリヴェラとよく似ています。
そして、このアグイラを支配するフォルカーサ帝国は、そんな神族を集め、強制的に利用する組織です。
その存在を知られれば、連れ去られる可能性があります。
聞くと、乙者がしなければならない「登録」、例えて言うなら乙者の住民登録もしていませんでした。
いつかどこかでそれはしなければなりません。
不自由な生活。とはいえ、その後数か月間は、二人にとって幸せな日々でした。
でも、長くは続かなかったのです。
不運が八島を襲いました。
彼が出資したり彼の荷を乗せた船が、悉く難破したり、海賊被害にあったのです。
同期間にアグイラ船籍の船で同様の被害にあった船の半数以上が、八島と関わっていました。
アグイラ船籍の船は膨大な数に上ります。
被害のあった船はだからごく一部なのです。
海洋ギルドのギルド長も、
「出資者一人にこれだけ被害が集中するなんて。こんな事があるのか……」
と絶句する程です。
八島の懐に保険金は入りますが、損害は避けられません。
八島は自宅の机の前で頭を抱えました。
一番初めの被害は確かに痛かったのです。
自分の船で、積み荷も高価だったからです。
それでも自分だけでも帰ってこれた。
しかし、これでまた資本が何割か減じてしまいました。
減れば減るほど、利益の増え方は少なくなります。
八島が書類をめくっていると、とらが部屋に入ってきました。
八島が贈った青い小袖を着て、長い髪は、結い上げて一本のかんざしで止めてあります。
「ああ、おとらさん。……どうしたの?」
八島は表情を曇らせました。
とらが泣いていたからです。
立ち上がってとらに近づくと、彼女は距離を取ろうとします。
「泣かないで。何があったの?」
八島がなだめようとすると、とらは言いました。
「私のせいなんです。私は、世にいう貧乏神。全部私のせいです」
聞くと、これまでも友人になってくれた人たちや一緒に住んでくれた人たちが居たのですが、全員あっという間にお金を失い、彼女のそばからいなくなったのだそうです。
身を儚んだとらは、人のいる場所から身を引き、ついには誰にも関わらないように、海上をさまよう事になったのでした。
それを聞いた八島も涙を流し、逆に励ますように言いました。
「いや、大丈夫。僕には商才がある。100円でも残っていれば、何とかして見せるさ」
「……でも」
「商売とはそういうモノだから。運も大事だけど、もっと大事なのは知識と経験なんだから」
「……いえ、七海さんは分かっていません」
八島はその意味を理解しています。
神族とは何か。
そして、彼らの持つ人の理など軽く凌駕する力を。
とはいえ、その力は「神族の特性」なのであり、その人格に由来するものではありません。
それは昔、ワクワクの守護神ミツチヒメが教えてくれたことです。
「知っているさ。神族の知りあいもいるしね。それは、おとらさんのせいじゃないんだ」
八島は少し強引にとらを抱き寄せました。
「だから、君は僕のそばに居てくれるだけでいい。お金では君の笑顔は変えないんだから」




