07
「ぬ゛おあ……っ!」
間抜けな声を上げてハイラークが吹き飛ぶのと、クラフトの周りで銀色の煌めきが走るのとは同時だった。銀色の煌めき――薄い金属の帯のように見えるそれはクラフトとテレサを拘束するケインズの魔鞭をずたずたに切り裂いた。
ハイラークが優に十メリアも先の壁にめりこむ。激突の衝撃で壁が崩れ、ハイラークの姿が粉塵の向こうに埋もれた。
その粉塵に紛れて、というわけでもないのだろうが、クラフトの前に見慣れた人物が立っていた。クラフトを庇うように背を向け、〈魔鞭〉ケインズ・ハーネスに油断のない視線を向けている。
「シア!」
「……なんとか間に合ったみたいね、クラフト」
クラフトの幼なじみであるセレシア・マーティレイは、金色のポニーテールを揺らしながら微笑んだ。
一等魔錠官〈銀閃〉セレシア・マーティレイ。
最年少で着任するや、女性の身でありながら、模擬戦で若手の実力者である〈高慢〉ハイラーク・エルゴステットを下したという俊英の魔錠官。
現在は凍結獣征伐局に所属し、〈凍結された決戦場〉から現れる異形どもからキャラビニエール市民を守るため日夜その力を磨いている。
自慢のつややかな金のロングヘアを今は頭の後ろで束ね、身体には征伐局の制服――制式戦闘服を纏っている。クラフトのものと同じ腰の戦闘用ベルトには鞘、右手には細身の剣――小型の聖鎧回炉を組み込んだ回炉刀が握られている。
セレシアの回炉刀は一見細身だが、クラフトが改良した密度の高い新型の回炉が組み込まれているため、見た目以上の出力を持つ。そう、セレシアが使えば〈高慢〉ハイラークを一撃で吹き飛ばせるほどの威力を発揮する。
「ちっ――セレシア嬢もそっち側か」
ケインズが毒づいた。
「ぐぅっ……いきなり、やってくれるじゃねーか……!」
壁の瓦礫から這い出したハイラークがセレシアを睨む。
「くそっ! それだけの力を持ちながら、どうしてそんな雑魚をかばう! あんたにも聖女テレーシア・ケリュケインと機匠クラフト・エヴォルヴァの逮捕命令が出ているはずだろう!?」
「そんなの、知らないわ」
実際は逮捕命令ではなく、征伐局本部への禁足命令が出ているにすぎないが、どちらにせよ命令違反であることに変わりはない。
「あたしは、守るべきものを守るために魔錠官をやってるのよ。一等魔錠官であることに誇りは持っているけれど、それはあくまでも目的のための手段にすぎない。あなたたちとは違って、ね」
セレシアの言葉にケインズが苦い顔をする。
「君にはまだ守るべきものがいないからそんなことが言えるのだ。あるいは、君がドルーア市長の娘だからかもしれないがね」
ケインズが皮肉げに付け加えた言葉に、セレシアが柳眉を逆立てた。
「ケインズ取締局長。不遜を承知で言わせてもらいますけど……ずるい大人たちがそうやって誤魔化し誤魔化しやってきた結果がこの千年だったんじゃないですか? 誰も事態に責任を取ろうとしないまま無為に時を重ねてしまったせいで、今こうして何の準備もないままに魔王の復活を迎えてしまった……。誰にも責任はないのかもしれないけど、同時に誰にも責任がある。あたしはあたしで応分の責任を果たそうとしているだけです」
「……好きな男が見た夢のために、かね?」
「侮辱は許しませんよ、ケインズ局長」
セレシアがケインズを鋭く睨み、ケインズはその視線を余裕を持って迎え撃つ。
〈銀閃〉と〈魔鞭〉――一等魔錠官の中でも最強の一角と目される二人の睨み合いに、ハイラークすら大人しく様子見の構えだった。
実時間としては、さほどの長さでもなかったのだろう。束の間の睨み合いから降りたのは、〈魔鞭〉ケインズの方だった。
「……やめたやめた。こんなのは私の職務の範囲を逸脱している」
「き、局長……!?」
先ほどの一撃で痛めたのか、片方の肩を押さえながらハイラークが抗議する。
「セレシア嬢とやりあって勝てないとは言わないがね。魔力が枯渇し錠も使えない状態とはいえ、伝説に名高い〈犠牲の聖女〉もいるし……何より、そこで危険な目をして隙をうかがってる少年も、なかなか油断のならない相手のようだからね」
ケインズはどうでもよさそうに肩をすくめてみせた。
「で、ですが……市長直々の逮捕命令ですよ!? 従わなかったらどんな処分を受けることか――!」
「元はと言えば、君が不要な暴力を振るって時間を浪費し、あまつさえ不意を打たれて行動不能に陥ってしまったせいだろう? それに加え、一等魔錠官であり市長の娘でもあるセレシア・マーティレイの裏切りだ。これだけの異常事態が重なったのだから、私が責任を問われるようなことはないよ。……君はどうだか知らないがね」
「そ、そんなぁ……!」
情けない声を上げるハイラークにはとりあわず、ケインズはセレシアに背を向ける。
「……相変わらずの役人根性ですね」
セレシアが思わず零すと、
「言ったろう。私には守るべきものがある。君とは違った意味でね。家族を守るためにはまず自分の身を守らなくては。責任外の仕事をして怪我などしても、手当など出るわけがないのだからね。役人根性? 結構ではないか。それこそ組織の中での護身術というべきものだ。君も覚えておくといい……これが世故長けた大人のやり方というものだ。正義感で飯が食えるのは、それこそそこにいる〈犠牲の聖女〉さまくらいではないかね?」
吐き捨てるようにそう言うと、ケインズは不満たらたらのハイラークを連れて路地の奥へと消えていく。
「……時間をやろう。賢明な選択をすることだ」
見えなくなる瞬間に、ケインズが顔だけ振り返りそうつぶやいた……ように思えた。
はっきりと聞こえなかったのは、余計な言質を取られないための小ずるさだろうが、取締局長――市警察魔錠犯罪取締局局長としての忠告でもあるのだろう。
セレシアは小さくため息をついた。
「……見逃してもらえたか」
職務にはまるでやる気の感じられないケインズだが、その実力は折り紙付きだ。
ケインズは元々今回の任務に乗り気ではなかったのだろう。でなければ、セレシアによるハイラークへの奇襲は成功していなかった。セレシアは奇襲をかける瞬間にケインズが自分を見ていたことに気づいていた。
そう、見ていただけだ。もしあのタイミングでケインズが得意の魔鞭を放っていたら、やられていたのはセレシアの方だったに違いない。
いざという時の隠し球くらいはあるが、のらりくらりとして掴み所のないケインズは、比較的素直な戦い方をするセレシアにとってはやりにくい相手だ。
「助かった、シア。……でも、よかったのか、こんなことをして」
立ち上がりながらそう言ってくるクラフトに、セレシア――シアは冷たい視線を向ける。
「……あんた、こうなることを見越して、あたしに相談しなかったでしょ」
「…………」
クラフトは目をそらした。
「あたしが何のために魔錠官になったか……あんたは知ってるはずよね?」
「…………」
無言のままのクラフトの胸ぐらをシアが下から掴み上げた。
「馬鹿にするなぁ!」
「……っ」
平手打ちが来る、そう思って構えたクラフトだったが、来たのは恐ろしく重いパンチだった。
顔面を思い切り打ち抜かれてクラフトは再び地面に転がった。
あわてて受け身を取ったクラフトの顔のすぐ側を何かが高速で通過し、地面に突き立った。
シアの回炉刀だ。
凍りついてシアを見上げたクラフトは、シアの顔を見て痺れたように動けなくなった。
「あたしがどんな気持ちで、これまで……ちくしょう……馬鹿にして……うぅっ……!」
「シア……」
顔を歪めて涙を零すシアを、クラフトはただ呆然と見つめるしかない。
「……こほん」
「わっ!」
「きゃっ!」
「……二人とも、わたしのことをお忘れではないですか?」
聖女――テレサの言葉に、シアが顔を赤くする。
「お二人の痴話げんかは見ていて興味深いのですが、まずは場所を移しませんか? 先ほどの指揮官が部下を連れて戻ってこないとも限りません。あるいは魔王の放った魔物が現れる可能性もあります」
「なっ……だだ、誰が、痴話わぁ……っ!?」
「落ち着けシア……テレサもおかしなことを言わないでくれ」
そう言いながら、クラフトはテレサに視線で感謝した。
「隠れ家ならある。正直こんなことになるとは思わなかったが、用意はしておくもんだな」
「な、なんだってそんなものの用意までしてんのよ?」
目元をぬぐいながら、つとめてさりげない様子でシアが聞く。
「魔王との戦いが市街地でのゲリラ戦になった時に役に立つんじゃないかと思ってな」
「では、とにかくそちらに向かいましょう」
テレサの言葉にうなずくと、クラフトはシアに尾行がないかを確認しながら二人を隠れ家へと案内した。




