外伝 八島七海2
本編序盤でマリヴェラらと別れを告げ、交易で財産を増やしつつあった八島七海。
念願の自分の持ち船を手に入れ、勇躍大きな額の交易を目指した彼であったが……。
「船長、どうですか?」
キャビンから甲板に出た八島が、厳しい顔をした船長に話しかけました。
船長は舵輪を自ら握っています。
本来は時間ごと、つまり当直を決めて順番に当直と非直を繰り返す乗組員も、今は全員が仕事をしていました。
「向こうさんはかなり古いが、2本マストのスクーナーです。
追いつかれる前にヴェネロに逃げ込めるか、
それとも帝国の巡視船に出会えるかどうか……。
いっそ、風の神に祈った方がよさそうですな」
「クソッ、本当に海賊に出会うなんて!」
ドラゴンフライ号が全行程の半分を過ぎようとした頃、1隻の船とすれ違いました。
それは只の交易船に見えましたが、すれ違うや否や、引き返してドラゴンフライ号の後をつけ始めたのです。
ドラゴンフライ号には武装は殆どありません。
もっとも、内海の南北航路を行く交易船には、同じように殆ど武装が施されてはいないのですが。
どの道、追いつかれたらアウトです。
「対波抵抗軽減のコーティングは効いているのかな?」
「それが無かったら既に追いつかれていますよ」
八島が後ろを見ると、細長い三角形に見える帆が、約1キロメートル後方に居ます。
船長は八島に言いました。
「このまま進むと、潮目を通過します。潮の流れが変わるんです。
そこで風上に切れ上がれば、もしかしたら振り切れるかもしれません。
なんとかヴェネロまでたどり着ければ……」
そう言いかけた時でした。
爆音が風を切り裂き、ドラゴンフライ号の左舷から僅か20メートルの所に巨大な水柱が上がりました。
首をすくめながら、八島は思い出しました。
あのワクワク海軍所属スパロー号に乗っていた時に遭遇した、フリゲートからの大砲の砲撃の凄まじさを。
八島の足元が震えで覚束なくなり始めました。
「船長。あれは、フォルカーサ帝国海軍だ」
船長が信じられないという風に叫びます。
「はぁ? あんなボロスクーナーがですか?」
「ええ。今のは大砲による砲撃です。大砲なんて積んでいるのは海軍しかいないでしょう」
「……今のが、大砲なんですか? 魔法で石を飛ばしたとかではなく?」
「僕は砲撃戦に遭遇した事があるからね」
船長が大砲の実際を知らないのも無理はありません。
この世界では、鉄や火薬が極めて高価であり、それに加えて魔法による攻撃の方がコストが安く、威力も大きいのです。
現状、各国の海軍で大砲を製造して船に積んでいる国は、フォルカーサ帝国しかありませんでした。
むろん、高価ではあるものの、メリットはあります。
一般人でも訓練次第で使える事と、熟練の魔法使いが不要となる事です。
「皇帝派か宰相派かは分からないけど、お互いの通商を破壊しにかかっている段階になってるんだ。きっと」
「クソ。思い切ってどちらか相手の商売だって言っておけば、半分の確率で助かったりしませんかね?」
八島は肩をすくめた。
「半分の確率でサメの餌になりかねないけどね」
再び、爆音がしました。
同時に、ドラゴンフライ号の上方で何かが爆ぜる音がしました。
索具が切れて甲板上を暴れる蛇のように跳ね、マストの上部が折れて帆と一緒に落ちてきました。
「うわあ!」
「うひゃあ!」
船が大きく揺れ、八島もその場に倒れました。
ドラゴンフライ号はついにその場で動けなくなってしまいました。
倒れたままの八島が、舵輪にしがみついたままの船長に告げました。
「残念だけど、白旗を揚げよう。怪我人がないか、連中が来る前に見て置こうじゃないか」
――――
やがて、追いついたスクーナーがドラゴンフライ号に横付けし、鍵爪付き縄が何本も飛んできました。
ほぼ同時に、体つきの良い日焼けした男たちが、ドラゴンフライ号へと乗り移ります。
ドラゴンフライ号の乗組員は最後尾に集まり、八島と船長がそれを守る形で壁になって立ちはだかっています。
乗り移って来た男の一人がやってきました。
軍の服装ではなく、一般民と同じような服を着て、片手にはカトラスを下げています。
頭髪をワックスでべったりと固め、オールバックにしているのが八島には印象的でした。
「乗員はそれで全てか?」
船長が代表して答えました。
「ええ。しかしこれは何事ですか?」
男は嘲笑しました。
「フン、答える義務はないが言ってやろう。貴様らアグイラの民は、
その労働力と財産を我々帝国海軍に供与することに決定したのだ」
「そんなバカな! アグイラ政府に通達は来ていないし、ギルドだって……」
船長が言いかけると、男はカトラスの峰で船長の腕を叩きました。
「ぐあ!」
「決定はこれから通達される。それにギルドがどうした?
ギルドに何ができる?
それに、もし貴様らがアグイラではなくホーブロの船だったらと想像するんだな。
逆に運が良かったと思え」
悶絶した船長に代わり、八島が口を開きました。
「それで、どうされます? 積み荷を持っていきますか?
大体、海軍なのに貴方は名乗りすらしない」
「貴様らのような下賤に対して名など不要だ。しかし貴様は何だ?」
「船のオーナーですよ」
「そうか。それは気の毒だが、船は没収する。積み荷も没収する。
乗組員も今後は我らに協力してもらう」
八島は開いた口がふさがりません。
「そんな! 海賊だって普通は積み荷を強奪したら船と乗組員は解放するのに!」
カトラスが一閃しました。
固まった八島の頬が僅かに斬られ、つぅっと血が流れました。
船上はかなり揺れているというのに、かなりの腕前と言わざるをえません。
「生意気だな、貴様」
男はゆがめた笑い方をしました。
「よし、今ここで斬って海に放り込んでもいいが、それは面白くない。賭けをするか」
男は部下を動かし、ドラゴンフライ号の救命ボートをクレーンで降ろしました。
「乗れ」
と、八島にカトラスを突き付けて命じました。
「八島さん……」
「船長、後はよろしく」
「早くしろ!」
仕方なく、八島は舷側からボートに飛び乗りました。
ボートには八島一人。何もありません。
男の配下が、ボートとドラゴンフライ号をつなげていた綱を切りました。
船長がそれを見て叫びます。
「おい! オールも無しでどうやって……」
そこまで言いかけ、再びカトラスの峰で打ち据えられます。
男は追い打ちで船長に蹴りを入れながら言いました。
「生意気な口相応をした罰を与えてやるのだ。
海水を飲んで狂い死にをするか、海に飛び込んでサメの餌になるか、
運が良ければどこかの船に見つけてもらえるかもな!
なんなら、貴様も試してみるか?」
と。
それを聞いた八島は絶望しました。
救命ボートは波に揺られながら、二隻の船から離れて行きました。




