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そして聖女は旋風〈タビュロ〉と化す  作者: 天宮暁
第三章 三人目の仲間
9/23

08

 クラフトの隠れ家は南舷Ⅳ区、都市の外縁部にほど近い場所にあった。

 この辺りは整備中の区画であるため、キャラビニエールの地下に蜘蛛の巣のようにめぐらされた排魔路に手を加えやすい。タビュロをはじめ、クラフトの発明品には禁制品が多い。その癖魔力を馬鹿食いするものばかりなので、このような場所ででもないと排魔路の流れの異常から魔錠犯罪取締局に目をつけられてしまうおそれもあった。

 隠れ家は廃ビルの半地下の空間で、クラフトの作業用工房と居室に加え、簡単な炊事スペースとシャワーがある。

 居室には今、クラフトとテレサがいる。

 クラフトはソファに座って前のめりにタビュロの設計図を睨み、テレサは壁に据え付けられた魔錠ディスプレイを興味深げに眺めていた。

「……面白いか?」

 頭を使うのに疲れたクラフトが、目頭を揉みながら聞いた。

「ええ。こんな素晴らしい技術があるのですね」

「素晴らしい?」

 あの逃走劇からもう一週間が経つ。クラフトはテレサに魔錠ディスプレイやそれを利用した魔錠放送――魔錠を利用した遠隔式の映像配信についても説明していた。

「この仕組みをうまく使えば、貧者に教育を施すことができます」

「……なるほどな」

 テレサの時代には、教育の機会が富裕層に独占され、それがまた富の独占へと繋がるという悪循環が、今よりずっと強固に存在したはずだ。

「身体はもう大丈夫なのか?」

「ええ……なんとか。魔力はまだまだですが」

 テレサはこの隠れ家に辿り着くなり、三日三晩目覚めもせずに眠り続けた。

 まさか再び封印中の状態に戻ってしまったのかと心配したクラフトとシアだったが、幸い四日目からは目を醒ますようになった。

 とはいえ、まだ半分まどろんでいるような不安定な状態が続いていたので、クラフトとシアはそれぞれにできることを片付けながらテレサの調子が戻るのを待っていたのだ。

 と、テレサが玄関へと視線を向ける。

 隠れ家の玄関が薄く開いて、すぐに閉じた。

「……解除」

 つぶやきとともに玄関に見慣れた人影が現れた。

 魔錠術で姿を消し、街の様子を窺いに行っていたシアだった。

 ここ数日は見かけなかった征伐局の制服を身につけている。

「ダメね。やっぱり動きがないわ」

「そうか……」

 クラフトが気にしているのは、もちろん魔王の動きだ。

 テレサが看破したように、魔王と市長が手を結んだことはほぼ確実だと思われた。

 しかしそのわりに、市長側の動きが鈍い。

「市長公邸に正体不明の賓客がいるらしいってことはわかってる。一応、あたしも住んでた家だから、仲の良かった使用人から聞き出せたわ。でも、市長は〈凍結された決戦場〉の異常と魔物の出現については公的な発表をまだしていない。魔王は魔王で、例の魔蜂(ヘルホーネット)をどこへともなく引っ込めて以来、沈黙を守ってるわ」

「……お父上なのだそうですね」

 魔錠ディスプレイから振り返って、テレサが言う。

 キャラビニエール市長ドルーア・マーティレイは、シア――セレシア・マーティレイの実父だ。

「あんなの、父親でもなんでもないわよ。普段はママとあたしのことをほったらかしにしてるくせに、たまに家に帰ると威張り散らして、あたしたちのやることなすことに干渉してはケチをつける。世の中のすべてが自分の思い通りでないと気が済まないんだわ。ママが愛想を尽かしたのも当然よ」

 病弱だったシアの母親は去年亡くなり、その頃には一等魔錠官となっていたシアは、それ以来北舷で一人暮らしをしている。……その部屋がクラフトの工房の目と鼻の先にあるのは、シアに言わせると「偶然」らしいが。

「ま、あんな奴のことなんてどうでもいいのよ。テレサ、あんた身体は大丈夫なの?」

 シアの言葉に、テレサはくすりと笑った。

「な、何よ?」

「いえ、クラフトにもそれを聞かれたばかりだったのです。息の合ったお二人ですね」

「そ、それは……ああ、もう! そんなこと言えるくらいなら大丈夫みたいね」

「ええ、おかげさまで。まだ本調子ではありませんが、起きていられる程度には回復したようです」

「なんだか人ごとみたいな言い方ね?」

「聖女の体調は国家によって管理されていたのです。わたしにとって、わたしの身体の調子は戦いを効率的に進めるためのパラメーターでしかありません」

「そんな……」

「そんな顔をしないでください。冗談ですから」

「冗談なのかよ!」

 クラフトは思わず横から突っ込んでしまった。

「いえ、嘘ではないのですが、それはまあ建前というもので、わたし自身そこまで無私に聖女を演じていたわけではありません。こうして聖女面して善男善女をからかったりもします」

「なんていうか、想像してたのとだいぶ違うわね」

「よく言われます。しかしそのギャップがよいとも言われます」

「自分で言うな!」「自分で言うな!」

 クラフトとシアのツッコミが期せずしてハモった。

「さて、場の空気も暖まったところで、本題にまいりましょうか」

「いや、本題から逸らしたの、あんただけど……」

 シアが「やりにくい……」とぼやきながら質問する。

「テレサ。千年間封印されてる間、意識はあったの?」

 シアの言葉に、テレサは声の調子を落として答える。

「……長い眠りでした。わたしはその間ずっと夢を見ていました。果てることのない夢を」

「ずっと……!?」

「正確なことはわかりません。夢の中では、時間の前後の感覚がありませんでしたから」

「そんな……」

「まあ、冗談なのですが」

 シアがずっこける。

「冗談かよ!」

「いえ、嘘は言っていません。ただ、時間の感覚がないので長いとも思わなかったのです。一晩の眠りよりはやはり長かったような気がするのですが、眠りという意味では、この一週間の眠りの方が深くて長い気がしたほどです」

「じゃあ、決戦の日から一眠りしたら今日だった、くらいの感覚なのか?」

「それに近いですね。千年が経ったという感覚はなんとなくあるので、一瞬にして未来にやってきてしまったという感じは薄いのですが」

「そうか……」

「だから、千年の間ずっと苦しんでいたわけではありません。その点はお気になさらないでください。まあ、その辺の四方山話はすべてが済んでからにいたしましょう。なかなかできない経験ですから、書物にでもまとめたいところですね」

「前向きだな」

「ええ。そうでなければ実際、魔王などと戦えはしません。まずは、ご質問にお答えするのがよいでしょうか?」

 テレサがそう言ってクラフトとシアを見る。

「……正直、聞きたいことが多すぎて、何から聞いたらいいかわからないな」

 クラフトが腕を組んで考えこむ。

「あたしとしては、聞きたいことは単純だけど」

 シアが小さく手を上げた。クラフトとテレサの視線がシアに集まる。

「そもそも……魔王って何なの?」

 端的なシアの質問に、テレサも端的に答えた。

「わかりません」

「わからないって……」

「実際、詳しいところはわからないのです。わたしはそれこそ、千年もの時間をかけて研究すれば魔王にまつわる謎も解明されるのではないかと期待していたのですが」

「研究自体は、なかったわけじゃないさ。だが、魔王が膨大な魔力をその裡に秘めた存在だということはわかっても、その魔力がどこから来たのか、それほどの魔力を貯め込める魔王という存在は何なのか――その辺りの中核的な疑問に対する答えはいつまで経っても得られなくて……次第に研究自体が下火になった」

「そんな……」

「研究者も人間だからな。成果の出そうにない研究に一生を捧げるわけにもいかないさ。結局、魔王についてわかってるのは、たぶんテレサの方がよく知ってるくらいの、歴史的な事実だけだ」

「はぁ……まったく、わたしが身を削って魔王を封じている間にあなたがたは……。いえ、怒ってはいけませんね……」

 テレサは幾度か深呼吸を繰り返す。

 クラフトとしては、すこし意外でもあった。

 聖女、という言葉から、何を言われても笑顔で怒らない天使のような女性かと思っていたが、案外感情が表に出やすいようだ。

(当たり前か。伝説の聖女だって、生身の人間なんだ)

 黄ばみ、紙魚に食われた史書の行間から想像する千年前の聖女は、人類の救世主である偉大な英雄だ。クラフトの中にある聖女のイメージと、今目の前にいるテレサとでは食い違う部分もあるが、それはもちろん、クラフトの前で怒りを鎮めようとしている華奢な女性の方を優先すべきことだ。

(想像と現実がぶつかった時には、絶対に現実を選ばなければならない)

 それが、機匠として幾多の発明品を生み出してきたクラフトの哲学でもある。

 が、それ以上に、この女性のことをもっと理解したいという気持ちも生まれてきていた。

「しかたありませんね。では、史実から確認しましょうか。この分では千年前の戦いの歴史的研究の方にも、多くは期待できないのでしょうから」

「……すまねぇな」

「いえ、いいのです。むしろ、謝らねばならないのはわたしの方です。わたしはあなたに責任のないことであなたを責めました」

「そりゃ、しかたないよ。テレサがそれだけの犠牲を払ったのに、人類はその期待に応えられなかった。いや、応えられたはずなのに、応えようとしなかったんだ」

 憤りを隠せないクラフトに、テレサは儚げに微笑んで仕切り直した。

「当時から言われていたのは、魔王というのは、戦禍に呻く人々の苦しみや憎しみによって生まれたものではないか、という説です。ただし、魔王は人々の救い主としてではなく、世を終わらせるものとして現れるわけですが」

「……魔王は悪の権化だってこと?」

「悪、というより、負の感情の凝縮したもの、でしょうか。戦禍に遭って救いを求める人々は、まだ余裕のある人々です。本当に身体の隅々まで、心の奥底まで痛めつけられ、魂を壊された人々は、救いよりも復讐を求めるのです。その声に応えるのが――」

「魔王」

「そういうことです」

「だがそれも、疑問の多い仮説だ。この千年の間にだって、少なからぬ戦争があった。しかし、その時には魔王は生まれていない」

「……なるほど。ですが、今は時がありません。魔王の誕生に関する謎については時間のある時に検証するとして、史実を確認しましょう」

「魔王には、その依り代となった人間がいたんだそうだな」

「依り代、という言い方が正しいのかはわかりませんが、後に魔王となる人間がいたことは事実です。アッサンザ王国の王、ヴェムト・ディオス。当時強大だったキリルハイム帝国に滅ぼされる間際にあった小国の王です。慈悲深い性格で民には慕われていたのですが、戦の才能はなく、外交下手でもあったため、キリルハイムの侵略を招き、最後には王都アッサビオが包囲される事態に陥ります」

「ヴェムト・ディオスが善政を敷いていたってのは初耳だな。今の史料だと、魔王になる前から暴君だったことになってる」

「その方が納得しやすいからでしょうね。魔王の前身なのだから悪い奴に違いない、というわけですか。……変わりませんね、人は」

「俺が調べた限りだと、キリルハイムによる王都アッサビオの包囲は半年に渡って続き、城壁内に籠もった市民の八割が餓死したということになっている」

「正確な数字まではわかりませんが、わたしの記憶とも一致します。そして、籠城戦のさなか、アッサンザ国王ヴェムト・ディオスは突如として魔王ブカンフェラスを自称し、キリルハイム軍に降伏勧告を叩きつけます」

「もちろん、キリルハイムの将はそれを鼻で笑った。苦し紛れのあがきだと思ったんだな。そりゃ当然だ。俺だってその場にいたらそう思う。でも――」

「……キリルハイムの包囲軍は、一夜にして潰滅しました」

「そして魔王は魔物の群れを率いて各国を征服……大陸諸国は十年と保たずに崩壊した。その後、各地に散在した実力ある戦士や魔術師たち――後に『勇者』と呼ばれることになる人々が魔王に戦いを挑むことはあったが、魔王軍の物量と魔王その人の膨大な魔力の前に倒れていった。大陸の人々はいよいよ絶滅の危機に瀕し、力を結集、聖女テレーシア・ケリュケインに人類の持てる魔力のすべてを預け、大陸の命運を聖女に委ねた」

 そこで、シアが口を挟んだ。

「そういえば、そもそも聖女って何? 魔王に対抗できる特別な力でもあるの?」

「いえ、そういうわけではありません。わたしは魔力許容量の大きさと魔力制御の才能を買われたにすぎません。基本的にはただの人間と同じです。魔王の前に散った数々の勇者たちと変わりありません」

「でも、大陸国家や勇者たちが徒党を組んでも敵わなかった魔王と一対一で戦ったんでしょ? 何か特別な力があるんじゃ……?」

「当時の史料によれば、テレサは氷の魔女だとか、氷晶使いだとか呼ばれていたらしいな」

「よくご存じですね。確かにそのようにも呼ばれていました」

「じゃあ、魔王を〈凍結された決戦場〉に封じたのも、その力なの?」

〈凍結された決戦場〉はその名の通り、魔王と聖女を氷漬けにした巨大な塚だ。シアがそう思ったのは当然だろう。

 が、シアの質問に、テレサは首を振った。

「それは少し違います。当時から誤解されていましたが、わたしの力は氷ではなく雷なのです」

「か、雷……?」

「ええ。雷を通すことで魔力の粒子に一定の秩序を与え、思うままに再造形することができるのです。もちろんこれは、自然界の雷とは別の、魔力の〈雷〉なのですが」

「思うままに……再造形……?」

「そうです。わたしは、この力を利用して魔力の籠を創り、その籠のなかで魔王の魔力を半永久的に循環させることを思いついたのです」

「魔王の魔力を……循環させる? それって、まさか……」

「ええ。クラフトから聞いた聖鎧回炉と似た技術ですね。というより、おそらくは後世の術者がわたしの術を研究して聖鎧回炉を作り上げたのではないでしょうか」

「なるほど……。でも、考えてみれば当たり前だったのかもしれない。〈凍結された決戦場〉を作り上げたのはテレサの術なんだから、そこから漏れ出す魔力を利用するには、テレサの術と同じような術が必要になるはずだからな……」

 どころか、クラフトのタビュロも〈凍結された決戦場〉とキャラビニエールの古層を解析して作り上げたものなのだから、大本はテレサの術だということになる。

 いや――

(……待てよ? テレサ、〈雷〉、〈凍結された決戦場〉、聖鎧回炉、タビュロ……)

 うまく組み合わせれば何かができる、とクラフトの機匠としての直感が告げていた。

 しかし、何をどうすればいいのか、そもそも何をどうしたいのかがわからない。

 そして、クラフトが曖昧な直感を掘り下げられるような時間的な余裕もなかった。

「……大変! 見て!」

 シアが突然声を上げた。

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