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そして聖女は旋風〈タビュロ〉と化す  作者: 天宮暁
第三章 三人目の仲間

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「……白々しい。あれは人の話を聞くような存在ではありません」

 テレサが吐き捨てるように言った。

「でも、話くらいは聞くべきなんじゃないの?」

 口を挟んだシアに、テレサは苦い顔をした。

「……千年前も、そう主張する人々がいました」

「魔王宥和派ってやつか」

 魔王との和平を説いた一派だが、歴史家の間ではすこぶる評判が悪い。魔王に一定の資金や糧秣を与え、領土を保障する代わりに人間に危害を加えないよう約束させる。それが彼らの主張だったが、彼らと魔王との間に結ばれた協定は、魔王によって一方的に踏みにじられた。実現不可能な宥和に固執し、魔王に対し早期に断固とした対処を取ることを妨げたという点で、魔王宥和派は人類にとって害悪としかならなかったというのが一般的な評価だった。

 が、当時を生きた聖女の評価はそれとは微妙に異なるようだった。

「そんな風に呼ばれているのですね。しかし、公平を期すならば、彼らの中にも立派な信念の持ち主がたくさんいたことも記憶しておくべきです。戦う前にできる限り対話の努力をするべきだいう意見は、基本的には正論です。わたしも、彼らの主張には正しい面があったと思います……相手が魔王ブカンフェラスでなければ、ですが」

「どうなったの?」

「半分は魔王の脅迫や利益供与を受けて魔王側に寝返り、残り半分は殺されました。殺された半分の中には、孤児だったわたしを育ててくれた修道会のエウゼビオ枢機卿も含まれています」

「…………」

 テレサの言葉にシアが沈黙する。

 が、シアはまだ納得していないようにクラフトには見えた。

「シアは、わたしが育ての親を殺された個人的な恨みで宥和を否定している……そう思っていますね?」

「……そんなことは……」

「いえ、いいのです。ですが、それは単純な誤解です。魔王への無知から来る誤解なのです。無理もないことですが、シアは魔王の本当の恐ろしさをご存じないのでしょう」

「……どういう意味?」

 すこしムッとした様子でシアが聞き返す。

「魔王は人間と対話などしません。魔王が人間に対して口を開くとしたら、それは欺し、煽動し、その果てに嘲るためです。魔王の言葉は、時に魔王の持つ絶大な魔力よりも大きな効果を発揮します。魔王の言葉とは、言葉の形を借りたただの暴力にすぎないのです」

「…………」

「魔王と取り引きを試みるものは、必ず利用されます。当たり前です。明白な力関係が存在する以上、こちらがどれだけ譲歩しても魔王からの譲歩は引き出せないのです。魔王は倒すしかない存在なのです。われわれとは根本的に相容れない存在なのです。……わたしはこの真理に至るまでに、たくさんの悲しみを目にしてきました」

 育ての親が宥和派だったというのなら、テレサ自身宥和派的な感性の持ち主なのだろう。そのテレサが語ることだけに、説得力があった。

「……この時代の人々が、魔王の言葉に惑わされないだけの分別を持っていればよいのですが……」

「魔王だってわかってるんだから、大丈夫なんじゃないの?」

「欺されまいとする人ほど、欺される時はあっさり欺されてしまうものです」

「……魔王の用いた策略については多くの史料が残されている。同じ手にはひっかからないと思いたいものだけどな」

「ですが、魔王の復活についても、史料は残されていたのでしょう? にもかかわらず、クラフトのような貴重な例外を除いて、キャラビニエールの人々は復活に備えることをしませんでした。目の前の安穏な生活を失いたくないばかりに、目の前に迫る明白な危機から目をそらし、あるいは見て見ぬ振りをしてのけたのです。そのような人々に、魔王の口車に乗らないだけの分別があるとは、わたしには思えませんね」

「……厳しいな」

「現実的なものの見方です。この分では、大方、千年前の人々よりも自分たちは賢い、だから魔王に欺されることなどありえない……などと錯覚して、あっさり魔王に欺され、煽動され、骨の髄まで利用された挙げ句に、手酷く嘲られながら虐殺されます」

「…………」

 クラフトとシアは黙り込むしかなかった。

「……すみません。どうも後ろ向きになっているようですね」

「疲れてるんだよ。タビュロの修理にはもう少し時間がかかる。街の情勢もまだはっきりしない。テレサはまず休むべきだ。しばらくは魔王のことなんて忘れるくらいでもいい」

 クラフトの言葉に、テレサは力なく首を振った。

「……正直申し上げて、わたしはかなり落ち込んでいるのです。わたしの想いが、大陸の人々に伝わっていなかったことに」

「…………」

 クラフトとシアは返す言葉もなく黙り込む。

「……ごめんなさい。あなたたち二人は、命を賭してわたしを助けてくれました。あなたたちのような人に巡り会うことができただけでも、千年の時を賭けた甲斐はあったと思っているのですが」

 しかし、言葉に反してテレサが落ち込んでいるのは明らかだった。

「……この工房は、取締局の連中が捜索したとしても、たぶん一週間は見つからない。テレサ、あんたはしばらく休んだ方がいい」

「そうね。あたしはちょくちょく抜け出して街の様子を探ってくる」

「大丈夫なのか?」

「だいじょうぶ。隠密行動は凍結獣の巣窟(ケイヴ)に潜る時で慣れてるから。ていうか、今更あたしに遠慮なんてしたら、本気で怒るよ?」

「ああ、悪かったよ。それなら頼む。俺の腕じゃあ、都市防はともかく、一等魔錠官相手に見つからずに動くのは難しいからな。……って、テレサ?」

 テレサはソファの背に頭をもたせかけて目をつむっていた。

「……疲れてるみたいね。当然か。千年前からずっとあのままあそこにいたんだから」

 クラフトが取ってきた毛布をシアがテレサにかけてやる。

「……どんな人かと思ったら、儚そうな、線の細い人ね」

「そうだな。こんな人の双肩に、人類の未来がかかっていたんだな」

 クラフトは慈しむような目でテレサの横顔をながめた。

 そんなクラフトにジト目を向けながらシアはつい言ってしまう。

「……憧れの聖女さまが、美人でよかったわね?」

「……くだらないこと言うなよ」

 クラフトはむっつりと黙り込み、設計図を手に立ち上がった。

「ちょっと、今からやる気?」

「時間なんかないからな」

「あんただって、テレサに負けず劣らず疲れてんでしょーが。知ってるわよ、ここ数日、ずっと徹夜でタビュロをいじってたでしょ」

「…………」

「休みなさい」

「だが……」

「どちらにせよ、聖女さまが復調しないことには、あんたひとりじゃ何もできないわよ? あんたの腕じゃ、たとえタビュロがあったところで魔王は倒せない。それは前回のことではっきりしたじゃない。だから――」

「……るさいな」

「……えっ?」

「うるさいって言ったんだよ! テレサは文字通り命を削って戦ってきたんだ! 今度は俺の番だ。俺がやらなくちゃならないんだ……!」

「ち、ちょっと……クラフトっ!?」

 クラフトは答えず、工房の扉の奥へと消えた。

 激しく閉ざされた扉の音に、シアの視界がぐらりと揺れた。

「……な、何よ……何なのよ、もうっ!」

 クラフトがシアにあんなことを言ったのは初めてだった。

 研究が煮詰まってイライラしている時でも、クラフトは他人に当たり散らすような真似は絶対にしなかった。

「どうしてよ……置いてけぼりにして。助けてあげたのに、全然感謝もしてくれない。クラフトにとって、あたしって何なの? 聖女さまがいれば、あたしなんていらないの……?」

 涙を浮かべてうずくまるシアを、薄目を開けたテレサが切なげに眺めていた。

「……人は……変わりませんね。……千年経っても」


 ――そして事態は、テレサの懸念していたとおりに進行していった。

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