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その若者の名は、ダイク・ハーネスという。
若手の中ではまずまずといった腕前の魔錠官だった。
が、ダイクは「まずまず」で満足するわけにはいかなかった。
有名な一等魔錠官である父親の名声は、幼い頃からダイクにつきまとった。
ダイクが父親から譲り受けたのは比較的大きな魔力許容量だけで、父親を一等魔錠官たらしめた、複数の魔錠を同時に掌握し精密に使い分ける緻密な魔力構成力は、ダイクにはないものだった。
才能がまったくないわけではなかったために、市の魔錠官養成校には推薦で入ることができたし、キャラビニエールにおける人気職業である魔錠官になることもできた。
が、魔錠術を学べば学ぶほど、自分と父親の才能の歴然たる差が身にしみてわかるようになった。
ダイクがいくら努力しても、一定以上のところには到達できなかった。
二等魔錠官としてまずまずの力量と評されてはいても、自分より後から魔錠官となった例の〈高慢〉やら〈銀閃〉やらがあっという間に一等魔錠官の資格を手に入れていくのを見ると、絶望的な気持ちになった。
何より、他人の目が気になってしかたがなかった。
父親と同じ、魔錠犯罪取締局の配属になったのもまずかった。
同僚や上司は、ダイクと父親を露骨に比較するようなことはしなかったが、一等魔錠官である父親の動静は、嫌でもダイクの耳に入ってくる。父親の噂話をしている上司や同僚を見ていると、裏では自分と父親を比較しているのではないかと不安になった。
そして、そのことを気にすればするほど仕事が手につかなくなり、つまらないミスが増えていく。最初はダイクの妄想だったはずの同僚や上司の批判の声は、徐々に現実のものとなった。ダイクはますます不安と被害妄想とを膨らませ、やがて彼らが自分の才能のなさを嘲笑っていると思い込むようになった。
魔王が復活したのは、そんな折りのことだった。
ダイクは魔王ブカンフェラスに心酔し、取締局の魔錠官でありながら、裏では魔王の手兵となった。現役の二等魔錠官であるダイクは、魔王の心酔者たちの中では重宝された。ダイクは魔錠官としての立場を生かして、いくつかの非合法な情報窃盗や、目立つ恐れのない荒事の処理などをこなすようになった。
気に入らない取締局を裏切ることに倒錯的な喜びを感じながら、ダイクは誤った自信を深めていった。すなわち、自分には取締局の鼻を明かせるだけの実力があるのだ、と。
そう。端的に言って、ダイク・ハーネスは舞い上がっていた。
父親に対する劣等感に端を発する屈折した感情が、魔王の手兵としてのスパイかヤクザじみた活動の中で解きほぐされていくのを感じていた。
だが、ダイクの「幸福」は長くは続かなかった。
今日、そんなダイクに魔王は、ある指令を下した。
――副市長ナタリア・ブルームナグを暗殺せよ。
と。
この指令に、ダイクは突如として怖じ気づいた。
深い考えがあったわけでも、信念に基づいて判断したのでもなく、単にことの大きさに怖じ気づいたのだ。
その点では、ダイクは父親の事なかれ主義的な小心さを受け継いでいたのかもしれない。
ともあれ、ダイクは逃げ出した。
事情を聞いた友人たちに冷たくあしらわれた挙げ句、ダイクは治安の悪い南舷の工業区へと逃げ込んだ。
そのダイクに、追っ手がかかった。
追っ手は、ダイクの父親だった。
「……許せ、ダイク」
ダイクの父親、一等魔錠官ケインズ・ハーネスは、苦渋に満ちた表情で言った。
「父さん……何でだ! 目を醒ませよ!」
「私の目は醒めているよ。ああ、醒めているとも。醒めていなければむしろ幸いだったのにな。悪夢であればやがては醒める……しかし、これは紛れもなく現実なのだ、息子よ」
目が醒めていると主張する父親の目は茫洋として焦点を結んでいないように見えた。
ダイクはそこに、魔錠官として取り締まりに当たった麻薬中毒者に似た表情を見てぞっとした。
「どうして……あいつは危険だ! 魔王ブカンフェラスは人間のことなんか何とも思っていやしない! なんでそんなこともわからないんだ!」
自分のことは棚に上げて、ダイクは父親に噛みついた。
「わかっておらんのはどっちだ! お前が魔王になど入れあげたせいで、私たち家族はもうお終いだ……! 若さに過ちはつきものだが……取り返しのつかぬ種類の過ちもあるのだと、なぜわかってくれなかった!」
一転して鬼気迫る様子で食ってかかる父親に、ダイクはぽかんと口を開けた。
「父……さん?」
「おまえの母と妹を助けるためだ……大人しく殺されてくれ」
「そんな……まさか、母さんとアンナが人質に……!?」
「おまえが……おまえが悪いのだ……魔王などに踊らされて……私は……私は、何も悪くない……悪く、ないのだ!」
父親は片手に提げた拳銃を持ち上げ、ダイクの額に照準を合わせる。
「ま、魔錠解放:南Ⅵフブリコフ07……ッ、……!!」
ダイクが魔錠を開き終える前に、ケインズは引き金を引いていた。
魔錠は使わない。魔錠の使用は市側に記録が残ってしまう。魔錠を使わず仕留めるようにというのが、魔王からの厳命だった。
(市側に記録が残る……? 今更何を。そんなのは口実だ。魔王は、私が息子をこの手で殺すのを見たかっただけだ……それが、私に課せられた踏み絵なのだ……家族を、守るための)
魔錠官となってから、ケインズはほとんど銃を使っていなかった。
卓越した魔錠術の才能を持つ〈魔鞭〉ケインズ・ハーネスは、銃を必要としなかったのだ。
同じ魔錠官とはいえ、いつまでも銃士隊の後衛術師に甘んじざるをえない息子には、情けなさと申し訳なさとを感じていた。
が、その感情が、今さらケインズの腕を鈍らせることはなかった。
ほとんど養成校以来となる射撃は、ケインズ自身が意外に思うほどあっさりと、息子の額を撃ち抜いていた。
養成校では、射撃の成績も同期中でトップだった。あの頃のケインズは確かに自分の才能を鼻にかけてもいたが、鼻にかけられる程度の実力を維持するための猛烈な努力も欠かしてはいなかった。
銃を構えた相手に対して、発動までに時間のかかる魔錠術で対抗しようとするような拙劣な魔錠官とは、才能以前に純然たる努力の量が違う。
が、その分、ケインズは世渡り下手でもあった。実力に見合った評価を得るまでに、ずいぶん遠回りをさせられた苦い経験があった。
(私は、ダイクに処世術を教えたかった。組織の中で生きていくには、曲げなければならないことが山ほどある。それさえわかっていれば、私の息子なのだ、悪いようにはなるまいと、そう思っていた……)
しかし、ダイクはそうは受け取らなかった。
自分は〈魔鞭〉の息子だ、自分の魔力許容量は一等魔錠官並みだと騒ぎ立て、その癖、ちょっとでも結果がふるわないと、努力もせずに自分には父親ほどの才能がないと嘆いてみせた。
結局のところ、ケインズにとってダイクはよい息子ではなかった。
だがそれは、ダイクにとってケインズがよい父親ではなかったということなのだろう。
悔やんでも悔やみきれない。
自分を守り、家族を守るためには、どんな汚いことだって厭わずやってきたというのに。
(どうして、こうなった? 私は一体、どこで何を間違えた? なぜ私が、息子に背かれねばならんのだ? 私は私なりに、息子のことを思って――)
父親としての立場を忘れて率直に言えば、ケインズにとってダイクは汚点であり、どうしても好きになれない息子だった。一等魔錠官としての後輩に当たる〈銀閃〉セレシア・マーティレイはもちろん、〈高慢〉ハイラーク・エルゴステットと比べてすら、はるかに劣る魔錠官であり、人間であるというのが正直な感想だった。
が、額を撃ち抜かれ、驚愕の形に顔を固めて、汚らしい倉庫の床に倒れる息子の姿を見ていると、耐えがたい良心の呵責に襲われる。
せめてもの慰めは、ほとんど苦しませずに死なせてやれたことか。
魔錠官として鍛え上げた腕前が、思わぬ形で役に立ったというわけだ……!
(……死なせる? いや、殺したのだ、私は。実の息子を、私はこの手にかけたのだ――!)
「お、おおおおおおぉぉぉ――っっ!」
ケインズは力の限り叫んだ。叫べば自分を殺すことができるかのような錯覚をおぼえながら、この罪深く、恥ずかしく、汚らわしい自分という存在を絶叫で塗りつぶすように叫び続けた。
ケインズの絶叫が静かな嗚咽へ、そして血の混じった空咳へと変化し終えた頃に、まるで見計らったかのようなタイミングで、ケインズの携帯型錠話機が震えた。
ケインズは目頭を指でもみほぐし、大きく息を吐いてから通話ボタンを押した。
「……これでよかったのか、魔王」
『……そう。それでよい。褒めて遣わすぞ、ケインズ・ハーネス』
「これで妻と娘は……?」
『家族が大事なら、これからもせいぜい励むことだな』
「そんな……!」
『自分の息子を手にかけたのだ……もはや怖いものなど残っておるまい? さあ、次の仕事だ――』
「やめてくれ……もう、やめてくれ……!」
叫びながら、哀れな父親は理解していた。
魔王の言うことは正しい、と。
家族を人質に取られ、息子まで手にかけたのだ。怖れるものなど何もない。良心の呵責から逃れるために叫び、悲嘆し、懇願し……それらのすべてが冷たく無視された後、自分は魔王の言いなりになってまた誰かを殺しに行くのだろう。
「……神様」
この一時間でどっと老け込んだ男の喉奥から、我知らず、嗄れた声が漏れていた。




