プロローグ
聖魔暦一年。
ファルダール大陸の最後の希望、聖女テレーシア・ケリュケインは、魔王城の最奥で〈蜂と蛆どもの主〉魔王ブカンフェラスと対峙していた。
長い銀髪に縁取られた白皙の美貌に浮かぶのは、激しい焦慮の色だった。
「どうした、聖女よ。この程度か。これが大陸の最後の希望とは笑わせる」
「くっ……これほどとは……」
膝が折れそうになるのをこらえながら、テレーシアは呻いた。
その手には、刃の折れた剣の柄が握り締められている。精緻な彫刻の施されたそれは、今の人類に望みうる最高の聖剣だった。
しかし聖剣は、魔王の圧倒的な力の前に脆くも砕け散った。
「ふっ。安心しろ。貴様を簡単に殺したりはせん。貴様は大陸の希望なのだからな。徹底した拷問の果てに私への忠誠を誓わせ、自らの手で大陸の人類を虐殺させてやろう。聖女である貴様が我が軍門に下ったとなれば、もはや私に逆らう者など現れまい」
「そんなことは……させません」
テレーシアは覚悟を決めた。最後の手段と決めていた秘策を使うしかない。
「ですが……たしかにわたしの力では、あなたを倒すことはできないようです」
「ほう、ついに諦めたか。が、つまらぬな。貴様には希望を胸に抱きながら最後まで戦ってほしかった。力でねじふせることなどすまい。貴様のあがきを最後の最後まで見届け、貴様の心が絶望に満ちていくさまをじっくりと味わってみたかった」
「くだらぬことを。ですが、たまには魔王の要望に応えてみるのも悪くはないでしょう。しかと見届けなさい――これが、大陸の人々がわたしに授けてくれた力です――!」
テレーシアの身体から白い光が溢れ出す。光は闇に沈んだ魔王城の隅々までを照らし出す。
いや――
「……ぬ? これは……!」
白い光は、魔王の魔力のみで構成された魔王城を融かし、取り込み、変形させていく。
「貴様……何をしようとしている!」
魔王が焦りとともに放った闇の稲妻は、テレーシアから溢れる光に呑まれ、霧散した。
「わたしの力では……いえ、今の大陸の人々の力では、魔王ブカンフェラスを倒すことはできない――ですが、未来の大陸の人々なら……?」
「私を……封印するつもりか!」
「そうです。わたしの計算ではちょうど千年。それだけの魔力を残しておきました。この魔法で、あなたをこの地に封印します」
「馬鹿な……そんなことをすれば貴様も……!」
「ええ。僭越ながら、わたしもご一緒させてもらいます。見知らぬ殿方と同衾など、淑女にあるまじき行いですが、このような場合であれば、神もお赦しになることでしょう」
「ふざけるな……っ! 人の身に千年は重いぞ、テレーシア・ケリュケイン!」
「あなたに心配される謂われなどありません。たぶん意識はなくなるはずですが、もしわたしの意識が残っているようですと……まあ、発狂は免れませんね」
「貴様……正気か!?」
「ええ、正気ですとも。あなたを千年も封印できるのなら、わたしが狂い死にする程度、なんでありましょう。それに、わたしは希望を胸に眠るのです。千年後の人類は、必ず、あなたを倒せるだけの力を得て、この戦場へと駆けつけてくれることでしょう。そう、わたしはこの聖魔決戦を――この戦場を、千年先まで凍結するのです――!」
「やめ…ろ……、くっ……」
「……もう、お休みの時間ですね。よい眠りを、魔王。願わくば、あなたの寝覚めのよからんことを」
祈りの言葉をつぶやきながら、テレーシアの意識もまた拡散していく。
テレーシアの魔法は、魔王城を取り込み、変形して、霜の降りた巨大な繭を作り上げた。
その繭は数百年の時を重ねながら変形し、テレーシアの故郷の山を模倣する。
魔王ブカンフェラスを封じたこの山は、いつしか〈凍結された決戦場〉と呼ばれるようになった。
そして――聖魔暦千年。
テレーシアはゆっくりと目を開いた。
目の前には、あの日のままの姿で魔王がいる。
千年の時を経てめざめた聖女テレーシア・ケリュケインの後ろに――しかし、人類の大軍勢は現れない。
「……そんな」
彼女は賭けに敗れたのだ。
魔王の高らかな哄笑が、氷晶の山を揺るがした。
――テレーシアにはもう、魔王の嘲りを跳ね返す力すら、残ってはいなかった……。
転移や転生のない硬派な純正ファンタジーを目指しました。
好き嫌いあるかもしれませんが、よろしくお願い致します。
書き上がっているため、毎日更新の予定です。