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1-D100-09 マリヴェラ勉強中

 

未明。


 当直交代の直後に、手の空いている士官と准士官が海図室に呼ばれた。

 士官とは副長の暮井や海尉のネルソンの事であり、准士官とは航海士のディレイラや掌帆長の事を指す。


 ここ海図室の主はディレイラだ。


 ディレイラも他の者も、海図室に入って来たロジャースの後ろにミツチヒメがいると知ると、こぞって膝をついて挨拶した。

 ミツチヒメは一人ひとりに、「すまんな」と謝っていた。


 そうしてロジャースが説明を始めた。

 なお、姉弟とクーコ・八島は、客室に下がっている。


「皆、来て貰ってすまない。ノープ岩礁の北を回る予定であったが、姫様とマリさんと協議した結果、ノープ岩礁に()()事にした」


 海図室がざわめいた。

 メイナードも生唾を飲み込んでいる。


「寄る……?」


「ああ。サーペントを討伐する。ディレイラ、岩礁周辺の説明を。姫様とマリさんにも分かるように」


「はっ。その岩礁帯は、ワクワクとアグイラを結ぶ航路の中心点から、六十マイルほど北に外れたとこじゃ」


 枯れた指が、広げられた海図の上をすすっと動く。


「東西にもそれぞれ、北と南を結ぶ航路があるのじゃがな、

 他にはこれと言って難所のない海域での。

 よほど風に吹き流されでもしない限り、問題無いのじゃよ。

 当該海域で行方不明になる船は、そうさな、二年に一隻もあるかのう」


 海図の当該海域の真ん中には、点々と岩礁が散らばっている。

 どれも「島」とまでは言えず、水もなく植物も育たず、当然人も住んでいない。


「サーペントは、その周囲数マイルにしか出ない。離れられない理由があるのかは知らんがな」


 メイナードが手を上げた。


「そのサーペントって、どの位の大きさなんですか?」


 ディレイラが顎をしごいた。


「ああ、そうか、若いのは見たことが無かったかの。ここ最近討伐はなかったからな、成長が早いので、七十か八十メートルにはなっているじゃろ」


「七・八十!?」


 驚いたのはメイナードと俺だ。

 このスパロー号より長いじゃないか。

 それは寧ろ、龍とかそういう部類ではないのか?


「いや、大きくても知能は殆どないから何とかなりますよ」


 表情を変えずにロジャースが言う。


「とは言え、今回は討伐用の装備は持って来ていませんので……」


 と、俺を見た。


 ああ、はいはい、そうですね。

 言いだしっぺですしね。


「はい、私が何とかします」


 と手を上げた。


「お願いします。守りはメイナードが担当します」


「了解です」


 ミツチヒメが地図を見たまま頷いた。


「わたくしは、どちらか頼りない方を見よう」


「お願いいたします」


 ああ、メイナードも顔色が変わった。

 頼りない方はお仕置きだ、と同義だもんな。


「自信がなければ手伝ってやらなくもないぞ?」


 お仕置きする気満々で、ミツチヒメがクックック、と笑って俺の肩を叩いた。


 ロジャースが懐から懐中時計を取り出して見た。


「この後変針する。今の速度を維持するなら、

 二時間後には当該海域に到着するだろう。

 朝食はそれまでに。

 マリさんと姫様が様子を見ながら徐々に接近する。

 もう一つ、付近に財宝船が沈んでいるという話もある」


 財宝船と言う言葉に、海図室が大きくざわついた。


「他の者には財宝等と言うなよ?

 あるかもしれない、と言うだけだ。

 ただ、本艦の今後の行動を考えるに、資金は有った方が良い。

 サーペント退治という公益と両立できるなら、

 色々大変な事続きではあるが、皆には頑張ってもらいたい。

 以上だ」


 ロジャースとミツチヒメ、俺とディレイラを除いて退室した。

 財宝探しの事、一時間後には乗組員全員に知れてるんだろうなあ。


 ディレイラがロジャースに聞いた。


「わしだけここに残ったのは?」


「到着までに、マリさんに周辺海域の地理情報を講義して欲しいのです。この後の当直は私が見ますので」


 ディレイラが頭を掻いた。


「仕方有りませんな。ご命令とあらば」


「それでは」


 ロジャースとミツチヒメも去り、ディレイラと俺だけになった。

 ロジャースのこの提案は俺にとって望外の事だった。


 普通、TRPGではマクロの地形はさほど重要視されない。

 というか、シナリオでは、地形については必要最小限の情報しかない上、抽象化・記号化されている。

 従って、俺があの「アンガーワールド」を知っていたとしても、地理については大きな大陸や国家・都市のおおよそしか知らないのだ。

 しかも、海軍の持つ地図や海図は、機密に当たるはずで、一般人(?)の俺が見る機会などそう無い。


「ではお嬢さん」


 ディレイラがぎろりと目を剥いた。

 痩せた爺さんなのに迫力がある。

 下手な事を言うと怒られそうだ。


「これから目にする地図は海図と言ってな。我々海軍の血の結晶じゃ。他所の者へ内容を口にしないと誓ってくれ」


 やはりそうだった。

 誓いを立てた後、二人だけで簡単な講義が始まった。


 そもそも、この世界は陸半球である「内海」と、水半球である「外海」に分かれる。

 人が住んでいるのは前者で、後者には殆ど陸地すらない。


 その内海のほぼ中央に、「始まりの諸島」が並んでいる。

 始まりの諸島は、地球で言うと、概ね北緯35度前後に位置する。

 35度線上の代表的な都市は、テヘラン・東京・ロサンジェルス・カサブランカ等である。


 ただ、この世界は地球よりも温暖な設定なので、状況はかなり違うはずだ。


 人間が多く住むのは、まず北の大陸ファーネ。

 次に南の大陸フォルカーサだ。

 西にはいくつかの大陸が並んでおり、纏めて西の大陸と呼ばれている。

 ここには、魔物や亜人の国が林立している。

 東の大陸シャングリラは広大であり、まだ誰もその全容を明らかにできていない。

 そこには全てを焼き尽くす巨大な火龍が何匹も徘徊しており、定住するものは殆どいない。


 内海には、始まりの諸島の他にも島が沢山あるので、船による交易が盛んである。

 もちろん、人口の多い北と南を結ぶ交易路が最重要で、アグイラはその要の位置にある。


 さて、ここまでは俺も知っている。

 

 知らないのは、細かい地形と、最近の国際情勢だ。

 細かい地形については、地図・海図をしっかり見ておけば、自分の記憶から「言霊」の「知る」により、知る事ができるという一種の裏技がある。

 あるときGMにお伺いを立て、渋々OKされているのだ。

 だから大丈夫だろう。


 スパロー号の海図は、内海全てを網羅していると言う訳ではないが、始まりの諸島一帯と、北と南の大陸の沿岸はかなり詳細に描いてあった。

 暗礁はもちろん、季節毎の風向き・気温・潮流だけでなく、「何が出没するか」まで細かく書き込んでいる。

 俺は昔小説の資料として、海図の見方についての本を読んだことがあるので、ディレイラの講義にも何とかついて行けた。


 国際情勢は、俺が「アンガーワールド」で遊んでいた二十年前とは様変わりしていると思われる。


「ディレイラさん、今、シビュラ暦何年ですか?」


「ん? 今年は120年じゃが」


 やはり。

 俺の書きかけの小説の舞台は、シビュラ暦100年の事だった。


 その頃には、ポントスもただの一企業だったのだ。

 ポントスについてディレイラは言う。


 五年前にその座についた現社長による主導で、「統治委任」なる業務を開始。

 私兵を率い、始まりの諸島と南の大陸の中間にあるヴェネロ諸島のうち、諸島の中心であるヴェネロ島へ侵攻したのだ。


 当初はタダのフォルカーサの隠れ蓑と見られていたし、実際にフォルカーサ軍からの「出向」者が多かった。


 統治が始まり、搾取の開始と思われたが、支配層を絶滅させた以外は、社長フロインは穏健で現実的な民政を実施。

 瞬く間に一般民衆に支持されてしまったのだ。

 ヴェネロ諸島は二年をかけて平定され、今ではヴェネロ共和国と称している。


 これは、ワクワクの今後の運命をも示唆している。

 ミツチヒメも恐らく予感しているのだ。


 北の大陸ファーネの状況も変わっているようだ。

 俺が知っている北の大陸は、幾つかの北辺の亜人の王国の他、北の王国ホーブロと呼ばれる、封建体制を採る一つの大きな王国があった。


 現在は、北の亜人の王国には変わりがないものの、ホーブロ王国の王家の支配区域は縮小し、家臣の国が幅を利かせていると言う。

 そして、彼らが覇権を争いかねない火薬庫と化している。

 ファーネ大陸は、今では「千の国家がある大陸」と呼ばれているそうだ。


 南の大陸にあるフォルカーサ帝国は、皇帝を頂点とした中央集権体制で、二十年前当時と同じ皇帝が変わらず君臨している。

 こちらはさほどの変化は無いらしい。


 わかりやすくお約束ではあるが、典型的な帝国主義で、圧政を敷いている。

 人を人とも思わない所だから、俺の転生の門があそこに出現していたら、かなり嘆かわしい事態になったに違いない。


 地理的には、開発が進んでいる北の大陸よりも自然が残り、モンスターの出没も多い。

 なので、冒険者たちはどちらかと言うと南の大陸に多くいる。

 ちなみに、西の大陸は上級冒険者でないと生き残れず、東の大陸はさらに難易度が高い。


 これから宝探しをしてから向かうアグイラは、共和制国家である。

 北からも南からも人が集まって作っている国だ。

 七つある「始まりの諸島」の、西から四番目と五番目の島を領土とする。

 アグイラという港湾都市はその四番目の島にあり、国の殆どの人口が集中する。


 島自体は小さくはない。

 二つの島をあわせて九州ほどの面積はある。

 とはいえ、山がちで平地が少なく、生産力は乏しい。

 紙業と養蚕・繊維・織物・染色業が盛んで有名なのだが、基本的に貿易は生命線なのだ。


 従って、ポントスがワクワクを傘下におさめるとなると、いい顔はしないだろう。

 本格的に商売敵となるからだ。


 実際にポントスがどう動くかはディレイラにも分からない。

 ただ、アグイラ政府も、ユキらを追い出すような事はしないと思われる。

 根拠はないのだが、ポントスの支配者絶滅政策から逃れた若い姉弟を無下に扱うと外聞が悪いからだ。


 次から次へ取り替えては開かれる海図を、目を皿にして魅入っているうちに、時鐘がなった。


「ふむ、七時か」


 ディレイラが眉間を指で摘んでから伸びをした。


 海図室はキャビンと同じ階層にある。

 いつの間にか明るくなっていた外を見ると、雨は止んでいた。

 スパロー号は南風を受けて、傾ぎながら東北東へ進んでいる。


「ここまでにしようか。そろそろお呼びが掛かるじゃろ。食事もせんとな」


「貴重な情報を有難うございました。ディレイラさん」


「うむ。今度は実地じゃな」


 実地って……。この爺さんは俺を航海士にでもするつもりだろうか。


――――――――――――


 俺が客室に戻り一休みしていると、ロランが迎えにやってきた。

朝食だ。


 ちなみに、客室の割り当ては、「ユキ・クーコ」「ユウカ・八島」「俺・ミツチヒメ」と替わっている。


 罰ゲームだろ?


 普通、ミツチヒメのような偉い人は、キャビンを居住区にするのが習いだ。

 この艦は、軍艦ではあるものの、通信や要人輸送を任務にする事が多いらしいので、客室が四つもある。

 ミツチヒメは何故か客室を、しかも俺と同室を所望したのだ。


 訳が分からない。なんなら個室にすればいいのに。


 もっとも、彼女はずっとキャビンに居るので、ここではまだ顔を合わせては居ないのだけど。

 ともあれ、朝食だ。

 腹は減っていないが、皆の顔を見たい。


 外に出ると、ユキとクーコも廊下に出た所だった。

 魔法の効果が切れているので、ユキはやはりクーコの肩を借りている。

 俺はユキの背中に手を当てて、再び「スタビライズ」を掛けた。


「よ、お二方。具合はどうです?」


「うー、すみません、初めよりはずっと慣れて来ているのですけど」


「マリさん、ちょっと手を貸してください」


「はいはい。ユキさん重いでしょ。って! 痛い! 蹴らないでくださいよ!」


 と、三人でキャビンに向かう。


 全員集合再び、だ。


 メニューは夜食と同じである。


「いただきます」


 と、朝食が始まる。


 余り会話が無い。

 まあ、はっきり言えば敗走中なのだ。

 そうそう会話は弾まない。


「ねえ、ユウカ。食べないの?」


「いえ、姉上。大丈夫です」


「顔色悪いわよ? あなたも船酔いでしょう?」


「いいえ」


「マリさん、お願いします」


 ユウカが逃げようと立ち上がりかけたが、ふらついた。

 クーコが背中を支えた。


「ほらユウカ。言ったでしょ」


 俺も有無を言わさずスタビライズを叩き込んだ。

 抵抗しているから、成功判定が生じている筈だ。


 ユウカが椅子に座りなおして食べ始めた。

 不貞腐れて何も言わない。


「ね? 全然ラクでしょう? マリさん有難う」


「いえいえ」


 八島が嬉しそうに笑う。


「いやー、ユウカ様もこうお姉様達に囲まれると形無しですね」


「そりゃ私も入っているんですか?」


「だってそうでしょ……」


 ドンドンドン。


 ドアがノックされた。


「副長です!」


 衛兵の声に、俺たちは顔を見合わせた。

 暮井が食事の邪魔をするとは、有りそうな事じゃない。

 何かあったに違いない。


「どうした?」


 緊張した面持ちで暮井が入ってきた。


「お食事の所、大変失礼致します。艦長。潮目に沿って、デブリが浮いています。船の残骸です」


 ロジャースが立ち上がった。


「残骸? 嵐の漂流物ではなく?」


「はい。生存者はいないでしょうが。見張りを増員し、少し速度を落としました」


「分かった。私も行く。では皆さん、失礼します」


 扉が閉まった。


 八島がジャガイモをつつきながら言う。


「ポントスにやられた船ですかねえ」


「いや、それにしては北過ぎるのではないか? 単に嵐にやられて沈んだのではないか?」


「でも姫様、そんなに酷い嵐では有りませんでしたよ?」


「それもそうだが。とはいえ、サーペントの縄張りにはまだ遠いからのう。よし、マリヴェラ。ちょっと見て来い」


「うぐ」


「ほれ、とっととそのイモ飲み込んで行かんか」


 ひどい。


 追い立てられるように俺はキャビンから甲板に出て行った。


 スパロー号は船足を落とし、漂駐(ヒーブツー)する所だった。

 ボート班が召集されている。

 彼らはあの浮かんでいる木片を調査しようというのだろう。

 殆どの帆が巻き取られたマストを見上げた。

 マストの先のペナントが強い風に靡いている。

 今日は晴れて暑くなるだろう。


 さて、ちょっと見て来いと言われたが、見ているだけではガキの使いか。

 万一サーペントが出張ってきていたら、ボートの連中が丁度いい朝飯になってしまうな。


 よし、水浴びついでに見てくるか。


「ロジャースさーん、下、見てきます」


「分かりました、お気をつけて」


 そのまま、どぼーんと飛び込んだ。


2019/7/29 ナンバリング追加。本文微修正。

2019/9/5 段落など修正。

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