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そして聖女は旋風〈タビュロ〉と化す  作者: 天宮暁
第三章 三人目の仲間
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 キャラビニエール市長ドルーア・マーティレイは、市庁舎の廊下を落ち着かなげに歩いていた。

 秘書のブレンダは今は一緒ではない。ブレンダには、市長秘書としての激務に加えてブカンフェラスとの連絡役まで任せてしまっている。申し訳ないと思うが、こんなことを任せられるほど信用のおける人物となると、ドルーアには他に思いつかなかったのだ。

 そして事実、ブレンダは期待通りの仕事をしてくれている。初め、ドルーアはブレンダが魔王ブカンフェラスのカリスマにあてられてしまうのではないかと心配していたが、ドルーアとブカンフェラスの初顔合わせ以降は、普段通りの鉄面皮へと戻っていた。

 一週間前の会見以来、魔王は信じられない勢いで自らの派閥を広げつつあった。

 そう、「派閥」だ。復活から半月で魔王は、「魔王派」とでも呼びうるような派閥をキャラビニエールの様々な層に広げつつあった。

 むろん、まだ少数ではあるが、その膨張の速度には予断を許さないものがある。ドルーア自身、カリスマ市長として市民の間に確乎たる人気があったが、ブカンフェラスの「カリスマ」はドルーアのそれとは次元の異なるもののように思える。

「……これが『魔王』か」

 魔王とは、単に絶大な魔力を持つから、そう呼ばれるのではない。

 家臣のいない王は王たり得ない。魔王たるには彼を魔王と呼び、その支配下に置かれることを望む多くの家臣が必要となる。

 いかに魔物を喚び出し使役できると言っても、それだけで広大なファルダール大陸を治めることなどできはしない。どんな悪政を敷くにせよ、人を統べるには人が必要だ。大陸中の人類を支配下に治めうるほどの人材が、かつて魔王の下には蝟集していたのだ。

 ドルーアは、魔王ブカンフェラスのカリスマが、魔法によるものではないかと疑い、魔王その人に質してみた。

 魔王はその質問を一笑に付して言った。

「私ははじめて興味が湧いたのだよ。人間という存在に」

 だからこそ魔王は、魔王としての魔的本性を押し隠し、ひとりの人間として人間社会を支配しようと考えているのだという。

 ドルーアは不快げに聞き返した。

「……なぜそんな面倒なことをする?」

 ドルーアとしては、魔王ブカンフェラスを魔都キャラビニエールを駆動する魔力器官として利用できればそれでことが足りるし、また、そのような形で魔王を封じ込めるのでなければ、キャラビニエールの良識的な市民を納得させることができないと考えている。

 例の会見も、反対するドルーアを押し切ってブカンフェラスが実現させたものだ。ドルーアはできる限り、魔王を前には出したくなかった。

「簡単すぎるのだ」

「簡単すぎる?」

「そう。この街は、私が立ち去るだけで崩壊する。そのことをもって脅せば、逆らえる人間などこの街にはおるまい。いや、仮に逆らう者がいたとしても、ある程度までの反乱ならば、それこそ眠りながらでもひねり潰すことができる。それでは、簡単すぎるのだ」

 ドルーアは無言で話の続きを促す。

「これは、いわばゲームなのだ。人間どもと同じ条件の下に、人間どもにはできぬことをやってのける。そうでなくては、誰も私を『魔王』だなどとは認めまい。人間どもの土俵で勝負して、しかも完膚無きまでに叩きのめす。後は、放っておいても私の――魔王ブカンフェラスの下に人間どもは集まってくる。人間は、その本性からして、己より強い者に服従したがる生き物だからな」

「……そこまでする必要があるのか? 単に力を見せつければよいのではないか?」

「心を折るとは、そういうことだ。この街を滅ぼすことは容易い。が、容易いだけに人間どもに与える衝撃は薄い」

「なるほど……それで」

「人間どもがうぬぼれている分野で完全な勝利を収めることで、人間どもに身の程を教えてやるのだよ。迂遠なようではあるが、これがもっとも効率的な手段なのだ。私はそのようにして、大陸の覇権を手に入れたのだ」

 魔王はそう言って邪悪な笑みを浮かべた。

 その笑みを見て、ドルーアの心に不安が兆した。

 人間どもが自惚れている領域――その頂点にあるものこそ、他でもないドルーア・マーティレイだ。

 初めからわかっていたことではあるが、魔王ブカンフェラスはドルーアと肩を並べて大陸を征服するつもりなど、さらさらないのだ。ブカンフェラスは千年の空白を埋めるために現在のところはドルーアを必要としている。だが、ブカンフェラスが充分にこの時代のことを理解し得たと判断した瞬間に、ブカンフェラスはドルーアに対して牙を剥き、その地位を簒奪しようともくろむだろう。

「……魔都キャラビニエールなどという戯れ言も、一体いつまで通用することか」

 ブカンフェラスには魔都キャラビニエールを実現するためと称して、ドルーアはキャラビニエールの古層を洗わせている。聖鎧都市はもともと〈凍結された決戦場〉を監視する研究所だったという。そして、聖鎧都市として発展する前の段階で、いざという時に魔王を封じるための巨大な魔法陣を開発していたという伝説がある。

 いや、それは伝説ではない。

 魔王の復活を唯一予見していたという機匠――逃亡者クラフト・エヴォルヴァは、半年ほど前、都市の古層を研究して〈聖紋〉と呼ばれる遺構を発掘、市議会へと上申書を提出している。

 ドルーアの娘であるセレシアとの共同制作らしいその上申書は、当時の市議会には失笑をもって迎えられたが、この報告のことをブレンダが記憶していた。

 藁にもすがる気持ちでその上申書を読み返したドルーアだったが、機匠クラフト・エヴォルヴァの下した結論は、「〈聖紋〉は魔王を封じるには力不足である」というものだった。

 が、同時に現代の聖鎧回炉技術や魔錠技術を応用すれば、魔王を封印するに足る施設になりうると指摘してもいる。

 聖魔千年紀を迎える前に、キャラビニエール市はその総力を結集して〈聖紋〉の改修に取りかかるべきである。そんな機匠の指摘に、今となっては苦笑するしかない。

 忙しいブレンダに無理を言って〈聖紋〉改修のための極秘チームを結成させてはいるが、圧倒的に時間が足りない。魔王の派閥はこれからもその触手を市全体へと広げていくだろうから、魔王に悟られずに改修を進めるのは時間とともに難しくなるだろう。

「……間に合うか、どうか」

 ドルーアは廊下の片隅に身を寄せ、我知らずつぶやいていた。

 そこに、甲高い人工音が鳴り響いた。

「……セレシアか」

 ドルーアが懐から取りだしたのは、携帯型錠話機(ポーテル)と呼ばれる(ポータル)を利用した小型の遠隔通話装置だった。

 錠が使えない者には使えないのが欠点ではあるが、恐ろしく便利な代物だった。

 まだ生産点数が少ないため、市長周辺のごく限られた者にしか行き渡っていないが、やがてキャラビニエール中を席巻する一大発明となることだろう。その時には、この手の平に収まるほどの卵形の機械は、この街の仕事のありようを劇的に変化させ、さらには市民同士の人間関係のありかたにまで影響を及ぼしてしまうにちがいない。

(……このようなものを手にしてしまっては、今さら錠のない生活には戻れんな)

 携帯型錠話機は、〈犠牲の聖女〉とともに行方をくらませた機匠が基礎技術を開発したと聞いている。錠を使った高速の暗号通信も、液晶と呼ばれる魔力素子を用いた画像表示技術も、回炉刀に用いられている聖鎧回炉の極小化技術も、すべて、この若き機匠の頭の中から生まれてきたものだ。いや、

(……史上最年少の機匠資格取得者、クラフト・エヴォルヴァ)

 市立高等技術院を卒業していないクラフトが機匠資格を獲得したのは、この携帯型錠話機の基礎技術開発を認められてのことだという。つまり、クラフト・エヴォルヴァは、携帯型錠話機の要となる複数の魔錠技術を開発した時には、まだ機匠ですらなかったのだ。

 その意味では、この機匠の青年――いや、娘と同い年のはずだからまだ少年と呼ぶべきか?――は、まさにキャラビニエールの誇る聖鎧回炉技術の申し子ともいえる存在だった。

 その少年が、復活した魔王に一撃を加え、聖女とともに逐電した。

 一等魔錠官であるはずのドルーアの娘も、二人の逮捕に当たった一等魔錠官二名と交戦、うち一名を戦闘不能にした挙げ句、同じく行方不明となっている。

 セレシアが機匠の少年や〈犠牲の聖女〉と行動をともにしているだろうことは、ほぼ確実だった。

 そして現在、ドルーアの市長専用携帯型錠話機の魔錠液晶に表示されているのは、他でもない娘セレシアの名前だった。

(……怖いな)

 行方をくらませた娘からの電話を前に、三〇〇万都市キャラビニエールの頂点に立つ男が、恐怖を感じている。

 ドルーアにとっては、魔王からの呼び出しよりも、娘からの電話の方がよほど怖かった。

(……いつからだろう。娘の考えていることがわからなくなったのは)

 魔錠の民生利用の実現には、夥しい数の障害があった。

 その障害の多くは、人間の形をしていた。

 若き市長ドルーアは彼らとの戦いにのめり込み――勝利を収めた。

 その結果が魔錠の民生利用による空前の好景気であり、クラフト・エヴォルヴァが特許を有する諸技術や携帯型錠話機に代表される発明はその延長線上にあると言っていい。

(……孤児から身を起こした天才機匠……そんな若者に活躍の場を与えられたことは、私の誇りとしていいことだろう)

 が、そのせいでドルーアは家庭をないがしろにすることになった。その罪悪感を埋め合わせるために、家庭では妻や娘に過度に干渉しては衝突し、結局妻とは離婚、娘も当然のように妻の側に着いた。今さら親権を争う気にもなれなかった。

(機匠の少年は、聖鎧の根幹たる魔王を倒すべく聖女と手を組み、私が魔王と手を組む間に、私の娘は、機匠の少年を助けるべく、一等魔錠官の地位をためらいもなく抛った)

 まるで、これまでのドルーアの政治を、あるいは父親としてのドルーアを否定するかのような若者たちの行動に、カリスマと呼ばれた政治家は密かに傷つき、自信を失いかけていた。

(……魔王を倒す、好きな者を助ける。そんな風に生きられた時期が、私にもあった)

 市長としてキャラビニエールの裏の裏までを知り、市の運営のすべてに責任を持つからこそ、できないこともある。自分はもう若くない。若き日の理想に燃えた自分であったら、魔王の手など取ろうとは思わなかっただろう。

 ドルーアは震える手で、娘からの電話を取るべく、携帯型錠話機の通話ボタンを押した。

 スピーカーの向こうから聞こえてくるだろう、堕落した父親をなじる言葉に怯えながら。

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