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そして聖女は旋風〈タビュロ〉と化す  作者: 天宮暁
第四章 流転する運命
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 そこは、直径十五メリアほどの擂り鉢状の空間だった。

 野外演奏場のように擂り鉢の斜面は段になっているが、その段を構成するのは大型の聖鎧回炉装置であり、人間が動きやすいように配慮されたスペースではない。

 この擂り鉢の真下では、太い排魔路を流れる魔力の急流を、魔錠を使って制御棒を差し込むことで減速し、受け持ちの区内に分配している。

 公転軌道制御用(ポータル)結合体――通称・公転ジャイロと呼ばれるこの施設は、キャラビニエールの全二十四区に存在し、聖鎧都市の旺盛な魔力需要に応えるべく都市の心臓弁としての役割を全自動で果たしている。

 中でもこのジャイロ――西舷Ⅳ区公転ジャイロは工業地帯の中心にあるため目立ちにくく、そのわりにすべての公転ジャイロの中でも大型で、都市全体の魔力流に対する影響力が大きかった。

「……わかった。こっちはもう終わるわ。くれぐれも、魔王に気づかれないで」

 シアは通話を終えて、携帯型錠話機を制服のポケットに突っ込んだ。

 シアは今制服を着ている。クラフトの隠れ家にいた時には着ていなかった、征伐局の制式戦闘服だった。青と白を基調とした鋭角的な制服はキャラビニエール市民を凍結獣から守る魔錠エリートたちの誇りとするところだが、どういうわけか今は非常に着心地が悪く感じられる。

「……言わんこっちゃない。魔王なんかと手を結べるわけがないじゃない」

 その言葉は、先ほどまで通話していたキャラビニエール市長ドルーア・マーティレイに向けられたものだった。

 魔王が人と手を結びうるような存在だったら、千年前の人々も力を結集して魔王を倒そうとなどしなかったはずだ。魔王という存在は、人間の独裁君主などとはまったく次元の異なる存在なのだ。

 魔王側についた〈高慢〉ハイラーク・エルゴステットによる副市長暗殺に巻き込まれて、ドルーアは片腕を奪われたという。結ぼうとした手を文字通りに引きちぎられたなんて冗談にもならない。ドルーアは現在、信頼のおける医師の元で処置を受けながら、対魔王作戦の指揮を執っているらしい。

 とりあえず、無事で何よりだった。認めたくはないが、ドルーアのカリスマを抜きにして魔王ブカンフェラスと戦うのは難しい。

 シアは擂り鉢の段を下り、擂り鉢の底に安置された棺のようなものに近づいた。

 この棺だけは、周囲の装置に比べて真新しい。この数日で急造された、テレサのための封印装置だった。

「あたしだって、こんなことはしたくない。あなたは立派な人よ。あなたを尊敬してるのは、何もあいつだけじゃないんだから。あなたの千年越しの悲願は残念ながら成就しなかった。あなたはひょっとしたらあたしたちのことを恨んでるかもしれない。でも、ここには三〇〇万人を超える人々が現に暮らしているの。あなたの自己犠牲につけこんだ……そう言われてもしかたがないかもしれないけれど、あたしは現実に存在する三〇〇万人の命とあなたの命とだったら、やっぱり、三〇〇万人の方を選ばなければならないと思う」

 ひとりごとのようなシアの言葉に、応える声があった。

「わかっていますよ。もしあなたがわたしの立場だったら、あなたはわたしと同じことをしたでしょう。今回は……いえ、今回も、わたしが生け贄の羊となる役回りだったのです。結果はともあれ、あなたはわたしと同じように高貴な魂の持ち主です」

 封印装置の中に横たわっているのはテレサだった。テレサは拘束されていない。シアの話を聞き、その内容に納得した上で、今この場から動かずにいる。

「言うわね。でも、本音を言わせてもらえば、あたしはあなたほど高潔な人間じゃないわ。あたしが本当に助けたいのは、三〇〇万人のうちのごく限られた数だけなのよ」

「特に彼、というわけですね」

「否定はしないわ。クラフトは本気であなたの支えになろうとしている。でも、〈犠牲の聖女〉と本気で最後までつきあうというのが一体どういうことか、あいつにはわかってない。……いえ、わかってるのかもしれないわね。あいつはあなたが死ぬと決めれば一緒に死ぬかもしれない。あなたが死んでと頼めば死ぬかもしれない。でも、あたしはそんなのはごめんなの」

「いいのですよ、それで。わたしはあなたを赦します」

「……あたし、あなたのそういうところが大嫌い。恐怖に震えて、あたしを罵ってくれた方がまだマシよ」

「実は、わかっていてやっています」

「……性格悪」

「わたし相手に、偽善など口にするからです」

 テレサがくすくすと笑う。

「いいわ、もう。おためごかしはやめる。あたしはあなたが邪魔なの。あいつが死にそうだし……その前にあいつのことを取られそうで怖くてたまらないの。この装置にあなたを組み込めば、あなたも排除できるし街も救えるしで一石二鳥。それで割り切る!」

「最初からそう言えばいいのです。わたしも世界のためなんて言われて封印されるよりは、好きな人を取られたくなくて封印される方が、ずっと好みです」

「…………」

「あなたのような人がいるのなら、わたしの千年前の行動は無駄ではなかったのだと思えます」

 テレサはにっこりと微笑んで言った。

「……あなた、本当に変な人よね」

「よく言われます。では、彼によろしく」

 テレサは何の迷いもなく装置に身体を固定し、目をつむった。

 その躊躇いのなさに、シアは胸が引き裂かれるような思いがした。

 いや、それ以上にシアを打ちのめすのは――

(……惨めね。あたし)

〈犠牲の聖女〉の迷いのない献身にくらべ、私利私欲で彼女を陥れた自分の、いかに卑劣で卑小なことか。

 だがおそらく、シアがそう思うだろうことも、この腹黒な聖女の計算のうちなのだろう。

 テレサはいつも、自分を犠牲にすることでそれ以上の何かを残された人々の心の中に残していく。

(……ずるいわよ、こんなの)

 シアは、自分の身のまわりのことにしか関心がない。

 世界だとか、人類だとかはもちろん、先ほど自分自身で口にしたキャラビニエールの三〇〇万人の市民だって、数字以上の何かとして想像することはできないし、ましてや実感することなんてできようはずもない。

 そして、想像できず、実感もできない以上、そんなもののために何かをしようだなんて気には、どうしてもなれないのだ。

(それが、あたしの限界……かな)

 自分の身を犠牲にして千年もの時を稼ぎ、人類の発展に賭けたテレサ。

〈犠牲の聖女〉の伝説を信じ、その千年越しの想いに応えようと、本気で努力してきたクラフト。

 二人には見えているはずのものが、シアには影も形もない化け物のようにしか思えない。

 身のまわりの現実を超えた何かを見、そしてそれを信じる能力は、シアの中には絶対にないものだった。

(だから、怖かった……)

 あの二人は、言うなれば運命に導かれて、出会うべくして出会った。

 少なくとも、シアの目にはそう見えた。

 人類の歴史に名を刻む英雄と、その呼び声に応えられるだけの力を持った天才機匠――。

 二人の間には、二人だけにしかわからない何かがあり、シアがその中に割って入ることは絶対にできない。

(……キャラビニエールに十人しかいない一等魔錠官の一人。最年少適格者。それがあたし、セレシア・マーティレイ)

 父が市長であるだけに陰口を叩かれることもあるが、自分の実力が他の一等魔錠官に見劣りするものでないことは自分がいちばんよく知っている。それを得るために血の滲むような努力を積み重ねてきたのだ。その程度なら傲ってもよいと、シアは思っている。

(でも……)

 それでも、クラフトという天才を前にすると、シアは圧倒される。

 自分には見えないものが見えているらしいクラフトに、それでもなんとかついていこうと努力してきた結果が、シアの今の地位だった。

 シアがクラフトには敵わないと口にすると、知人たちは一様に変な顔をする。

 シアに気があるらしいハイラークなどは露骨で、「所詮は二等の雑魚」「おもちゃいじりが忘れられない機匠気取りのクソガキ」などとシアの前で平然と悪態をつく。そんなことをしてもシアに嫌われこそすれ好かれることなどありえないのだが、そこに気づかないのが〈高慢〉の〈高慢〉たる由縁ではある。

 が、事実として、クラフトは二等魔錠官だ。年齢としては優秀な部類に入るが、他に同年齢の二等魔錠官がいないわけではない。機匠を兼ねる二等魔錠官は少ないが、それもいないわけではない。一等魔錠官であるシアとどちらが「上」かと問われれば、ごく常識的な意味ではシアの方が「上」だろう。もちろん、クラフトがこれまでに開発してきた魔錠関連技術のことを考慮に入れなければ、ではあるが。

 しかし、クラフトの凄みはそんなところにあるのではなかった。

 物事の本質を見抜き、見抜いた本質を信じ、まわりがなんと言おうとも、必要な備えをしようとする。

 結局、クラフトが一等魔錠官を目指さなかったのは、そうすることに意味を見いだせなかったからだ。

 クラフトは言った。

 ――一等魔錠官程度の戦力じゃ、束になっても魔王には敵わない。

 凍結獣の群を単騎で蹴散らす力を持つ一等魔錠官であっても、クラフトの目的には力不足だった。

 やがてキャラビニエールを席巻するだろう大発明・携帯型錠話機の基礎技術を開発した若き天才機匠――そんな称号ですら、クラフトには意味のないものだった。

 クラフトが求めているのは、聖女を助け、魔王を倒すための力だ。

 幼き日のクラフトを支えた伝説の聖女を、今度は自分が助けたい。

 そんな世迷いごとを、平気で言って憚らないのがクラフトという人間なのだった。

 狂っている。

 ずっと、そう言われ続けてきた。

 魔王が復活するその日まで。

(……あたしだけがあいつの理解者だった。そう思ってた)

 しかし、シアは果たして、クラフトの言うことを、本当に信じていたのだろうか?

 内心まさかと思いながら、クラフトの熱意に流されるようにして信じたふりをしていただけだったのではないか。

 魔王の復活に備え研究に勤しむクラフトの横顔を見つめているばかりで、クラフトの原動力たる信念については、世間の人並みに疑ってもいた。

 そういう意味では、シアはクラフトの真の理解者ではなかった。

(何で……信じられなかったんだろ。こうなってみれば、むしろ当たり前のことだったのに)

〈凍結された決戦場〉からはこのキャラビニエールを維持するだけの膨大な魔力が漏出している。千年前の聖魔決戦については詳しい史料も残っている。十年ごとに行われる過越祭(コグニア)では聖女の献身が決して忘れられることのないよう繰り返し語られてきた(シアは幼学校時代に〈犠牲の聖女〉役で聖魔決戦の劇に出たことすらある!)。近年は凍結獣の発生が増え、行動にも異常が見られることを、シアは征伐の現場で目の当たりにしていた。一部の機匠や回炉学者は、以前から〈凍結された決戦場〉の異常を指摘していた。

 が、それらの個別の兆候は、「まさか」という思いの前に確固たる像を結ばなかった。

 誰もがその可能性について一度は考えていながら、その現実性を認めようとはしなかった。

(悔しい……! あたしはあいつのことを信じてなかった! 信じられなかった……ううん、信じようともしなかった! ひょっとしたら……信じたくないとまで思ってた!)

 クラフトが研究に励み、自分がそれを実戦でテストする――そんな胸躍る日々がずっと続くと思っていた。

 クラフトが狂った予言者のように繰り返す魔王復活の警告を聞き流しながら、シアはただクラフトと一緒にいられることを犬のように喜んでいただけだった……。

(……あたしは、クラフトの横に立ててなんてなかった……)

 一等魔錠官になれたことを無邪気に喜び、これで一緒にいられると浮かれながら、それでいてクラフトの警告にはまるで耳を貸していなかった。

(……まるっきり道化じゃないの)

 それでも、クラフトを最も理解している一人だったとは思う。

 クラフトが小型化した聖鎧回炉を実戦で試して意見した。倒した凍結獣から素材を回収してタビュロの開発にも協力した。〈聖紋〉の調査では、足を棒にしてキャラビニエールの古層を探り、一緒に市議会への上申書を作った。クラフトも、自分のことをパートナーだと思ってくれているはずだった。

 しかし、魔王ブカンフェラスとともに〈犠牲の聖女〉が現れたことで、状況は変わった。

 テレサは、クラフトをも凌ぐ目的意識の持ち主だ。

 ほとんど、取り憑かれていると言っていい。

 魔王を倒すためならば自分の死すら厭わないだろう。

 クラフトは、聖女を助けて魔王を倒すと言いながらも、その言葉は男の子らしい憧れの気持ちに根ざしたものだった。

 しかし、テレサはそうではない。

 慈悲とか博愛とか名誉とか、そんな理解可能な理屈なんてない。

 テレサは百以上の理由があると言っていたが、それは逆に中心となる理由はないということでもある。

 テレサはただ魔王を倒したいのだ。

 そうすることが人類にとって必要だからそうする。必要である以上、それ以外にはいかなる理由も必要ない。

 なるほど、魔王を倒す上で役に立つのなら、他人の「理由」を心に収めることはするが、それはあくまでも魔王への憎悪を掻きたてることで心を支えるための道具でしかない。

 魔王を倒す。その目的のために自らを捧げきり、その目的意識を徹底的に純化させたのが、あの〈犠牲の聖女〉なのだ。

 だから、あんなにもテレサは澄み切っていて、美しく、侵しがたい。

 とてもこの世のものとは思えない。

 喩えるなら彼女は――

(……そう。天使、よ)

 魔王を倒すために天界から遣わされた天使――それがテレサだ。

 それは、仰ぎ見ているだけなら美しい。感動もする。

 だが、クラフトのような目的意識の持ち主にとっては、ともすれば魔王以上に危険な存在となりうる。

 テレサを見ていれば、クラフトは己の不徹底さに我慢できなくなる。

 クラフトまで、天使になろう、いや、天使にならねばならない、そう考え出しかねない。

 つまり――テレサの硝子のように純粋な目的意識に取り込まれてしまう。

 魔王とは別の意味で、テレサもまたカリスマであり、魔王が〈悪〉の化身であるのと同じ程度には、テレサもまた〈善〉の化身なのだ。

「今の世の中にいらないって意味では……あんたも魔王も同じなのよ、テレサ」

〈善〉と〈悪〉とが鋭く対立し、雌雄を決しようとした千年前とは違う。

 純粋な〈善〉だの〈悪〉だのは、世の中には本来ありえないものだし、あってはならないものだとシアは思う。〈善〉も〈悪〉も、自らの基準にそぐわないものを否定し、破壊しようとする点では同じだ。

 とりわけ、その中心に〈悪〉――〈凍結された決戦場〉を抱えるキャラビニエールは、純粋な〈善〉には耐えられない。

(ううん……違うわね)

 シアが考えているのは抽象的な〈善〉なんてものじゃない。

 テレサとクラフトのことだ。

 純粋に〈善〉たろうとするテレサと、それに続こうとしかねないクラフト。

 彼らは、純粋な〈善〉であるがゆえに、〈悪〉を抱えながら生きていかざるをえないこの都市では生きていられなくなる。

 追い出されるか、自発的に出ていくか。同じことだ。どちらにせよ、クラフトがシアの前からいなくなるのだから。

(そんなの、耐えられない。クラフトをテレサみたいな殉教者になんてしたくない。クラフトは……あいつは、あたしと一緒にこの世界で生きていくんだから――!)

 だから、シアはテレサを殺す。

 排除する。

 もちろん、文字通りに殺すわけではないが――これから数千年の間魔王を封印する要石になるのだと思えば、それはほとんど社会的な殺人に等しいだろう。

(……あたしは、悪だ。〈悪〉、なんてかっこいいものですらなく、ただの悪。ひょっとしたら魔王より卑劣かもしれない、小さな悪だ)

 でも、そうだとしたら。

 目から溢れ出る、この涙は何なのだろう?

「……テレサ……あんたはいつの時代も早すぎるのよ」

 人類がテレサの領域に至るまでに、あとどれだけの年月が必要なのだろう?

 テレサが封印から解放される数千年後には、人類はテレサとともに立って、あの恐ろしい魔王ブカンフェラスと戦えるようになっているのだろうか?

 それとも――そんな日は、いつまで経っても訪れないのか?

 シアは手を組み、数千年後のテレサのために祈ろうとして――やめた。

「……ダメよ、そんなの」

 テレサはきっと、そんな偽善を許してはくれないだろう。

 シアは回炉刀を手にして立ち上がった。

 シアの精神はくたびれきっていたが――まだこれから為すべきことが残っているのだ。

「鍵は……開けておくわ」

 封印装置の外殻は外から鍵がかけられるが、その必要はないと思った。

 テレサは、逃げない。

 そのくらいのことは、察しの悪い自分にもわかる。

「……魔王と聖女。〈善〉と〈悪〉とをその腹に呑み込んで、この街はこれからも世界を漂い続けていくのね。でも、きっと、それでいいのよ。それしか……ないんだから」

 言い聞かせるようにつぶやいて、今度こそシアは公転ジャイロから立ち去った。

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